発達障害

自分がわからない人

この話から。

自分を責める人何かトラブルがあったとき、どう反応するか。 これ、思いの外個人差が大きいようだ。 自分を責めるか、人を責めるか、はた...

 

↑のブログで、

「自分にとっての当たり前が、平均的には全然当たり前じゃなかったりする」

的なことを書いた。

トラブルがあるととにかく自分をめっちゃ責める人がいるけど、それって平均的な反応ではないよねってこと。

 

でも、本人はそれに気づかない。

「みんなこんなモンでしょ?」と当たり前のように思っている。

自分では『普通』だと信じて疑わない。

 

いや、かなり極端ですヨ。

 

 

でね。

ちょっと似た話で、「自分の考えを自分で把握できていないのに、それに気づかない人」もいるのだ。

今日はその話。

 

「自分」が行方不明

これはシンプルに、ASD (自閉スペクトラム症)です。

 

ASDは、「自分」という概念が薄い。

「自分」が行方不明なのね。

そもそもキョーミない。

 

ってことは同時に「他人」という概念も薄く、だからコミュニケーションの問題を抱えるわけだけど。

相手の立場に立てなかったり、自分の興味の内容をマシンガントークしたり。

自閉スペクトラム症の一番困るところ 自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD ) 対人関係がニガテ。 強いこだわり...

 

でね。

ASDってスペクトラム状の概念だから、特性がそこまで強くない人もいて。

はっきり特性が出ていれば周囲も分かりやすいんだけど、傍目にはわからないことも多い。

 

 

コミュニケーションはそれなりにとれる。

後天的に、「こういうときはこう返す」と学習しているので、明らかなトラブルはない。

内向的とか引っ込み思案とか、『キャラ』として受け入れられ、環境に適応して。

だもんで、そもそも自己主張を要する機会にさほど出くわさず、ここまで来た。

 

↑こんな子がいました。

ってゆーか、こんな子はかなりいます。

僕も含め。(僕はASDタイプ)

 

わからないことがわからない

この子が困るのが、進路選択だ。

もうね、圧倒的に困る。

 

何が困るって、「自分がどうしたいか」がわかっていないわけだから、選択ができない。

これまでは自己主張せずともなんとかなってきたが、今回ばかりはそうもいかない。

 

選べなくて困るのはそうなんだけど、さらに困ることがある。

 

自分がどうしたいかがわかっていないことが、わかっていない。

 

コレなのよ。

本気で困る。

 

本人に「自分ではよくわからず決められない」という自覚があれば、支援のしようもある。

でもこの子たち、わかっていないことがわかっていなかったりする。

 

するとどうなるか。

そう、相談の余地がない。

 

↑コレがめっちゃ困る。

 

 

この子たちさ。

進路の話をすると、口を揃えてこう言うのだ。

 

女の子
女の子
口を出されると嫌、イライラする。

自分で決めるからほっといてほしい。

 

口ではそう言う。

そうかってんで、距離を置く。

 

でも、実際には決められない。

 

当然だ。

この子の中には「どこで学びたいか」「何を学びたいか」「何を優先するか(通学時間、制服、校則、イベント、雰囲気、拘束時間など)」などの選択基準となる要素が、『ない』のだ。

本人の中で基準が『ない』の。

 

自分が何を求めているか、サッパリわかっていない

そして、サッパリわかっていないことが、サッパリわかっていない

 

これが困る。

 

  • 自分はわかっている。
  • 自分で決められる。
  • みんなこんなもん。
  • 自分は普通。

と、本気で思ってるんだよね。

実際は決められないのに。

 

しかもプライドが高い子だと「やっぱり決められない自分」が認められず、ワケわからない行動をしたり、変なトラブルを起こしたり。

こうなるともうしっちゃかめっちゃか。

僕の場合、「何者かになりたくない」ということだけ自覚しており、でもじゃあどう進路選択するかは決められず。

本気でフリーターを目指していた期間がある。

結局偶然が重なって大学受験を決意したわけだけど、その話はまぁ需要があれば。

 

支援を求めていない人への支援って、超高難易度だ。

一番困っているのは、支援できない人。今日は、僕のグチ。 救いのない話。 でも実際の現場では、本当に実感する。 同意いただける支援者の方も多いだろう...

 

支援が難しい

これが、ASD (グレー含む)の難しさ。

 

『自分』が、行方不明。

ってことは、『自分が行方不明になっている自分』も、行方不明。

客観視が難しい。

 

結局診察室では、「先生や親御さんと相談して決めてね」と言うんだけど。

まぁ聞きっこないので、親御さんにコッソリ「勝手に決めておいてください」と言うのが落とし所になる。

期限を決めて、「この日までに決まらなかったらお母さんオススメのこの学校ね」って感じで。

 

 

そして、このタイプの子の支援のさらに難しいところが、

本人の意思が行方不明であることに、支援者(主に親御さん)が気付きにくい

ってところよな。

 

 

実際は色々考えているのか、はたまた何も考えていないのか。

間近で見る親御さんにも分かりづらい。

もちろん、僕なんかが診察室でみてもよくわからないし。

 

考えはあるけど言わないのか、はたまた考えは『ない』のか。

もともと無口なキャラだし、しかも思春期ときている。

この判断は難しい!

※ちなみにWISCを受けると少しわかることがある。このタイプの子は、決まったこと(ルールとか言葉の意味とか)はスラスラ答えられるのに、ルールの背景やつっこんだ説明なんかを求めると途端に答えられなくなることがある。もちろん全員じゃないけど。

 

 

じゃあ実際のケースではどうするのかというと、難しいけど。

一応、『消去法』は有用だと思う。

「コレがいい!」はわからなくても、「コレはいや!」はわかる子は多いから。

まぁ消去法だけで完全に決めるのは難しいですが。

自閉スペクトラム症の不登校支援不登校は、本人が動き出すタイミングを待ってよい。 親にできるのは、家を快適にすることだけ。 そのうち必ず動き出すので、待つし...

 

まとめ

発達障害とか特性とかデコボコとかグレーとか、そんなものへの一番の対処法は、

自分を知ること

だ。

 

自分にはどんな特性があるか知る。

その上で、じゃあ逃げるのか戦うのかの作戦を立てる。

 

今現在の表面的なトラブルを避けるだけじゃなく、将来的に本人が自力でコントロールできること。

ここがゴールだ。

 

なんだけど、ASDタイプはこれが難しい。

しかも、特性がそこまで強くない、いわゆる「グレー」の人。※僕含む

この人たち特有の難しさってあると思う。

POSTED COMMENT

  1. しのぶ より:

    P先生こんにちは!

    ASDリハビリ女子大生さん、ありがとうございます。いい事聞きました^_^

    本人が憧れる事ができる大人の存在、がキモになるかもしれないんですね。
    興味のあることに太いベクトルを向けられる凸凹っ子なればこそ、たしかにそんな存在が有効な気がします!

    これからそれを頭に入れて息子を育てていこうと思います。まだ4歳。
    できるだけ彼をそのまんま受け止めてくれる人間で周りを囲んで観察して行きたいですねー。

    P先生の進路話 ぜひお願いします。
    学校の先生が、知り合いに似てるからって事で理系を進めた(でしたっけ?)の続き?でしょうか。
    気になります(^o^)!

  2. 匿名 より:

    先生いつもありがとうございます。
    先生のブログだけが希望です。
    今回の記事、正にうちの子ドンピシャです。
    そしてプライドが高いです。わけわかんない行動に出てます。

    先生のお話し
    >結局偶然が重なって大学受験を決意したわけだけど、その話はまぁ需要があれば。

    需要あります。ぜひお聞かせください。参考にしたいです。

  3. ASDリハビリ女子大生 より:

    P先生こんばんは。はじめまして。いつも拝見させて頂いています。

    私は小学4年生の時に起立性調節障害と診断され、高校3年生の時にASDのグレーゾーンと診断されました。特性ははっきりとしていませんが、自分の興味の内容をマシンガントークしたり、女子グループに入れなかったりとそれなりに苦労の多い中高生時代(?)を過ごしました。(ただクラスメイトに興味がなかったもので、女子から奇異の目で見られたり無視されても気にしていないという……)

    私は小さい頃から「将来の夢」がありませんでした。周りが「パティシエ」とか「ドッグトレーナー」とか言う中、私ははて?という感じで。なんとなく本は好きだけど、かといって作家で大成するという気もなく、「お金を稼げればいいんじゃない……?」と言った具合に。
    そんな私が進路を決めたきっかけは、中学校でもかなり奇異な存在でいた自分に優しくしてくれた女性教師の存在と担任の存在、そして母がお世話になったリハビリの先生の存在がありました。女子グループに入れず、集団生活は嫌い、休み時間はいつも1人で過ごしていて(いじめられていたわけではない)いつも変人扱いが基本だった自分を真正面から受け止め肯定してくれた大人の存在と、母がリハビリの先生に感謝しているのがきっかけで、「自分もそんな存在になりたい」と思いリハビリテーション学科に入学しました。運良く同級生に恵まれ、大学生はそこまでつるまないこともあり、勉強に追われつつも楽しく過ごしています。

    私が思うに、ASDの子にはいかに自分が憧れられる大人がいるかが大きな鍵なのではないかと思います。例えば、ヘレン・ケラーにとってのサリバン先生、羽生結弦にとってのプルシェンコのような。親がこうなってほしいと思うような優等生な大人ではなく、本人が心から尊敬できる人のような。こんな風になりたい!と思ってから、私は少しずつ自分自身について考えられるようになりました。
    本来は学校の先生が、ASDに限らず子供達の良き味方であり尊敬される師であるべきなのですが、今なかなか尊敬できる先生が少ないのがもどかしいですね。

    ちなみに偏見ですが、ASDの人って好きな食べ物とかもあまりない気がします。嫌いな食べ物はあるけど好きな食べ物、毎日でも食べたい!という物がありません。笑

    長文失礼いたしました。

  4. 匿名 より:

    まさに我が家の息子のことでした。
    いやはいうのですが大体嫌。
    あとは。べつにとか。
    したいは言わないし。なにか考えている気はするのに違うのかな?みたいな。

    で、消去法で、学校決めています。
    むずかしいくて、主治医もいつも悩んでいるかんじがっこうのせんせいはノータッチ。

    義務教育ももう終わるし、さて
    どうしたもんかです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です