発達障害

もしこの子が定型発達だったら。もしこの子が不登校じゃなかったら。

こんなことを言っても仕方ないのは分かってる。

 

でも、もしこの子が定型発達だったら。

もしこの子が不登校じゃなかったら。

全然違う生活、そして全然違う人生になっていたんだろうなぁと考えてしまうーーーーー。

 

デコボコだからこその

発達に特性があると、正直めんどい。

少数派って基本めんどい。

 

「普通」が「普通」じゃなくなる。

現実問題、社会に適応するためには多数派に合わせざるを得ない。

ひと工夫、ふた工夫することを余儀なくされる。

 

めんどい。

非常にめんどい。

大変やりにくい。

 

 

これについて、僕は「発達障害も個性だよ!」なんて言う気はない。

「不登校の経験には意味がある」とも。

 

個性な人もいるし、足かせでしかない人もいる。

経験や特性をどう解釈するか、どうマネジメントするかは、人それぞれで。

とてもセンシティブな問題だと思っている。

 

 

でも!

 

でもですよ。

その上で言わせてください。

 

デコボコだからこそのメリットもある!

 

 

↓ハイこの図ドーン!

自他境界の図です。

 

平均的な人は困りにくく、濃すぎる、または薄すぎる人は困りやすい。

一般に、極端な人は困りやすい。

上図は自他境界についてだけど、他の特性でも同じで、少数派は基本的に困りやすいのだ。

 

結局、自分の特性を把握して、鳥の目で全体像を俯瞰しましょうって話なんだけど。

【自他境界シリーズ③】先天的な視野、後天的な視野続き。 https://hattatsu-kids.com/?p=5469 https://hattatsu-kids.co...

 

でもさ。

上のリンクでもチラッと書いたけど、

平均的な自他境界なのにトラブルを起こす人っているよね。

 

平均的だからこそ、トラブルを起こすというか。

「自分は普通」が前提だもんだから、少数派の立場なんて無視して土足で入ってくる人。

いるじゃん?

 

普通ゆえに客観視できない。

あると思うんだよねー。

 

困るから向き合う

この仕事をしていて、思うんだ。

 

僕のところには、特性で困ってる人が来るわけだけどさ。

もちろん、超困ってる。

超大変だし、めんどくさいと思う。

 

でも、自分と向き合えるのは尊いとも思う。

 

 

この子、もし困らなかったら、自分の特性とか周囲との違いなんかについて、考えることはなかったかも。

深く考えず、フワーっと人生を終えたかもしれない。

 

困るから向き合うのだ。

自分と向き合うって、自分と同時に自分以外もよく見て、相対化するってことだ。

だからこそ見える世界がある。

 

 

世の中には、2種類の人間がいる。

世間の流れに抗わずにふんわりとその一生を終える人と、

納得できないとどうしても先に進めない人 だ。

 

困っちゃう人は後者。

今じゃなくても、いつか必ずぶち当たった人。

いつかは必ずぶち当たる 思春期くらいのお子さんで、 「急に言うことを聞かなくなり、家で暴れています!  今までは素直ないい子だったのになぜ……」 ...

 

壁にぶち当たり、自分と向き合う。

向き合わざるを得ない。

この作業により、自分のウィークポイントが見えて、対策が立てられる。

同時に、自分の強み、本当に好きなもの、やりたいことなんかも見えてくると思うんだよねー。

 

 

患者さんは、今は大変。

そりゃ超絶大変でしょうよ。

でも、ここを乗り越えるとめっちゃ強いと思う。

 

自分を知ってるって、めちゃ強くない?

自分の得意不得意、やりたいこと、やりたくないことがわかる。

他人が自分をどう見て、何を期待されているかがわかる。

 

この視点の有無って、人生に超絶影響を与えると思わん?

 

学歴や容姿、親ガチャなんかが重要で、人生を左右するのはわかる。

でも、これらをも超越した、空前絶後の、超絶怒涛の、人生に影響を与える度だと思うんだ。

 

イエェェェェェェェェェェイ!!!! (サンシャイン池崎)

 

困るから工夫する

この、自己理解というか、相対化というか、鳥の目? 的なもの。

デコボコしている人の方が獲得しやすいと思うんだよねー。

 

困るから工夫する。

困るから向き合うのだ。

 

なんとなーく「普通」に乗れちゃう人は、深く考えない。

その必要がないから。

 

だもんで、上記、平均的なのにトラブルを起こす人。

平均的だからこそ、トラブルを起こす人。

そういうことなんだろうと思う。

 

↑コレね。

 

なんとなーく距離感が掴めちゃうもんだから、客観視する必要がない。

今まで、この距離感でうまくいってきた。

なぜなら、平均的だから。

みんな「そんなもん」だから。

 

でもさ。

人って誰でも多少は偏りがある。

平均的な人も、平均的に偏っている。

↑コレ大事。

この偏りに気づけないと思うんだよ。

 

 

この偏りが顕著になるのは、その人の「普通」が「普通」じゃなくなったとき。

ズレに気付けずトラブルを起こす。

 

例えば、時代が変わったとき。

昔はそうでも今はそうじゃねーし!

というズレに、この人たちは気づけない。

 

例えば、環境。

A地区ではそうだったかもしれないけどB地区では違うんじゃ!

が理解できない。

 

例えば、少数派と出くわしたとき。

「私の普通が相手の普通ではない」

と、想像できない。

 

「私は普通」を盾に、ズレた理論をゴリ押す。

そりゃ、トラブルにもなるわ。

 

 

これまではそれでよかったのかもだけど、今はそれじゃうまくいかない。

でもこの人は、物事を俯瞰した経験がないので、急には視点が変えられない。

 

そう、『経験』です。

この人たちは圧倒的に経験が足りない。

散々『経験』が大事って書いてきたけど、困らない人は経験を得づらいわけです。

 

※一応補足。平均的な人、定型発達の人でも、物事を客観視できる思慮深い人はいます。そりゃ当然。でも、平均的ゆえに客観視ができない人もいますって話ね。全か無か、二項対立の話ではない。

 

その自分は本当の自分?

さらにさらに。

自己理解がないってことは、自分の好きなこと、嫌いなこともよくわからないってことだ。

 

平均的な人は、みんなと同じようなことをする。

みんなと同じことをして、みんなと同じように楽しい。

 

でもそれって本当に心から望んだこと?

普通こうだから、これが流行っているから乗っかってるだけ?

ある時、自分の人生これでいいのかと、なんとなーく不安になる。

 

 

その点、デコボコした人は強い。

自分のやりたいこと、やりたくないことに向き合わざるを得ないわけだ。

一度掴めば、それは一生のもの。

「絶対的に好きなもの」を自覚できる。

 

ふわっと楽しむことと、ガチで手を伸ばすもの。

エンジョイ度にはそりゃ差が出るだろう。

 

 

そして、偏っている人は「好きなもの」「得意なこと」が見けやすいように思う。

だって、消去法が強い。

無理なことは明らかに無理だ。

発達デコボコの人、そうでしょ?

 

じゃあ、残ったものは相対的に得意だ。

 

平均的な人は、なんでも平均的にできるゆえに、「コレ!」というものが見つかりづらい。

デコボコな人は、消去法で、無理なものは無理

得意なことなんて別にないんですけど。 発達外来の初診で必ず聞く質問がある。 『好きなこと、得意なことはなんですか?』 勉強ができる? 足が...

 

社会的にどちらが求められるかというと、難しいけれど。

でも、

  1. 4泳法を無難に泳ぐ人 と、
  2. 犬かきしかできないけどめちゃめちゃ速い人

では、インパクトがあるのは後者だ。

実際に社会で活躍しているデコボコの人も多いしねー。

 

まとめ

発達のデコボコ。

超めんどくさい。

 

不登校。

マジめんどくさい。

 

でも、しかたがない。

これが持って生まれた『玉』だ。

 

 

じゃあ、どうやって生きていくか。

偏っているからこそ見える世界があるように思う。

普通じゃないからこそ、気付けることがあるように思う。

 

僕は、

不登校(発達障害)で良かったじゃん、意味があったんだよ

とは思わないけどさ。

 

 

配られたカードで勝負するっきゃないのさ

スヌーピー

 

↑これ、久しぶりに貼ったな。

僕すごく好きな言葉。

 

 

こういう人だからこそのやり方がある。

そして、こういう人だからこそ見える景色があると、思えてならない。

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