発達にデコボコがある人は、いわゆる「普通の社会」に合わないことが多い。
不登校なんて、その最たる例で。
合わない場所
僕は、不登校って「学校が合わない人」だと思っている。
育て方ガーとか根性ガーとかじゃなくてさ。
もともと「合わない人」だった。
それだけ。
シンプル。
なんで合わないかは人によるけど。(人目が気になるとか集団行動できないとか刺激が多すぎるとかそもそも行く意味がわかんないとか)
生まれ持った性質として「合わなかった」。
だから不登校になったのだろう。
むしろ、合わないのによくここまで登校したヨ。
その努力の方がすげーヨ。
でさ。
不登校に限らず、やっぱ「合わない場所」ってあるよね。
デコボコがあると、どうしても。
いわゆる「普通の場所」が合わなかったりする。
不登校だと、学校を変えるのは割とハードル高いけど。
もうちょっと小さい規模とか、替えがきく場所なら、変えちゃえば?
努力!
忍耐!
とか、分かるんだけどさー。
僕は非常に苦手で。
変えればいーじゃん。
逃げればいーじゃん。
費用対効果よ。
少ない努力で評価される場所があるなら、断然そっちじゃん。
効率厨の僕は、どうしてもそう思ってしまうんだよなー。
アメブロから引っ越した理由
と、いうのもですね。
先日、自己紹介を書いてて思い出したのだけど。
そういえばこのブログ、めっちゃわかりやすく逃げてたなーと。
逃げたというか、場所を変えたというか。
もともとアメブロでやってたんですよ。
でも数ヶ月で撤退して、こっちのドメインに引っ越した。
今日はその理由を聞いてください。
そもそもアメブロを選んだのに深い理由はなくてですね。
無料ブログで検索したらヒットして。
とりあえず開始した。
でも、やってみたら不都合が出てきて。
当初、想定していなかった不都合。
これは、予想できなかった。
アメブロって、ブログなんだけど、SNS的な要素が強い。
これ、実際にやってみて初めてわかったんだけど。
流入が多いんですよ。
良くも悪くも。
ブログを立ち上げてすぐ、もちろん読んでくれる人なんてほとんどいない頃。
そりゃ当たり前で、どうやって読者を増やそうか考えていたんだけど。
なんか、勝手に増えた。
仕組みは未だによくわからないんだけどさー。
どこからか訪問してくれる人がいるんですよね。
広告せずとも徐々に訪問者が増えて。
アメブロのいいところです。
読者の獲得が容易。
で、ジャンル別のランキングに載ったのかな?
閲覧数がガツッと増え。
極め付けは、アメトピに載ったらしい。
他の人のトップページに、僕のブログが紹介される制度ね。
もうね、めっちゃ増えた。
うなぎ上り。
怖いくらい。
いや、むしろ怖かった。
でもね。
好意的に読んでくれる人も増えたけど、一見さんも一気に増えた。
すると、当たり前だけど、誤解する人が出てくる。
ほら、僕のブログって基本冗長じゃないですか。
放っとくと長くなりがち。
できるだけ短くまとめてるけど、それでもアメブロの平均的な文字数よりも多いわけで。
ちゃんと読まない人は、そりゃ出てくるわけで。
しかもこのブログ、1回の話で完結しないじゃん?
1回1回は特定の部分を切り取って、それ以外は別の時に書いてたりするでしょ?
するとどうなるか。
めっちゃ誤解されるんですよ。
じっくり読んでくれる人ばかりじゃないから、1回のみ表面だけサラッと読んで、「全然違う!!!」とお叱りを受けることもしばしば。
いや、さ。
そこだけ切り取れば確かにそう読めちゃうけど、今回の例に当てはまらない話はあるに決まってるし、今までもその話してるし。
1回の更新ですべてを網羅するなんて不可能だしさー……。
そんなこと言わんでもー……。
という事態が発生したわけです。
誹謗中傷が最も多かったのもこの時期。
重箱の隅をつつくようなご指摘や、シンプルな悪口、人格否定。
やめて!
殺人予告はひどい!!!
もちろん、アメブロの仕組みが悪いわけではない。
無料で使わせていただきありがとうございますなのですが。
今も更新報告に使ってるし。
でも、合う・合わないはあるよなーと。
SNS的に使いたい人には、めっちゃ合う。
キャッチーでシンプルなブログとかさ。
企業の集客目的とか。
でも、このブログのように理屈をこねくり回すタイプは圧倒的に「合わない」。
流入が増えると、比例して、いや指数関数的に誤読が増える。
SNS的に、自動的に人の目に入るのは、このブログの性質上向かない。
それより、自発的に読みたいと思った人にだけ届けたい。
読もうと思って自分からアクションを起こした人に読んでほしい。
そうだ。
引っ越そう。
ってことで、場所を変えたわけです。
独自ドメインなら、わざわざアクセスしてくれた人にしか届かないわけで。
見たくない人の目に留まることがなくなる。
また、ブログの内容的に、この分野に正解なんてないわけで、そりゃ反対意見もあるに決まってるんだけど。
その時、そっ閉じの大人の対応をしてくれる人が圧倒的に多くなると踏んだ。
果たして、この作戦は功を奏しており。
攻撃的な人、誤解する人はべらぼうに少なくなった。(僕調べ)
最近はとっても安定しており、僕も安心して好き勝手書いている。
以降新たな宣伝はせず、検索等で自然にたどり着いた人と、自然に卒業していく人とでバランスが保たれているようだ。
僕的にはこれがちょうどいい。
にしても、想定よりだいぶ多くのアクセスがあり、恐れ多いのだけれど。
正直、SNS等で広告すればさらに多くの読者さんがきてくれるだろう。
困っている人はたくさんいるからね。
でも、僕はそれを望まない。
自分に合ったスケールでやっていきたい。
自分に合った場所で
ってことで、参考にしていただけるでしょうか。
ブログを運用するなら、普通はいかに読者を獲得するかに奔走する。
そう、普通は。
でも、僕はそれを望まない。
だからあえてちょっと変わったやり方にシフトした。
わかりやすく、『逃げた』。
僕はこれでいいと思う。
普通と違うやり方が合ってたんだから、それでいい。
文句を言われる筋合いはない。
あ、アメブロにいただいたコメントが消えちゃって、それはゴメンだけど。
でも僕のブログだし、僕の裁量ってことで許して。
今置かれた環境が合わない人。
別の方法があるなら、変えちゃえばよくない?
その場所で活躍できなければ他も全部ダメ、なんてことはない。
「社会に出たら、学校よりずっと厳しいんだぞ」とか。
「この会社でダメなら、どこに行っても使い物にならないぞ」とかさー。
んなわけ!
学校が、特に義務教育が一番しんどいと思う。
環境、変えづらいよね。
でも、大人になれば。
社会に出れば、自分に合う環境って選べる。
みんなと同じ、いわゆる「普通」にこだわらなくてよい。
うるさい環境が苦手なら、静かな場所を選べばいいし。
集団行動が嫌いなら、起業する手だってある。
コミュ障が営業職に就く必要はないし。
生活の場所も内容も選べる。
発達にデコボコのある人は一般的に、
- 少数の
- いつものメンバーで
- 落ち着いて
活動できる環境が合うようですよ。
そんな場所を探すのは、全然悪いことじゃない。
自分の性質、能力、目的なんかを鑑みて、ストレスなく、最小の努力で最大の結果を得られる場所を模索してほしい。
いや、すべきだ。
デコボコのある人ほど、戦略的に、いいとこ取りで行くべきだと思う。
P先生
いつも先生のブログ楽しみにしています。
我が家は3人息子で、そのうち2人が不登校です。夫は医師で私は元看護師です。
P先生!医師って大半が自分の子供を医師にしたがるんですよ!
しかも「自分は一言も医師になれって言わないのに、子供が医学部目指しちゃってねー」なんて仲間内で自慢しあってるんですよ!
挙げ句の果てには「どこそこの息子さんはどこそこの医学部に行った」という話を我が息子たちに延々と語るんです!
よそはよそやで!
うちはうちやで!
せからしか!!
息子たちが不登校になり、やっと、私は夫と対等な関係になれ、夫が子育てに協力してくれるようになりました。
まだまだ道のりは長いけど、ワンオペ状態だった「孤育て」が夫婦の「子育て」になったので、なんとか乗り越えられそうです。
P先生、これからもブログ続けて下さいね。
応援しています。
娘は高校三年生。高1、3学期からの不登校。五月雨登校中。アメブロの不登校のブロガーさんのサイトにも助けられていますが、こちらの先生の文章は読みやすいです。そして肩が軽くなります。私も同業者です。科は違いますが。コロナの大流行の中、爆発的に仕事が増え、疲れ、逃げました。それでいいと思っていたけど、なんかほっとしました。ありがとうございます。
おはようございます*ˊᵕˋ*
新学期になり、娘は受験生になりましたが登校する気持ちはないようです。
行ったり行けなくなったりを繰り返してきました、保育園からです…
疲れました…
家を居心地良くして私もなるべく機嫌良くして娘の心は元気になったけど、学校へは行かない。
学校とマッチしないのは理解できましたし、行かなくてもいいと思っていますが、じゃあどこへ行けばいいんでしょう、、
シングルのようなものなので、フリースクールに入れるお金はないです。
車がないので遠くも無理です。
私はうつ病で週一働くのが精一杯です。
毎日毎日娘と2人きり、しんどいです。
家にいてもゆっくり休まりません。
頑張ってきたけど、疲れました。
せっかく元気になった娘がまた落ち込み始めました、私が落ち込み始めたから、、
娘の元気は私にかかっていますが、私はもう疲れてしまいました。。
すみません、愚痴です( ; ; )
今、カフェで読ませてもらって、吐き出させてもらって、少し元気を出して娘のいる家に帰ります。
P先生、今回の内容がドンピシャすぎて恐くなりました。
中1息子くんは不登校になって1年がたちました。半年は家でゆっくり過ごし後半は保健室登校、自然教室、球技大会参加、入れなかった教室にも入れた
ん?そろそろ動くのか?
と思いきやぱったり行けなくなりました。
『行きたくない』はっきり言いました。
この1年、学校に復帰したい一心でがんばりましたが
『合わない』んだ、、、
なんとなくわかっていたのに本人も親も『学校』に捕らわれていました。
息子にとって学校に求めるのは『友達との交流』だけでした。
でも無駄ではなかったと思いたいです。本人や親が受容する時間が必要だったと思うようにします。
また少し休んでエネルギーためて
『自分に合った場所』を提案していければと思っています。
P先生の今回のブログ読む前に息子に
丁度『将来の仕事』についても話していたので先生、何故うちの状況を知ってるの?と嬉し涙があふれました!
ありがとうございます。
不登校になってから、いろいろ提案して見学も行きました。
ここじゃなくてもいいんだよ。
生きやすい所でいいんだよ。
ある日、ツイッターの漫画を見せてきました。
私の気持ちにピッタリなのを見つけたと。
10羽の鳥がいた。
8羽は空を飛ぶのが上手、2羽は上手く飛べない。
その2羽の足には水かきがついている。
1羽は水に飛び込んでみた。
とても上手く泳げたので、「僕は水の中で生きるよ」と群れから離れていった。
8羽は後の1羽に言った。
「君も水の中の方が向いているんじゃないの?」
1羽は泣きながら言った。
「違うんだ。僕は皆と同じように空を飛びたいんだ。」
せつなくなりました。
皆で同じ行動をするように、幼い時から教育されてきた日本で、皆と同じ事が出来ない自分はクズだと。
同調するのが苦しいのに、それでも出来ない自分を卑下してしまう。
仲良しだった子に「逃げるの?」と言われたり。
中学校なんて命削って行くところじゃない。
堂々と違う道に行っていい、と母は思うのですが、経験値の足りない子供にはその一歩が踏み出せず。
本人の意見を尊重しつつ、人生の道は一本じゃないことを伝えていきます。
効率厨、、、納得。
普通が合わない息子は、非効率厨の中学に4月から進学します。
息子の特性を理解し、何より彼がストレスなく楽しく過ごせる学校です。
はい、学費は高いです。非効率です。
でも、それには変えられない息子の生き生きとした笑顔が見れるなら、むしろ我が家にはとても良い効率厨だと思ってます。
p先生、いつもありがとうございます。
「むしろ、合わないのによくここまで登校したヨ。
その努力の方がすげーヨ」
この言葉に心の中で泣きました。
小学校から薄々と合わないのが分かってたけど登校していた娘。それを支えていた私たち。努力していたよね。
学校に行けないとか、宿題を出せないとか「努力が足りない」って見られがちだけど、ここまで本人的には人一倍の努力をしてきて、力尽きたところなんですよね。
頑張れない特性を持ってる子はこの社会に存在していること自体がすごく頑張ってるのかも。
その視点を得てからやっと娘と気持ちが通い合った気がします。
みんなそれぞれの自分が生きやすい場所に罪悪感なく出会えたら、暮らせたら、それがいいなって思います。
逃げればいいと分かってても、逃げるHPたまってないし、アイテム(他の方法)を受け入れるワールドまで進んでないときは、やっぱり待ちでしょうかー?
勇者の剣をゲットできれば次のエリアも行きやすいですが、HPたまってないと勇者の剣を抜くことすらできないとき、
他の剣の存在を知るのもそれなりのHPが必要だったりかなぁと思っています。
HPためるのは本人自身で、ですよね?
親が分けてあげれたらとつい思ってしまうのです…。
支援のほうの仕事をしていたことがあります。我が子も含め、自分に合う場所を探すということをあまりしない気がしました。
不真面目な私は、習い事も、仕事も、やめることをいとわずきましたが、
「置かれた場所で咲く」努力をして、自分のいる場所に、人に合わせようとして、傷ついてる人もたくさんいますよね。
一方で、合わないのは周りが悪いと、自分の尺度を押し付けてくる若者もいて。これには正直、辟易してます。周りにサポートされているのに気づけないのは、残念。
いずれも、心の余裕の問題ですね。
なんとなく想像でダメそう…と決めつけるのは勿体ないけれど、実際にその環境に身を置いて合わなかったらにげる、っていうのは正解ですよね。
学校など「普通に」みんなが行く場所でしょ!みたいな「普通の」人生のレールから外れることって、
ほんとうにいいのかな?自分は根性なし?この先大丈夫?みたいな感情になりますよね。
(子どもの頃なんとなく学校って大切で踏み外してはいけない感覚があったと思います)
でもきっと何事も”行ってみて合いそうか合わないなら辞めるか考えよ〜”って心持ちでいればいいんですよね。大人も子どもも。
発達障害の息子がおり、いつも興味深く読ませていただいています。
自分に合う環境を探す大切さを改めて感じる中で気づいたことが、、、。
私は保育士なんですが、保育士にはADHD傾向がとても多い気がします。常に多方面に目を向けていて、同時に複数の子の世話をしながら、また別の子と会話して。ADHDと相性がいいというか、普通の感覚を持っている人は忙しさに病み、辞めていきます。保育士不足が指摘されていますが、賃金の問題も勿論ありますが、合う合わないも大きい職業なのかもしれないと思いました。
発達特性が強くても合う環境が意外と世の中にはある気がします。
勝手な感想をつらつらとすみません。
今回読んでいて、ん?逃げる?これって逃げか?ってなった結果、戦略的撤退ってワードがしっくりきました。
自分にとってちょうどいい環境に移るために去っただけで。
で、今更自分に当てはめて気付いたけれど、自分の離婚も「逃げた」と娘に説明していたけれど、これも戦略的撤退だったし、娘の今の不登校も戦略的撤退。
逃げたって言うと後ろ向きなニュアンスになるから心の中でずっとなんだかなーって気持ちになっていたけれど、戦略的撤退って言うとなんか格好いい…次からこれでいきます。笑
ヨシタケシンスケさんの「にげて さがして」っていう絵本を読んだときの、これだー!みたいな気付きでした、ありがとうございます(*´ω`*)
私も環境が合わないときは今までは我慢してたんですけど、すぐ逃げることにしました。
逃げた先もラクでないんですけどね。
教員してますが、仕事の量減らすように校長から会議の度言われます。しかし校長の話が長く会議終わりません。
隣の席の先生が数年前まで通信制高校の先生してたそうです。制服なんていらないし、服装検査なんていらない。なんもいらんと。余り仕事はされないんですけど。でもひろゆきさんみたいに周りに流されないから私的にはその通りと思うこといっぱいです。60才以上の教員増えました。人数いても60才過ぎるとみんなすごく安い給料になるので仕事しなくなります。私も年なんでそんなに仕事できません。先生の数が足りなくて本当はもう一人、先生が必要なんですけどみつかりません。
教員不足はかなり深刻です。でも先生方、仕事増やしたがるんですよね。なんでですかね。