発達外来の初診で必ず聞く質問がある。
『好きなこと、得意なことはなんですか?』
勉強ができる?
足が速い?
それとも優しい?
「特には・・・。強いて言うならゲーム?」
勉強は苦手、運動もあまり得意でない。
まぁ優しいっちゃ優しいけど優しさだけじゃ世の中渡っていけないし。
そうですよね。
それが普通だと思う。
でも、「得意なことを伸ばしましょう」って必ず言われる。
強みや長所を生かしましょうって。
はて、この子の強みとは……?
「勉強は苦手だけど足が速い子」
「運動はダメでも勉強ができる子」
「絵が得意」「力持ち」「器用」「おもしろい」「友達が多い」「美男・美女」などなど……。
みんな違ってみんないい!
的な金子みすゞ的な言葉をよく耳にする。
僕も言うし。
でも、得意が見つかった子はいいけれど、
別段何も……って子は?
いや特に何もないです、って子。
どこを伸ばせばいい?
何を褒めれば?
わかる。
僕自身がそうだった。
勉強も運動も顔面偏差値も家庭環境も経済力も、特に何も持たなかった。(医者なのに? でも本当に勉強できなかった。ホントにホント。学も全然ない。機会と需要があればいつか書こうと思う。)
おまけに性格も悪く根暗でぼっちだった。
何もなかった。
みんなに長所があるなんて、綺麗事でしかない。
そう思って生きてきた。
そして今でもそう思う。
才能は平等ではない。
天は二物を与える。
イケメンで頭も性格も良く、人望の厚い人だって存在する。
僕だって嵐の櫻井くんだったらどんなに(以下略)
僕みたいな人、たくさんいますよね?
いるに違いないいると思いたいそう言って欲しい。
そんな同類に、勝手に愛を込めて。
「得意なこと? 何もねーよケンカ売ってんのか⁉︎」
それでいいのではないでしょうか。
得意なことは特にないと自覚すること。
他人より秀でた部分がないと気づくこと。
これが重要だと思う。
特に何もないと分かれば、あとは簡単。
嫌なことを消去し、残ったものをふわっと抱えていればよい。
どうせ得意なことなんてないんだから、何かを選ぶ必要はない。
ってゆーか選べないし。
得意がなくても、苦手・嫌いはあるだろう。
「これだけはちょっと勘弁」と思うものを除去。
勉強でも、趣味でも、進路でも、仕事でも。
何でも同じ。
「これはナシ」と思うものは断る。やらない。
残ったものは相対的にやってもよいことなので、それをやればよい。
消去法だ。
消去法で選んだ道でも、継続すれば第一人者になれる。
僕は医者になれた。
「自分に何ができるんだろう?」と悩むだけ時間の無駄だ。
どうせ得意なことなんてないんだから。
「何かできるはず」と焦ってチャレンジしても、失敗するのがオチだろう。
消去法がよい。
自分から掴みに行かず、最後に残ったものを選ぶ。
もしくは人からすすめられたものを選ぶ。(人のすすめは的を得ていると思う)
それでよいと思っている。
案外賢い選択だと思うのだが、どうだろうか。
だから得意なことのないお子さん。
そのままでいいのではないでしょうか。
無理やり何者かになる必要はないと思う。
嫌なことを断り続ければ、そのうち周囲が勝手に「この人は○○が得意な人」とレッテルを貼ってくれるだろう。
今私が求めていた答えかもしれません。
我が子とうとう通信制高校三年生です。今後についてどうすべきか悩んでたもんで。たぶん本人よりも。やりたい事ない。秀でた才能も特にない。しかし本人はとりあえずそこそこの大学を目指そうと言ってまして。まあまあそこそこです。無理じゃね!?完璧主義の面倒くさがりです。
しかしもしかしたら何かあるかもしれない息子にかけてみようか、どうしたらよいか悩んでまして。良いのか悪いのかうちは自営業なんです。町工場的な感じです。絶対にやらせたくないと思いつつ、目の届く中での社会人が正直一番安心ではあるんですよね。『無理やり何者かになる必要はない』ですよね、本当に!ありがとうございます。