不登校の話題から。
登校刺激するかしないかについて。
そもそも、登校刺激したら学校に行くのだろうか。
成功率ってどのくらい?
そう。
相当低いと思われる。
人は動かせない
全例とは言わない。
登校刺激から登校し、そのまま軌道に乗る子もいるだろう。
でも、いくら押しても叩いても、一向に動かない子が大半ではないだろうか。
不登校になっただけの理由がある。
その子は、もうすでに頑張り尽くしているのだ。
周りから何を言われても動けない。
じゃあそもそも成功率の高くない登校刺激って、ハイリスク・ローリターンかもしれない。
悪手かも。
成功率が低く、失敗すると大ダメージ。
だから、
不登校初期、青天の霹靂なら押さないのが安牌
なわけだ。
自分以外の人を動かすのって難しい。
いくらせっついたところで、動かない子は動かない。
動く子は、押さなくてもそのうち自分で動いたりする。
※例外あります。
誰かの行動を決めるとき、周囲の力って想像よりずっとずっと小さいのかもしれないと思った。
自分で決めて納得したようにしか、人は動かないのかもしれない。
一般に、登校刺激の効果は、労力の割に相当小さい。
逆・不登校
逆に考えてみる。
不登校の子への登校刺激が話題になりがちだけど、逆パターンもある。
逆ってどゆこと?
本人は、断固登校すると言う。
でも周囲の大人は、
ちょっ。
そこまでして学校に行かなくていいよ。
休みなさいよ。
と言っている。
いわゆる不登校とは逆のパターン。
絶対に登校するというケース。
実際、ある。
明らかに、学校に不適応を起こしてる。
抑うつが強く、見るからにボロボロ。
生気のない顔で、半ば強迫的に登校を続ける。
休むのが怖いのだ。
完璧主義な子だ。
休んで、失うのが怖い。
- 勉強が遅れる。
- 友達に心配されたくない。
- 欠席の整合性。(イヤな授業だけ休んでズルって思われる)
- 係や委員会活動の責任感。
- 一度休んだら、そこから動けなくなる気がする。
- 休んだことで自分を責める方がしんどい。
親御さんは、よく見てくれていて。
そこまでして登校することはない、休む方がずっと大事だと言う。
第三者(僕やスクールカウンセラー)から見ても、同意見。
本格的に動けなくなる前に、まずは休んだ方がいい。
余裕がなさすぎて、判断力もなくなっている。
とにかく休んでエネルギーを回復させるほうがいい。
でも。
こんなケースは大抵、何を言っても聞かない。
とりあえずやり過ごす。
忙しければ、何かを考える余裕もなくなるし。
目の前をスケジュールで埋め尽くす。
でも、精神的にはしんどくて。
対人関係トラブルや、特に忙しい時期なんかがあると、ガタっと崩れ。
さらに余裕がなくなって、さらに強迫的な登校に拍車がかかる。
あぁ。
書いているだけでつらい。
せめて敵対しないように、
頑張っているね。
でも、休むのは悪いことじゃないからね。
と伝えるのが精一杯。
人は行動を変えない
そんなわけで。
「逆・不登校児」に「逆・登校刺激(休むよう働きかける)」をしても。
まず聞かねぇ。
- 本気で動けなくなるか。
- なんとなくやり過ごし、つらいまま問題の先送りか。
どっちかになる。
人は、行動を変えない。
子どもだから特にそうなのだろうか。
いや、大人もきっと似たようなものだろう。
人の行動は変えられない。
誠心誠意説明しても、心から願っても。
たとえ、それ、どんなに正論だろうとも。
相手が納得しなければ、行動を変えることはできない。
不登校児を登校させることは、困難で。
強制登校児を休ませることも、困難だ。
別の人だ。
子どもは、別の人なのだ。
親や周囲がいくら焦っても、子どもは行動を変えない。(ことが多い)
子どもの行動。
どうみても非合理的で、意味不明だ。
正論だ。
でも、ダメなのである。
子ども、動かない。
別の人だから。
課題の分離
人は動かせない。
本人の納得したようにしか動かない。
子どもの行動は、やっぱりそこにメリットがあるのだ。
どんなに変でも。
やりたいようにしか動かない。
学校に行かないなら行きたくないんだし、夜寝ないのなら朝起きたくないのだ。
「やりたいけど、できない」は、誤りで。
「やるべきだけど、やりたくない」が真だ。
自覚していないので、責めないでやってほしいけど。
行動が答えだ。
その行動にメリットがあるから、それを続けている。
これが正解なのに、なぜこうしない⁉︎
親御さんは思う。
必死に説得する。
でも、ダメなのである。
実際、いくら言っても動かない。
ほら、動かなかったでしょ?
だから、課題の分離だ。
親の不安は親の不安で。
子どもの不安とは別物だ。
親御さんが不安になって正論をぶつけても、おそらく動かない。
人は動かせない。
自分で納得して動き出すしかない。
いただいたコメント。↓
不登校の初期、いや、不登校になる前の子どもの様子がちょっとおかしい時に、知りたいというより知っておくべきだったことは「とってはいけない親の態度」「言ってはいけない言葉」です。
私は完全にこれを誤りました。お母さんの時はこうだった、こう考えていた、こうするといいよ
きっとそれは○○だよ、大丈夫みんな同じだよ、今頑張ればこの先も頑張れるよ、送っていくから学校に行こう
先生はこう言ってるよ、お母さんもそう思うよ
あなたが考えているほど重要じゃないよ、心配し過ぎだよ、気にしてないよ
先生とかカウンセラーさんに相談しなよ、自治体の相談窓口もあるよ、LINEで文字のやり取りでいいんだってさ、相談したら気が楽になるよなんで体動かないとか言うの、気持ちの問題じゃないの? ちょっとは太陽の光浴びなよ
運動したら? 散歩したら? 家でも少しは勉強したら? お手伝いしたら?
Switchやめなよ、ゲームしすぎだよだから受験に反対したんだよ、みんなと同じ学校に行ってれば良かったのに、話せる友達いないの?
あーーー!、過去の自分に戻ってビンタかましたいです。
子どもの性格もあると思いますが、うちの子(HSC)には完全に悪手でした。
親が良かれと思った声がけは「本当にしんどかった」と1年経って言われました。
↑めちゃめちゃよくあるケースだと思うけど。(にしても、コメント上手だな。めっちゃ気持ちわかる。ここまで言語化できるのはすごい。丁寧によく見て、よく考えている親御さんなのだと思う。)
この手の対応が失敗しやすい理由は、ここだ。
人は動かせないから。
別の人だから。
親は、理解できなくて焦って。
子どもは、ひたすら責められているように感じて。
結果、メリットない。
基本、人は動かせない。
たとえ親子でも。
時間をかけてじっくり意見をすり合わせるのはアリだけど。
急な不登校から、焦って意見をぶつけても、多分ダメ。
この大原則に立ち返り、親の不安と子の不安は分けて考えるほうが良いだろう。
ずっとP先生のブログを読んできましたが初めてコメントさせてもらいます。
いま小2の娘が、小1の5月から逆不登校の完全母子登校でした。廊下に母親がいないと教室に入れない。教室に入れず廊下に逃げ出す。机を廊下に出して授業を受けたり、給食も廊下で食べたり。
冬になる頃には母親と空き教室で過ごしていました。
母が廊下にいないと学校にいられないし、教室にも入れないと、明らかに適応できていないのに「休んで良いんだよ」と何度伝えても意地でも「学校には行く!行かせてください!お願い!一緒に来て」と泣く娘でした。
最後は、毎日廊下で待機していた私が鬱病になり、「お母さんがお休みが欲しいから、一緒じゃないと行けないならば、お願いだから休んで欲しい」と話して数日休んでもらいました。
特性の事や学校に適応できない子達のことをたくさん調べ、学び、知ろうとしても、“意地でも学校に行きたがる完全母子登校”の事例はなく、本当に苦しい日々でした。
言葉は悪いですが、学校に行きたくないと言ってくれるお子さんが羨ましいとさえ思ったほどです。
あの頃の私に教えてあげたいテーマを取り上げてくださりありがとうございます。
娘は、一般的にダメだとわかっている事を、自分で選択する事が受け入れられなかったようです。この事に気付けるまで1年半ほどかかりました。
母子登校は継続していますが、1日くらい休んでも良いんだと受け入れられるようになった娘と気持ちに余裕を持って過ごせています。
自身が鬱病になった事で、親の問題と子の問題を分離せざるを得なかったおかげでした。
もう何年もP先生のファンですが、ASD
逆不登校4年目です。女子高で友達がおらず、お弁当もずっと一人で食べています。青白い顔をして登校し、校門直前で引き返したり、そのまま登校してぐったりして帰ってきたり。結果そのまま高校に進学しましたが、あと数回休むと落とす単位がたくさんある状態で薄氷の上を歩いているようです。全日制は合わない、通信制がいいだろうと、本人と何度も通信制を見学したりしましたが、動かない!「それでも登校してるんだから良かったじゃん」「羨ましいよ」との声に今でも苦しんでいます。行っても行かなくても苦しいです。
小6次男は行き渋り期が長かったのですが、学年が上がるにつれてしんどさが増しているのに休む事ができなかったですね。怖かったのだと思います。
毎朝、涙目で学校がつらい、どうしたらいいの?と言いながらランドセルを背負うんですよ。何度も行かなくてもいいと言いましたがなかなか休む事ができなかったです。休むにも勇気が必要なんですよね。結局行けなくなりましたが、もうこれ以上は本当に無理だと納得したのだと思います。今は月に一回放課後登校をして先生と一対一の関係から始めています。もう、以前のような学校生活は考えていません。自分が適応できる事や範囲を把握しながら工夫していく事が目標です。
不登校対応についての、先生のご意見、
ありがとうございます。
正直、子どもと母親の距離感は、何かことが起こったときに程よい距離感なのか、そうではないのか(近すぎ、または離れすぎ)がわかりますね。
私は、完全にコントロール不能になり、程よかった距離感を壊してしまいました。
私自身が、人に影響されやすいためなのかもしれません。でも、結局納得しないと動けない。
先生は「人は納得したようにしか動けない」とおっしゃっていましたが、私自身もそれでした。
拗らせた先に、私がふと立ち止まり、ゆっくり時間が取れ、改めて我が子をみたら、
以前と全く変わっていないことがわかって。本質がみえなくなり、ママ友曰く「クソバイス」をしてました。
子どもに不登校のような、思わぬことが起きたときは、まず親が立ち止まり、気持ちを落ち着けて、その上で我が子をみることが大事な気がしています。
逆不登校!まさに1年前の娘です。
朝、中学校に登校する時間に必ずおなかが痛くなりうずくまるようになったんです。
クラスに仲の良い子がいなくてツライと言っていたので、体に出るのは自分からのサインだから無理して行くことない!と夫と必死に止めるのですが、
休んで誰も気付かないことがわかってしまったら、本当に自分がクラスの誰からも必要とされてないってわかってしまったら、もう二度と学校に行けなくなる!私は絶対に学校に行く!
と言い張った時には、もう親の入れない世界で闘っている娘に、親からは何も言えないと思いました。
親は休んで欲しいのに子どもが頑なに行きたがるケースは私には想定外で、本人の意志と体と一体どう尊重すれば良いのか本当に悩みました。
取り上げてくださりありがとうございます、這ってでも学校に行きたがるなんてうらやましいなど、悩みをあまり理解されずに当時は苦しかったです。