ってことで。
ASD (自閉スペクトラム症)の困ることの根っこ、そして不登校支援について書いてきたわけですが。
ASDは社会適応の困難があるんだけど、でもまぁ社会適応を目指す人がほとんど。
その支援で、いつも思うことがある。
いつも心にひっかかりながら支援してる。
最後はその話。
解決策はない。
答えはないんだけど、書いてみる。
目標は社会適応
発達障害とか不登校とかの子供の親御さん。
心配なことはなんですかと聞くと、大抵こう答える。
ちゃんと仕事をして独り立ちできるか……。
それな。
おけまる。
「私がいなくても、この子がちゃんと生きていけるか」
それが心配よな。
おけまるおけまる。
だから学校に戻そうとしたり、小言を言ったりするわけよな。
「不登校でも大丈夫、見守って!」
そんな声に対してデモデモダッテしてしまう理由は、「デモデモ、それで本当に社会でやっていけるのかしら?」ですよね。
「引っ張ってでも連れて行かないと」
「勉強しなさい」
「とにかくこうしなさい」
「これはダメ!」
親が子にそんなことを言う理由って、『そうしないと社会適応できるか不安』ってことに集約されるよな。
多種多様の心配事も、極論するとそこに集約されますよね。
おけまる水産。
目標は、社会適応。
そう。
なんだけど。
ASDの社会適応
今まで書いてきた通り、ASDタイプは人に関心がない(薄い)。
社会は人の集まりだ。
だからつまり、ASDは社会に関心がない(薄い)ってことだ。
じゃあ、そもそも社会適応したいと思ってないんじゃ?
僕にはどうしてもこれが気になってしまう。
もちろん、人による。
僕だってASDタイプだけど、でもそこまで特性が強くないので、社会の中で生きている。
普通と比較するとかなり小さな社会だけど(同僚数人としか接さない。友達いないし。)、それでも社会の中にいる。
社会適応に重きは置かないけど、それでもずっと一人で過ごすのはなんか違う気がする。
ASDってスペクトラム状の概念だ。
スペクトラムそこそこの人、つまりASDの大部分は、小さくてもいいから社会適応を目指すべきだと思う。
そこに異論はない。
でも、かなり特性の強い人。
正直社会とか1ミリも興味ないだろうなって人も、中にはいる。
現時点でここまで興味ないんだから、10年後も20年後も、きっと興味ないんだろうな、と思う。
この子を社会適応させるのに違和感を持つわけです。
それって、大人のエゴじゃない?
確かに、発達障害でも社会適応を目指しましょうという風潮がある。
そして正論だと思う。
だから一生懸命居場所を作って、一生懸命連れて行く。
そうしていれば、こう言っちゃなんだけど、大人は「安心」。
いじわるな言い方だけど。
親の務めは果たしているし、この子に良いことをしている。
少なくとも非難されることはないだろう。
そんな安心感が得られる。
でも、それってホント?
全然興味のない『社会』に連れ出されることは、この子にとって本当に幸せ?
この子の人生はこの子のものだ。
自宅で好きな事だけやって過ごしている方がハッピーなんじゃないか。
福祉の力を頼ってさ……。
そんな風に考えてしまうのだ。
正解は分からない
もちろんそんなことは言えないし、言わない。
親御さんが社会適応を目指せば、一緒に応援する。
だって、絶対に否定できない。
この子を無理やり『社会』に連れ出したら、興味の幅が広がり、人とのコミュニケーションや自分に対する意識なんかがぐっと伸びる。
その可能性は絶対にある。
だから、「やってみましょう」一択なんだけど。
でも……本当?
やっぱり考えてしまう。
この子はASDタイプなので、本人の考えが確認できないのが一番厄介。
本人がどう考えているかわからない。
つまり、答え合わせできない。
だから正解は分からない、分りっこないのだ。
↓これな。
ASDの一番困るところ
結局、この結論になる。
ASDの一番困るところ。
(自分を含む)人に興味がない
これが困るという結論。
本人の意思が確認できない。
答えあわせできない。
想像するしかない。
良かれと思ってやってみる。
「この子はこれくらいの規模の社会で生きていくのが良いと思われる」
本人をよく観察し、大人が決めて、やってみる。
それしかない、のだけど。
でも正解は分からない。
正解は分からず、でも自分以外の人(お子さん)の人生を決定していくことになる。
重いよな。
責任、重いな。
ASDの支援は、そんな責任を感じながら行わざるを得ないので、正直しんどい。
僕でこんなにしんどいので、親御さんのご心労たるや。
重いよな。
やるしかないけど、でも、重いよな。
ぼくは常々そう思っている。
じゃあどうすればいいかって、分からないんだけど。
とにかくやるしかないんだけど。
でも僕はそう思って診療してるよって、ただそれだけ。
親のエゴも子の将来を心配する親の気持ちもわかます。
でもかなり特性の強いASDさんだと、社会に出ると周りがカサンドラになります。
(この先気分を害される方がいるかもしれません。すみません。)
人に興味がないので、自分の置かれている状況がわからないし(そもそも人からどう思われようの関係ない)、今の時代ハッキリ言うとモラハラ、パワハラ扱いになるので言えず、やんわり言うと伝わらない。
指示してもマイペースだし、計画できない(仕事終わらない)し、電話すら受けれない。
そのうえ定時になったら学校みたいに帰る。
(その時点でこの子???、鋼のメンタル?ゆとり?ってなり)結局誰かがフォローしてもその事にすら気づかない。
人間関係でつまずきますが、仕事だと思って割り切ったとしても、お礼も言われなければ消耗するだけです。
上の人がASDに理解がないとその間にいる人が病んでしまいます。
ジョブコーチまで頼んで雇ってくれる所はどれだけあるのでしょうか?(中小企業だと難しいと思います)
クローズ就労されると尚更できないですよね…
ASDじゃない?って面と向かって聞けないですし。
そうこうしているうちに解雇になる可能性があります。
ASD特性が弱くて頑張ろうとしている人は応援してもらえると思います。
ギフテッドみたいな人は例外かもしれませんが、特性が強い人は本人がどう感じているかわかりませんが、現実は大変だと思います。
先生がたくさんの方を見られてきて、一番もやもやしていると思いますが、一緒に働く人も答え合わせができないのは辛いです。
福祉の力を頼ってもらった方がお互い幸せなんだろうと感じる事は正直言うとあります。
でも何故かさせないんですよね。(親かな?)
答えはわからないし、モヤモヤ消えないです。
長文すみませんでした。
うちも全く同じです。
一人親で弟と私が暴れた時にびくびくしている。
でも働かないと生活なりたたないのに、安月給とののしられ。
その上、こずかいくれとか高いスマホ買えとかネット発信したいからカメラやマイクパソコン買ってと平気でいってくる。
いろんなところに相談しても答えはでない。その場限りで終わり。
あばれがひどくて警察よんだこともあります。警察来たらおとなしく自分を正当化するので。家族の前とその他の人との態度が全く違っておとなしい子に見えるので、学校も子供家庭センターも動いてくれない。
福祉の力を借りるって具体的にどうするんですかね。
もうつかれました。
福祉の力を頼る
とは具体的にどういった道があるのですか?
頼れるなら頼りたいと思ってます。
我が家は一人親で、貧困です。
寄り添うといっても私が働かないと生活できないです。
はっきり言って仕事と家の事で、いっぱいです。
しかし、暴れます。
体大きいです。
180センチあります。
下の兄弟も私もビクビクでヘトヘトです。
「あれが嫌だ」
「これは死ぬほど嫌なんだよ」
などなど言います。
でもね嫌だけど最低限みんな頑張ってるよ
などと言おうものなら荒れます。
役所や、児相や、子供悩みセンターやら
相談しても話を聞いて共感して何かあったら
お話聞きますよ
で終わりです。
何も変わらずもうすぐ18才になってしまいます。
私疲れました。私鬱になりました。
どうしていいのかわからないです。
先生にいってもしょうがないことなんですが
すいません。
ほんと目指すところは社会で一人でやっていけるように、親が死んでしまっても大丈夫なように・・・なんですけど、こればっかりはどうしたもんだかと正直思ってます。
ASDと診断された次男の診断内容を聞いた夫が「俺の事やん!」と言ってたので(夫は自覚はありながらも診断受けた事ナシ)、とりあえず仕事もして結婚して家庭を持ってる実例が夫としてそこに居てるので何とかはなるかもしれないと思いつつ、赤の他人同士である夫婦なので当然色々あるのですがめんどくさい人なので、このめんどくささを次男の奥さんもするのかぁと思うと(結婚できればですが)少し申し訳なく思ったりもしたり。
いやぁ、やはり色々考えてしまいますね。
苦悩が痛いほど伝わります。
先生のようなお立場の方が、絶対的な正解を押し付けない、そこに救いを感じます。
社会的な適応や自立をゴールにしたい、だけどそもそも日々が穏やかに笑顔で過ごせていればいいじゃん、福祉の手を借りながら生きていってもいいじゃん、と思いながら、やっぱり甘いよね?って、揺れ動くんですよね。