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今更だけど、自己肯定感って何?③

自己肯定感シリーズ三部作、これで最後。

今更だけど、自己肯定感って何?①自己肯定感自己肯定感って散々書いてる。 大事なのは自己肯定感。 手洗い・うがい・自己肯定感。 草薙剣・八咫鏡・自己肯定...
今更だけど、自己肯定感って何?②前回、自己肯定感の高い人と低い人の違いを書いた。 http://hattatsu-kids.com/?p=1622 ...

 

最後は、自己肯定感の低い人の行く末。

自己肯定感が低いまま生きていくと、その先どうなるの?

 

自己肯定感の低い人の行く末

自己肯定感が低い人が取れる選択は、下記2つ。

  1. スゲーがんばって普通ラインより上に行く
  2. 普通ラインより下の自分を受け入れて不幸になる

どっちを選んだらどうなりますか?

 

先に結論を言うと、

①を選ぶと高圧的な頑固者

②を選ぶと自罰的なイジケ虫

になりそうです。

 

① スゲーがんばった人の行く末

何かに依存して超頑張る。

それで結果を出せば、自分を認められる。

根拠は普通ラインを超えたから!

※でもその普通ラインって、その人がそれまでの人生で勝手に決定したもので、そもそもあまり価値がなかったりする。他人が求めているものとズレていることも多々あるんだけど、本人は気づかない。

その依存した何かに大きな価値を見出してしまう。

 

努力してラインを超えた自分

この図を見て欲しい。

超がんばって普通ラインを超えた人の図。

なぜか絵の完成度が全然上がらない。

「いい学校に入学した」とか「仕事で成果を残した」とか「お金持ちになった」とか、そんなようなラインを勝手に設定する。

そこを努力で乗り越えた自分。

 

するとどうなるか。

薄いグレーで書いた部分、普通ラインの上にいる自分が、今の立ち位置になる。

 

やった! 自分は幸せを享受する権利を得た!

 

でも本来の自分の能力は低い。(自己肯定感が低いってこと)

ラインの下、濃い色で書いた部分の能力しかない。

なので気を抜くとラインの下に戻ってしまう。

それが怖いから、ずっと頑張り続ける。

 

人を見下す

それが続くと、「自分は努力して今の地位を得た」という自尊心が身に付く。

事実なんだけど、そもそもの「本来の自分は普通ラインより下」という出発点がヘンなので、解釈の仕方もヘンになる。

 

自分は努力した優れた人間である。普通ラインより下にいる人間は、クズである。

 

自分で勝手に設定した普通ラインなのに、それを超えていない人は努力のできない自堕落なダメ人間だと思う。

 

結果、すげーディスる。

 

スゲーがんばった大人
スゲーがんばった大人
いい学校に行って大企業に行くのが勝ち組。

 

スゲーがんばった大人
スゲーがんばった大人
〇〇ができないなんてダメだ!

 

スゲーがんばった大人
スゲーがんばった大人
こんな自堕落な人間、どこに行っても通用しない!

 

ディスられるのは、完成度がアレな図の、普通ラインより下にいる小さい人たちね。

自分の子供だったりすると尚更。

以前の自分と同じところ(普通ラインより下)にいるという、同族嫌悪もあるのだろう。

 

 

まーディスる。

高圧的に説教したり、その人の人格すら否定したり。

「〇〇するべき」「〇〇が普通」「〇〇できないなんてバカだ」そんな思考になっていく。

 

あれれ?

そんな人、身近にいません?

 

高圧的に自分の考えを押し付けてくる人。

誰かの悪口を言ったり、自分の物差しでしか物事を測れない人。

 

彼らは自己肯定感が低く、自分に自信がないのだと思う。

だからこそ、彼らの依存した『何か』をよりどころに、人をディスって自分を保っているんだと思う。

(まー分かってても文句言われると腹立つけど。)

超絶頑固

そしてこういう人たちって、自分の考えを絶対に変えない。

自分の設定したラインを変更したら、自分は「普通より下」に逆戻りしちゃう可能性が高いから。

だって自分はもともと「普通より下」の能力しかないのだから。(つまり自己肯定感が低い)

 

そんなの怖すぎる! 人の意見なんて聞くもんか!

 

人の意見を聞かず、頑固で、自分のやり方を変えない。

どんなにやりづらくても意見を曲げない。

どー考えても間違ってるのに、聞き入れない。

 

超頑固。

自分に自信がなくて怯えてるだけなんだけど、まぁ生きづらいですよね。

② 不幸を選んだ人の行く末

②を選んだ人は、自罰的になり、いじけて過ごす。

 

不登校の子とか、まさにそうだと思う。

どうせ自分なんか、といじける。

いじけてる間は動き出さない。

なかなか動かない子の話とか何度か書いたけど、彼らはいじけてるわけです。

家が快適すぎるから学校に行かない? 〜不登校の子に適した自宅環境〜「不登校なんですけど、家が快適すぎるみたいです。 わざと居心地悪くしたほうが学校に行くでしょうか」 不登校の...
自分で動くしかない 〜親のコントロールの範囲外〜不登校とか反抗期とかゲーム依存とか、そういった子供の困った状況。 勉強しないとか生活態度とか嘘をつくとか約束を守らないとか、そんな...

 

 

だから、家を快適にしてほしい。

あなたは幸せになっていいんだよ

そんなメッセージを送ってほしい。

 

学校に行く行かないとか関係ない。

うちの子供として、あなたは価値があるよ、大事だよ。

そんな風に扱ってあげてほしい。

 

 

そして大人になってもいじけ続けると、「どうせ自分なんか」が口癖になる。

ダメな自分として整合性をとり、幸せを拒否する。

そういう人、いますよね。

 

子供の自己肯定感を下げないために

子供の自己肯定感を下げないために、親ができること。

 

普通ラインを引かないで!

 

これが出来て当たり前、勉強できないと人生が終わる、逃げたら弱い人間になる、とか決めつけないで欲しい。

特に子供の足りない部分を指摘し続けると、「普通ラインはここ、あなたはその下!」と植え付けることになる。

避けてやっちゃあもらえませんか?

 

足りないところは、本人が失敗し、自分で気づく。

親御さんは失敗しないよう先回りするより、失敗したときに戻ってこられる安全基地を作ってほしい。

つまり、家を快適にしてほしい。

子供を信頼して、子供の人生を子供に返してほしい。

 

 

やっぱり僕は、親の価値観は子に感染ると思う。

親の視線が、イコール世間の視線に変換されると思う。

親の視線と、子供の目に映る世界ふと思ったのだが。 親が子供をどのように見るかって、そのまま子供の感じる「世間の目」に転化されるのではなかろうか。 ...

 

親が引く『普通ライン』が、子供にとっても『普通ライン』になっていくと思う。

ってことは、反対に考えるんだ。

親が「普通」とか「常識」とか「最低限」とか「優劣」とか「上下」とかを気にしなければ、子供もそうなるってことじゃね?

よくも悪くも子供は親をすごく見ているし、すごく影響される。

 

 

自己肯定感が高いって、すなわち優しい世界で生きるってこと。

優劣とか〇〇すべきとか気にせず、自分のままで、素直に幸せを掴みにいける世界。

生きづらい特性を持った子は特に、特段に、別格に、最大級に優しい世界で生きていってほしいな、なんて思う。

POSTED COMMENT

  1. まちゃ! より:

    1.2.3一気読みしました。
    自分自身、こどもの頃は人と違って辛かった覚えがあるけど、いつからか、人と違うことが誇らしく思えてきました。それがいつからか、どうしてなのか思い出せませんが。
    できる気しかない、できないものイコールつまらないからすぐやめる。

    今のむすこ、きっとできない、できないのはぼくがダメだから。

    ダメじゃない、なわとび苦手な子もいるし、他の得意なこともたくさんある、それでいいの。なわとび2回飛べるだけでもすごいよ!

    この先、普通級行って、もしダメだったら、私は仕事辞める計画です。
    もしバカにされて嫌な学校だったら、行かなくていいし。集団活動、お友達は、他の習い事で既にできてる。

    私は夜勤バイトして、朝からこどもとモトクロスに行く。そんな楽しみな計画です。
    学校楽しければ、下校後モトクロス。

  2. ラスチェリ より:

    自分の親を反面教師にして子育てしてきた部分が多いです。世間体を1番に気にして、高圧的で
    母親の普通ラインばかり求められて自分の分身のように扱われ、選択や決定は全て母親で
    たしかに小学生、中学生の頃の私は自己肯定感がかなり低くかったです。
    そう言うのがいやで子供にはかなり伸び伸びさせてきました。でも娘は中学生の時、特性から適応障害になり起立性調節障害になりました。
    母親からは私の育て方のせいにされました。
    夫の家族からも心配からの過干渉、
    でも幸い娘の立ち直りは早かったです。
    私が目先の細かいことに拘らなかったのが良かったのか?私も普通のラインを持っていましたがこれを捨てようと思いました。
    娘は自分の世界で頑張っています。

  3. たかまゆ より:

    いつもありがとうございます。

    子どもを受け入れた先に、失敗させる勇気が必要だと親として気づきましたが、その失敗をした後、子どもが勇気を出す声かけのポイントがあれば教えて欲しいです。

    出来たとこまで認めて、それでいいんだよ、また次に挑戦してみたら意外と出来るかもしれないよというスタンスでやっていますが、また次に…は余計なことなのか?!これで果たしていいのかしら?と思ったりもします。

    全てをまるっと受け入れるって、遠慮して何にも言わないのとは違うと思うし、踏み出そうとして勇気が出ない子を励ましてあげたい!とも思うけど、プレッシャーには敏感で、動き出そうとしている子への声かけポイントありますか?

  4. より:

    いつも読ませていただいています。
    自己肯定感の記事分かりやすかったです。

    今年小学校に入学した男の子の母です。
    こどものクラスメイトに、『○○くんよく先生に怒られてる』と言われたり、他の子やお母さんに『落ち着きがなかったって連絡帳にかかれたんですか?』と聞かれました。
    そのことだけでも、親としてダメージが大きくて、
    凹んでしまいました。

    学校で他の子からもそんなイメージがつくくらいであれば、親以上に本人はどれほど傷ついているのだろうと思います。
    そのような状況では、自己肯定感が高くなるどころか、低くなる一方かなと心配です。

    二次障害のことを考えると、このまま普通学級にいることが果たしてこどものためなのか迷っています。

    家庭で自己肯定感をあげることは親の言動によって可能かと思いますが、学校でのことについては親としてどのように対処してあげられるのでしょうか?
    もし機会がありましたら、テーマとして取りあげていただけると助かります。

  5. ミッキー より:

    最大級に優しい世界
    作りたい🎵

    38ヶ国中37位
    日本の子供の精神的幸福度

    何か間違ってる
    私たちは間違っている

    子供の幸せ度を軽く上げることが出来るのは
    私たちだ。

    そして、それが未来への幸せ
    自己肯定感に繋がる。

    先生のおっしゃる優しい世界が必要です‼️

  6. くろこぶたん より:

    次男が発達障害かもしれないと思ってから色々勉強するようになり、その時に初めて長男にしていたことがマズイと本気で焦りました。
    発達障害あると特に自己肯定感が大切なのはわかりましたが、それは定型児であっても変わらないですものね。
    定型児だろうと非定型児だろうと、そのままを認める事の大切さを改めて感じました。

  7. めっこたん より:

    私も超絶頑張ってきた人間です。いつも頑張っても頑張っても全然自信がありません。もっとやらないとダメ、結局頑張っている自分に満足しているだけです。なんで自分がこうなのか、先生のお話を読んですごくわかりました。本当に自分のことです。自分で引いている線、越えた自分を偉いと思っている。できない人のことを、努力が足りないとしか思えない。生きにくい…どうすれば楽になりますか?娘が不登校になったのも納得。娘も生きにくいですよね。申し訳ないです。

  8. にったん より:

    P先生こんばんは。

    自己肯定感シリーズ、とても勉強になりました。
    私はきっとそんなに酷い育てるられ方をした訳ではないのでしょうけど、きっと特性のあるタイプだから色々な意見を聞いて、勝手に自己肯定感を下げ、努力と根性が売りのめんどくさい人間になったと思いました 汗

    子供達に優しい世界で生きて欲しい。本当にそう思います。

    そして、私にとって一番身近にある優しい世界は、子供達が作ってくれる優しい世界なんだと気づきました。
    私自身はもっと子供のために、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと普通の母親ラインを勝手に作ってバタバタしているけど、当の子供は一緒にテレビ観たいとか、一緒のお布団で寝て欲しいとか、そばにいるだけで嬉しい大好きと肯定してくれる。
    そしてそれが幸せなんだと私は気付きました。(今まではこの時間に家事とかできたのに~って思ってました…)でもそう、私もちゃんと優しい世界にいたんですね。

    そこにいるだけで肯定される優しい世界、今のこの感覚を忘れないで子供達と成長できたら…と思います。
    今回、何か大切な感覚に気付かせて貰ったと思います。先生いつもありがとうございます!

    • pediatrician-p より:

      その通りですね!
      子供たちは普通ラインなんて引かず、無条件の愛を与えてくれる。
      一緒にいるだけで幸せと言ってくれる。
      親は、子供の作る優しい世界の中で生きているんですね。

      すごく素敵な話です。
      僕も嬉しくなります。ありがとうございます。

  9. 匿名 より:

    常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。

    アインシュタインのこの名言大好きです。

    私の常識、線引き、全部一旦棚上げすることにします。
    消すことはやっぱりできないです、私も生きてきた時間がありますから。
    棚上げです。
    そして、新たな偏見で子供たちの当たり前を私の中に入れていって、私の常識広げていこうと思います。
    楽しんでみます!

    • pediatrician-p より:

      その言葉、僕も好きです。
      その通りだと思います。

      ↓アインシュタインのこれも好きです。

      どうして自分を責めるんですか?
      他人がちゃんと必要なときに責めてくれるんだから、いいじゃないですか。

  10. あちゃこババ より:

    読んだら涙がとまりません。

    私が普通ラインを引きまくり子育てしてきたことに昨日の先生のお話で気づきました。

    そして、今日のお話…。
    すげー(かどうかは分からないけど)頑張って普通ラインを越えてきた 超絶頑固者って、コレまさに私のことです。
    ってことは私も親から普通ラインを引かれて育ってきたわけで…。悪の連鎖が続いてしまっているんですね。

    最大級にやさしい世界で子どもたちを育てたいです。そんな親になりたいです。
    超絶頑固な親がどうしたら、普通ラインを捨て、優しい親になれるのでしょうか。不登校の子どもをそのまま受け止めようと、日々努力していますが、この努力ももしかしたら、普通ラインを越えるためなのでは?と虚しく思えてきました。

    • pediatrician-p より:

      連鎖を断ち切ろうと思えた時点で、半分は解決したようなものだと僕は思います。
      そう思えることが何よりすばらしいです。
      あちゃこババさんが思うようにやってみてください。
      試行錯誤してみてください。
      最大級に優しい世界、必ず手に入れられると思います。
      応援しています!

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