不登校

未来に向かって 〜コメントありがとうございます。〜

たくさんのコメント、ありがとうございます。

逆に、昔はなぜ不登校が少なかったのか 文部科学省が2022年度、全国の国公私立学校を対象に実施した「問題行動・不登校調査」で、病気や経済的理由などとは異なる要因に...

 

すげー数。

サンプル数が多いと、見えてくるものがある。

実際に経験していなくとも、人からの話でなんとなく分かる。

数の暴力、大好きです。

 

昭和の学校

 

ハリセン!

 

ビンタ!

 

けつバット!

 

わー。

ホントにあるんだー。

漫画の世界の話じゃないんだー。

 

暴力とか尾崎とか、僕、誇張するつもりで書いたのに。

あながちそうでもないとか。

 

そろばんの上に正座、チョークが飛んでくる、三角定規で叩く、モップふりふり……。

 

すげーな。

よく考えつくもんだ。

学校の備品でできることの大喜利みたい。

 

不登校しなかった理由

不登校が少なかった理由について、もちろん多様な意見があった。

が、やっぱりコレが一番多かったかなーと思う。↓

 

つらつらと考えてみましたが、昭和の学校には不登校という概念は存在しなかったように思うんですよ。知らないものは選択出来なかったように思います。
タピオカミルクティーを知らなければ飲みたいと思わないのと一緒で。

 

私は学校行かないっていうことすら思いつかず、幸運にも辛いことも殆どなかったこともあり理由なく通っていました。

 

私は体罰やいじめにはあいませんでしたが、学校には行きたくなかったです。でも学校に行く以外の選択肢(概念)がなかったような気がします。

 

選択肢がなかったから、多少嫌だったけど、
理不尽とも思わなかった。

 

学校に行かないっていう選択肢が頭になかった。

 

概念がない。

選択肢がない。

ないものは選べない。

 

そういうことだ。

 

 

ヤンキーだって、何故か学校には毎日来てたし。

 

ちょ、ヤンキーwww

逆らえよ、ヤンキーなんだから。

素直に登校してたんや。

ヤンキーの矜持wwwww

 

 

だもんで、

 

元不登校の息子がタイムスリップして、昭和でやり直したらどうなってたやろう‥?

 

多分、行けない。

息子さんは、もう「不登校」という選択肢を知っているから。

 

そして、知識リセットでタイムスリップするとしたら、多分行ける。

「不登校」という選択肢を知らないから。

 

ってことなんだろうなぁー!

非常に納得。

 

社会背景

背景として、社会的な圧力も強かったようだ。

 

その当時は不登校 = 社会的な死

みたいな考えが蔓延していてで登校は強制でした。

 

昭和は平成と令和より、ペリーが強かったのかな…トイレも男女用しかなかったし…

 

↑この感じ、今はないよね?

少なくとも僕は感じない。

母が絶対に許さないとか、防災無線より早くウワサが広がるとか。

平成生まれの僕には分からねぇ感覚だ。(嘘です。盛った。ギリ昭和生まれです。)

 

 

あと、家にいてもつまんないってのもあるよね。

 

家にいてもつまらないというのもあると思います。
スマホもパソコンもゲームすらあまりなく、テレビも一家に一台。映画もレンタルビデオ屋にかりに行かなければ観られないし、家の中での娯楽が今と比べて圧倒的に少なかったです。

 

友達だって学校に行かなければ遊ぶこともできませんでしたが今はオンラインゲームでつながることができます。学校行かなくても楽しいことは昔よりもいっぱいあります。

 

今の子は家にいても孤独じゃない部分がある。情報が入る、しかも自分に都合のいい情報だけを入れられる。
公の場に行き場所がなくても、ネットの世界に居場所を作れる。

 

ネットの発達は、人を孤独にし、同時に人をつなげた。

 

 

あと思ったのが。

社会情勢も大きいよな。

経済成長とか、年功序列、終身雇用とか、そういうの。

 

男性は自動的に会社員、女性は自動的に専業主婦。

(ほぼ)あぶれない。

みんな就職(永久就職含む)でき、みんな右肩上がりだった時代だ。

 

それが「普通」。

圧倒的な「答え」が明示されていたわけで。

 

当時は、勉強が嫌いでもなんとかなる、っていう風潮が親にも子どもにも、もっとあったような気がします。とりあえず学校行っとけばなんとかなる、みたいな。

 

でも未来への希望には溢れていて、高校とか大学に行けばステキな未来が待っているとワクワクしていた記憶があります。

 

「学校行っときゃなんとかなる」
「未来への希望があった」

これは、まさしく昭和後期はありました。
自分達の親が、高度成長期世代です。
真面目に働けば、終身雇用で年功序列、在籍年数に比例して役職や給料が上がっていた時代です。

 

そーなんだろうなぁー。

いいなー。

これが本当にいいのかよく分かんないけど、いいなー。

 

今、就職できねーもん。

給与上がんねーしさぁ。

物価高いし。

 

 

昔は、「真面目にコツコツ」やっときゃ、なんとかなった。

とりあえず耐えれば生きて行けたし、右肩上がりだった。

出口が見えるから、多少理不尽でも耐えられたってのはあるよなー。

 

今は、我慢したって報われるわけじゃないからさ。

じゃあ、我慢しないよなー。

メリットないもの。

そりゃ不登校になるわ。

 

 

でさ。

思ったんだけど、だからこそ理不尽が蔓延したのかなと。

出口が見えるから。

 

エサがチラついているから、子どもも我慢した。

そして、我慢するから、暴力がのさばったのだろうと。

典型的なモラハラ・パワハラの構図だ。

 

我慢すればいい

我慢する

暴力や暴言が蔓延する

↑こんな構図だったのかなぁ。

 

うまく乗っかれない子、はみ出す子は、昭和だって絶対にいたハズで。

そんなときにゲンコツ一発で片付くなら、大人はめっちゃ楽だもん。

 

今の子どもは我慢しても報われないんだから、我慢しねーわなぁ。

そのままハミ出すし、そしたら多様性を認めざるを得ない。

それじゃ、暴力やパワハラはダメ、絶対! よなー。

殴ったところで、さらにはみ出すだけだろうし。

 

 

ここまで考えると、もう元には戻れないのだろう。

昔のように、

  1. 選択肢をなくし、
  2. かつ子どもの将来を保証する

など、時代的に不可能だ。

明らかに不可逆。

もう、「不登校は今後も増える」ものとして、前へ進むしかないんだと思った。

 

こう考えると、現行の学校制度の限界なのだろう。

学校という『ハコ』を作り変える時期なのだろうと思う。

 

まぁ僕はその辺、具体的に行動を起こす気、一切ないけど。(笑)

勝手な考察を垂れ流すだけで、行動力は皆無。

誰かそのうちやるっしょ。(笑)

 

今だからこそのメリット

でさ。

昭和の時代と今の時代で、どっちがいいという話じゃないんだ。

どんなことにも、メリット・デメリットがあってですね。

昔に戻れない以上、今の良さをうまく活かし、戦略を練るのが賢い。

 

考えようによっては、今は恵まれている。

自己主張でき、自分で道を選べる時代だ。

 

『自由』よな。

自由って、ステキだ。

 

ボーっとしたり、落ちこぼれる自由は大事なのではと思います。

 

私はこのニュースを見た時、あー自分の意思を通せる子が増えたんだな、親御さんは大変だけど(子どもが普通に学校へ行っているのが楽だから)、行きたくないという気持ちを尊重できる時代になって良かったね、と思いました。

 

人が多様である以上、すべての人に適した教育などあるわけがなく、「今の学校教育に自分はどうも納得いかない!」と声を上げている人達が静岡県民くらいいる(ほんとは中部地方民くらいいるんじゃないかな)のだと思います。声をあげられない環境の方が異常だったのではないか、と。

 

自分で考え、主張できる時代。

選択肢のある時代。

自分で人生を切り開く時代だ。

 

オラ、ワクワクすっぞ!

 

 

自由には、責任が伴う。

自分で選んだ以上、その責任を取らないといけない。

それが、今の時代のしんどさだと思う。

 

不登校を選んだ。

それはいい。

じゃあ、どうする?

と。

 

↑ココよなー。

ココがしんどいよな。

 

昭和の時代は、自由がない分、責任もないから。

考えようによっては気楽だけど。

もう、昔には戻れないから。

 

もしかしたら、子どもの頃に自分に正直に不登校とかできてたら、大人になって逆に心の病とか罹りにくいかも!?って思いますがどうでしょうか?
なんか、我慢した分、のちのち爆発しそうな感じもします。

 

それねー。

あると思うんだよねー。

 

 

今の大人世代(僕含む)の生きづらさ。

選択肢がなかったことに起因してないかい? と。

 

自分で選んで、納得したわけじゃない。

「それしかなかった」だけで。

責任もないし、楽。

だけど、不平・不満は出るハズだ。

 

 

逆に、今爆発できた子どもたち。

将来強いだろうと。

 

はみ出す子は、今じゃなくても、いつかそのうちはみ出す。

今で本当によかったと思う。

いつかは必ずぶち当たる 思春期くらいのお子さんで、 「急に言うことを聞かなくなり、家で暴れています!  今までは素直ないい子だったのになぜ……」 ...

 

子どものうちに爆発できた人は強い。

背負うものが少なく、社会とか常識とかにがんじがらめになる前に、自分と向き合えた人。

圧倒的に強いと思う。

 

今でよかった。

親のところにいる間、大人がフォローできる間で、本当によかった。

 

 

不登校になったってことは、その子の生まれ持った特性として

社会の流れにふんわり流されるタイプではない

ってことだ。

 

早めに分かってよかった。

自分と向き合い、自分を知り、人生を切り開いてほしい。

不登校を「選べた」子だ。

同様に、人生を選び取る力があると、僕は信じる。

 

なんの保証もない時代だ。

だからこそ、選べる手はたくさんある。

この時代に生きていくのだ。

 

『自由』で、『責任』のある時代だ。

今後も不登校は増える。

流れに乗れない子も増える。

後戻りはできない。

 

だからこその可能性があるように、僕には思えてならない。

POSTED COMMENT

  1. Tokiko より:

    バブル世代です。バブル世代はヤンキーとその下の校内暴力全盛の真ん中なんですが、多世代この違いわからないかもですね👀
    ヤンキーは行動力あって、兎に角つるんでて、当時ほんと竹刀持ち歩きの教師いたけど、私はとりあえず卒業して家からでたいだけで通ってた普通の子で関係なく放置?だったけど、随分ヤンキーさんたちは気にされて今でも先生とつながりあったり(当時先生と酒飲んだとか考えられない話も)しかし3日下の弟の頃は学校のガラス割り日常茶飯事、嫌いなおとなしい先生の組織的授業妨害なんでもあり、ヤンキーって他校乗り込みやらはやっても、建物破壊や授業妨害もない教室の外で暴れてたんです。

    モンスターペアレントって結局自分が学校に不審抱いて通ってた子って気もするし。

    不登校については選択肢に存在しないから通ってた、良いか悪いかはわかりません。

    でも少なかったのはほんとだけど、
    いなかったらわけでもなく、視界に入っても気が付かなかっただけ。
    今全調査したら学校途中から行かなかった昭和世代人数、想像より多いかと、
    早い段階でわかる知的障害の子は学校猶予されてたような。親が放置なら通わないままが置き去り。実際はどのくらいかな。2クラスで一人とかはいたのかも

  2. 1173 より:

    基本インドア不登校&自分の都合登校の子たちがいます。
    昭和の学校は、通わないと言う選択肢なかったせいか、私自身が不安定になったとき突発性難聴になりました。学校が嫌だというわけではなかったのですが、大して好きでもなかったように思います。
    街のクリニックではお休みしなさいと言われて訳わからず休んでて、大きい病院ではいやいや体動くなら活動していつも通りで登校再開して
    対応も今みたいに、=休みということもなかったと言うことでしょうね。

    ちょっと趣旨は違うかもですが、思ったこと。

    私自身、外あそび場の子どもの居場所づくりをしています。
    自分の責任で自由に遊ぶ
    様々な団体でもこの言葉があります。
    といっても私自身アソビゴゴロをどこかに置いてきてしまったのか、なんでも「あそび」に繋がるのだけど、そう言う発想にならないことが多い。型にはめて考えているところがあって、自分がつまらんなって思います。決まってたことやる方が楽ですしね。
    先日、『自由な場所で自由にいると言うことは、人の自由も受け入れると言うこと』と、とあるスタッフに聞いてあぁそれが苦しいんだって感じました。
    子どもの自由を受け入れられない自分に情けなさを感じます。
    果たして、子どもが今本当に自由を謳歌しているのか?
    とも思います。

    自由は難しい。

    自由っていったいなんだ〜
    どうすりゃ自由になるか〜いby尾崎

    歌声が素敵なので、厨二野郎 反抗の象徴と思わず他のタイプの歌もぜひ聞いてみてください。

  3. こまさん より:

    引き算のお題の時の投稿数を更に超えて、すごい反応の数でしたね!自分もですけど

    昭和世代の皆さんの声からのP先生の考察、ささりました。
    確かに、ない選択肢は選べない、ですね。

    息子はタイムスリップしてもきっと不登校を選択する、御意です。記憶リセットしない限り‥
    ゲーム&動画三昧の彼は、昭和の家の中でどう過ごすか、学校の辛さと天秤にかけて、辛さがマシな方を選ぶしかないか(きっとお家生活、テレビしかなくても‥)

    団塊ジュニア父母の、我が子に対する不登校初期の対応は昭和の脳みそまんまで、、自己肯定感ズタボロの息子に追い打ちをかけただけでした(;_;)
    その後、多様な今の不登校事情を知り、、昭和オヤジオカンの漬物石頭の価値観も少しずつ変わりました。

    当時、息子の習い事の先生(平成世代)に、中学不登校のことを伝えた時、返信で

    「小さな国の、小さな町の、小さな社会だけの話です。世界はもっと、とーっても広くて〜‥‥」

    「◯◯君はとっても素敵なお子さんです!! 私は声を大にして、何度でも言います!!」

    とのメッセージもらいました(涙)
    ヤンキー夜露◯苦の昭和時代だったら、こんなこと言ってくれる人いたでしょうか

    令和で不登校の息子、中学校の先生にもいつも温かく対応して頂き、午後の部で個別卒業式をしてもらい、少し晴れやかな表情で学校を後にしました。

    その日やっと、少し″ 自由 ″になれた気がした15の夜だったと思います。

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

    子供の主治医が以前に講演で

    「コロナのせいで不登校が増えたとか、これは違うと思っていて、
    元々学校辛かった子が休めたことで不登校を選んだのでは‥」ようなことをおっしゃっていて。コロナはきっかけに過ぎず、潜在的な不登校があぶり出されたケース結構あったのか?も。もちろんコロナ禍が直の原因のケースもあったことと思いますが。

    昭和時代にコロナ襲来し、もし休校になったら不登校増えていたのか‥ 時代背景からツールは限られ、きっと孤独は増すとは思いますが、ふと考えます。

    ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

    『今爆発できた子どもたち。将来強いだろうと。』

    未来へ向かって、P先生のメッセージ。

    我が家としては、先に爆発してよかった〜と思えました。励まされます、
    ありがとうございました。

    ギリギリchopの息子の未来、不安ないと言えば嘘になります。それでも‥

    まだまだ続く子育て、伴走と骨拾いに努めます!

  4. ハムくん より:

    久々に投稿します。このテーマ、いつも考えていたので、、、
    中2息子くん、不登校中です。
    私は仕事柄、8050のご家庭に訪問することがあります。
    引きこもっている方や家事手伝い、親の介護されてる方もいますが大学まで頑張って就職して動けなくなった方が多いように感じます(小中から不登校で、、はあまり聞きません)親御さんはそんなお子さんに対し恥ずかしいと感じていた時代だったと思います。
    動けなくなったお子さんを受け入れてる家庭は働いていなくとも円満に感じられ、厳格な両親で恥ずかしいと思われている家庭は引きこもりが続いています。
    『根性』『我慢』の時代で育ってきた私達は子供にも強いてしまっていた気がします。
    『不登校』の選択が出来た息子に新しい時代に産まれ自分のカードを上手く工夫して生きてくれればと思います。

  5. みー より:

    私は思春期に親や先生に自分の意見を言える状況ではなかったので、短大に入り、バイトで自分の好きに生きられるようになってから反抗期きました。
    大人になってからの反抗期はしんどいです、親も。
    家には寝に帰るだけ、喋らない、家はあるから親と関わらなくても生きていける。
    それまで出せなかった親への怒りが一気に出ました。
    しっかり思春期に思春期?した方がいい!

  6. 女子の母 より:

    ほんと今回、この話題にコメントしてる人多いなー。と思って見ていました。(私も書かせてもらいましたけど)
    いや、私だけじゃなくみんな、大人になっても、学校でのアレコレ、、、思い出すことが多いし、今の子供たちの話題聞くとなんか胸がザワザワする。やっぱり、学校ネタって、なんだかんだ、濃密な時間で、良くも悪くも、みんな聞かれたら、「語りたい」って思ってるんだなー、と思いました。
    そこに、先生が「聞かせろ下さい」といってくれて、みんな嬉しかったんじゃなかろうか笑

    、、、そして結果、先生がそれをまとめてくれて、感想言ってくれて、未来に繋げようとしてくれてる。。。今回、すごく興味深いやり取りだったと思います。

    これを見ると、不登校の話題って、どの人にとっても、他人事ではないと思うんですよね。
    一概に、良いとか、悪いとか、ってことじゃなく、今後の学校の役割や登校の位置付けも含めて多角的に考えていかなきゃいけませんね。
    こんなに熱く語れる人が多いってことを、どこかが上手く汲み上げていけば、子供たちも生きやすくなるような気がするけどな。

  7. hana より:

    「自由」で「責任」ある時代ととらえるって素敵ですね。

    昭和世代の親は、自由が不安になってしまい、ついつい子どもに過干渉になってしまうのかも。
    もっと子どもの持っている力を信じていきたいな、と思いました。
    学力が上がるとか、学歴とか、良い所に就職できるとか、そういう可能性を信じるのではなく、子どもが持っている良いところをたくさん見て、きっと自分の人生を自分で乗り越えていける、ということを信じていきたいです。
    子を思うがゆえに失敗させるのが怖くて、ついつい口出ししてしまって、なかなか難しいことなんですけど…。
    でも子どものありのままの力を本当に信じることができたら、それはきっと子どもの成長や、自信や、肯定感に繋がって、失敗しても乗り越えられる力に繋がるのかも。
    先生のブログを読みながら、やっと気付くことができるようになりました。

  8. Kちゃん より:

    「不登校を選んだ」
    …うーーーーん
    そうかもしれないけれど、
    実際には「選ぶ」というよりも
    身体が動けなくなるパターンが多いと思います。
    限界状態。
    これは我慢に我慢を重ねたストレスマックス状態。
    身体を壊すまで逃げられない社会の目がここまで悪化させ自死を増やす原因でもあると思っています。

  9. こあら より:

    昭和世代で自死を選んだ知人が3人います。

    逃げる、って大切なスキルだと思います。
    「ここにいなきゃ行けない」なんてない。
    「しっかりしてる、責任感がある」って、褒め言葉だけど、小さい時からそう表現され続けると、はみ出す勇気がもてなくなるかも。
    勝手に「自分らしくない」と自らレッテル貼って、逃げる自分を認められないかも。
    そう感じた方がいたので。

    しんどい時には逃げるが勝ちだよ〜
    合わなかったら、環境変えていいんだよ〜

    折に触れて子供に伝えようと思います。

    余談ですが、「登校拒否」はいなかったけれど、その後就職せずに家でプラプラしている人は一定数いました。
    選り好みしなければ就職出来た時代です。
    女性なら「家事手伝い」なんて呼ばれていましたが。
    今思えば、HSPだったり、周囲と合わせるのがしんどい人達だったんじゃないかな。

  10. ぷりん より:

    ずっと不思議に思っていたことがはっきりしてスッキリしました。数の暴力最高!

    私は団塊ジュニア世代なので「不登校」という選択肢を持っていなくて、高校時代に自律神経不安定症と診断されたのに無理に登校していました。その後「不登校」を知って「勇気のある選択だな」って感心したことを思い出しました。まさか我が子が「不登校」になるとは思っていませんでしたが・・・

    子どもが不登校になった時は絶望しか感じませんでしたけど、先生のブログを拝見して未来へ突き進む勇気がわくようになりました。ありがとうございます!!

  11. はるひなち より:

    常々思うのが、我が町は児童・生徒に1人1台タブレット端末を配布してるので、コロナで休んでいた時みたいにzoomで授業に参加できるようにして欲しいです。
    ただ繋げておけばいいだけなのに、なぜこれを学校はしてくれないのだろうと思います。
    もういい加減、登校ありきはやめて欲しい。これだけネットが普及してるのに、なぜ義務教育だけはオンライン化が出来ないのだろう。

  12. ぼん より:

    不登校経験した息子が春から高校生になりました。通いのタイプの通信制高校です。体調不良以外のお休みはゼロ!気の合う友達もできて毎日楽しそうです。
    昨年、進路選択するにあたり、今通う学校のオープンキャンパスに訪れた際に校長が言っていたこと。今のハコは7割の子供にしか合わない、3割の子が苦しい思いをしている。でも、現状義務教育を変えるのは難しいから、こちらでその子たちを迎えたいと。涙が出ました。そして、息子もこの学校に入りたいと

    中学卒業するまでの間に、自分の特性に向き合い続け、少しずつ自己理解も進み、あの時間は苦しかったけれど必要な時間だったと思えるようになりました。自分で不登校を選べた子の未来は明るい✨️ですよね?

  13. すずらん より:

    団塊ジュニア世代の母です。
    息子が学習障害があるので不登校~五月雨登校気味です。
    私が小学生だった頃、ものすごく厳しい男の先生が担任だった時、クラスの男子で毎日宿題を忘れる子がいて毎日罰として先生に両耳を引っ張り上げられていました。
    あの頃は「あんな痛い思いをしてるのになんで宿題してこないんだろう…」と思っていましたが、今思うときっと彼も学習障害でした。

    息子も昭和の時代に生まれたらあんな仕打ちをされていたのかと思うと、平成に生まれてよかった…と思います。

    その後、中学校は1学年450人いる学校全体で1000人を越えるマンモス校に通ってましたが、窓ガラスはバリバリ、トイレのドアは外れかけ。授業中に運動場にヤンキーが授業サボってたむろしてる学校でしたが、不登校の子は1人しかいませんでした。
    今と違って卒業アルバムのクラス写真には上の方に犯罪者みたいに丸く張り付けられ…
    そこで初めてその子の顔を見ました。

    今なんて不登校なら「卒業アルバム、写真どうしますか?」と聞かれなんならうまーく合成してくださり、撮影の時、いなかったのにいることになるという。

    確かに我慢を強いられた団塊ジュニア世代は自殺率も高いですもんね…

    息子はまだいい時代に生まれたのかもしれませんね。

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