不登校

逆に、昔はなぜ不登校が少なかったのか

 

文部科学省が2022年度、全国の国公私立学校を対象に実施した「問題行動・不登校調査」で、病気や経済的理由などとは異なる要因により30日以上登校せず「不登校」と判断された小中学生が前年度比22・1%(5万4108人)増の29万9048人となり、過去最多を更新したことが判明した。

(10/3のニュース)

 

Oh……

 

モーレツ!

 

不登校は多い

もうさー。

不登校、もうよくね?

 

これさ、もう、少数派じゃなくない?

一大勢力じゃん。

 

 

30万人ってどのくらい?

えーと、小中学生の総数が、小学生630万人、中学生が320万人らしい(2020年)から……。

 

30万÷(630万+320万)×100で、ざっくり3.1%か。

 

  • 境界知能が14%
  • 左利きが9.5%
  • 静岡県の人口が3%
  • 先天性心疾患が1%

 

日本人における、静岡県民の割合と同じくらい。

静岡県民、別に珍しくなくね?

結構いるよね?

うなぎパイ、おいしいよね?

 

 

実際に不登校してる子で3%だ。

予備軍も含めると、めっちゃいると思われる。

なんとかかんとか通ってる子ね。

東京都民(10%)くらい、いや、高齢者人口(29%)くらいいたりして⁉︎

 

不登校が少なかった頃

なぜこんなに増えたのだろう。

僕は、以前からよく考える。

 

多分、「不登校という選択肢ができた」からが大きいんじゃないかと個人的には思っているんだけど。

多様性! 的な。

学校は「行く」一択じゃないぜ! 的な空気。

不登校は増えてるんだけど、今後もさらに増える?不登校は増加傾向だ。 文部科学省 令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結...

 

 

逆に考えてみる。

逆に、昔はなぜ不登校が少なかったのか。

 

ここまで増えた不登校。

静岡県民レベルの頻度の不登校。

35人クラスに1人いる計算になる不登校。

「学校が合わない子」は、おそらく昔から同程度いたと思うんだけど。

 

 

しかも、昔(昭和後半を想定している)って

体罰当たり前!

根性論ゴリ押し!

の時代だ。(でしょ?)

 

連帯責任とか。

給食は吐いても完食とかさー。

モラハラセクハラパワハラ上等!

でしょ? 思い込み?

 

そっちの方がキツくね? って、純粋に思うんだけども。

 

学校に行った理由

昔は、なぜみんな学校に行けたのか。

「選択肢がなかったから」以外にも理由があるのか。

 

行けた理由が、可逆性のあるものなら、今の子たちにも応用できるだろうし。

不可逆的なものなら、もう学校自体の方向性を切り替えるしかないと、個人的には思う。

 

 

例えば、

選択肢がなかった

は、不可逆的な理由だ。

今は、「不登校」という選択肢を知ってしまった。

文科省がはっきりと不登校を許容している。

(H28 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律の公布)

もう、知らない時代には戻れない。

 

ネットやスマホの普及

も、不可逆だ。

もう、ない時代には戻れない。

 

中卒での就職

は、可逆的だろうか。

その選択肢を作れば、不登校は減るかもしれない。

 

寛容な環境

は、可逆だろう。

適応指導教室や通級指導など、年々規模が広がっている。

 

ヤンキー文化

は、どうだろう。

居場所がない子の居場所を不良文化に求めるのは、この時代に可能なのだろうか。

 

家庭環境

は、関係あるのだろうか。

今と昔で、どちらが安定していたのだろう。

そして、直接的に不登校の原因となり得るのだろうか。

 

発達障害

は、どうだろう。

本当に、昔の方が少なかったのか。

 

昭和の学校について教えてください。

色々考えるんだけど、僕の脳では限界がある。

「昔はこんな理由で学校に行ってたぜ」ってのがあれば、ぜひ教えてください。

 

特に、昭和後期の経験のある方。

いうても僕は平成育ちで。

すでに先生は絶対的な存在じゃなかったし、不登校も普通にいて。(今ほどじゃないにしても)

ゆとり教育に片足突っ込んでる世代なので、体感的にはわからない。

 

 

僕の昭和のイメージ。

体育教師が竹刀持ってうろついて、職員室はタバコの煙でモクモク。

ヤンキーがボンタン履いてスカート長くて、窓ガラスは尾崎に壊されて……。(ホント?)

 

でも実際こんな環境だったら、僕なら一目散に逃げ出しそう。

なのに、不登校は少なかった。

 

なぜ?

 

実際のところどうなのでしょうか。

知ってる方、教えろください!

POSTED COMMENT

  1. spring より:

    とっても遅いコメントですみません。
    平成へ変わる年に小学校を卒業した、元不登校の子(高二)の母です。
    先生の記事も皆さんのコメントも興味深く拝見させていただきました。
    不登校もう一大勢力ですね!笑
    先生のブログ大好きです。
    私の小学校時代不登校は1人もいなかったように思います。
    今思えば、発達障害だったのではという子もいましたが、
    その子の個性として認識して、特に誰かに教わることもなくみんな対応していました。
    中学に入り、8クラスある学年で1人不登校の子がいた記憶があります。
    不良と呼ばれる子達もいました。町の(東京)ゲームセンターが不良の溜まり場で、母から近づいてはいけないと言われていました。
    でも、私からみたらその不良って全然怖くなかったんです。
    ピアス開けているから不良。
    タバコ吸っているから不良。
    (友人でしたが、二十歳でタバコをやめ、めちゃくちゃいいお母さん、素敵な人生を送っているように見えます)
    思春期の自己主張や自由を求めた子達が不良と呼ばれたように思います。みんないい子でした。
    私の時代、不登校が少なかったのは、
    学校に行かないという選択肢自体がなかったからなのかなと思います。
    私自身がそうなので偏った意見かもしれませんが。。
    まず親には本当の気持ちは言えない状況でした。
    隠して普通を装う、そして大人になるまでそのモヤモヤや
    疑問を抱えて、子育てしているときにその問題が浮上して気づく。
    私はそんなパターンでした。
    不登校できて、逆にいいなって思います。
    息子に対して、親に言いたいこと言えていいなって思いました。(親は辛いけど、笑)
    逃げ場がないとき、その問題を封印するという方法で生き延びてきたような気がします。
    問題は浅いうちに解決できたら後の人生が楽な気がします。
    中一の終わりから高一の終わりまで不登校していた息子ですが、
    心療内科に行きたいと言い、連れて行きましたら、
    カウンセリングって、本当に話を聞いてくれるだけなんだね
    もうわかってるんだやることは、
    怖くても学校に行けばいいんだ
    と言い、その後、週一から始まり、高二の今では毎日学校に通っています。(通信制高校で、先生がめちゃくちゃ良い先生です)
    学校が始まる時間も遅く、レポート期日もあってないような、、
    目的は子供の学び、という姿勢が感じられます。
    ママ、普通の学校は、子どもが学校に合わせるけど、今の学校は子どもに学校の方が合わせてくれるありがたい学校だね、というようなことを言っていました。
    優しい学校があってよかった。優しくても子どもがだらけるどころか
    やる気出してます。
    厳しくする必要なんてないなって思いました。
    長文失礼しました。
    不登校時代はp先生のブログに命救われていました。
    本当にありがとうございました!

  2. もも より:

    私は昭和50年代前半、3年生ごろにがジャンプでドラゴンボールが始まり、小学5年生ごろに光GENJIがブレイクしていた時代です。
    私はASDタイプで3年生からクラスでイジメにあってました。毎日死にたいと思いつつ、手首も薄皮一枚も切れない臆病者で、誰とも話さず生活してましたが学校は皆勤賞でした。休むという概念がありませんでした。
    学校は身体が健康なら必ず行くところで休む選択肢は持っていませんでした。
    行きたくないと思っていましたが、親に行きたくない理由も説明できないし、理解してもらえないと思っていましたし、イジメにあってることを言って親が悲しませたくないと思ってました。
    熱もないのに休めないと自分自身で絶対的な常識としても、思ってました。
    昭和の時代は我慢して当たり前というか、そういう教育だったのかなと思います。
    ただ、クラスが45〜50人でしたので発達凸凹の子も個性として受け入れられていたり、放課後遊ぶにしても自由度が高く禁止事項が少なかったので、自分で考え動ける範囲が広かったと思います。今の小学生より囲われていなかったので自主性や社会性の成長は早かったと思います。

    今はこどもの心のケアもあって良いと思いますが、逆に腫れ物扱いされる様子も見ているので、どっちもどっちというか、、昭和も令和もどっちも当人にとってはしんどいと思います。登校、不登校、保健室登校と選択肢として広げてもいいのにと思います。話がズレますが、いじめがあったときは学期途中でクラス変えてみるとかあってもいいのになと思います。

  3. Joe より:

    遅ればせながら、参考になるかどうかわかりませんが、昭和の学校について。
    50代前半、おそらくHSP、埼玉育ちです。
    当時は学校には行くべき、という狭い考えに親も子も囚われていたから、そこから外れないように必死だったのかもしれません。
    体罰をする先生もいたし、いじめもあったし、それでも不登校だという子の話は聞かなかったような。いわゆる「不良」も学校には来てたし。
    それはやっぱり学校に行く以外に、選択肢がなかったのが大きいのではと思います。
    私も、どんなに行きたくなくても無理矢理登校していました。
    親にもそんな気持ちは明かしたことはありません。たぶん理解されなかっただろうし、親に弱みを見せて心配されたくなかったから。
    休みたくないと気を張っていたため、私が体調を崩したのは土曜の夜あたりから日曜にかけてで、月曜の朝には回復していました。
    なので、小学校4年から高校卒業するまで無遅刻無欠席でした。
    それくらい、選択肢がなかった。
    今は不登校が増え注目され、寛容な考えも広まりましたね。私の頑固な父ですら、私の娘のODに理解を示してくれています。

  4. もも より:

    はじめまして。
    40代後半です。
    小1で登校しぶりをして、母に引きずられながら登校させられた記憶があります。
    中学、高校はIBSガス型で(あの頃はこんな病名なくて理解してもらえず苦しかったな)
    学校を休みがちでした。
    学年で不登校の子は数人くらい、病弱だった印象があります。
    私の場合は、親が不登校を認めなかった、体が元気なら行きなさい、行かないと将来ダメになると言っていました。
    心は元気では無かったのにね。。

  5. 昭和の女 より:

    昭和50年代〜昭和末までを小中高生として東京で過ごした人間です。中学のトイレのガラスが割られて無かった事もありましたね〜。
    ちなみにその中学は1クラス45人以上で9〜10クラスありましたが、不登校の子がいた記憶はないです。
    今の中学生は19人に1人が不登校である事を考えると、1クラスに2人以上。
    昔のガチの不良(と、当時は呼んでました)と同じような割合に思えます。
    今は学校が嫌だと不登校になり、昔は学校が嫌な子も登校はして来て、そこで問題を起こすと不良と呼ばれてたって事になるのかな。
    ネットも居場所も学校しかなかったので、登校以外の選択肢もなかったですし。
    先生も怖かったですが、生徒も人数が多かったので 勢いもありました。
    今で言う発達障害にあたるような子も沢山いましたが、その子の性質として認識していて 問題にする事もなかったです。何しろ人数が多いので、いちいち問題にもしなかったです。
    良い意味でも悪い意味でも、大人が子供をほったらかしにしてる部分が大きかったような気がします

  6. 昭和の女 より:

    昭和50年代〜昭和末までを小中高生として東京で過ごした人間です。中学のトイレのガラスが割られて無かった事もありましたね〜。
    ちなみにその中学は1クラス45人以上で9〜10クラスありましたが、不登校の子がいた記憶はないです。
    今の中学生は19人に1人が不登校である事を考えると、1クラスに2人以上。
    昔のガチの不良(と、当時は呼んでました)と同じような割合に思えます。
    今は学校が嫌だと不登校になり、昔は学校が嫌な子も登校はして来て、そこで問題を起こすと不良と呼ばれてたって事になるのかな。
    ネットも居場所も学校しかなかったので、登校以外の選択肢もなかったですし。
    先生も怖かったですが、生徒も人数が多かったので 勢いもありました。
    今で言う発達障害にあたるような子も沢山いましたが、その子の性質として認識していて 問題にする事もなかったです。何しろ人数が多いので、いちいち問題にもしなかったです。
    良い意味でも悪い意味でも、大人が子供をほったらかしにしてる部分が大きかったような気がします

  7. 通りすがり より:

    まだ出ていない60代です。
    『不登校』『発達障がい』なんて概念さえなかった小学校時代を地方の田舎で過ごしました。
    圧倒的に教師は絶対で、親も基本『先生が正しい』でした。
    理不尽さというものさえわからずそういうものだと思っていました。

    都会ならまた違っていたかもですが、田舎では楽しみがなかった。学校に行くことが数少ない楽しみでもあった時代です。
    今は行かなくてもテレビどころかネットやゲームで1日遊べます。

    私は明らかに『発達障がい』というのが乱発されていると思っています。
    学校もなるだけ問題ある生徒に関わりたくないので『不登校』を認め、自宅にいていいよとする方針に変えました。
    『無理して行かせない』が主流になりました。
    現在騒いでいる不登校率上がった問題は当然そうなるよねとしか思いません。

  8. パルプンテ より:

    初めまして
    たまに休ませてガス抜きしながら、なんとかかんとか通っている小学生の母、40代です。我が子HSCと思います。スクールカウンセラーの先生からは精神年齢が高いのが辛さの原因だと言われています。高IQではないかと言われWISCテストをしてみては?と、言われましたが、受ける事が子供にプラスになるのか悩み中です。
    不登校のブログなんかをネットで見ているうちに山田玲司さんという漫画家のyoutubeに行き着きました。そこで9月1日に学校へ行きたくない子への話を聞いて、まさにその通りだと思ったので是非観てみて下さい。
    昭和の学校と今の学校じゃ全然違います。子供に学校に行きなさいって言うけど、じゃあ自分行ってみなよ。お母さん、お父さんが行ってたころと全然違うから、大変だからって山田さんがおっしゃってましたが、すごく納得しました。

    今の子は先生にかなりなめた口をたたく子沢山います。私たちの頃は小学生で先生を馬鹿にした様な口をきく子はいませんでした。もちろん今と違ってそんな口をきけばゲンコツと言う体罰が飛んできたでしょうし。
    昭和の小学生は悪い事した時はゲンコツされてましたから。
    今の先生がどうとかではなく、今はモンペの問題とか色々とからみます。
    先生に威厳がなくなってしまっていて、授業中もうるさい事、勝手なことをする子の多いことに驚かされます。キツく注意されない事を知っているからかなと思います。
    そしてすぐに人を叩く子も多いです。私達の頃、小学校一年生で叩いたり叩かれたりなんてあまり目にしませんでした。女の子はなおさら。でも今は一年生女子でも蹴りも入れます。それは珍しいことではありません。私達の時代ならけっこうな問題児扱いされていたと思います。
    昭和の小学生はテレビや本くらいしか情報源がなかったので知識は負けますが、そこまではやってはいけない事のラインを心得ていたと感じます。今の子はネットなどのお陰で知識は驚くほどあり色々と知ってますが、精神的に幼稚でそれはやってはいけないだろって事がわかっていないように思います。

    男の子が女子トイレに堂々と入ったり(今問題のジェンダーとは関係無く、興味本位で)、給食をわざとぶち撒いたり、お皿をわざと割ったり…
    人の持ち物をゴミ箱に捨てたり、わざと壊したり。傘で顔を突いたり。我が子がされた事だけではなく、クラスでこんな事があったよって聞く話で驚く事が多いです。そんな悪さをする子、母が小学生の時はいなかったなぁ…
    そんなクラスの中でずっと過ごすのやっぱり辛いと思います。昭和の教室はここまで辛い場所ではなかったです。
    そこまで酷いことをしてはいけないって昭和の小学生わかっていたと思います。
    もちろん今の子がみんなそうではないけれども。

    公園で遊んでいてもうるさいとクレームが来てしまう世の中、放課後遊んでいても性犯罪に巻き込まれてしまう危険がすぐそこにある世の中で過ごしている今の子供達は、昭和の小学生とは比べものにならないストレスを感じていることも原因だと思います。

  9. よよよ より:

    すごい投稿数ですね!
    50代です。
    ばーちゃんと同居で甘々で育ちました。
    何かあっても、うちに帰ればばーちゃんに
    泣きついて慰めてもらえる…って環境でした。
    親とは違う絶対の味方感があった。

    今は核家族ゆえの息苦しさってあると思います。
    それはこどもにも親世代にとっても。

  10. シェル より:

    先日の引き算は必要かに続き、考えるお題ありがとうございます!先生のブログ、皆さんのコメントを何度も読んで考えました。ロスジェネ世代です。
    なぜなのだろう。発達障害の数(認知度)、家庭環境、ネット等の情報、ヤンキー文化、金八的な先生、文科省のカリキュラム等は時代によって変化し、多少の数の差は産むと思います。
    でも、人が多様である以上、すべての人に適した教育などあるわけがなく、「今の学校教育に自分はどうも納得いかない!」と声を上げている人達が静岡県民くらいいる(ほんとは中部地方民くらいいるんじゃないかな)のだと思います。声をあげられない環境の方が異常だったのではないか、と。
    昭和の登校拒否は怠けや弱さ、不良の象徴で、認めて議論するものともとらえられてなかったと思います。昭和は平成と令和より、ペリーが強かったのかな…トイレも男女用しかなかったし…
    みえぬものでもあるんだよ、
    みえぬものこそあるんだよ。

  11. 匿名 より:

    遅れて投稿失礼します。
    昭和40年前半、田舎産まれの母親です。
    今の学校、きちんとしすぎ。
    子供は管理されすぎ。
    息抜き、逃げ道ないです。
    安全圏で良いことを教え込まれるって感じでしょうか。これは家でも同じ感じかも。

    昭和は学校の廊下走りまくってました。右側、左側なんて書いてない!きちんとした子がやんちゃな子に危ないよーって声かけたりして。いじめだって、見ぬふりせずに正義感にあふれた女子達が代わりに闘ってました。言われて教えこまれるのではなく、そんな経験から何か感じていた気がします。
    だいたい小学校男子に箒みたい長いものもたせたら振り回すに決まってる!(個人の思いです)今の子供達おとなしく掃除してるのが不思議です。

  12. さくら より:

    P先生、ブログ開設時から読ませていただいています。今回、記事のリクエストをお願いしたく、初めてコメントをしています。

    息子はIQ137で、言語理解が143、処理速度が110と幅があり、ASDと診断されました。

    小6で不登校になりましたが、本人の希望で私立中学を受験し、今、高2です。

    中学入学後も色々ありましたが、学校が合っていたようで、今ではほぼ皆勤で学校に通えるようになっています。

    真面目すぎるので、成績も申し分はないのですが、変化を嫌う点や、コミュニケーションが苦手で1人の方が楽だ、という特性はまだあります。

    成長は確実に感じられるのですが、いつまでもこのままではいられるはずもなく、進路選択の時期になってしまいました。

    やりたいことや行きたい大学がないようですし、自ら調べるのは面倒なようで、悩むだけで時が過ぎていきます。

    P先生はたまたまブラックジャックを読んで医学部を受験したとのことですが、その後、医学部時代や研修医時代に大変だったことはありますか?

    医師にはASD傾向の人が多いと聞きますし、学ぶことが比較的明確になっていること、研究の道にも進めることから、息子に選択肢の一つとして提示しているのですが、「不器用だから無理」などと決めつけてしまいます。

    山中伸弥先生も不器用だったと読んだことがありますが…やはり苦労されたんですよね。

    医学部やその後の研修医は過酷だと聞きます。先生の経験談から、苦労したこと、周りにいたであろう特性持ちで苦労していたような人の話など、聞かせていただけたら参考にしたいと思っています。

    もちろん「やめとけ!」というご意見も歓迎です。

    数年前は学校に行くことがゴールでしたが、今はそこを通過し、自立という本当のゴールに向かって再スタートしなければならない時期になってしまいました。親として、どう背中を押していけば良いのか悩んでいます。

  13. めろん より:

    中2男子不登校の母45歳です。本当になんで昔は学校に行けてたんですかね~。
    息子が中学に行っていた時に学校公開があったんですが、中学生にも関わらず、美術室に移動するのに列に並んで行ってました。また小中つながってる校舎なのもあって(公立です)、通ってよい階段や廊下が決まっていて仰天しました。部活の出欠も親がアプリで先生に連絡。部活って、子どもどうしで適当にやるもんだと思ってた私は「これはキツイよな~」と。
    また、息子に鼻のアレルギーがあり、毎回同じ治療なので一人で耳鼻科に行かせたら「保護者もきてください!」とお電話が。
    子どもから大人への過渡期をどう過ごせばよいのか難しいです。

    話はずれるかもしれませんが、私は学生時代児童学を学んでいたのですが、元小児科医だった教授が「玄人出ると素人引っこむ」と言っていたのを思いだします。学校だけでなく、病院などの身近な暮らしでも、先生や専門家が頭を突っ込みすぎると、素人同士の助け合いや寛容さ、余裕がなくなるんでしょうね。

    いつもP先生と皆さんの書き込みに支えられてます!ありがとうございます!

  14. まりちょこ より:

     札幌オリンピックの年生まれの50代の母親です。勉強は今よりも緩かった時代の小中学生でした。3時間だけの土曜授業、案外好きでした。月曜日に休み明け疲れなんてのも無かったですし…。道徳はテレビ道徳でしたね。平日だって、中学生でも5時間授業が結構あったと思う。多少、勉強や人間関係が不器用でも、学校に行く度に、疲れが蓄積なんて無かった。理不尽な大人がいても、情報が無かったから、よく分からなかったし、それか、変な反骨精神みたいなものだけで乗り越えていたと思います。無意識に根性論が刷り込まれていた世代です。
     現在はというと、完全週休二日制で、土日休みになり、その分、小学生でもほぼ毎日、6時間授業。ゆとりどころか、総合、英語、道徳、タブレット学習、しっかり教科化。普通の子でも誰でも、疲弊しますよ。休みだって、家族で外出(宿泊だったり)、習い事、塾で、いつ休みがあるの?唯一の癒しは、ゲームになっても仕方が無いのかも。
     不登校の親でもあり、教える立場でもあり、痛いほど、今の大変さにもがいてます。自分も今の時代について行くことで精一杯。他人事ではありません。
     子どもの疲れが目に見えるくらい、せめて学習の負担を少しでも、楽しくできたら?と思いますが、毎日、することがいっぱいです。そして、雑談する時間もあまりありません。最後は、愚痴になりすみません。とにかく、根性だけではどうにもならず、倒れないように気を付けています。
    不登校が増えた理由、「お腹がすくと→喧嘩が増える」「いろいろな疲れの限界が来ると→学校に行けない」みたいな感じかな?
     いつも、P先生のブログで、励まされています。ありがとうございます。
      

  15. Lubi より:

    P先生ー!今回も考えさせられますねー。
    やっぱり大まかだけどネット環境あるなしだとおもってしまいますねー。
    今の子は家にいても孤独じゃない部分がある。情報が入る、しかも自分に都合のいい情報だけを入れられる。
    公の場に行き場所がなくても、ネットの世界に居場所を作れる。
    思春期は今も昔も承認欲求がモリモリだから自分をわかってもらえる場所がほしいって強く思う心があればあるほど学校いくって子と
    学校では自分の居場所がないってことで家にいるってことかな、と思っています。

    アラフィフワタシの思春期はそれこそ不登校なんて言葉はなかったし、文化もなかったですねー!学校いけない!なんてそんな子はかまってちゃんなカンジで嫌われてしまいましたしねーーハブられちゃいますねーー
     
    そーすれば学校で、それこそこの世の中で居場所が、どこにもなくなっていたでしょうねぇー。生きてないかもしれない。
    学校いくいかない、ではなく、生きるか死ぬか、だったんだなーと今思います。ああ、しんどかったなぁあのころのワタシ。
    そんな感じを学校ではメンヘラすぎて話せない(笑)でも、居場所としては家よりは努力で作れた。結果その中で不自由ながら人並みの?青春を送れて、それが今のワタシの根底になっているのはまちがいところ。
    今の居心地が悪いからこそ死にたい、もしくははよ大人になりたい。と思っていました。大人になって力のない子供の自分とサヨナラしたかったです。
    ネットはないのでテレビドラマにしか素敵な大人の世界はなくて(笑)それに憧れていた気がします。
    で、学校行ってました。今でいうODで、朝起きれなくて昼からでも毎日いきましたよー。
    今の子はいかなくてもいい選択肢があるから、またそのしんどさもあるだろうなと思います。
    選ぶってちゃんと責任とらされるからなー。

    人生って今も昔も自分の居場所を探し続けることなのかもしれませんねー!
    より自分らしくいられる自分の居場所。
    アラフィフまだまだ旅の途中(笑)

  16. 匿名 より:

    40代後半東北育ちです。私の地元は都市部から少し離れていて、1学年20人から30人くらいの田舎ののんびりとした学校でした。人の噂話は多々ありましたが、遊ぶ場所もなく荒れた生徒もそれほどおらず、先生も大声を出すことはほとんどありませんでした。仕事も何もないところなのに、年に数人、他の地域から転校生が来ました。先生は何も言いませんでしたが、他の学校でなじめなかった生徒や、人間関係でトラブルになった生徒だという噂が伝わってきました。本来の学年より1つ上の生徒という話もありました。噂は噂として、先生も生徒も普通に接していて特別扱いもなく、ほとんどの生徒はスムーズに卒業していました。思うに、昔は私の地元の学校のような、都市から遮断されたのんびりした小規模校がたくさんあって受け皿として機能していたり、共働き家庭が少ないため、学校を変えるために引っ越しするのも融通がききやすかったのではないかと思います。また、SNSもなかったため、実際に会わない人の情報が伝わってくることはほとんどなく、遠くに引っ越ししさえすれば完全に環境がリセットでき、登校しやすくなったのではないかと思います。

  17. みりん より:

    50代前半です。
    今の時代に子どもだったら、私も不登校してたかも〜と思ってます。
    今より、不寛容な時代だったし、登校拒否とかしたら人生おわたって感じの時代でした。だから、まあ、つまんないし嫌なことや理不尽な先生とかいっぱいいたけど、仕方なく行ってました。

    もしかしたら、子どもの頃に自分に正直に不登校とかできてたら、大人になって逆に心の病とか罹りにくいかも!?って思いますがどうでしょうか?
    なんか、我慢した分、のちのち爆発しそうな感じもします。

  18. 匿名 より:

    団塊ジュニアど真ん中、東北の田舎育ちです!
    そうそう、不登校ではなく登校拒否と呼ばれてました。
    とにかく人数が多い世代なので、何事も十把一絡げといいますか、子供は子供!学校は通うもの!という感じで、個人個人が違う、人と違うことを選択するという概念はなかった気がします。

    ケツバットも連帯責任の正座も当たり前にありましたねえ…(遠い目)
    今は先生も子供をさん付けして尊重しますが、男子は君、女子はちゃん、呼び捨ても普通でした。

    一方で、今の中学生より明らかにタスクの量(学習、提出物など)は少なかったです。LINEもYouTubeもないので、あらゆる意味で情報量と刺激がいまより段違いで少なかったと思います。

    ちなみにですが、そんな昭和後半から平成にかけて、不登校の子が自由に参加できる今で言う適応指導教室の走りのようなクラスを我が父が作ったのですが(教育長でした)、あくまで当日父が接した範囲としては、保護者の方の過干渉や教育虐待、ネグレクトのような明らかに家庭環境に要因がありそうなケースが多かったそうです。

    なので、今の「原因がわからないけど行けない、しんどい」という子は、その頃は声をあげられなかったのではと推察しています。

    今は中1の娘が不登校で、HSCの完璧主義のため、「友達も先生も授業も好き、だけど行けない」という状況です。亡き父がよく言っていた、「親は向こうを見るふりをして、そっと横にいるくらいがいい」という言葉を思い出しながら、P先生のブログを読みながら、なんとかかんとかやってます。
    「もはや一大勢力」「静岡県民珍しくない」に気持ちが軽くなりました。
    P先生、いつもありがとうございます!

  19. みみみ より:

    不登校女児の母です。昭和40年代生まれです。

    (1) 社会に求められる人物像が変わった
    (2) 教員のなり手がいない
    (3) 学びの手段の多様化

    要因は本当に様々あると思いますが、上記のような点は大きいと考えています。

    (1) 社会に求められる人物像が変わった

    ■先生の言うことをよく聞いて、その通りにする。忍耐強く、つらいことでも我慢する。というスキル。先生がすべての正解を知っているという考え方。

    ■自分で創造力を働かせる。自分の考えを自由に述べる。空気を読みすぎない。というスキル。好奇心を持ち続けること。自分や仲間で正解を見つけていくという考え方。
    違うと思えば先生や目上の人間にも意見できる力。

    前者より後者のニーズが社会的に高まっていると思うけれども、後者のスキルは学校教育の中でともすると失われることがあると感じています。学校教育はまだまだ
    前者の考え方に基づいてなされています。

    自分自身は娘に対して、最終的には学校には戻ってほしいのですが、ほかの学びの手段も併用して、子供が生き生きと学べる環境を模索したい。後者のスキルも磨いてほしい。少し寄り道してもかまわない。と思っています。

    (2) 教員のなり手がいない

    Youtubeで見た情報ですが、教員というお仕事の大変さが世の中に広く知られるようになり、今、本当に教員のなり手がいないと。
    都心部では、全てのクラスに担任の教員を確保することが簡単ではなく、毎年ギリギリであるという話を聞きます。採用倍率も2倍代で、採用時に十分な選考をするだけの応募者がいないということが起きているそうです。先生ご本人の責任では全くないのですが、やはり、十分な応募者の中から先生を採用できていた時代に比べて、必ずしもその職業への適性が高くないという先生も多くなっているのではないかと思います。

    (3) 学びの手段の多様化

    読み書き算術といった基本的なスキルは、学校で集団授業を受けずとも、タブレット学習やゲームを利用するなど、楽しく身に着ける代替手段が多くある時代となりました。先生のブログでも、「小学校6年間の学習内容はその気になれば一年で身につく」という説が紹介されていましたが、子供の不登校を経てですが、「学校はいろいろある利用可能なリソースのうちの一つである」ぐらいに考えておけばいいか、と思うようになりました。

    子供の不登校は本当につらくて、登校してくれた方がどんなに楽か・・・。とは思うのですが、葛藤をへて、自分としては、合わない先生であれば無理をしなくてもいい。と思うようになりました。時代背景もあり、同様にお考えのご家庭ももしかしたらあるのかもしれません。

  20. まみむ追記 より:

    私も追記させてください。
    特に80年代の高校はのんびりしてました。進学校のはしくれでしたけれども、テストが終わったらテスト休みがあり、部活に専念できました。そういう意味で長期休みも長かったし、部活も強制ではなかったので、人によっては辞めたり、転部したりも全然OKでした。また、合唱コンクールみたいな、やっきになって競わせるイベントも高校はなかったのでは。
    子どもの学校では、学習内容の高度化、多い課題、頻繁なテスト、広いテスト範囲、短い夏休み、夏休みの中講習、部活は強制、転部を認めない、合唱コンクールに体育祭など、一見充実してるんですが、まじめな子どもがバーンアウトしやすいところがあります。子どもの学校は中高一貫進学校だったので、子どもたちの学力も高くしかもその中でスクールカーストつくっちゃう生きぐるしさ(同質性が高いゆえ)、もあるかもしれません。

  21. のんびりお母さん より:

    中学2年の不登校の娘を持つ母です。
    昭和47年生まれです。中学校、荒れてましたが小学校時代はのんびりしてました。
    宿題なんてほとんどなかったし、給食の時は毎日班の子とトランプしたり集めたビー玉見せ合ったり、、、
    なのに子どもが小学校に入学したら、毎日宿題出されてびっくりしました。おまけに持ち物にキャラクターがついてる物は使用禁止、カードなど勉強に関係のないものは持ち込み禁止。
    これは息苦しいと思いました。
    昔は授業も一方的に話す先生が多かったので、つまらない授業はボーっと受けたりできましたが
    今はアクティブラーニング?というのか発言したり意見交換の授業も多く、とにかくレベルの高い内容が多くなったと感じています。
    子どもが持ってくる内容も私の時代より難易度が高く、特に数学はできる子とできない子の差がかなり広がってしまいました。
    良く言えば昔は求められる内容がそこまでではなかったので子どもたちの差がそんなに分からなかった。今は大多数であろう中間層の子たちが必死に頑張らないとついていけないレベル。そのストレスは相当なものであろうと思います。

    全員を向上させよう、という義務教育の熱心さが
    学校の余裕をなくし余白のない学校生活を生み出してる気がします。
    やる事多すぎて給食の時間削られるし。
    ボーっとしたり、落ちこぼれる自由は大事なのではと思います。
    今なら思います。昭和の学校の方がもっとほっとかれて良かったです!

  22. まみむ より:

    アラフィフ、50オーバーです。
    学校の環境についてはみなさん書いておられる通りだと思います。私の通った関西の郊外の小学校ではお酒飲んで授業に遅れてくる先生もいたりして、今の方がずっと先生たちはきちっとされていると思います。中学校ではギャング集団がいて先生に反抗したり窓ガラス割ったり、先生にケツバットされたり、というところは同じです。不登校は不登校かどうかはわかりませんが高校の時に一人留年がいたぐらいです。
    違うのは、地域や家庭かと思います。私が子どもの頃、70年代頃も今と同じでほぼ核家族でしたが、当時は子どもが多くて、子ども会も成り立ちましたし、地域での縦横斜めのつながりがまだありました。加えて2人親家庭ではお母さんはほぼ専業主婦という世代なので付き合いも比較的密だったと思います。私が子どもの頃隣のお家へ預けられたり、祖父母は一緒に住んでいなくても泊りにいったりと頻繁な行き来があり、子どもはかなり甘えさせてもらう環境もありました。当時は母も割と教育熱心で宿題のチェックなどはしていましたが、中学受験なんてものもまわりで聞いたことがなく、あまり、そちらに熱心に親が走るということもなかったので、、、、子どものスケジュールもゆるめ。
    弟はわたしよりは今でいうHSCっぽい特徴があるタイプでしたが、地域で野球チームがあって弟はそこでかなり鍛えられたようでした。
    総じて親だけが子育てしなくてもよさげな環境。親が子育てすることで孤独にならない環境があったのではないでしょうか。子どもからすれば、まあまあ自由にやれる環境、普通に小学校終わったら、かばんおいて遊びに行って。地域の中学校行って、みたいな。もちろん一人親の子どもやしょうがいのある子どももいたけれども多様性はあんまり表に出ないかんじで、学校に行くのが当たり前、親の方もクレーム言うことも少なく。中学校にあがるとか高校受験して高校行くみたいな通常のことが通過儀礼として機能してある程度子どももふるいにかけられつつ成長というかならされていく、ということが有効だったように思います。

  23. 匿名希望 より:

    50代、昭和真っ只中の小中学時代を過ごした主婦です。

    中学時代は、竹刀や三角定規を持った先生がいました。中庭でヤンキーに先生が取り囲まれるとか、卒業式に警察が来るとか…まぁかなりヤンチャな学校でしたが、不思議と不登校の子はいなかったと思います。
    ヤンキーだって、何故か学校には毎日来てたし。

    確かに不登校という選択肢がなかったというのもありますす。
    しかし、先生は厳しかったですが、今より色々なタイプの子に寛容だったんではないかと思います。
    それに、先生絶対主義だった故に先生対生徒という境がしっかりあったので、クラスで変わって子がいても割とみんなそれなりに過ごしていましたよ。

    今の時代は、先生も強く出られずアクティブラーニングの導入により、先生に都合の良い出来の良い子を中心にクラス作り…。
    良くも悪くも先生と生徒の境が無いので、先生➕大多数派の中に入れない少数派は、かなり息苦しさを感じるのでは無いかと思います。

  24. ut より:

    P先生
    ホットなお題、ありがとうございます。
    昭和48年生まれ、15の夜で過ごした中学生時代でした!

    振り返ると、小学校時代は放課後は教室に残り、トランプ遊びをする事もあれば、外遊びや基地作りなど、体と心を使って真っ直ぐ遊べました。

    初期のファミコンも友達とで一緒にテレビの前で遊び、同じテレビの内容で盛り上がり、、、等等
     
    そして中学生・思春期に入り、仲間外れを経験したり乗り越えたり友情を深めたり、しんどいながらも取り組みつづけたら、この支配からの卒業で、中学思春期を終え、楽しい初恋の高校時代へ突入しました♪

    当時は、雑に体当たりで暮らせたのかな。。私の親は、子供に寄り添い系ではなかったので、家よりも友達と過ごす方が楽しかったですし。
     
    その時代、時代の課題があるのかな?
    今の子供たちは、とても忙しそうに見えますね、習い事などで。

    どんな環境が、子供達の心を豊かにできるのでしょうか。いつも手探りです。

  25. みや より:

    学校に行かないっていう選択肢が頭になかった。

    熱が出て学校休んでも、することがないので家にいてもつまらなかった。

    先生も何にも縛られずのびのびと指導していた。算数の授業中に、先生が急にオルガンを引き出し、音楽の授業に変わるなんてことも。教科の学習以外でワクワクする取り組みを色々してくれました。
    35年以上たった今でも残る小学校の楽しかった思い出。

  26. かえで より:

    アラフィフ静岡県民です。
    先月から不登校中の小5息子は学校行ってた頃よりもずっと元気にのびのび過ごしています。

    私が中学生当時、学年(200人くらい)でひとりだけ不登校気味の生徒がいました。
    中3の頃、その子と同じクラスでしたが、担任の先生が毎朝家に迎えに行っていて週に1日か2日来ていた覚えがあります。
    他にも近所に不登校気味の後輩(中1)がいましたが、親が毎朝子どもを無理やり車に押し込んで学校に送っていたと母から聞いたことがあります。その子は毎朝学校に行きたくないと騒いで抵抗していて気の毒だったそうです。
    不登校は登校拒否と言われて、許されないことであり、クラスで一言も喋らない男の子も休まずきていました。
    登校しない選択肢がないなかで無理して学校に行っていた子はいっぱいいたんだろうと思います。
    子どもがたくさんいた団塊ジュニア世代なので、当時は今みたいに子どもの休む権利(?)が認められておらず、学校=絶対行くべき、でしたね。
    今思えば大人(親や先生)の言う事が絶対で子どもが尊重されていない時代でした。

  27. 女子の母 より:

    昭和42年生まれ。アラ環です。

    昔のほうが学校に行ってた理由とは関係ないかも知れないけど、
    「不登校」って、ちょっと前まで「登校拒否」って呼ばれてましたよね。
    なんか、「不登校」のほうが、軽く聞こえる、というか、市民権得た感じ。
    そのうち、「ホームスクール選択生」とか、もっと積極的なイメージの呼び名に変わっていくかもね。

    確かに、昔の方が、先生の体罰酷かったけど、学校休む選択は思いつかなかったな。
    学校で、みんな先生に当たられてたから、かえって結束力あったのかな。
    先生にビンタ張られたり、イヤミ言われて不本意だと思っても、親に言いつけたところでまた自分が叱られるから、友達と愚痴言いながら、翌朝も学校に向かってましたね。

    ただ、何人か同じパターンで思いつくのは、小学校時代、何かの不適応?で朝頭痛いとか、お腹痛いとかで学校休みがちだった子が、
    中学で不良仲間に出会った途端、元気になるケース。
    学校来ても学級崩壊させて勉強はしてなかった彼らを思い出すと、今の不登校の子たちと、どちらがどうなのか?、、、なんとも、分析できません。

  28. こあら より:

    他の方の投稿を拝見して、追記です。

    「学校行っときゃなんとかなる」
    「未来への希望があった」

    これは、まさしく昭和後期はありました。
    自分達の親が、高度成長期世代です。
    真面目に働けば、終身雇用で年功序列、在籍年数に比例して役職や給料が上がっていた時代です。
    仕事できなくても、先輩なら後輩より上。

    きっと私達は小さい頃から「真面目が1番。こつこつ努力する、続けることが大事」と大人から繰り返し刷り込まれていたと思います。

    算数苦手でも、国語得意なら良し。
    勉強苦手でも、足が早ければ運動会でヒーロー。
    真面目に学校行ってれば、苦手な部分があっても良し、そんな空気を親も先生も出していました。

    今は実力主義ですから、後輩に昇進抜かれたり、リストラにあったり、コロナや売上の影響で勤務先が閉鎖されたりしていますよね。

    頑張りが報われない時代の親世代を見て、未来の自分にワクワクは難しいよなぁ、、、。

    塾も昭和とは違います。
    昭和の塾は「サポート」でした。
    今の塾は金儲け主義がひどすぎる。
    塾で面談て。
    営業トークで不安を煽り、夏休みや冬休みの特別講習代まで払わせようとしてませんかね?
    それを親が真に受け、せっかくの長期休みも勉強。
    家、部活、塾のエブリディトライアングル。
    閉塞感反発ないだろー
    いつ気を抜くの?
    そのムシャクシャが陰湿ないじめに繋がっていませんかね。

  29. 世界のやまちゃん より:

    単に家の中にいても楽しいことがなかったので学校に行くほうがマシだったからだと思います。

    パワハラ上等の頭の固い親
    ネット環境なし、ファミコンのみ
    学校に行ったり街をぶらぶらしたり、外にいるほうが刺激的でワクワクできた

    今はネットの中にワクワクするものがたくさんありますからね。コロナ休校でそれに気付いてしまう機会があった、っていうのもあるかも知れません。

  30. やいだ より:

    アラフィフです。昭和と平成に義務教育を受けていました。
    昭和に不登校が少なかったのは
    行かない選択を受け入れられない昭和な親と
    行かない選択はありえない事情を持つ子の関係にありそうです。
    現在、小学生の不登校より中学生の不登校の方が多く
    わが自治体では中学生の方を優先して対応しています。
    ぶっちゃけ行かなくても何とかなることが
    今の子どもたちにはバレているし、親も容認している。
    増えて当然とワタシは考えています。
    選択肢が増えて良い世界になったと思うのですが。
    親の立場になると将来もあるから心配・・・

  31. しろ より:

    40代です。
    小学5〜6年のときの担任が本当にハズレというか、人としておかしい最悪な先生でした。
    教壇に髪の毛が1本落ちていたとか、誰かが勝手に発言した(騒いだとかではなくほんの一言)とか、黒板がきれいに消されてないとか、ほんとにささいなことでヘソを曲げて授業をしてくれないのです。(一週間に何度もです。)
    授業しないモードになると、窓際の先生の机で延々とワープロで何かを打っていました。
    数は多くなかったですがビンタされることもあったし、なにかの罰で男子が正座をさせられていて先生が教室中をモップがけしたあとその子たちの頭の上でモップをフリフリ(当然ホコリだらけです)するとか、今思うと本当に信じられない先生でした。
    何がきっかけで怒り出すのか、全くわからない。
    けれども、このクラスに不登校の子はいなかったのです。
    今思うとHSCの子とか、うちの息子みたいな発達障害の子がいたら学校に行けなくなっていたよなぁ…と。
    私自身はその担任のことは大嫌いでしたが、友達と過ごす時間が楽しすぎて学校に行かない選択肢はなかったですね。
    ただ担任が何かで休んだときにフリーの先生が代理で来てくれて、すごく楽しい先生だったので、1日中クラスみんなが笑って過ごせて、“あぁ、この先生が担任だったらなぁ”と思ったことは今でも鮮明に覚えています。
    担任を受け持たれた2年間の間、誰もどこにも訴えることはありませんでした。
    保護者も他の先生方も子どもたちも。
    保護者の中では教育委員会に訴えるという話が出たことはあったけど、結局立ち消えになったみたいです。
    今だったら誰かが週刊誌にリークして大問題になりそうですが、やっぱり当時は空気感が違ったような気がします。

  32. 匿名 より:

    もろ団塊ジュニア。50手前です。

    昔と今、何が違うといえば、
    今のように空気を読むことを要求されなかった。
    子供は公園で騒いで、道路でドッジボールやり、空き地に秘密基地を作り、自転車で隣町を、探検に行き。
    親も先生も大人も、子供に対してあまり細かくなかった。
    細かくない代わりに、怖かった。
    みなさんが書いてるように、
    学校で悪さすると、黒板の前に立たされて
    見せしめのビンタ、竹刀でケツバット。
    授業中チョークが飛んできたり、三角定規で頭を叩かれるなんて日常茶飯事でした。
    もちろん、女子にもやりますよ。
    ペタンコに潰してるカバンをこじ開けられたり、前髪を切られたこともあります。
    生理でもプール休めない、体育はブルマでやる。真冬の寒い時期でも半袖短パンブルマ裸足で校庭を走らされる。
    普通でしたね。
    選択肢がなかったから、多少嫌だったけど、
    理不尽とも思わなかった。
    そして、いろいろと配慮される時代に生まれた私の息子は中学で不登校になりました。
    今と昔、どちらが良いのかは、わかりませんね。

  33. 匿名 より:

    アラフィフです。
    中学校の廊下を自転車で走っている先輩がいました。
    今ならドン引き?とも思いますが、当時は、面白がるようなノリでした。
    ちょっとしたバツで、黒板用の大きな三角定規で先生に頭を叩かれたりもしていましたが、陰湿な感じはありませんでした。
    その他にも、先生達は今なら問題になりそうな指導もしていましたが、先生もそれぞれ個性的で(公立小中です)中にはぶっ飛んだ感じの人もいたので、普通・平均的なのが良し、という感じは今よりずっと少なかったように思います。
    自分の子供時代なら、放って置かれたような(ひとクラスの人数も多くてとても個別には対応できなかったように思います)集団で上手くやれない子も、今は取りこぼさず何とか引き上げないといけない。でも、余裕を持ってサポートできるほどの余裕は全然ない。となると、先生も子供も、辛いよなぁ、、と思います。もっと少人数だったり、2人担任制などにできれば違うのかもしれませんが。。
    個性を尊重“しないといけない”けど、実体は余裕や余白のない世の中になってきたのが、本音と建前の乖離が大きくてしんどい息苦しい感じに繋がっているような気がします。

    昔みたいに、先生達も夏休みは基本休みにしたら良いのに、、。それだけでも多少違わないかなぁ、、、。

  34. jane より:

    50代です。
    おっしゃる通り、昭和のイメージそのまんまの中学校でした。(都内、中心部の学校です)

    体育教師が竹刀持ってうろついていたし、定規でたたかれたり、チョークが飛んできたり、廊下に立たされたり、正座させられたりなんてことも日常茶飯事でした。
    ヤンキーがボンタン履いていたり、スカートが長かったり…窓ガラスも割れてたなぁ~
    今ではあり得ない環境ですよね。
    いじめもシカトや陰口等結構陰湿だったような気がします。

    でもなぜか不登校はいませんでした。
    私は体罰やいじめにはあいませんでしたが、学校には行きたくなかったです。でも学校に行く以外の選択肢(概念)がなかったような気がします。
    あと、家にいてもつまらないというのもあると思います。
    スマホもパソコンもゲームすらあまりなく、テレビも一家に一台。映画もレンタルビデオ屋にかりに行かなければ観られないし、家の中での娯楽が今と比べて圧倒的に少なかったです。
    友達とのやり取りも家電のみですし…
    ネットがないので、家にいても情報も全然入ってこなかったです。

    でも未来への希望には溢れていて、高校とか大学に行けばステキな未来が待っているとワクワクしていた記憶があります。

    今の方が学校の環境は安定しているけれど、子どもたちは現在だけでなく、未来にすら希望を持てていない子が多い気がします。
    今はネットの普及で、小さい頃から情報過多になっていて、いい面もありますが、悪い面もあるのかなと思っています。

  35. こまさん より:

    昭和末期に中学時代過ごしました。
    緑豊かな、ド☆田舎の中学でした。

    入学したての頃の授業中、担任がいきなり後方にむかって、

    「ゴルルァーー!!何しとんじゃーー💢💢お前らぁーーっっ!!」と怒声

    皆一斉に後ろ向くと、リーゼント&短ラン&ボンタンの3年ヤンキー男子2人が ヘラヘラしながら立っていて‥余裕で
    「えー授業参観!!」
    中々の衝撃でした。。今なら笑撃ですが、、  
    窓ガラスもよく割れてましたね〜
    ♪盗んだバイクで走り出す♪‥犯罪やろ

    一学年200人超えの団塊ジュニア世代ですが、、私は学校行かないっていうことすら思いつかず、幸運にも辛いことも殆どなかったこともあり理由なく通っていました。
    歯磨きに近い感じです。
    不登校が同級生にいた記憶もなし‥1つ上の人で1名不登校おられただけと思います。  

    ほんとに過酷な時代に不思議‥
    その時代の『空気』なのでしょうか

    元不登校の息子がタイムスリップして、昭和でやり直したらどうなってたやろう‥?
    不登校になれない空気感、地獄の苦しみを味わい3年間乗り切れたとしたら、、
    この支配からの卒業〜闘いからの卒業〜
    歌ってそうです(;´`)

  36. hana より:

    昭和後期、中高時代を過ごしました。
    良い子もちょっとワルも普通の子も、みんな学校に行ってましたね~。
    先生は竹刀持って校内を歩いていて、忘れ物をすると叩いていたし、職員室には灰皿がありました。

    何で学校に行ってたんですかね~?

    家にいても娯楽は居間にあるテレビと漫画くらいで、たまにならともかく長期となるとつまらないし。
    良くも悪くもいろいろ曖昧な時代で、今ほど息苦しくなかった?ような。
    勉強もスポーツも早期教育みたいなものはさほどなく、親が中卒や高卒で働いている人も多かったためか、普通高校でも一クラスは高卒就職組でした。
    今だと、普通高校は大学進学を目指す高校だと進路指導で言われますよね。

    当時は、勉強が嫌いでもなんとかなる、っていう風潮が親にも子どもにも、もっとあったような気がします。とりあえず学校行っとけばなんとかなる、みたいな。
    田舎だったからかもしれませんが。

  37. ポッチャマ より:

    うなぎパイ県在中の40代です。
    今は便利すぎるので子供達が自分でワクワクを探す事をせずに楽に楽しめます。スマホもなかったので好きな男子に電話する時は親に内緒で素早く公衆電話に入りこんでいました。
    友達に会う時もメールではなく直接家に行ってみたり。とにかく自分で動くのがワクワクするための条件だったような。今の子供達は世界が広いようで狭い中に住んでるのかなと。
    SNSに載せるだけの友達を探したり、良くも悪くも評価が気になるようで。う〜ん、うまくまとめられませんが、狭すぎちゃって特性有りの子を受け入れる余裕がなくなったのかも。

  38. タケノコ より:

    55歳女性です。
    先生と親の言うことは絶対に聞かなければならないと思ってました。それくらい怖い存在でした。
    なので学校を自分の気持ちや気分で休むなんて考えられませんでした。

    何の悪さをしたか覚えていませんが、そろばんの上に正座させられたり、ラケットの柄で頭を小突かれたり、体調が悪いと分かってるのに授業で答えられないと嫌味を言われたり…
    今ではアウトなことがまかり通ってましたね。

  39. モモコ より:

    不登校すると、親の方が面倒だった…と思います。話しが通じないですから。

    戦時中を経験した祖父母達は社会全体が理不尽の中で育ち、その人達が親になり私の親世代が育てられました。やっぱり子供の気持ちとか関係ないですね。見方によってはアダルトチルドレンだらけじゃないですかね。殆ど、そう感じます。
    両親からは「もっと親にこうしてほしかった。もっとこういう生き方がしたかった」という怒りと後悔と色々なものを感じます。だから子供(私)には出来るだけのことをしようという気持ちも感じました。だけど話し通じない笑
    この連鎖でしょうかね。
    理不尽を悪とすれば、そうでない親になろうと努力するし、理不尽な世の中にもっと多様性を求めて、外的要因を自分の都合に合わせて欲しいと望むように…望めば望むほど、そんなの全ての人に対して全ての状況でなんて叶わないですから、拘りが強く社会的に馴染めない部分が浮き彫りになる。
    学校もドタバタごちゃごちゃしていた時代の方が色んな意味で緩かった。今、先生達もお行儀良くストレス耐性が無さそうです。そして社会人経験も無い方が多い。言葉では多様性多様性と言いながら、実態は画一的な指導がエスカレートしているようで、学校へ行くと息苦しさを感じます。
    理不尽と寄り添い、画一的と多様性。矛盾したものがまるでゼロ百のように両極に引っ張り合って、真ん中(そこそこ)で済ませられる雰囲気じゃありませんね。

  40. こあら より:

    親や先生、大人が絶対で、「寄り添う」とか「本人のペースで」なんて皆無でしたね。

    悪さした男子生徒を黒板の前に並べて、学年主任が端から連続ビンタです。
    悪さしたら公開処刑です。
    生徒も親も文句言いません。
    クラスメートも不思議に思いません。
    悪さした奴らが悪いんです。

    陰湿さはありませんでした。
    大勢で無視なんてありません。
    発達障害であろう子も、「あいつはそういう奴」と受け入れて、排除した記憶もありません。
    表と裏、というものがなかったように感じます。
    以前も投稿しましたが、陰キャなどと大人しい子を下に見ることもありませんでした。
    強気な子も、もの静かな子も、個性として人の性格にケチをつける土壌はなかったと思います。

    今は都市部では近所の関りがあまりないですが、私の時代は「あの子がどこの家の子か」というのは、徒歩5分圏内の世帯は把握していました。
    平日の昼間に姿が見えようものなら、しかも連続休みだったなら、防災無線よりも早く噂が近所を駆け巡ったと思います。
    そんな状況を綾が許すわけがありません。

    同級生が万引し、家で母親に「もし私が万引でつかまったらどうする?」と聞いたことがあります。
    母親は真顔で答えました。
    「バッドで殴り殺して私も死ぬ」。
    この人には逆らわないで自分のやるべきことをやろう、と心に誓った15の夜です。

  41. もも より:

    昭和後半生まれです。
    学校が子供にとってより楽しくない場所により拍車がかかっていると、ネットやゲーム、スマホなどのテクノロジーの発展によって学校よりも楽しいことがより増えたという両方ではないでしょうか?

    私達が小中のころは学校でも楽しみなものやイベントがありました。例えば、学校の遊具やプール、先生も今よりはゆるい方も見えました。たまに教室でアニメ見せてくれたり余裕があったり、給食でクリスマスケーキが出てくるのも楽しみでしたし、ネイティブの外国人教師なんてほとんど見たこともありませんでした。
    昔、私達が学校で楽しみだったものは今の子供にとっては「当たり前」に近いのでは?ぐるぐる回る滑り台がある楽しいプールには土日に行けるし、クリスマスケーキは普通に売っています。英会話塾に行けばネイティブ外国人教師もいます。また、学校の遊具などは事故があったら危険だからということで昔よりも種類が減っています。(もちろん子供の安全は大切ですので一概に批判できませんが)
    また、先生方も余裕がなくなって、例えば、ただアニメ見せておくなんて時間の無駄使いのようことはできませんよね。

    友達だって学校に行かなければ遊ぶこともできませんでしたが今はオンラインゲームでつながることができます。学校行かなくても楽しいことは昔よりもいっぱいあります。

    その為、昔は学校で辛いことがあっても別に楽しみもあったから行くことができました。今の学校は、子供にとって、辛さを上回る楽しみが、かなり少ないのではないのでしょうか?

  42. 匿名 より:

    昔は、学校の先生も怖かったけれど、親も怖かったですからね。
    怖かったけれど、そこまで子どもに構う親も少なくて、子ども同士トラブルはあったけれど、大人が介入してくるなんてまずなかった。

    なので、子どもたちはトラブルにも理不尽なことにも、もっと耐性があったし、トラブルメーカーの子どもは、子ども同士ではいざこざがあっても、保護者にまで白い目で見られるなんてこともなくて、子ども同士でやりあっている分には、子どもたちも学校に行けるのかもしれませんね。

  43. 匿名 より:

    50代の母です。
    不登校と言う概念はなく、どうしても行きたくない時は腹痛や頭痛を理由にずる休みしていましたが当時は家でする事がないんです。
    スマホは勿論、ゲームすら今のように普及しておらずテレビは同居していたため祖父母が見ていて
    ずる休みしていて見る事も出来ず。
    漫画や小説を見るしかする事がない。
    3日も休むと本当に退屈でした。
    コンビニも当時は近所にあるはずもなく本当にする事がない、行く所もない。
    友達が帰りに給食のパンを持って来てくれて明日はおいでよ〜待ってるよ〜の一言につられてて、次の日には登校していたように記憶しています。

  44. 不登校の親 より:

    昭和うまれの50才です。
    中学の時11クラス中、一人いじめから不登校がいましたが、そもそも学校にいかない選択なし。
    わたしの場合、先生より親のほうが怖いし、家にいたくなかった。
    あと、今の子供たちは、昭和と違って
    小さい頃から習い事いっぱいして、親には干渉されまくり、管理されまくり、やっちゃいけないことが多すぎて、公園ではボール禁止とか
    たぶん、人としての
    たくましさがそだっていないのかもとおもいました。

  45. まぼ より:

    ヤンキーがシンナーふかしてたむろしているような大荒れの中学にいましたが、不登校は学年で1人くらいでしたね。場面緘黙の女の子が登校を嫌がっていた時には、お母さんが泣き叫ぶ子を正門まで引きずってきたのをクラスのみんなで見物するという地獄絵図もあり、「登校拒否をするなら来た方がまし」だと思っていました。

    あとは今のように発達障害の診断をしないので、特性強めの子もクラスに何人もいて、その意味では昔の方がクラス内に多様性がありました。少々集団行動ができなくても勉強できなくても、クラスの仲間でした。

    今回のデータを見ると、教育機会確保法が施行された平成29年度あたりから増え幅が大きくなり、コロナでブーストかかったようにも見えますね。
    スマホやオンラインゲームなかったとか、専業主婦が大半だったとか他にも色々違いはありますが、関係あるのかないのか。ほんとに誰か教えろください。

  46. ちい より:

    皆さんおっしゃっているように誰も休んでないから悪目立ちしたくなく行っていました。昔から人の目を異常に意識する質でしたが、ある時友達に無視され、恥ずかしさで行くのが辛かったですが、学年(学校?)で不登校の子がいなかったので休んだら皆の注目を集めてしまう、と思うとそちらの方が気が重く行っていました。今のように周りにも休んでいる子がいたり、ネットで同じような環境の子と繋がれたりしたら行かなかったかも?

  47. 朝はチーズパン より:

    どうしてなんでしょうね。つらつらと考えてみましたが、昭和の学校には不登校という概念は存在しなかったように思うんですよ。知らないものは選択出来なかったように思います。
    タピオカミルクティーを知らなければ飲みたいと思わないのと一緒で。
    流れが変わったのはたぶん、学校に行くより命を絶つ方を選ぶことがあいついで、そのことが大々的に報道されてからではないでしょうか。
    先生が平成育ちなのにちょっとびっくりしました。すみません‥あとウナパイは愛知だと思ってたんで勉強になりました

  48. 匿名 より:

    昭和から平成になる時はちょうど中学3年生
    「学校に行かない」という選択肢がありませんでした
    「行きたくない」から休もうという考えが一般的ではないというか、「部活でもめてるから行きたくないなー」と思っていた同世代の夫も、なんだかんだと登校していたそうです
    周囲を見ても「今の不登校」のような生徒はいませんでした
    不良グループでさえ、改造学ラン&ペラペラのカバンでちゃんと登校していました(尾崎豊の世界は過去の話…)

    私自身はアニメやマンガにハマったタイミング
    話の合う同級生とイラスト交換したり、描いたマンガや小説を見せあったり、昨日の放送の感想を言い合うために学校へ行っていました
    それらは「学校で、友達相手に」しかできなかったので、登校しても授業は二の次、友達と趣味を共有する目的の方が大でした
    今は同級生に求めなくても、それらはすべてネットの中で完結してしまいますね

    私と我が子の学校生活で、一番大きな違いは、アクティブラーニングの導入だと思っています
    今は「主体的・対話的で深い学び」と言っているそうですね
    グループで話し合ってまとめて発表とか…あれは辛い子がいるだろうな…

  49. おばさん より:

    50台前半。
    不登校、居なかったてす。
    みんな、金八先生をみて、触発されたのでは?
    不登校する、ひきこもる、とか、金八先生で知っちゃったとか。

  50. 匿名 より:

    40代地方生まれです。
    義務教育でいじめられた時期もありましたが学校に行かない選択肢は無かったです。不思議ですね。
    体罰当たり前で、大人(親や先生)に絶対的な権力があった時代です。行かないともっと大変なめに合うのが子供心に分かっていた気もしますね。
    不登校が少なかったのは、マイナスな理由が多いのではないでしょうか。

  51. 匿名 より:

    40代地方出身です。
    小学校は3クラス、中学校は7クラスありましたが、不登校の子は中学校に入って1人だけでした。

    地方だったので、クラス替えがなかったんです。6年間。
    中学校も3年間ありませんでした。
    担任も小学校は3年間変わりませんでしたし、中学校も3年間同じ先生でした。
    いじめがあったり担任と合わなければ地獄でしょうが、環境が変わらないというのは変化に敏感なお子さんたちにとっては良かったのかもしれません。

    でも本当に不思議。
    なんで昔は不登校少なかったんでしょうね
    ぇ…
    理不尽に殴ってくる先生もいましたし、漫画のような話ですが、本当にハリセン持ってる先生もいました…。

  52. comic bear より:

    子供が不登校の40代の母親です。自分も学校に行くのは辛かったけど行ってました。なんでか…中学校1学年8クラスあって学年で不登校の子は2.3人。不登校の子はみんなに「なんであの子来ないの?」と噂されお姉ちゃんが不良だからとか、親が働いててななにも言わないとか色々言われてました。それを言われるのは嫌だし、そもそも不登校なんて選択肢知らないし、親にも先生にも怒られるから仕方なく行ってた…という感じです。今は周りの友達や先生や親の理解もあるし不登校中の選択肢も少しは増えてるから不登校が増えたのかなと思ってます(まだまだ制度的にも経済的にも選択肢は少ない気がしますが)
    不登校の人数を調べる暇があったら不登校の子の受け皿とかをもっと充実されてくれって思いますけどね

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