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”〇〇くん係”

発達に課題がある子。

うまく授業に乗れない子。

ちょいとお手伝いが必要な子。

 

そんな子の隣にいてくれる、「〇〇くん(さん)係」。

世話焼きの、しっかりした子が任命されることが多い。

 

これさ。

僕、世話を焼かれる側と焼く側、どっちの意見も聞く機会があるんだけど。

 

お世話される側の人へ

ありがたいですよね。

非常〜〜〜〜〜にありがたい。

 

先生の指示を聞き逃しても、こっそり教えてくれる。

必要なものを一緒に準備してくれる。

教室移動のお手伝いをしてくれる。

 

とても頼りになる。

 

なんなら、不登校の子の心の支えだったり。

先生が配慮して、お世話係の子を同じクラスの隣の席にしてくれる。

修学旅行の班分けで、同じグループになってくれる。

 

安心感が増す。

学校に行きやすくなる。

 

休んでも、家にプリントを届けてくれる。

ノートをコピーさせてくれる。

 

女の子
女の子
いいよいいよ。

明日は学校に来てね。

待ってるよ。

 

ありがとう!!!!!。°(°´ω`°)°。

 

神様かな?

前世マザーテレサ?

どんな徳を積んだ?

スーパーひとしくんを積んだのかな?

 

 

だけど、ふと不安になる。

 

あの子に迷惑かけてるんじゃないかな。

負担になってない?

 

あの子が離れちゃうと、本格的に一人になる。

あの子にもあの子のペースや生活やがあって、自分のやりたいこともあるはずだ。

これ以上迷惑をかけたくない。

 

でも、どうしたらいいか分からない。

こんなにお世話になって、一つも恩返しができない。

あぁ自分ってやつぁ……。

 

そんなふうに思い悩むこと、きっとありますよね。

 

 

いいです。

今はお世話になっていいと、僕は思う。

 

相手との関係にもよるけど、嫌な顔せずお世話してくれるなら、好意に乗っかればいい。

 

人に迷惑をかけろ。だ。

人に迷惑をかけろ! 「あなたは人に迷惑をかけて生きているのだから、人のことも許してあげなさい」 え、これって有名じゃないの...

 

今は迷惑をかけるフェーズだ。

弱っているときは、助けて貰ったらいいよ。

 

「ありがとう」の気持ちは忘れずに。

一人に負担が偏らないよう、可能なら助けてもらい先を複数もったり、もちろん自分でできることは自分でやって。

それ以上のことは「ありがとう」だ。

 

 

大丈夫。

元気になったら恩返しすればいい。

 

そんな日は来なさそう?

それも大丈夫。

その子に直接返せなくても、将来的に困っている人に手を貸せば。

そんな人になってほしい。

だから今は、元気になることに集中してほしい。

 

そうやって、世界が優しさで回ると、すごく良いと思う。

 

お世話する側の人へ

いつもありがとうございます。

あなたは、周囲の人から信頼されるしっかり者ってことだ。

すばらしい能力であり、すばらしい行動力。

とてもステキ。

 

でも。

 

キャパは大丈夫ですか?

 

あなたにはあなたの人生がある。

当然だけど、あなたが優先だ。

 

人のお世話をするのは、そりゃ褒められることであり、「良いこと」だ。

でも、当然だけど、あなたにはそれを断る権利がある。

当然のことなんだけど、忘れてない?

余裕がないときは、人の手助けなどしなくてよいのだ。

 

 

お世話係に任命されるのは、大抵マジメなしっかり者だ。

周囲をよく見ている子。

優しい子。

平和主義な子。

HSCタイプに多いように思う。

 

確かに、あなたは人をよく見ているし、欲しいときに適切な手助けをする。

かゆいところに手が届く。

嫌な顔一つせず、「〇〇くん(先生、クラスのみんな)が喜ぶと自分も嬉しい」とか慈愛の塊みたいな発言をする。

それは本心だと思う。

 

でもさ。

疲れますよね。

 

 

いつもお世話ありがとう。

だけど、自分が優先です。

自分をすり減らしてまで人のお世話をする必要はない。

 

自分がみてあげなきゃ

自分さえ我慢すれば

といった発想は、見上げた心がけだ。

が、それでは事態は解決しないのだ。

誰かの我慢の上に成り立つ関係は、非常に脆い。

 

ぜひ、あなたの負担にならない範囲でお願いします。

無理なときはハッキリ言ってください。

 

周囲の大人へ

この、「お世話係」。

一見良いシステムだ。

 

お世話される側は非常に助かるし。

お世話する側も、「友達を助ける」という『いいこと』をするわけだ。

 

でも、任命は慎重に。

いや、大人が任命なんてしちゃいけないんじゃないか。

 

任命される子、つまりお世話する子に、負担となる可能性がある。

任命されるような子は、真面目で正義感が強く、大人の期待を非常に敏感に察知する。

自分を殺して期待に応えようとしてしまう。

 

イライラして、でも「もうお世話はイヤ」とは言えない。

そんな『悪いこと』、言っちゃいけないのだ。

「お世話したくない」という本心を正面から認められない。

真面目で、正義感の強い子だ。

 

消化できないイライラを、お世話する相手にぶつけるケースもあるようだ。

これでは本末転倒。

 

 

お世話される子だってそう。

もうほっといてほしいのに、お世話係がいるとそうも言えないかもしれない。

自分でできること、やるべきことを、お世話係に丸投げする可能性もある。

すると、この子の成長チャンスを逃す。

 

 

「お世話してあげてね」と任命するのは、危険な賭けだ。

お世話される子にも任命される子にも、そうなった理由(性質や特徴)が、きっとあって。

それゆえ、関係がこじれやすい。

 

もともと二人に関係ができており、自然発生するならいいと思うんだけど。

お世話する子が自発的にお世話し、お世話される方も自分からお願いできるケース。

嫌なら、当事者同士で切ることができそうだ。

 

その土台がないのに大人が役割を与えるのは、危険だと思う。

特に、特定の子に「お世話係」を固定するのは、非常に危険だ。

多数の子で分散するか、いや、基本的には大人(先生)がお世話する方がよい。

子ども同士の互助は、自然発生の範囲に任せるのが無難だと思う。

 

まとめ

お世話係。

きれいに見えて、結構あやうい制度だと思う。

 

お世話される子へ。

気持ちよく手伝ってもらえるよう、愛されキャラを目指してください。

今は手伝ってもらったらいい。

「ありがとう」を忘れずに、失敗したら「ごめんてへぺろ」でお願いします。

人の話を聞く力 〜愛されキャラのススメ〜ASD、もしくはADHDの子。 特性のせいでトラブルが起きることってあると思う。 ないに越したことはないんだけど、まぁあるよ...

 

お世話する子へ。

そんな立場にいる自分に、まず誇りを持ってください。

でも、無理のない範囲で。

嫌なら嫌と言ってください。

 

むしろ、「嫌なことを嫌と言えるか」は、あなた自身の課題です。

嫌なことも、期待されると引き受けちゃってない?

それは、相手の子は関係なく、あなた自身の問題です。

誰かのためにあなたが我慢する必要は、ないのです。

POSTED COMMENT

  1. 佐々木豊作 より:

    子供に掃除当番をさせなかった
    村上世彰の話を思い出す。

  2. とろろろろ より:

    お世話される子、お世話する子がいる陰で「調整係」がいます。人数調整役です。
    お世話係ではないけれど、
    “どのグループでも上手くやれるよね?”という子達が大人の都合であちこち行かされます。
    そんな子たちも嫌と言えず苦しんでいたりします。

  3. 匿名 より:

    こんばんは
    お世話係、上の子が担ってました。
    任命されてはいませんでしたが、びっくりするぐらい、必ず支援級に時々行ってる子が席の隣になっていました。中学生の時もADHDを公言?している子が3年間同じクラスで。
    でも、本人同士は仲良くやっていました。

    そして、我が家の第二子は(おそらく)お世話係の子が常に隣の席になっていました。

    そうですね、先生がおっしゃる通り無理はいけませんが
    お世話係系の第一子によると、
    「いわゆるイケてる子達は苦手だった。放課後もお世話していた子達と遊んでいた」との事。本人は上から目線でもなんでもなく、いけてる子は意地悪、らしく笑

    心から仲良くしていましたね。お世話係もどこへやら、お世話されてた子は高校生になり、しっかり成長して我が子のお悩みを聞いてくれてました。
    なんだろう?これって親があれこれ口出しできない尊い事だなあと当時は思ったものです。

    なので、下の子がお世話される立場になった時、ありがたいなあ、素直にお世話してもらおうと。お世話係の子の親の立場も逆も経験して。良かったなと思います。

    ちなみに
    お世話される下の子のお世話係の子は
    バレンタインチョコくれたりとか。好きです手紙くれたりとか。
    親の気持ちを超えて、子供ってすごいなあ、いいなあ。(でもよくわからない…)と思ったものです^ ^
    懐かしくなりコメントさせていただきました^ ^

  4. お節介でごめんなさいオバさん より:

    もう、50年ほど前になりますが(笑)、私も今でいうADHDの男の子の隣に座らされて、立ち歩いたり大声だすの静止したりしていましたね。義務教育9年間のうち、8年間一緒でした。
    学級委員もほとんどずっとやっていました。
    その子の他にも、自分のテストが終わったら、わからない子に教えてあげて。といわれてお友達に根気強く3ケタの掛け算教えていたこともあるし、中学の時は自習中に男子が大騒ぎして、先生に「学級委員のお前の抑えが悪いからだ」と、クラス全員の前で私だけビンタされたこともありました。(みせしめ、、、←もうメチャクチャな時代でしたが笑)
    その頃は、そういう役割に不満や疑問を感じたこともないし、使命感?というか、自分のやるべきこととして捉えていました。
    その後、高校ではスポーツ部のマネージャーしていたし、看護大学を出て保健師になりました。
    、、、そして30代からウツを患い、もう20年以上薬が手放せません。
    今でも、すごく周りの人の動向や、心の動きが読めてしまい、自分からそこに介入して改善しようとしてしまいます。
    、、、なんなんでしょうねー。そういうお節介で責任感の強い性分なのか?今でいうHSCなのか?
    今になって考えると「あの頃の自分は、騒いでる子たちのお世話を焼いて、一人正義感で優越感に浸っていたのではないか?」と自分を責めてすらいます。
    あ、でも、その頃騒いでいた男子たちは、今でも飲み会に誘ってくれて「お前も丸くなったよなー」とか呑気に言ってるんで、恨まれてはいなかったみたいですけどね。
    今、家族はいますが、もう、人と関わることがキツくて、仕事はおろか、あまり外出もしたくありません。今までの長い疲れが出ているのかな。
    学校のお世話係っていうのは、ADHDとHSPの作用を大人が最大限に利用した形なのかも知れませんね。でも、お互い、裏もなく純粋に向き合っていれば、子供たち双方の信頼関係は築けているのかも知れません。

  5. 匿名 より:

    うちの自称HSC中学生、小学校時代はLDの子のお世話みたいなものでした
    その子とは6年間ずっと同じクラスでした
    お世話は自発的だったし、その後も強制されていたわけではないと思います
    ただ人数からみると6年間同じというのはすごい確率で、もしかして…と勘ぐります

    息子は、中学校に進む段階で別の学校を受験し、そのLDの子を含めて仲が良かった子ともほぼ縁を切りました
    相当無理をしていたのだそうです
    けれど、人のお世話をしてきた息子は、中学校でも人の役に立とうとしてうまくいかず、結果「本当の自分を出す」ということができなくて不登校になっています
    「○○くんは真面目で優しいです」という歴代の先生の評価をそのまま受け止めていた自分を悔やんでいます
    私もどの先生も、息子の辛さを見抜けませんでした
    「○○くんは真面目で優しいですが、ちょっと気になります」という先生がいれば変わったかもしれません
    小6の先生だけは少し感づいたようですが、その頃にはもう遅かったです

  6. こあら より:

    家族がお世話になっている人がいます。

    「僕、小学校6年間、お世話する係でした。」と以前話していました。
    ある男の子とずっと同じクラス、となりの席だったそうです。
    でも、嫌々やっていたのではないそうです。
     
    現在の彼の職業は「ヘルパー」です。
    昔、男の子を支えていた彼は、大人になって沢山の人を手助けしています。
     
    子供の頃から優しい人なんだなぁ、と思います。

    福祉のお仕事をしている方々に接すると、許容量のバケツが大きい、という印象を受けることが多いです。

    うちの娘、ストレス耐性のバケツが小さく、すぐあふれてしまいます。

    皆同じサイズで無理して頑張っているわけではないんですよねぇ。

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