不登校

コロナ禍で子どもたちが失ったもの

とうとう、コロナが5類になりましたね。

いち医療者として、僕は非常に嬉しい。

診療が圧倒的にやりやすい。

 

なに、まだなってない?

5月8日からだって?

まぁまぁ、細かいことは気にしなさんな。

 

コロナが奪ったもの

コロナが流行して3年。

もちろん、流行開始の頃もいろいろ制限を受けて大変だったわけだが。

 

もろもろ解除されてきて、今だからわかる「あぁそれかー」がある。

今だから見える、「コロナさえなければ結果が違ってただろうね」がある。

 

 

コロナは、子どもたちからコイツを奪っていった。

 

経験

 

です。

コレですね。

 

 

母
先日の運動会に参加できませんでした。

直近の3年間、行事系はすべて中止だったので、イベント事が苦手とは気付きませんでした。

 

おぉぅ。

初めての運動会が今年、とな。

 

幼稚園では、運動会的なそれはあったが、クラスごとの小規模、しかも観客ナシだった。

それが突然、小学校で超大人数! 保護者もわんさか! に直面したらしい。

 

固まって、動けなくなったとな。

 

それなー。

確かに、幼稚園から何度か経験していたら、ここまで面食らわなかかったかもしれない。

「運動会って、保護者とか来賓とか来て、よーいどんのピストルがうるさくて、こんな感じ」って想像できただろう。

 

 

こういったイベントの類は、年齢と共に規模が大きくなる。

幼稚園より小学校、小学校より中学校で大きい。

これに少しずつ慣れていけば、そこまで圧倒されない。

 

それが、マルッと3年抜けちゃったんだよね。

コロナで。

大規模になればなるほど、面食らうし、失敗も怖くなる。

不安で動けなくなるのもわかる。

 

 

運動会以外にも、音楽会だの宿泊行事(移動教室や修学旅行)だのが中止になっている。

もっと言うと、日々の給食だって黙食が急に解かれたところだ。

これまではマスクをしろ、今度はマスクをとって素顔を晒せとかとかさー。

 

なんか、突然やれと言われても……ねぇ?

 

慣れてないんだよね。

抵抗ある。

 

 

コロナは経験を奪った

 

「徐々に慣れていく」を奪った。

と、僕は思う。

 

経験の大切さ

子どもたちを見ていて、思う。

経験って大事だなぁ

と。

 

なに全人類が知っていることをドヤ顔で書いてるねん。

そりゃ経験は大事に決まってるやろがい。

 

そうなんだけどさー。

 

 

子ども頃の経験って、有無を言わせず押し付けられるものが多い。

例えば上記の運動会だってさー、参加を申し込んだ記憶ないじゃん?

僕は記憶にないんだけど、みんな申し込んだ?

申込書、書いた?

気づけば勝手にエントリーされ、勝手にリレーに組み込まれていたと思うんだけど。

 

勝手に入会し、実質強制されるPTAと一緒だ。

大人がベルマーク集めるのと一緒で、子どもたちは強制的にリレーに駆り出され、組体操では上の子を支えるのだ。

強制参加だ。

 

 

大人のベルマークを集めとは異なり(こりゃやっぱダメでしょ)、子どもはある程度強制的に活動を割り当てても良い気がする。

子どもだから。

経験がないから。

「まぁまずやってみて」ってさ。

 

この強制割り付けの結果、子どもは『慣れ』ていく。

運動会ってこんなもので、リレーで転ぶとこんな感じで、運動会はこのくらいのモチベーションでいけば良いとわかる。

『経験』を得るわけだ。

 

運動会に保護者が来ない児童は、賑やかな校庭を横目に、薄暗い教室でぼっち飯をすると知る。(やめて、それ僕の悲しい過去!)

これもまた『経験』だ。

 

 

人に何かを無理やりやらせるって、もちろん良い面ばかりではないけれど、悪い面ばかりでもない。

実際、「選択肢なし・強制参加」の運動会は、子どもたちに『大きなイベントの経験』をもたらす。

 

僕はぼっち飯の経験を通じ、「ぼっちって気楽やん」と知った。

これも『経験』だ。

これが以降の一人焼肉や一人夢の国につながるわけだ。

 

 

子どもは、不本意でも経験する。

不本意ながら、経験する。

 

経験は、その時はつらくても、社会性を身に着ける上で役に立つと思う。

経験って、大切だ。

 

コロナで得たもの

もちろん、コロナは奪うばかりではない。

物事には、デメリットがあれば必ずメリットもある。

 

コロナが与えたもの。

 

選択肢

 

だと思う。

 

 

以前も書いたが、コロナ全体でみると、発達やこころ界隈ではメリットが勝つように思う。

選択肢が増えたから。

 

不登校なんて顕著で、学校は「絶対に行かなきゃいけない場所」ではなくなった。

休んでもいいんだ、今はみんな休んでいるんだと知ることは、子どものメンタルを安定させた。

コロナ禍と、子どものメンタルコロナが流行し、不登校が激増した。 らしい。 コロナとメンタルの関係で、ネガティブな話を聞くことが多い。 ...

 

選択肢が与えられた。

休校で、じゃあどうやって過ごすかとかさ。

勉強はオンラインでもできるんだとか。

「みんな絶対こう!」じゃなくて、目的を達成する方法について、選択肢が与えられた。

 

学校が合わない子、発達にデコボコがある子、変わった玉を持っている子にとって、選択肢が増えるのはありがたい。

だから、全体で言うとコロナは、どっちかというとプラスな気がしてるんだけど。

 

経験を補う

コロナの経験から拡大解釈して、思うことがある。

 

やっぱり、経験って大切だ。

 

以前どこかで書いたけど、大昔はきっとひきこもりはいなかった。

外に出ざるを得なかったから。

マンモスを追いかけざるを得なかったからだ。

 

強制的に経験が与えられた。

時代背景的に、社会に出ないと生きていけなかった。

ひとりでマンモスは狩れないから、みんなで協力するしかない。

社会生活を営まざるを得なかった。

だから、経験が積み上がった。

 

 

翻って現代。

引きこもっても生きていける時代だ。

社会から距離を置いても、死にはしない。

生きてはいける。

 

でもこれをやると、経験が圧倒的に不する。

 

特に、不安の強い人。

不安が強く経験しないので、余計に不安になる。

 

不安を軽減するのは、経験だ。

経験がないと不安が強まり、結果、さらに経験しなくなる。

この悪循環は、やっぱりあるよなぁと。

 

 

子どもで引きこもり様の問題が生じるのは、不登校だろう。

不登校は、経験が不足しがち。

努めてこれを補いたい。

 

不登校は、無理に押さないのがセオリーだ。

僕も重々(そりゃもう重々!)承知してるんだけど。

でも、時には押す必要もあるよなーと、臨床の現場では思う。

 

不登校で失うのは、経験の『機会』だ。

その代わりに得るのは『時間』。

 

不登校イコール経験を失うってわけじゃない。

学校で経験する『機会』を失うだけ。

 

じゃあ、得た時間をうまく使い、経験を補いたい。

まぁ、それが難しいんだけどさ。

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あ、ぼっち飯は数回経験するとさほど気にならなくなりますよ。

特に運動会ぼっち飯をやっておくと、一人焼肉なんか超余裕です。

一人で夢の国も行けちゃいます。

オススメです。

POSTED COMMENT

  1. のん より:

    小6完全不登校女子の母です。そうなんですよね…経験値。学校行けてると自然と上がる経験値。「嫌だった」というのも経験してるから分かること。強制的に何かをせざるを得ないという場も大事ですよね…。でも今の娘は全拒否なので難しい。まずは本人のやりたいことからを手がかりに経験値を上げていくしかないんでしょうけれど、これでいいのかいつも悩みます。

    ちなみに…私もぼっち飯平気です。ファミレスもひとり焼肉屋も問題なく美味しく食べられます^^;

  2. しろ より:

    私もぼっち飯、わりと平気です♪(牛丼、ラーメン、ファミレス…)
    行ったことないけど、焼肉もたぶん平気です(*^^*)

    本当にコロナはないほうが良かったですが、あのとき経験できたことは息子にとってメリットが多かったなぁと思います。

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