前回の続き。
僕は、診断推奨派。
実際に困ることが起きているなら、「個性」より「特性」として捉えたい。
対処しやすいもん。
特性であれば、それはどんなタイプなのか。
どんな傾向があって今後どうなっていくのか、既知の医学情報を利用した方がお得という考え。
なんだけど!
実際、僕はあまり診断をつけない。
これだけ言っておいて、なんなのコイツ、サイコパス?
いえいえ、事情があるんです。
診断のその先
というのもですね。
診断するなら、その先を見据えて
だから。
診断だけしてハイ丸投げ! ってのが最悪なのだ。
診断したからには、その後どうするかのプランニングが絶対に必要。
診断だけされてハイ終わり! だと、宙ぶらりんのまま困りごとに直面し続けることになる。
特性は「ある」。
じゃあ次、どうする?
↑ここを考えないといけない。
特性をどうケアするか。
トラブル時にどう考え、どう対処するのか。
今後の見通しはどうで、将来的にどうなりそうか。
ここはあえてトライさせるか、致命傷になりそうだから大人がフォローするのか。
この辺がマルッと欠落し、「診断」だけぶら下がっている状態。
これ、非常に始末が悪い。
僕のスタンス
僕の住む地域では、診断の有効性は限定的だったりする。
療育や通級を利用する際に必須ではない。
合理的配慮は、診断がなくても受けられるし。(受けられない場所では診断があってもきっと受けられない)
手帳も、この地域では正直あまりメリットがない。
はっきり「診断」という形が必要になる機会が、あまりないのだ。
※地域によって異なります。
だもんで、診断するか否かは、個人によるところが大きい。
具体的には、親御さんが「診断」として特性を受け止めたいとか。
周囲に説明する際にわかりやすいとかさ。
そんな理由で診断することが多い。
すごくはっきり診断がつく人には、周囲の状況抜きに伝えることもあるけど。
僕の外来にはそんな人は多くなくて。
もっと曖昧な、グレーな、置かれている環境や医師の匙加減で診断がついたりつかなかったりする人が大多数。
だから僕は、親御さんと相談の上で診断をどうするか決めている。
診断、つけますか?
親御さんの考えを最大限汲もうと思っている。
診断をつけない場合は、「診断とはしないけどこういう傾向があって、今後はこんなことで困ると予想されます」的な説明をしている。
診断をしなくても、その後のフォローはちゃんとやろうと思っている。
フォローが大事
いずれにしても、その後のフォローが重要だ。
診断がつこうとつくまいと、特性は「ある」。
診断によってその子は変わらないからね。
特性はあるのよ。
じゃあその特性を把握し、ケアしていきましょうって話だ。
定型発達だってそうじゃない?
誰でも自分の個性や特性を知ってケアする必要ってあるじゃん?
例えば僕だと、自称ASDだけどAS「D」(障害)ってレベルなのかというと疑問だったりする。
きっと診断レベルではないのだろう。
でも、空気の読めなさとかマルチタスク苦手とか過集中後のポンコツモードとか感覚過敏とか疲れやすさとか、諸々ケアしながら生きていくのだ。
特性の把握と、その後のケアが重要なのだ。
人はそれぞれに得意・不得意があって。
自覚し、ケアしながら生きていく。
僕は、発達障害は定型発達の延長線上にあると考える。
人間なんて、みんなカオスだ。
みんなケアが必要で、中でも特性が強い人には特に手厚いケアが必要って話だ。
トラブルの回避
上記が、僕が診断をあまりつけない理由。
実際、診断つけるか聞くと、断る人の方が圧倒的に多いのよ。
今は不要ですとか、つけると何かいいことがありますか? って。
つけても特段の変化がないとなると、じゃあ不要ですと。
診断という形にはせずに、困りごととしてその都度外来でフォローしていくことになる。
はっきりと「診断してください」って人も、もちろんいる。
その場合は診断をつける。
でもね。
ぶっちゃけこのパターンの人って、あんまり受診を要さなかったりする。
診断を求めてくる親御さんって、どんな目的で診断し、その後どうマネジメントするかまで考えた上で受診している。
だから、あまり困らない。(素晴らしいってこと)
病院の役割は、投薬とか書類とかの事務的な部分のみになる。
「困りごとの相談」という形では、あまりつながらない。(マジで素晴らしい)
はっきり「診断してください」って言われると、正直僕は「おっ」と思う。
その結論に至るまでの考えがあれば、僕はもう口を出す必要がない。
逆に、はっきり診断される覚悟がない人にうっかり診断をつけると、トラブルになることがある。
ここだけの話ね。
診断を受け入れる準備がない人。
前回書いたような、「健常」と「発達障害」の二項対立で考えている人とかさ。
診断をつけると、怒るのよ。
「そんなわけない!」とか、「じゃあこれからどうすればいいんですか!」みたいな。
もしくは、めちゃくちゃ落ち込む。
世界の終わりのように。
これ、メリットがないのだ。
医療不信になるか、不安のどん底におとしいれるか。
いずれにしてもケアから遠ざかる。
もしくは、受け取り拒否ね。
こっちは診断したつもりでも、親御さんは「されてませんけど?」って。
認識の違いから後々トラブルとなる。
で、案外そういう人って多い。
だからはっきり診断しづらかったりするのだ。
診断が欲しい人からしたら、何をゴニョゴニョ抜かしてんねん! ってなると思うけど。
そういうことなので、はっきり伝えてほしい。
「診断してくれ」って。
言ってください。
言ってくれると助かります。
まとめ
「特性」は知っておいた方がいい。
でも「診断」は取り扱い注意だったりする。
診断して欲しい人、欲しくない人、違うって言って欲しい人、心の準備ができていない人。
いろんな人が病院に来る。
自分がどうしたいか、はっきり伝えていただけるとコミュニケーションがスムーズになると思います。
息子が10年前に受診した時、主治医の先生が「診断いる?いるなら出すし、いらないなら特性や関わり方だけを伝えます。」と言われました。
最初はどういう意味なんだろう?と思いましたが、いろんな考え方の保護者さんがいらっしゃるからなんですね。
我が家は診断がつく状況なのであれば診断をもらわない理由が分からなかったので、診断いただきました。(自閉スペクトラム)
私が住んでいる自治体では、診断がなくても支援級に通うことは可能(教育相談をして状況で教育委員会が判断)だったので、診断を受けない選択をするご家庭もあるのかもしれないですね。
でも、診断を受けないことのメリットは分からないかも。。。烙印を押されるわけではないのに、と個人的には思います。
メリットデメリットで判断、すごくしっくりきました。
うちの自治体は、診断や手帳の有無が、合理的配慮や生活にとてもプラスに働くため、診断したい先生が多い気がします。
(診断がないと支援級や通級がNG、診断があれば簡単に精神の手帳が貰えて親子で公共交通無料&テーマパークなども親子で半額)
療育も診断なしだと受けれません。
なお、放課後デイサービスは1ヶ月31日で4600円か2300円。
しかも、一度幼い時に診断されたら、その後ほとんど特性が見られなくなっても、診断が生き、超低価格で、学童の方デイや、習い事な中学受験の方デイも利用できるので、取ったもん勝ちみたいな感じです。
その為、新しく開業された小児精神の先生が、診断をつけなかったことに違和感を感じたのですが、P先生と似たようなご意見だったのかなと思いました。
なるほど~って思いました。子供の主治医が基本的には診断は出しません!と最初に言われた時は『え!?』って思いましたが、こちらが子供の口からはっきりと診断して欲しい、こちらとしてははっきりさせて今後について考えたいと言ったら、ちゃんと診断名を出してくれました。先生もこちらの心構えだったりを見据えたうえで診断名を言うか言わないかを考えてくれてたんですね。病院に来てる以上はみんな診断してほしいものなんだと思ってましたが、いろいろありますよね。勉強になります!
その後のケア…がないのに診断されました。一度しか子供に会ったことない先生に…。もし登校するなら服薬した方が良いから薬が欲しかったらまた来てください。と言われました。診断を受ける心の準備は出来てましたし私の分析(勝手に分析するな!)でも2つの特性が混ざってる感じだろうなー。とは思ってましたが、一度しか会ってない上に私が受診の経緯を説明しただけです。そんな息子は今は普通に登校し通級にも通い穏やかになりました。自分の特性を子供なりに理解しているようです。(まだ小3です)病院も変えました…あの病院はなんだったんだろう。今の病院に繋がるのに1年待ちました。受診した時には困り事が減ってて、何しに来たんだっけ??状態でした…。
はは〜、そういう現状なのですね。
実は学校の先生も、ゴニョゴニョ傾向があります。同じ理由なのでしょうか。
責任をおいたくないとか、学校(私立)の評価を落としたくないからなのかとか、色々考えていました。
それもあって、私は診断を必要としていて、学校側に適切な支援を求めたりサポートの先生とサポート方針を相談したり、前に進めるために、利用するのです。
たしかに、周りの特性持ちの子供達の親は、自分達のプライドをまだ重視していて診断を受ける覚悟は出来ていないように思います。
「診断は取り扱い注意」の理由がわかり、ありがたいです。