発達障害

「自閉症」ではない人たち 〜中途半端な特性に対する立場の違い〜

自閉症(ASD:自閉スペクトラム症)には、診断基準がある。

 

これに照らし合わせると、基準を満たさない。

じゃあ、診断はつけられない。

つまり、自閉症(ASD)では「ない」となる。

 

でも、困りごとが「ない」かというと、そんなことはない。

あるかないかで言うと、「ある」。

 

自閉症では「ない」。

でも困りごとは「ある」。

↑この人たちを、どう捉えるか。

支援者の立場によって、考え方がが大きく変わるなーって思ったので、その話。

 

自閉症の診断

何度も書いているが、自閉症を診断する検査はない。

WISCも田中ビネーも新版K式も、「〇〇が△△点だと自閉症です」といった類のものではない。

 

診断はあくまで

  • どんな特徴で
  • どう困るか

だ。

 

 

でね。

「はっきり自閉症」の人。

はっきり特徴があり、はっきり困り、幼児期にははっきり分かる人。

 

  • 自閉症は、3歳頃には診断がつく。
  • 目を見れば自閉症かそうでないかわかる。

↑自閉症について、こんな言葉を聞くことがある。

これは、「はっきり自閉症」の人を指す言葉だろう。

 

これはオッケー。

医学的にも個人の感覚的にも、なにも問題がない。

現実でも、この人たちの診断や対応について、種々の立場から大きく意見がずれることはないだろう。

※もちろん困りごとはあるし、当事者は大変。今言っているのは、診断や方針についての話です。

 

 

でさ。

意見のずれや方針の相違で困ってくるのって、ここまではっきりしない人

特徴はあるけど、診断基準を満たさない人

目は合うしコミュニケーションもとれるけど、でも、、、? って人。

 

具体的には、

  • コミュニケーションにおいて、具体的な情報交換はできるけど、情緒的なやりとりは難あり。
  • 対人関係は築けるけどなーんか浮いていて、これを「年齢相当の対人関係(診断基準の文言)」と言っていいものか否か。
  • コミュニケーションが苦手でこだわりが強く興味も偏りまくってるけど、めちゃくちゃ環境に恵まれ、社会的には困っていない。

↑こんな人。

 

この人たちは、診断基準は満たさない。

つまり「自閉症ではない」となるけど、じゃあケアどうする?

ここが問題となる。

 

自閉「スペクトラム」

今出した例は、結構しっかり特徴がある方の人だ。

もっと薄い人もいる。

自閉「スペクトラム」という。

特徴が濃い人から薄い人まで、幅があるのだ。

 

例えば、

  • 空気が読めず、特に非言語的な情報はアレだけど、自分で自覚して気を使いまくり、社会生活は何も問題がない。むしろ気遣い屋のポジション。
  • こだわりが強く興味の範囲が限定的(平たく言えばオタク)なんだけど、それ以外の社会生活もそれなりにまぁまぁこなしている。

↑こんな人。

 

「自閉症」かと言われたら、まず違う。

個性であり、性格であり、そういう人だ。

発達障害ではないだろう。

 

 

でさー。

この自閉症では「ない」人たちを、支援者がどう捉えるか。

ここに立場による違いが出てくる。

 

例えば、精神科は「はっきり自閉症」の人がたくさん来院するところだ。

特性の薄い人は、相対的にもっと薄くなる。

 

また、はっきり精神疾患を来していたり、はっきり投薬適応のある人を扱う科だ。

特性が薄いなら「自閉症ではない、薬も必要ない、じゃあ終診です」となりやすいだろう。

※全然悪いことじゃない。科の特性だし、絶対に必要な立場。

 

それと比較し、僕たち小児科医のところには、そこまで特性の強くない人が来る。

(誤解されがちだけど、僕は小児科医。)(精神科じゃないヨ。)

悩み以上、病気未満。

「困ってるけど精神科へいくほどではない人」の相談を受けることが多い。

 

ワクチンついでに、「そういえば言葉が遅い気がしてー」とか。

風邪の受診のついでに、「そういえば朝起きられなくて困ってるんですー」とかさ。

精神科よりハードルが低く、「まずは小児科で相談」という人も多い。

「とりあえず学校から相談をすすめられてー」とか。

 

するとどうなるか。

小児科的には、診断基準を満たさない程度のこだわりやコミュニケーションの特性を拾い上げ、「だから生きにくいんじゃね?」というアドバイスをしがちだ。

※これが絶対的にいいわけではない。過剰診断や誤診の可能性はついて回る。

 

カウンセリング(心理カウンセリング、スクールカウンセラーなど)では、さらにこの傾向が強まるだろう。

診断云々抜きに、「こういう特性からこう考えるんじゃないですか?」というのは、至極真っ当なアドバイスだ。

小児科より、かなり軽い人でも拾い上げる。

困っていると言われたら、なにかしらのアドバイスをするだろう。

 

アドバイスせず「ただ聞く」というのもカウンセリングの守備範囲だ。

こうなると、診断云々からはかなり遠ざかる。

 

 

つまり、誰がいいでも悪いでもないけど、立場によって捉え方が変わるよってこと。

精神科は、些細な発達特性より病気(うつ病とか統合失調症とか強迫性障害とか)にフォーカスすべきだし。

カウンセリングは生きづらさ全般を扱う。

小児科はその中間くらいか。

それぞれの立場が必要なのだ。

 

そしてこの使い分けは、患者さん側がするしかない。

「どんなことでどのくらい困るのか」によって相談先を変えるのが望ましい。

んだけど、それって難しいよねー。

必要だけど、マジで難しいと思うんだよね。

 

需要と供給のズレ

なんでこんなことを書いたかというと、このような立場の違いによる需要と供給のズレを聞くから。

 

ずっとカウンセリングに行ってるけど、治りません。

→精神科で投薬を受けたほうがいいんじゃね?

 

とか。

 

精神科で、5分しか話を聞いてもらえません。

→聞いて欲しいならカウンセリングがいいんじゃね?

 

とかさ。

 

男の子
男の子
精神科で発達障害じゃないから受診終了って言われたけど、納得いかない!

困ってるんだ!

 

とか。

 

女の子
女の子
カウンセリングは話を聞いてくれるだけで、何も解決しなかった。

 

とかねー。

 

相談先をマネジメント

はっきり「自閉症」の人は、シンプルだ。

※いい悪いではないです。診断や対応がシンプルって話。

 

でも、そこまではっきりしない人。

この人たちは、複雑だよなーと。

 

どんな特徴でどう困るのか、そしてどうしたいのか。

相談にあたり、第三者(医療、カウンセラー、相談先)に何を望むのか。

この辺、患者さん側でマネジメントするしかなよなーと。

 

でも、これが分かればそこまで困らないし、悩まないって話で。

ここまで分かっていれば、相談せずとも対応できる場面が多そうだ。

わからないから相談するんだけど、「何がわからないかわからない」の状態の患者さんも多いからなー。

気持ちわかるし、手探りなのもよくわかるし。

 

うーん。

発達障害支援は難しい。

POSTED COMMENT

  1. もやや より:

    まさにコレ。親子でASDグレーです。
    困り事だらけなのですが、困り事を言語化できず、相談先にうまく相談ができません。
    児童精神科、療育、保育園、行政の相談窓口etc…
    頑張って色々相談先確保しましたが、相談が下手すぎて、何も解決せず、困り事が雪だるま式に増えていく毎日です…

  2. T より:

    わかる~!!と思いながら記事を読ませてもらいました。
    グレーゾーン?と思われる子どもが、学校に合わなくて体調不良になり、一年が過ぎ、家が居場所です。
    でも、誰に、何を相談していいかよくわからなかったー。
    小児科に紹介してもらって、明日、児童精神科を親だけ受診するのですが、見立てを聞きに行くっていう感じです。
    意味があるのかわからんけど、何か発見があるかも、、と思っていきます。
    コメントを読ませてもらっても、みんな親たちが奮闘していて、なんか非効率ですよね、、
    そういうときはここへ、、ってわかりやすい窓口があれば悩んだり追い詰めたりされなくて親の気持ちがラクですね~。

  3. りこ より:

    こんにちは。
    精神科行く程ではないけど、な〜んか浮いてるとか、気を違いまくってるとか、あーこれ私だわ、と思って読ませていただきました。
    幼稚園の頃から浮いてる自覚ありで、悪目立ちしないようにビクビクしながら生きてきました。
    勉強も芸術科目もイマイチな上
    運動が恐ろしく苦手なので悪目立ちしやすく学校は辛かったです。

    今はグレーな感じの夫とグレーな感じの子どもと暮らしてます。
    ものすごーく気を遣ってるのでボロが出ない場面も多いですが、いまだに気遣いの方向がズレてて相手を怒らせてしまうこともあり凹みます。
    自然に正しい方向の気遣いが出来る人が羨ましいです。人生ハードモード…。
    社会に馴染めるテクニックの教科書が欲しいです。

  4. はるまるま より:

    P先生のブログを読むのが楽しみです!
    いつもありがとうございます。

    3歳児の自閉症の息子がいます。
    (週に2回療育へ通い、成長過程を記録してもらうために児童精神科へ半年に一度通院)

    担当の相談員の方がついてくださっていて、支援計画を一緒に立ててくださったり、困り事や聞いてくださるのでとても心強いです。
    でも、診断を受けたときに住んでいた地域ではそういう担当の方がおらず、今思うと全てが自分にかかっている感じがしてとても怖かったです。

    相談内容によって相談先をチョイスするどころか相談先の選択肢がまずわからなかったです。
    “同じなら安心”って意味合いではなく、他の皆さんはどこと繋がって、だれに、どんなことを相談しているのかを知りたかったなーと思いました。
    でもそれを知る・情報を狩りに行くところから親側の行動力が試されているという気がして(だれから試されてるの??笑)今でも焦るときがあります。
    世間の目や常識はどうでもいいからペリーは追い返すとして、
    親が色々と相談場所や選択肢を知っているのは強みだよなあと思うと、肩に力が入ります(`・∀・´)

  5. しろ より:

    発達精神科のドクター…4ヶ月に1回薬を出してくれる人
    スクールカウンセラー…月1で話を聞いてくれて、近況報告的な会話の中で対応の仕方のアドバイスや答え合わせをしてくれる人
    発達障害関係に詳しい友人…ひたすらグチを聞いてくれる人

    最近、こんな感じでやっと落ち着いてきた気がします。
    小学校のときは、これに通級がプラスされていてとても助かったのですが、中学通級では子どもの指導のみで保護者の毎回の面談はなくなってしまいました。
    なので今はスクールカウンセラーが頼みの綱になっています。(年度末なので異動がないかドキドキです。)
    ドクターには担当になってもらってから2〜3年はモヤモヤしてましたねー。
    今振り返るとやっぱり私がアドバイス的なものを求めていたんだと思います。
    診察時間は短いし、なんとなく話しにくいし、困りごとを詳しく聞いてくれるわけでもなく、ではまた4ヶ月後…と言われるので募る不信感…(笑)
    でも最近思うのは、診ているポイントが違うんだろうなーと。
    短時間でも本人と私の話を聞いて“引き続き投薬!”と判断してくれているんだろうから、そういう役割の人だと割り切ることにしました。
    そこに落ち着くまでに6年くらいでしょうか。
    いろんな人(相談先)におんなじような話を何回もしてきました。
    みんな通る道なんでしょうが、なかなかしんどいですよね。

    中学を卒業したら、誰に相談したらいいんだろう?と思ったりもします。
    そのころには、相談しなくてもいい感じにまわるようになるかな?(願望)

  6. goro.ks より:

    今の状況にドンピシャです。検査はまだしてませんが、薄い自閉症に入る可能性もあると医師に言われました。
    患者側のマネジメントは本当に難しいです。その子の今の状況、タイミング、その子が今考えていること、相談機関の情報(どんな相談に対応してくれるか、以外にも、その子に合いそうか、どんな場所か、雰囲気なども)の収集、、、親は、今、何を目指して何をするのがより望ましいのか、手探りでもがいています。
    私が医師とカウンセラーに定期的に相談していますが、子ども本人は、私以外に自分のことを話す気もなく、
    今誰かに相談したい、と思っても、次の予約日が1ヶ月先だったり、
    「お子さんにとっての専門家は親ですよ」と言ってた識者がいて、それはそうかもしれないけれど、とても重いです。
    誰かにマネジメントをマネジメントしてもらいたいですね。。
    P先生の記事を参考にさせていただいて、最初の頃よりは、子どもと自分は違う人生、自分のことを楽しもう、と割り切れて対応も慣れてきました。子どもの精神状態も安定してきました。でも居場所は自宅のみ。さて、次はどうしよう?というところで行き詰まっています。

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