最近、思うんだよね。
正しい行動をしているからって、ちゃんと理解しているとは限らない と。
ウチの子は「デキない」
これを読んでいるのは、いわゆる「正解の行動」を取れないお子さんを持つ親御さんが多いだろう。
そんな人が多いと思われる。
「みんなやってるのに」
「同じ年齢の子たちはできるのに」
そんな感じだろう。
できないから心配するのだ。
できたら、別に心配しないし、情報収集も要らない。
こんなブログ読まない。
なので、これを読んでいるのはきっと「デキない子」の親御さんと思われる。
わかってやってる?
でさ。
たくさんの子どもたちの話を聞く僕の視点なんだけど。
「やる」と「わかる」は全然イコールじゃない!!!!!
そうなんです。
表面上、ちゃんとやっている(ように見える)あの子。
実は全然分かってないかもよ?
- 授業中、聞いているように見えてさっぱり聞いてないかもよ?
- 勉強しているようで、全然身についてないかもよ?
- ルーチンワークを機械的にやってるだけで、何のプランニングもないかも?
- よくわからずとりあえず「ごめんなさい」って言ってるだけじゃね?
と、いうのも。
世の中には2種類の人がいてですね。
分からなくてもなんとなくふんわり動く人
と
納得しないとテコでも動かない人
だ。
表面上の「できる」「できない」で一喜一憂する意味は、マジでないと思うのだ。
指示されるままにフワッと勉強しているその子。
勉強する自分なりの意味なんて全くなくて、ある年齢以降は勉強することをやめてしまうかもしれない。
表面上は、素直に人の話を聞くあの子。
実際は「怒られるのがイヤだから謝っているだけ」で、善悪の本質を理解していないかもしれない。
運動も勉強も友達関係も全力投球で、キラキラ輝いているように見えるその子。
実は強い不安の裏返しで、ある時ポキっと折れて動けなくなるかもしれない。
そう思うんだよ。
逆に、話をさっぱり聞いていないように見えるADHDの子。
実は案外聞いており、案外理解していたりする。
指示された課題がこなせない子。
自分なりのやり方が許可された途端、超特急で進むことがある。
屁理屈や言い訳ばかりの子。
年齢が進んで視野が広がると、人の意見を聞きつつ上手に自己主張するようになる例が多い。
むしろ、表面上はできているように見えるあの子より、一見できてない子の方がしっかり理解しているかもよ?
そんな例はゴマンとある。
「わかる」と「やる」には距離があるのだ。
その子の本質は?
「今」「この時」に見えていることが、全てとは限らない。
いやマジで。
出来る人と比較して出来ないウチの子を心配するのは、もしかしたらズレているかもしれない。
逆に、今表面上できているからといって、安心できるとも限らない。
その子は「なんで」その行動をとるのか。
- ちゃんと分かってやっているのか。
- 分からないけどやっているのか。
- それとも、分かってるけど敢えてやらないのか。
観察する必要がある。
その子の、本質は?
「玉」はどうなってる?
行動、つまり「矢印」は見えやすいんだけどさ。
その子の本質は、あくまで「玉」だから。
見えにくいけど、大事なのはココ。
めっちゃ大事な視点だと思う。
理解せずふわっと行動してる人、かなりいると思うよ。
単純比較しても、意味ないよ。
できてるから「良い」とは限らない。
できないから「悪い」とも限らない。
僕、最近ホントそう思うんだよね。
P先生、いつもありがとうございます。
いつも助けられています。
今回の記事もとても勇気づけられました。