先日、こんな話を聞いた。
自由がしんどいんだ。
目からウロコだった。
自由がしんどい
発達にデコボコがある子や、学校が「合わない」子。
こんな子は、一般的に規則が緩いほうが馴染みやすい。
「これをしなさい」とガチガチに決められた状態が苦手。
みんな同じに、逃げ場なく、正解に向かって行動しなさい的な場面。
苦手よな。
自由な方が居心地が良い。
だからアドバイスとしては、
- 別の課題を与える
- 選択肢を与える
- 逃げ場を準備する
- 大人にサポート(声かけ)してもらう
- 多少の逸脱は勘弁してもらう
- 逸脱しても、みんなの前で否定や叱責をしない
↑こんな内容になる。
方向的に、「もっと自由に」なアドバイスになるのね。
みんな違ってみんないい的な。
金子みすず的な。
これが前提で。
なのに。
自由がしんどいんだ。
この発言を聞いて、僕はビックリ。
ガチガチにカリキュラムのある学校は大丈夫で、自由気ままに過ごす学童がしんどい、だと?
普段聞く話と逆方向だ。
多くの場合、学校がしんどくて、学童保育は比較的負担が軽い。
聞き取りでも、教室で不適応を起こし、学童では楽しく過ごせるケースが多いのだ。
ん?
逆じゃね?
でも、そうじゃないんだな。
この子は、学童保育がしんどいんだ。
「自由」がしんどいんだって。
「なんでも好きなことしていいよ」って言われると、どう過ごしていいかわからない。
「はい、教科書の52ページを開いてくださーい」って言われる方が、やるべきことが明確で居心地がよい、と。
なるほどなー。
言われてみると、全然理解できる。
考えると、「自由」って確かに難しい。
例えば、自由研究って難しいじゃん。
「自由」に研究しろと言われても、何をやったらいいのかわからない。
やることが明確な計算や漢字の方が取り組みやすい。
僕の通っていた高校は、服装が自由だったんだけど。
「制服があったほうがラク」という人は一定数いたし、その気持ちは十分理解できる。
自由って、めんどくさいもの。
図工や音楽でも、「自由に表現しなさい」と言われたら、芸術センスのない僕は固まるしかない。
「この楽器(画材)で、こんな技法を使って表現しなさい」なら、なんとか取り組めそうだ。
うん。
「自由」って難しいよな。
確かに。
「フリー」な不登校支援
言われてみてハッとした。
人によって、何がしんどいかは異なるのだ。
当たり前だけど。
僕の物差しで決めつけちゃダメだ。
人生経験や臨床経験が長くなると、自分の価値観から「ギチギチに締め付けられる=しんどい」と決めてかかりがち。(僕がね)
でも、そうとは限らない。
答えは本人の中にしかないよな、やっぱり。
「聞く」を疎かにしちゃいけない。
答え合わせが絶対に必要なのだ。
でさ。
そうは言っても、「自由=しんどい」のは、少数派で。
多くの不登校児や学校が合わない子は、「ギチギチ=しんどい」わけじゃないですか。
だもんで、支援の多くが「自由」の方向になる。
「フリー」スクールとか「フリー」スペースなんて、まさにそうだし。
学校に、「来られるときは来てね」とか。
通信制の学校も、登校日数を割と自由に決められる。
教室内での支援も、
- 課題に飽きたら絵を描いたり自由に過ごしていいよ。
- 宿題も、どこまで頑張るかは自由だよ。
- しんどくなったら自由に保健室に行ってね。
的な方向性になりがち。
これは正しいし全く否定しないんだけど、この支援に合わない子もいるのは忘れちゃいけないと思った。
ある程度枠組みを作ってあげた方がやりやすい子もいるのだ。
自由って、思いの外しんどいのだ。
余談だけど、そう考えると学校教育が悪いとは、僕はやっぱり思えない。
不登校の話になると、「そもそも学校の制度が悪い」って議論が必ず出てくるけど。
決まった枠組みの中でこそ、能力を伸ばす子もいるのだ。
※もちろん、枠がないほうがやりやすい子もいます。
枠が必要な子にとって、現在の学校教育は「合う」。
デメリットがあれば、メリットも必ずあるからさ。
合わない子がいる一方で、合う子もいるのよ。
その子に合わせた教育が理想だけど、それを言ったら子どもの数だけカリキュラムが必要になっちゃうから、現実的じゃないし。
難しい問題だと思う。
僕は答えを持ち合わせないんだけど。
とりあえず、現行の学校教育が全て悪いってわけではないと、個人的には思う。
必要な枠組み
体感的に、ADHDタイプは枠組みを最小にした方が能力を発揮できる気がする。
反対に、ASDタイプと知的にゆっくりな子は、ある程度の枠を用意した方がよさそうだ。
その子に必要な枠を、ケースごとに考えていく必要がある。
そう。
ASDと知的にゆっくりなタイプは、「まるっきり自由」はしんどいような気がする。
何度か書いてるが、不登校支援でもこの2タイプは待ってるだけではダメで。
大人がある程度レールを敷いて背中を押す必要があると思っている。
ただその中でも、ガチガチに決めすぎると、それはそれで適応できない子が出てくるから難しい。
こだわりポイントがその子によって違うから。
結局ケースバイケースなんだけどさ。
でも、この一件で再度思い知らされた。
先入観で決めつけちゃダメ。
その子の気持ちは、その子にしかわからない。
自由って、素晴らしいばかりではない。
しんどい子もいると、忘れちゃいけない。
息子が春に通信制高校に入学して、いつ来てもいいよ、無理しなくていいよ、何時からでもいいよと優しく言っていただいているのですが、反対に全く動けなくなってしまっています。
もともと自由時間、自由行動にも不安を感じる子でした。保健室登校、放課後登校、別室登校も何をするのかはっきりしないのが不安らしく出来ません。
今までは本人が動くのを静かに見守っていましたが、こちらを読んで、何時間目からとか放課後も何時までにと目標を決めさせてみようかなと思いました。
本人は登校出来るようになりたいそうなので、ちょっとずつでも動けるようになるといいのですが。
いつも参考にしています。ありがとうございます。
「とりあえず、現行の学校教育が全て悪いってわけではないと、個人的には思う。」
私もそう思います。多くの子にとって、学校教育で得られるものは多い。
身も蓋もない話ですが、規則を運用する教師次第で、他の子に迷惑をかけない範囲での自由度も、教室の雰囲気も、叱り声の数も大きく変わる。
・今のその子には無理だと思う事を見てとって、他の子にとっても迷惑でない事は口にしない。場合によっては保護者面談で、教師の方から、睡眠不足な様なので、これはしなくていいとこっそり言ってくださったりする。
・その子が興味を持つ事に対する雑談を、たまに、でもピンポイントでしてくださる(その子が、自分がこれが好きなのを先生わかってくれてる!と思える様な感じで….ただ、内心でこの人に踏み込まれたくないと思ってる子に、これをやると逆効果なので、こんな事が出来る教師って限られる)。
・同じものを忘れがちな子が、職員室に来ると初めの挨拶だけで、いつも笑顔で「〇〇(を貸してもらいにきたの)か?」と聞いてくれる先生がいらっしゃる。卒業の時にその子が自分で考えて、予備を購入して職員室に差し入れしたら、笑顔で「おお!」と驚いてくださる。
こういう先生方は、基本的にどの子に対しても、ちゃんと観察して対応してくださってるので、多くの子供達に心の余裕があるんですよね。失敗しない様にずっと張り詰めて過ごさなくていいし、教師の言う事に対して聞く耳も持ってる。もちろん、教師の対応ではどうにもならないお子さんも存在するとは思いますが。
高校までの時間は、自分の得意や取り組みたいものをじっくり見つけて、進路を決めるためのものでもあるので、心の余裕や、教師に相談してみようと思える関係って、すごく大事。自由を求める子にも、自由がしんどい子にとっても。自由がしんどい子ほど、先生に「どうしたらいいか」聞きたい気持ちは強いんじゃないかと思います。
こんな先生方、もしくはそこまでではなくても、きちんとお話ししたらわかってくださる先生の方が、数としてはずっと多いです。「何が何でも自分の決めたマイルールを守らせるのが絶対!」と言うタイプはかなり少ない。
そんな教師を変えるのは無理だけれど、季節は必ず巡る。人生経験の少ない子が絶望しません様にと、願っています(もし本人がその気なら、教師がかわるまでの時間を無駄にせず、他の居場所を見つける選択肢もあるとは思います。友達関係その他、今いるところで失いたくないものとの天秤になりますね)。
こんにちは!
9/1配信のYahoo!ニュースの東洋経済オンラインの記事で、
「森のスコーレ」というフリースクールが始まる、と読みました。
開設者さんのこれまでの取り組み、学校教育への考え方も素晴らしいと思ったし、
「スライムは型に入れないと形を保てない」
と書かれていたコメントもすごく頷けました。
こうやって多方面からの理解者が増えたら、子供達も心強いだろうなぁと思います。
幼稚園保育園みたいに、いろんな教育方針の中から選べたり、
さらに簡単に転校できたりしたらおもしろいかもですが、
…どう変わるにしても、問題も出てくるのでしょうね(´∀`)
ただ、学校教育、「変わる」流れは確実に強まっているなぁと思います。
我が家の凸凹児はまだ4歳なので、期待と共に見ています。
ぺさん
ツイッターならいいね!です。
うちも女子、小6ですが、不自由が嫌で不登校になったわけではないです。
女子はそういう感じが男子と較べると多いのかなとも感じています。
>注意することなくやんちゃな子を含めた大勢の子供をカリキュラム通りに捌ける場所…あるの??
これ、激しく同意。いろんな選択肢があればいいですよね。今は親が選択肢を作るしかない、も同じ状況です。
p先生、今回の記事もすごく頷きながら読ませて頂きました。
娘の場合ですが、今年に入ってすぐ不登校になった娘がだんだん元気になってきて、夏休みにちょうど無料体験があり娘もいいねと言ってくれたのでカリキュラムが一切ないスクールに行って来ました。
感想は「暇だった」で、そこのスクールも「暇であることが非常に大切」としていたし、私も暇な間に自分と向き合えたり良いんだろうなー(ゲーム機も持ち込みOKで暇になるとも限らない)と思っていたのですが、まだ疲労がとりきれていない間はデフォルトモードネットワークや緊張もあったのか娘はその一度きりで見切りをつけてました。
よくよく考えたら、娘は自分のペースで出来ない勉強(学校では分かる事を何度もやらされて嫌がっていたし、音読は照れるし、ひらがなは細かく訂正されて辛かった)もストレスだったようだけれど、一番嫌だったのは怒ったり注意する人がいるピリピリした空間であって(多分hsc)、自由すぎるのは別に求めてないんだなーと納得しました。
そのスクールもスタッフがいて先生がいないシステムなのでフラットに意見出来てピリピリしないから良さそうと思っていたけれど、なんか他の部分は娘からすると違ったんだなーとニーズ把握の難しさを痛感しました。
注意することなくやんちゃな子を含めた大勢の子供をカリキュラム通りに捌ける場所…あるの??(私だったら無理)とまた親は戸惑ってるんですが、そもそも元々が子供は学校に行く事を前提とされているから不登校児に選択肢がまぁなくてこのままいくとホームスクーラーになるのかなぁ…と、お外に娘が安心して過ごせる場所が見つかるといいのになぁとなんかしんみりしました。
押し付けられるのは嫌なのに、少しだけ押し付けて欲しいって、乙女心はめんどくさいなぁ(´・ω・`)笑
このニーズに親以外で応えられる場所がない気がしつつ、娘の成長を待ちながら色々探していきます。
先生、いつもためになるお話ありがとうございます!