少し前にコメントをいただいた。
雑談、いつも心がけています。ほんと、たまーに息子の本音がポロッとでるんですよね。
つい先日、「ママは嘘つきだから、信用ならない」
いつもの雑談の中で何気なく息子が言った言葉です。それを聞いて、あ、まだ許してくれてないんだ、と思いました。
体調が悪いときに信じてあげらず、心配しているような素振りを見せながらも、無理に学校に行かせようとしていた時期があるんです。
今はもうそんなことしてませんが、息子は深く傷ついてその傷はまだ癒えてないようです。
この記事にいただいたコメント。↓
そうなのよ!
そーいうことなの!
親子のすれ違い
まず、コメントを書いてくれた方、ありがとうございます。
書きにくい内容だったと思う。
書いていただきありがとうございます。
コミュニケーションがきちんと取れているご家庭なのでしょう。
「お子さんの傷はまだ癒えていない」と、ちゃんとお母さんが受け止めている。
このおうち、多分もう大丈夫だと僕は予想します!
でね。
このコメントのような状況、実際かなりよく目にするんです。
お子さんは許してない。
納得してないし、根に持ってる。
でも親御さんの中では終わっている。
もう済んだこと、仕方なかったこと、もしくは完全に忘れていたり。
このギャップは正直めっちゃよく見る。
ホント、マジあるからね。
こじれている家庭は特に、これがめっちゃある。
僕が第三者だから子どもが話してくれるわけだけれど。
でさ。
こうなるとお子さん、前に進めないわけですよ。
許してないし、納得してない。
「とにかく認めて謝ってくれ! 話はそれからだ!」と思ってる。
自覚はなくても。
だから親に反発したり、悪態ついたり。
とにかくずっとイライラしてるし。
認めてさえくれれば不本意ながら許してやらんこともないから、とにかく認めろ!
と。
あ、子どもって優しいので、「絶対に許さん!」とは思っていないことが多いです。
親が譲歩すれば自分も譲歩するつもりでいる。
この気持ち、僕はよく分かる。
自分は被害者で、傷ついた。
ここを認めてもらって、自分は間違っていない、悪くないとお互い確認できて初めて、スタート地点に立てる。
未来を考えるより、過去の損を取り返そうとする心理が働くんだよね。
ほら、僕は親ガチャ失敗したクチでさ。
コレで立ち止まり、自分および周囲を破壊する行動(自虐とか反抗とか)を繰り返した思い出がある。
ま、僕の話はどーでもいいんだけどさ。
だから、非常に思うんだ。
子どもの思いを昇華してやって!
って。
問題を起こしている子、前に進めない子は特に。
過去が精算されずに立ち止まっている可能性は、大いにあると思う。
だって、子どもたちの口からよく聞くんだ。
「親は話を聞いてくれない」
「どーせわかってくれない」
って。
「親に」わかってほしい!
それでね。
相手は、大抵『親』なのよ。
親にわかって欲しいし認めてほしいと、子供達は口を揃える。
もちろん、「担任の先生がムカついた」「いじめっ子が許せない」とかのケースもある。
でも、こんなケースでも、親が骨を拾ってくれると昇華されるんだよね。
興味深いことに。
実際学校関係のトラブルは、スッキリ解決しないことが多い。
言った言わないとか、謝ったとか謝らないとか、学校側が認めたとか認めないとか。
ゴタゴタしがち。
でも、親御さんがお子さんの話をじっくり聞くと、子どもは勝手に前を向くのだ。
そりゃもう、驚くほどあっさりと。
「え、え、あの話はもういいの?」と、こちらが戸惑ってしまうほどに。
だからやっぱり、わかって欲しい相手は『親』なんだと思う。
だからこそ、「親のあの行動が許せない」という思いは尾を引く。
不満の表出として反抗し、親は余計に締め付け、子はさらに反抗する。
こんな悪循環をたくさん見てきた。
親の気持ち
もちろん、親御さんの気持ちも分かる。
- そんな昔のこと⁉︎
- その話はもう終わったじゃない。
- 仕方ないでしょ、だってあの時は〇〇だったから。
- あなたのためにこんなに行動したのに!
- 過去の失敗で、それ以降の努力がなかったことになるわけ⁉︎
こんな感じでしょうか。
まぁね。
わかる。
わかるよ。
親御さんも、お子さんのために必死だ。
努力も苦労もしたし、実際に行動してきた。
マルッと無視して、気に入らなかった点だけ抽出して文句言われてもっ!
わかる。
わかるけどさ、それを言っても解決しないと思うんだ。
気持ちはひじょーーーーーにわかるけどね。
でも、相手はコドモだからさ。
親御さんの言い分はわかる。
否定するつもりいはないが、でもそれは「親御さんの」言い分だ。
それはそれで認められるべきだけど、「子どもの」言い分も同様に認められるべきだと、僕は思う。
そして、先に子どもから。
譲るのは年上から。
子どもの意見を先に認めてあげてほしい。
そうしないと、ずっと堂々巡りになってしまうから。
お互い傷つけあって、傷が深くなる。
不毛だと思うんだよね。
「親の不満」と「子の不満」を分けるってことだね。
子の不満は子の不満として、きちんと聞いてあげてほしいんだ。
親の不満は、できれば配偶者(や信頼する大人)と分け合ってさ。
言える環境を
さらに厄介なことに、親子関係が悪化すればするほど、子どもは本音を言わなくなる。
不満を溜めながら、でも直接的な表現をしなくなるのよ。
間接的に、不満を表現する。
「反抗!」「反発!」「文句!」「無視!」みたいに。
こうなると、子の意見を吸い上げるのは非常に困難だ。
言ってくれないんだもん、わかりようがない。
親はさっぱりわからずにただ叱責するもんだから、さらに関係が悪化、子どもはさらに口を閉ざす。
あー……、ハードモードすぎる。
こうならないためにも、普段の親子関係を大事にしてほしいのだ。
とにかく雑談!!!
冒頭の例も、雑談の中でポロッと本音が出たと書いてある。
そういうことだ。
子どもは、親に話を聞いて欲しい。
誰よりも「親に」わかって欲しい。
この気持ちは絶対にある。
でも、聞いてくれないなら言わない。
だって、一番わかって欲しい人(=親)に拒絶されるって、めっっっっっちゃ傷つくもん。
拒絶される可能性があるなら、絶対に本音なんか言わない。
だからさ。
雑談してほしいんです。
普段からその子の話を聞いてあげてほしい。
どーでもいい話から。
むしろどーでもいい話を。
その子の興味があることに、興味を持ってあげてほしい。
そしたら、勝手に子どもから本心を話してくるから。
信頼したら、絶対に言ってくるんだから。
コドモなんだから。
その時親御さんは、否定せずに聞いてあげてほしい。
気づかなくてごめんね。
ムカついてもぐっと堪えて、反射的に反論しないであげてほしい。
まず、聞いて。
それだけで、子の思いは昇華される。
納得いかなければ「ごめんね」も言わなくていい。
ただ「あなたの思いはわかった、話してくれてありがとう」と伝えるだけでも全然違う。
ただ、聞いて、受け止めてあげてほしいと思う。
冒頭の親子は、これが言える環境なのだろう。
お子さんが、親に言ってもいいと思える環境。
親にできるのってこの環境作りだ。
親が自分をそのまま認めてくれて、傷ついたら骨を拾ってくれる。
パーフェクトだ。
そして、これが全て。
これができている親子は、他の問題などどーでもいい。
不登校も反抗期もODも発達障害も、微々たることだとすら思う。
子どもは、勝手に自分の足で歩いて行く。
子どもには、その力がある。
親が、「その時の事情やそれからのあれこれがあったのだから子供も親の事を許して当然」と思うと、子供は自分の気持ちの決定権が自分にないと言うことに気がついて、反発するのかも知れませんね。
自分の気持ちの決定権は自分にある、それを親が認めてくれることがわかって、初めて少しずつ前に進めるのかも知れません(自分は傷ついたのだから、これからずっと好きな様に振る舞っていいと思う子供はごく少数派だと、私は思ってます。親にわかってほしいというのは、本当は親といい関係を築きたいということでもあると思うので)。
そして、「あなたはそう思うんだね」が魔法の言葉なのは、「あなたが何を考えるかはあなたが決めていい」「あなたの話を聞きたい人間はここにいる」という、自己肯定感と他者信頼感を育む言葉だからじゃないか、と感じました。
まさに息子と私のこと
私が勝手にためたイライラで全く非の無い息子に当たり散らすように怒ってしまったことが続き、爆発して不登校→ひきこもりの現状
私のこと許してないです
あの時に気づいていたら…
言語化してコメントしてくださった読者様に感謝です
この記事、何度も何度も読み返します
ありがとうございました