僕の勤務先は病院だ。
患者さんは、病院に受診するのだから、そりゃ様々な体調不良や困りごとを抱えている。
同一の患者さんが複数の訴えを持つことは少なくない。
「今日相談したいこと(つまり主訴)はなんですか?」と聞くと、上記の通り、あっちが痛い、こっちが痛いとボロボロ出てくることがある。
特に起立生調節障害のあるような子、自律神経が弱い子だと、
むしろ痛くない部分はドコ(?_?)
となることもしばしばだ。
たくさんの症状
主訴を聞くと、あれが困ったしこれも困った、とたくさん出てくることがある。
上の例のように、あっちが痛い、こっちも痛い、そういえばよく眠れない、とかね。
これらの症状は、本当にあるんだと思う。(当たり前だけど、嘘とは思ってないヨ。)
自律神経失調からくる症状は、多岐にわたる。
複数の症状が合併しても全然おかしくない。
おぉっ、それはよかった。
おぉぅ……。
と、こんなこともよくある。
結局、症状は良くなっていないのだろう。
表出が変わっただけで、自律神経は安定して失調中だ。
安定して不安定。
安定してフワンテ。
メンタル要素が絡んでいるのなら特に、理由なく劇的に回復することは稀である。
基本的にフワンテ。
どの症状が、どの程度困る?
でね。
症状は「ある」。
それは事実だと思う。
でも、「ある」という事実をたくさん並べられても、解決は難しかったりするわけで。
じゃあ、質問を変えよう。
「それ、どのくらい困る?」
そう。
「ある」と「困る」には結構な隔たりがあったりするのだ。
「ある」けど「困ってない」って、割とあるのね。
ビックリだけど。
あっちが痛い、こっちも痛いと訴える子に、どの程度困るかを聞いてみる。
月に数回の片頭痛の日は全く動けず困りますが、それ以外の頭痛は我慢できる範囲です。
ね。
じゃあ、今フォーカスすべきは月数回の片頭痛だ。
※ちなみに片頭痛はもうどうしようもなかったりする。個人差はあるが、その日は薬を飲んで寝るのみ!ってことも多い。ただ典型的には月数回なので、この日に動けなくてもさほど影響はなかったり。よってこの例の子だと「片頭痛の日は仕方ないから、他の日にがんばって。いやすでによく頑張っているね!」が結論である。
完璧主義な子、不安の強い子は特に、必要以上に症状を重く捉えてしまうことがある。
だるいし体調が悪い。
心配だ。
この気持ちは否定しないけど、自律神経系の症状って気にすると余計に気になっちゃう面があって。
ほら、気にしなければ気にならないのに、気になり出すと「やっぱ頭が痛いかも」ってこと、あるじゃん?
気にすることで自律神経が乱れ、不安定に。
フワンテ。
気にすることで、さらに症状が強くなる。
だもんで、「あるかないか」は一旦置いといて、「困るか困らないか」の視点で見るのは手だと思うんだ。
で、困らないなら共存していく選択肢はどうかしら。
自律神経系の症状って、なかなかゼロにはならないからさ。
特性も、「それ困る?」
症状だけでなく、発達特性や性格、性質なんかについても「困るか困らないか」の視点が有用な場合がある。
「ある」けど「困らない」。
そんなことって結構ある。
例えばこんなの。↓
- 不注意があり先生の指示を聞いていないが、周囲を見て行動できる。
- 忘れ物をしても、本人は全然気にしていない。
- ケンカしても、本人も相手も全然気にしていない。
- こだわりが強いが、気の済むまでやらせる余裕が周囲の大人にある。
- 字が汚くても、まぁ将来はパソコンだし。
じゃあ、まぁ、いっか。
ダメ?
いいってことにしません?
本人困っていないなら、指摘してもきっと入らないだろうし。
そりゃ将来的には困るかもだけどさ。
困ってから考えればよくない?
その方が学習効率高そうだし。
差し迫った不都合があるなら、本人も本腰入れて気を付けるだろうし。
困ってないなら先送りする選択肢、どう?
これは僕の個人的なポリシーなんだけどさ。
明日できることは、今日やらない。
クズかよ……。
それは冗談としても、さほど困らないならあえてスルーするってアリだと思うんだよね。
発達特性とか、気にし出すと、あれもこれも気になっちゃう。
先回りして、あちこちに落とし穴が見えちゃう。
でも、特性をゼロにするのは非現実的だ。
トラブルをゼロにはできない。
『完璧』を目指すとしんどくなる。
じゃあ、
特性があってもうまく社会適応していればそれでヨシ!
で、どう?
困らないなら、とりあえずそれで良いんじゃないかなーと、僕は思う。
具体的には、「今は困らないけど、あなたにはこんな特性があるよ」という情報は与えておいて。
「もしかしたらこんなふうに困るかもしれないから、そのときは〇〇しよう」みたいな見通しを持たせておき。
実際困ったら、その都度対処。
で、どうでしょうか。
今日やるのは、今日しかできないことだけでいいよ。
完璧を目指さない。
考えすぎるとフワンテになる。
「明日できることは今日やらない」
これ会社で言われたことがあります(笑)
忙しすぎて部署全体の残業時間が恐ろしいことになった時、上から通達事項として言われました。
意外と社会人になってからも使える考え方だったりして。
生活面でのスキルは習得してほしいもの、たくさんありますがほとんどあきらめてます。
なぜなら、自分が結婚するまで家事は一切しなかったので(笑)。
自分がやらなかったことを子どもに習慣づけるなんて、私にはできない(笑)。
それはもう母に口すっぱく言われましたが、就職してもお弁当は作ってもらい、洗濯も当然やってもらい、掃除機なんてどこにあるんだろう…くらいのひどいもんでした。
でも今は自分が母になり、他にやってくれる人もいないし、やらなくていいならやりたくないけど、なんとか生活できるレベルのことはやってます。
子どもにはいつか必要に迫られたときのために、やり方だけは伝えておいたり、たまーに自分でやってくれたりしたときには拍手喝采で誉めておきます。
生活面に限らずですが“習得する”ことにばかり意識がいってしまうと、親子共々苦しくなりますよね。
本人の成長とタイミングが合ったときにできるようになるときが来るはず…と自分に言い聞かせて、いろんなことに目を瞑る毎日です。。。
こんにちは!
『明日できることは、今日やらない』
なぁんだ、冗談ですか(^.^)
小2娘に「今日できる事を今日やらん人は、明日になってもやらんと思うよ」(-_-)
とよく言っている私です。
でも…娘にそう言いたくなるのは、私自身、先延ばしグセがあるからなのですよね…