これ、最近思うんだけどさ。
マジ思うんだけど。
僕のブログに限らず、インターネットやテレビ、本などには、「こうしたらうまくいくかもよ」という情報が溢れている。
子育て情報とか、思春期、ODへの対応とか。
成功した人のやり方や日々のちょっとした工夫なんかを発信している人がいる。
そんなものに対し、
でもそれじゃうまくいかない。
やってみたけど全然ダメだった。
的なコメントを見かける。
↑ココ!
ココじゃね?
と、思うんだ。
説明する。
否定コメント
まず、発信者側として僕の意見を書く。
僕は、子どもの心関連について、多くの人に共通しそうな困りごとの原因考察および改善策を発信しているわけだけれど。
僕の提案するやり方で全員がうまくいくとは、もちろん思っていない。
いろんな人がいる。
うまくいく人もいれば、いかない人もいるだろう。
- こんなふうに考えたらどう?
- こうやってうまくいった人もいたよ。
- こんな工夫ができるよ。
という、提案でしかなくて。
「成功を保証します。効果なければ全額返金!」
って話じゃない。
そもそもお金とってないんだった。お金ください。
だから試すも試さないも自由だし、やったからといって成功を保証するわけじゃない。
そりゃそうだ。
子育てに正解不正解なんてないわけで。
そもそも無料のブログだし、読むことを強制もしていない。
「読みたい人だけどうぞ」のスタンス。
これが前提なんですよ。
でね。
その上で。
書かれたやり方じゃうまくいきませんでした!
というコメントをいただくと。
ちょっとね、ちょっとだけ、こう思うんだ。
いや、それ、言わなくてもよくね?
と。
メリット・デメリット
僕は、誰か一人にでも役立てばと思って書いている。
役に立たない人がいることも、もちろん承知で。
強制するつもりはないし、やりたい人だけ勝手にどうぞ、なわけね。
正直、ちょっとだけ思う。
いや、ダメ出しされても……。
怒ってるわけじゃないけど。
「うまくいかないよね」って人同士でグチり合いたい気持ちはわかる。※ただこれは別の場所でやってほしいけど。
でも、「こうするとうまくいくかもよ」って提案している人に対し、「うまくいきません」って。
しかも、その人のメディア内で。
考えてみると、結構激しくね?
もちろんうまくいかない人もいるだろうし、心の中で思うのは全然いい。
ただ書き込む必要はないんじゃない? とは思う。
そして、グチ以外に書き込むメリットが見当たらないとも思う。
うまくいかないなら、その理由の考察と改善策まで併せて提示してくれるなら、意義があるだろう。
※まぁここまでいくとご自身のメディアでやってほしいが。そして需要あるんじゃない? 価値ある考察だと思います。
でも、ただ「できません」「うまくきません」「ダメでした」とだけ伝えるのは、違うんじゃないかなーと。
もしかしたら、
「うまくいきそう。試してみよう!」
と思った人がいるかもしれないのに。
否定的なコメントを読んで、試す前に「あーやっぱりダメなんだ」ってなるかもしれないじゃん。
試す機会を失う。
そっちのデメリットの方がずっと大きいと思うんだよね。
僕のブログに限った話じゃなくて、一般論としてね。
別の人の発信も、ボロクソ言われているのを目にする。
ヤフコメとかさ。
じゃあ読まなきゃいいし、わざわざ書き込まなくていいじゃんと、第三者として思う。
見ていて気分の良いものではない。
※余談だけど、ヤフコメってひどすぎて逆に興味深い。おぉぅっ⁉︎ ってなる。
議論にならない
これがコメントじゃなくて、対面だったら話が変わる。
外来受診で、
と言われれば、じゃあなぜうまくいかなかったのか、次はどんな作戦を立てるか、議論できる。
その子の特性も、詳細な状況も分かるからさ。
だから、「その方法ではうまくいかなかった」という事実は、情報として有用だと思うのね。
でも、コメントは違う。
知らない人が、書き捨てる形だ。
子どもの特性も、置かれた状況もわからないし、もちろん議論のしようもない。
※だからこそ僕はコメント返しは控えてるんだけど。
このように、
改善策なく否定だけする
って、やっぱちょっと違うんじゃないかと思うんだよね。
言った方は少しスッキリするかもだけど、受け取った方はいい気はしない。
コミュニケーションになってないと思うんだ。
お子さんにやってません?
でね。
僕、どうしても思っちゃうんだ。
見ず知らずの僕にやっちゃうくらいだから、お子さんもやってません?
しかも、繰り返して。
多分だけど、否定的なコメントをする人って、僕の意図とか考えは考慮してないと思うのね。
そう思ったから書いた、以上! だと予想する。
逆に悪意がないのもそうだろうし。
「嫌がらせしてやろう」なんて意図はないだろう。
むしろ好意と予想。
思ったから、書いた。
それだけ。
だから、怒るとかはないんだけどさ。
じゃあこのタイプの人って、きっと現実でも、
「私が」思った。
って内容をそのまま口にしてるんじゃないかなーと。
僕の予想ね。
具体的には、子どもが意にそぐわない行動をとったとき、
「親は」こう思う!
と、そのまま押し付けてるんじゃないかと。
好意で。
子どもがなぜその行動をとったのか、どんな意図があったのか、思いを馳せることなく。
もちろん、本人に聞くこともなく。
そりゃ人間、多少はそんな時もあるだろう。
視野が狭くなることもある。
でもこれを基本スタンスとして日々繰り返されたら、お子さんはたまったもんじゃない。
不満が募るんじゃないだろうか。
一方的で、話を聞いてくれない親。
否定だけしてくる親。
僕が子どもの立場だったら、そんな親には絶対に相談なんかしない。
むしろ反抗しまくる。
反抗してナンボだ。
素直に従って「親の言う通りだった」と思われるのはシャクだ。
なんとかして、「違う、そうじゃない」「僕の意見を聞け!」って伝えたいもん。
必要以上に反抗するだろう。
僕ならね。
ココ。↑
ココ、なんじゃないかと思えてならない。
「うまくいきません」ってケース、子どもの話を聞かないのが原因じゃないの?
一方的に否定してない?
親の意見を押し付けてない?
だから、「うまくいかない」んじゃ?
コメントを読んで、
やり方が子どもの特性と合ってないのでは?
もしくは
そもそも親子関係が悪いから反抗するんじゃない?
と思うことは、正直ある。
失敗するべくして失敗してるんじゃないか、と。
もちろんその親子に会ったことないし、全部僕の想像だから、決めつけるわけじゃないけど。
だから何も言わないけど。
でも、そんなこと言われたらお子さん、逆らってナンボじゃね? と思うことが、正直ある。
まとめ
結局、全てここなのだ。
子どもの話を聞いて!
答えはお子さんにしかないし、子どもの人生は子どものもので親が奪うことはできない。
親にできるのは、骨拾い係だ。
全ては、その子の中にある。
探せ! この世のすべてをそこに置いてきた。(ゴールド・ロジャー)
本人の意図を無視し、親の思うようにならないからって否定を繰り返しちゃうと、そういうことになって然るべきなんじゃないのかなーと。
「うまくいきません!」ってコメントをくれる人のうまくいかない理由は、
正直そこ(思ったことをそのまま口にしちゃうところ)じゃね?
と思えてならない。
親がこう考えて発言している時、子供はこう考えている!
双方の解説を発信されている方を他に知りません。
とても為になる情報をありがとうございます。
私の母がこのタイプです。
幼少期から、私が母の思い通りの行動をしないと、何度も何度も干渉されました。
父に対してもそうでした。
聞いてもらいたい、と話をしても「私だったらこうする」終了。
それが母の考え方で悪気はなく、私は自身を受容してもらえずモヤモヤ。
私には私の考えがあって、あなたとは違う。
皆違って皆いい → 金子みすゞ
理解できないようで、食い下がって説明しようとすると、「もういい!くどい!」とブチ切れ強制終了。
大人になってもそうなのだから、語彙力が未発達な子供は、伝える術がないだろうな、と思います。
この人に言っても無駄だ。
私は友人に言うことで救われましたが、不登校だと友人も離れていくので、辛いですね。
そんな私は、受容されずに育ったので、人に甘えることができません。
好きな人とも何度も失敗しました。
そして、気づけば子供に母と同じように「私だったら」とアドバイスしていました。
(否定はしません)
不登校になってからは、あなたはそう思うんだね、意識して子供と対話しています。
親子関係って大事だな。
でも、親も、知らないことって出来ないんですよね。
私自身が相手の話題に対して否定と一方的な意見を押し付けてきた二十代を過ごし、当時は相手に臆せず自分の意見を言える自分に酔ってました。。
誰も褒めてくれないから、自給自足で褒めるという痛々しい過去の自分。
要らん一言が多い!と上司に言われ、なんでいちいちマウンティングするんですか!と後輩に言われ、三十路にしてようやく否定的な要らん一言を言わなければ人間関係が良くなると気がつきました。
子どもはASDで過去の自分を見るように否定と一方的な返事が多く、ついまた要らん一言を言いそうになりますが、口を閉じて変顔に集中するようにしたら子どもも変顔で応戦するようになりました。
P先生のブログを読んでると、こんな変顔で骨を拾うババァでも良いのかなという気持ちになれます。
いつもいろんな気づきをありがとうございます!
わかる!
そんな風に言えば自分ではなく相手のせいにできるから。
この傾向自分にも当てはまるので気を付けます。
p先生、いつも過去に遡ったり何度もブログ拝見させて頂いています、ありがとうございます。
やっ…ちゃっ…てる…orz
ってなりました。
書いて頂いて良かったです。
「あなたはそう思うんだね」を自分の辞書にちゃんと入れていたのに。
気づくと脳のフィルターを通して話す事をサボってる時がありますね。
大事な相手なのに、大事な相手程気を許して気づけば気を抜いてしまって。
自分の意見があっても、それを相手に話すメリットがあるのか、ちゃんと考えてから外に出すようにしていかないと誰も得しませんよね。
こういう「した方がいいことを出来ていない自分」に気づいた時、元気があれば次から!と思えるのに、元気がないと私はダメだなと思ってしまう。
でも、大切な人のために歯を食いしばって前を向いていかなきゃですね。
p先生にも、p先生のブログにこうしてコメントを書いている方にも、問題と向き合っている全ての方がどんな形であれ報われるといいなと思います。
今後もブログ楽しみにしています。
いつも励みにさせて頂いてます。
今日はこれだけ言いたくてコメントいたします。
P先生のブログ、書籍化して欲しい。
以上です。
「うまくいきませんでした」と言っちゃう人
このタイプの人。
こうすればこうなると短絡的に受け止めてしまう人。
自分の見たもの聞いたことが全て。
このタイプの人。
旦那も子供もこのタイプで、ママ友にもいます。
こういうタイプの人ってなんていうんでしたっけ…
1年半前に、息子が起立性調節障害になり、その後、長期不登校に、、。当初は、とにかく早く治したいと、私は泣きながら情報を求めて、いろんな本やサイトを読み漁っていました。
そんなときに出会ったのが。P先生のブログです。お忙しいにも関わらず。様々な角度から子どもの病気に始まり親子関係に至るまで、言葉を選びながら的確に分かりやすく書かれたユーモアある文章には、いつも救われます。
いまも息子は絶賛不登校中ですが、
今春からすこーしずつ動き出しました(笑)
そんな息子にどう対応したらいいのか、前の記事をいったりきたりしながら読み、アドバイスをいただいています。
私を含め、かなり多くの方が、スマホの画面に先生のブログアイコンがあって、頻繁にチェックされてるはずです(^ー^)
これからも先生のブログ楽しみにしています!
そういったコメントを読んでしまうと辛くなるのはそういうわけか!と合点がいった後の後半の考察。
私は相手を否定してしまうんじゃないか(相手を承認できてないかもとか私が間違っているかもしれない)と、
「言えないのよ〜言えないのよ〜」となり1人苦しくなる派です。
これは私の親との関係でこうなったとわかっていて自分に自信がないのもあり完全に自分の問題。
加減が難しいですね。
それでも、子どもたちの話を聴けてるかなと
今一度省みました。
昨普段口数が少ない息子が、昨日修学旅行帰りでお土産話や気づいたことを沢山話してくれました。
話してくれること、内容が楽しいのはもちろん、
先生の過去記事を思い出し、彼の話の世界を広げられたことも嬉しかったです。
いつもありがとうございます!
これからもお聴かせください。
初めてこのブログにたどり着き、自分と照らし合わせながら読ませていただいてます。人に嫌われたくない、嫌われない様にと考え行動してる自分に嫌気を感じながら、認められず変わりたい、このままなのかと。嫌われたくない、人を気にする事についてリクエストできればと。
P先生こんにちは!
いや 本当に、改めまして
いつもいつも無料でスジの通った記事、ありがとうございます\(^o^)/
やっちゃってる自覚はある。
だから、カウンセリングにも通ってる。
でも親も人だから、余裕のある時は良いけど、度々だったり、人に迷惑がかかる内容だったりすると歯止が効かなくなる。
だから親の支援が大切だと思っているのに
普通級でデイとも無縁(判明した時期が遅いから)
どうして良いかわからず
発散先を探してしまう。
ごめんなさいm(._.)m
なんとなく、ネット通販とかのレビューを書いてるようなノリなのかなー、と。『私の体型には合いませんでした!』とか『もっと〇〇な機能がついててほしいので☆−1です』『この品質でこの値段は高すぎる!』とか。
評価する立場が心地良くなっちゃうのかな?(笑)
でもそういう人ってリアルではハッキリ言えない人も多いみたいなので、P先生にはお気になさらずこれまで通り思ったように書いていただきたいです♪(気にするなと言われても難しいとは思いますが)
いつも楽しみにしてますよー(笑)
この度の先生のお気持ち、良くわかりました。私も失礼があったらごめんなさい。
多部未華子似より。←ウソ。