前回の話から。
起立性調節障害(OD)の子で、こんなふうに相談されることが結構ある。
全部病気のせいにして、何もしない。
治る努力、状況を変える努力をしない。
「だって病気のせいで起きられないんだもん!」だって。
疾病利得
〇〇(テスト、行事、お出かけなど)でしょっ!
だってオレは起きられないビョーキなんだ!
↑こんなやつ。
全部病気のせいにして!
逃げてるだけじゃない!
と思う。
でも本人的には、病気でいる方が都合がいい。
だって、病気が治ったらアレもコレもしなきゃだもん。
「ビョーキだからできない」って言い逃れしてる方が、ラクだもん。
そりゃそうだ。
ハタから見ると、甘えにしか見えない。
病気でもできることはあるでしょ!
ちょっとは努力しなきゃ、何も出来ないでしょ!
これね。
これ、医療現場ではしばしば目にする。
ODに限らず、「病気が治らない方が都合がいい」って、割とある状態。
疾病利得 という。
※病気でいれば働かなくていいとか、後ろめたいことから逃げられるとか、みんなに心配してもらえるとか。
似た話だと、HSC (HSP)が病気か否かってのもあるよね。
とりあえずHSC (HSP)を引き合いに出して、
とか
私ってHSCだから人より繊細で(メソメソ)
みたいな。
「私、繊細なの。傷つきやすいの。(チラッチラッ)」
みたいなの。
ファッションHSC (HSP)じゃね? って思う。
こういう主張を、どう扱うか。
見ている方はイライラしますよね。
甘えてんじゃねぇ! って。
正解はない。
やっぱり正解はないんです。
ここでは僕の個人的な意見を述べる。
病気と心理を分ける
僕は個人的に、疾病利得はあってよいと考えている。
なぜか。
いいわけないでしょっ!
そうなんだけどね。
「病気である」という事実
と
「〇〇したくない」という事実
を、分けて考えてほしいんだ。
症状は、「ある」。(コチラ参照)
それとは別に、病気に逃げなきゃいけない心理も「ある」。
そう考えてほしい。
そして僕は、問題なのは「〇〇したくない」の方だと考えていて。
- 朝起きたくない。
- 学校に行きたくない。
- 勉強したくない。
とかがあるから、ODを隠れ蓑にしてるわけですよね?
HSCでも、
- もう頑張りたくない。
- 『その他大勢』として扱われたくない。
- わたしばっかり我慢したくない。
みたいな思いから、HSCを盾に上記発言に至るわけで。
OD症状がある
という事実と
〇〇したくない
という事実を、分けて考える。(僕はね)
自分を責める
イヤなことがあるから、OD症状が悪化して、さらにイヤになるわけですよ。
ここでOD症状(やその他特性)をとりあげたらどうなるか?
きっと、別のものに逃げる。
そう、結局逃げる。
だってその人、逃げざるを得ない精神状態なんだもん。
だからODに逃げてるわけで。
新たな逃げる先はきっと、「自分を責める」だ。
〇〇できない自分はダメだ。
逃げる先を失ったら、自分責めに走ると容易に予想される。
だったらODに逃げる方がずっとマシだと僕は思う。
自分を責めるって、自分と向き合うこととは全然違うからね。
ただひたすらに責めてるだけ。
解決には向かわない。
実際そうやって自分を責めて、にっちもさっちもいかなくなっている子ってかなりいる。
本当は「〇〇できない自分」と向き合わなくちゃいけない。
んだけど、向き合える状況じゃないんだよね。
「自分は〇〇できない。
その理由として△△が苦手であり、ここを改善したらできる可能性がある。
しかし現実問題△△を変えることはとても難しく、現状に甘んじているわけであります。
でもこんな自分もちょっと好き(テヘペロッ)」
とか考えられるなら、この子はそもそも病気に逃げていないと考えられるわけだ。
病気に逃げられなくなったら、ひたすら「自分はダメだ」になると思う。
自分を責めるって、自分と向き合うこととは全然違う。
「自分はダメだって分かってる別の自分も存在してますよ、ええ」という、逃げの一種だ。
「〇〇できないダメな自分」
より
「ODのせいで〇〇できない」
の方が、精神衛生上ずっと良いわけです。
だったら、病気を隠れ蓑にしても全然いいっていうのが、僕の意見。
とりあえず病気に隠れたらいいよ。
病気を取り上げたら自分責めに逃げるし、それもダメなら別のなにかに逃げると思う。
他の病気(過敏性腸症候群や慢性頭痛)を発症したり、親や学校が全部悪い! と環境のせいにしたり、うつ病や強迫性障害になったり。
ダメな自分と向き合いたくない一心で、自傷したり、異性に依存したり、買い物依存とか、ゲーム依存とか、拒食過食とか、非行反抗とか。
もちろん!
もちろんそうならず、自分としっかり向き合える子もいる。
でも、そうじゃない子もたくさんいると、僕は思う。
むしろパニックになってまともに考えられない子が多数派でしょう。
だったらとりあえず病気に逃げるのがアンパイかなと。
親は「病気に逃げてるなー」と観察しながら、そっと見守るのがよいかと。
で、落ち着いてから少しずつ、何がしんどいのかを考えれば十分。
それで十分間に合う。
まとめ
以上より、僕は疾病利得には好意的な考え。
でも人によっては
ODに逃げるな!
とか
HSCは病気じゃないんだからね!
とか主張する気持ちも、非常によくわかる。
正解はないんだけど、どっちにしろ「病気」と「そうなった心理」を分けて考えるのは役に立つと思う。
しっかり逃げさせて、逃げた上で自分がどうしたいのか、そのためにできることは何なのかをカスタマイズすることが大事かなと、教育現場では感じています。
「自分を責めるって、自分と向き合うこととは全然違う。「自分はダメだって分かってる別の自分も存在してますよ、ええ」という、逃げの一種だ。」という所で、なるほど!と思いました。
自分を責めだしたら、何かをしたいという気持ちを摘んでしまう。ダメな自分が何かを始めて成功すると言うイメージを持つのは難しい、という結果は見てるつもりだったんですが、そんな風に考えた事はなかったです。