ここ数日、HSCシリーズを書いてるんだけど。
先日HSPを特集したテレビ番組が放映されたらしい。
僕は見てないんだけど。
芸能人が「私もHSPです!」とか言ったりして、認知度が上がってるらしい。
過剰診断:「私HSPなんですぅ〜」
で。
この手の話で必ず出てくるのが、過剰診断。
「私HSPなんですぅ〜」
という意見に対し、
「は⁉︎ お前ちげーだろ!」
という反発が出るのは想像に難くない。
「私HSPだからぁ〜、繊細でぇ〜(チラッチラッ)」
みたいなスタンスの人に対し、「ファッションHSP」と揶揄する気持ちは分かる。
- 人と違う自分カッケー! という自己満
- 特別な自分を認めて! という承認欲求
そんなものにHSPが使われるのは、気分の良いものではない。
でも。
それでもHSPという概念が広がることによるメリットの方が大きいんじゃないかなーと、僕は思っている。
発達障害の過剰診断
似たような話に、発達障害がある。
「この子は発達障害だから、悪さしても大目に見てちょ」という主張に対し、「発達障害だったら何やっても許されるわけじゃねーんだよってゆーかその子発達障害じゃなくてただのワガママだろ」的な。
発達障害という概念が市民権を得たと同時に指摘され始め、今でも結構問題になっている。
ちょっとワガママな子とか、落ち着かない子。
「発達障害の可能性があるので病院へ行ってください」とか言われる。
そうやって受診されると、「困ってるんなら……」と医者も発達障害の診断をつけがちなものだから、エセ発達障害とまではいかないが、ちょっとコレは過剰診断なんじゃ⁉︎ みたいな話が出てくる。
その辺の仕組み↓
くどいようだけど、発達障害の診断って「どのくらい特徴があるか」よりも「その特徴でどのくらい困っているか」を優先してつける。
そして実際の困った状況は診察室では観察できないことが多いので、「こんなことで困ってるんです」と言われたら、そのまま診断につながりがち。
発達障害の過剰診断については、僕は結構気にしている。
診断によるデメリットがあるため。
レッテルを貼ってしまうことで本来できるはずだった経験が制限される可能性があるし、要らん投薬がなされるし、周囲に対する強制力も強い。
だからあえて診断をつけず、「診断にこだわらずこの子の個性を見てあげてください」とお伝えすることが、結構ある。
発達障害は、発達『障害』の名の通り、医学的な疾患概念だ。
疾患、つまり病気だ。
病気なので投薬の対象になるし、環境や接し方に配慮を求めることも(割と)堂々と出来る。(割とね)
最近は学校側も心得たもので、かなりよく見てくれるところが多いようだ。
だからこそ気を遣う。
病気として投薬したり配慮を求めるなら、それなりの根拠が必要。
つまり、しっかり診断する必要があると思う。
投薬や配慮される側、つまり患者さんの不利益のないようにしないといけない。
同時に配慮する側、つまり家族や学校に理不尽なことを押し付けてはならない。
HSPの過剰診断
翻ってHSP。
これは気楽。
病気じゃない。
持って生まれた特性であって、治療対象ではない。
治療する必要がないので、診断してもしなくても本人にデメリットがあまりない。
あ、そもそも診断できないんだった。
(余談だが、発達障害は「周囲が困る」、HSPは「自分が困る」と僕は思っている。周囲は困らないのでHSPは障害じゃない、つまり病気じゃない。)
配慮も、必要だとは思うけど、発達障害ほどの強制力は持たない。
「自分はこれがしんどいので配慮をお願いします」というスタンス。
だからこそ協力してくれる人としてくれない人といるんだけど、まぁそんなもんでしょ。
発達障害や何かの病気と比べると、強制力が遥かに弱い。
だから周囲のデメリットも少ない。
本人が「お願いする立場」というスタンスを忘れなければ、大きなトラブルにはならないだろう。
HSPは周囲に迷惑をかける類の性質ではない。
(発達障害は「周囲が困る」、HSPは「自分が困る」)
まー、自称HSPのくせに空気を読めず周囲に配慮を強要する人なんかが「ファッションHSPが」とか言われちゃうのだろうけど。
それは分かるけど。
HSPという概念が広がるメリット
「ファッションHSPクソが」と思う気持ちは分かるけど。
でもHSPという言葉が広がるメリットの方が大きいと、僕は考えている。
発達外来で診療していると、受診される方の困ったことの大多数が、『理解されないことによる二次障害』だ。
HSCに限らず、発達障害でも、不登校でも、起立性調節障害でも、みんなそう。
- 多動で動いてしまうことより、それで叱られまくって自己肯定感爆下げ! が困る。
- かんしゃくよりも、周囲の目が困る。
- 音に対する過敏そのものよりも、出席を強要される音楽の授業が困る。
もともとの特性だけでは、そこまで困らない。
困り感で言うと、
理解されないことによる二次障害>>>>>越えられない壁>>>>>持って生まれた特性
なのだ。
HSPという概念が、ここに風穴を開けるんじゃないかなーと僕は密かに期待している。
みんながHSPの存在を知れば、「この人は自分とは違う感覚を持っているのかもしれない」と想像する人が増える。
「それは変だ!」とか「普通は」「常識では」、そんなふうに糾弾する前に、一歩立ち止まって考えてくれるかもしれない。
「この人、ガチでイヤなんじゃね?」
その一瞬の立ち止まりが、HSPにも発達障害にも、老若男女誰にでも生きやすい世界へと繋がるんじゃないか。
ペリー(このブログで生まれた言葉。「普通は」とか「常識では」とか文句を言ってくる有象無象の人物を指す。指すの? 合ってる?)も国に帰るんじゃないか。
まとめ
とかまぁ、いい人みたいなことを書いちゃったけど。
すごく恥ずかしい!
実際の僕は性善説で生きてますってタイプじゃなくて、この世の全てを呪い尽くす! って感じ。
今も、トカゲの尻尾とコウモリの羽とケルベロスの頭とキメラの翼と天空の花嫁を鍋で煮込みながらブログ書いてる。(ビアンカとフローラを⁉︎)
でも、外来でたくさんの患者さんを見てると、すごく思う。
マジ、いろんな人がいる。
マジで色々いる。
十人十色とか言うけど、マジで本当に激ヤバにみんな違う。(語彙よ)
超違う。
理解するなんてマジで不可能だと思う。マ。
理解は不可能だけど、『理解は不可能』ってことを理解するよいとっかかりとなるポテンシャルをHSPは秘めてるんじゃないかと、僕はこっそり考えている。
この人、ガチでイヤなんじゃね?
の一文で、 最近読んだSHELLYさんの記事を思い出しました。
相手が嫌だと言ったらすぐやめる。イヤだと二回言わせない。ということを心がけているそうです。 発達障害もHSPも、それ以外の名前がついていたりいなかったりするいろんな性質の人も、お互いが相手の「イヤだ」を無条件に信じて寄り添うことで、いろんな問題が少し解決に向かいそうな気がしました((^^)
https://news.yahoo.co.jp/articles/af1ac44b98d095122150c19182c0299022280472
拝読しました。
SHELLYさん、よく存じ上げませんでしたが、良いことおっしゃいますね!
本物のHSCは
自分が困る&親も困る です
ヘットヘト!!
本物のHSCは
自分が困る&親も困る です
ヘットヘト!!
まじリスペクトっす。先生。
マジ卍
マ!
マ!
本当に先生はいいことおっしゃる( ;∀;)
先生素敵ー!マ、最高!!
マ!
ファッションHSP、増えそうですね😂
その気質のために、うちの不登校男子小学生のように、本当に困ってる人は困っているわけで。彼は心の中では天空の花嫁wを煮込んでいるけど、外では良い子を演じてしまい、ギャップに苦しんでいるように見えます。人の気持ちに敏感だったり、観察眼が鋭かったり、もちろん良い面もたくさんあると母は思っています。
金子みすずさんではないけど、「みんなちがって、みんないい」という社会になればいいなあ。
先生いつもありがとうございます。
HSCタイプは内弁慶なことが多いです。
外ではいい子、家では天空の花嫁を煮込んでいますw
外で頑張って疲れちゃうんですよね。
おうちでそのままのお子さんを受け止めてあげてください。
はい、ありがとうございます😊
母親も人間なので腹立つことも(めっちゃ)ありますが、忍耐力と演技力でそのままの彼を受け止めてあげたいです。
HSP、最近なんだか追い風っぽいですよねえ😊
うちは家族全員HSPで、なるほどなぁ。と、淡々とこの現象を観察中です。
私もP先生とほぼ同意見です😆🙌
ファションHSPが出てこようが、その取り上げ方どうなの?とHSPが扱われても、とりあえず認知される事が大切だと思ってまーす😆👍
いつも、貴重なご意見ありがとうございます😭