小学生の低学年で、一日中テレビを観ても脳への影響やテレビ依存などの心配はないでしょうか?
制限なしでも問題ないですか?
(この記事についた質問)
一般的に悪いとされていることについて、僕は肯定的な意見を持っていることが結構ある。
不登校は別に大した問題じゃないと思うし、テレビやゲームも大好き。
そんな話をすると、こんな質問をされる。
そんなにテレビ見せて大丈夫?
悪い影響があるんじゃないの?
テレビの悪影響
例えば上のテレビの例だと、長時間のテレビ視聴はよくないとされる。
脳への影響やテレビ依存など主張する説は、確かに存在する。(関係ないとする説もあるけど、ここではその議論はしない)
とりあえず小児科医会も「スマホに子守させないで!」とか言ってるので(テレビじゃないけど似たようなもんでしょ)、よくない面があることとして話を進める。
ここではテレビの長時間視聴によるデメリットは存在することにする。
その前提として、僕が言いたいこと。
じゃあどうします?
制限しますか?
比較対象は何ですか?
「テレビは有害、だから制限しよう」という展開は、いささか短絡的じゃないかと僕は思う。
もちろんテレビが有害である可能性はある。
でも、じゃあ禁止したとして、テレビを見ていたはずの時間、その子はどうやって過ごすことになりますか?
僕が意識して欲しいのはココだ。
テレビの代わりとなる質の良い時間、提供できる?
テレビを禁止し、その時間に親がその子にとって有用なイベント(マザー牧場で牛の乳搾り体験をするとか、博物館で恐竜について学ぶとか、アンコールワットの調査に参加するとか)を用意できるなら、もちろんそっちがいいと思う。
でも、実際ムリじゃね?
不登校で連日家にいる子に、毎日楽しいイベントを提供するとか、無理ゲーじゃね?
じゃあどうなるか。
テレビを禁止されたらゲームやネットに逃げるか、それも禁止されて親に不満を抱えながらイライラして過ごすのが、実際のところじゃないかと僕は思う。
この例の状況下において、テレビが悪か否かを議論するなら、比較対象はこの「親に不満を抱えイライラしながら過ごす」になるだろう。
テレビは悪かもしれない。
テレビ視聴 VS 学校での健全な学び ならテレビは悪だろう。
学校に行きたい子を家に縛り付けてテレビを見せ続けるのは、さすがの僕でもクレイジーだと思う。
でもテレビ視聴 VS テレビ禁止による居場所の剥奪と親子関係の悪化、この二者の比較の場合、テレビは本当に悪ですか?
テレビには悪い面があるかもしれない。
でも、禁止したらもっと悪いことがあるんじゃない? ってこと。
家が快適じゃなくなることが最悪だと、僕は思う。
学校に居場所がないから不登校になったのに、家にも居場所がなくなった訳だ。
ハートブレイク半端ない。
親に不満を抱え、不登校の自分を責めて、ただでさえ枯渇している貴重なエネルギーを削りながらイライラして過ごす。
最悪じゃね?
だったら楽しくテレビを見て過ごすほうが、脳の発達にも精神衛生上も家内安全的にも100倍マシだと思うんだけど。
比較対象を意識する
他のことでも同様。
物事には確かに悪い面がある。
でも、それが今この状態で本当に悪いのかを判断するには、比較対象が必要。
勉強しないのは良くないかもしれない。
でも、ガミガミ言って子供の自己肯定感を下げることと比べるとどうですか?
遅刻はダメかもしれない。
でも、頑張りすぎて心が折れて全く動けなくなるのと比べるとどうですか?
ゲーム依存はダメかもしれない。
でも、ゲームを禁止して非行や異性に依存するのと比べるとでどうですか?
ベストが無理ならベターを選ぶ
状況的にベストを選ぶことは無理でも、ベターを選ぶという発想は大事だと思う。
実現不可能なベストにこだわるあまり、最悪の選択肢を選んでしまうのは避けたいものだ。
もちろん、僕もいわゆる一般的な意見は承知している。
不登校はその後の選択肢が狭まるし、長時間のテレビやゲームはよくないというのも分かる。
でもそれが「よくない」からって、じゃあみんながみんな避けられるかというと、そうじゃない。
避けられなかったときは、なぜそうなったのか根本的な理由をよく探すこと。
表面的な行動を見るんじゃなくて、そうならざるを得なかった「理由」に目を向けることをおすすめしている。
根本的な理由が解決できるものなら、解決してあげて。
心配してほしくて、向き合ってほしくてわざと長時間テレビを見てるとかなら、ビシッと叱って止めてあげてほしいし。
でも解決できないもの(デフォルト・モード・ネットワークを避けてなんとかエネルギーを温存してる状態とか)ならそれを受け入れて、少しでもベターな選択を目指す方がよいと僕は思う。
表面的な正常化(例えばテレビを制限するとか)を目指すあまり、根本部分が崩壊することは避けたいものだ。