HSC。
ひといちばい敏感な子。
この子たちは不登校になりやすい。
不登校まで至らずとも、日々の生活で疲れやすい傾向にある。
あ、発達障害のない不登校児の相当な割合がHSCと言われていてですね。
個人的には、発達障害でない不登校児はほぼみんなHSCだろうと思っているのだけれど。
HSCは、とにかく疲れやすい。
周りと摩擦を起こすことはまずないんだけど、本人が「疲れちゃう」。
周りは助かるんだけどね、本人が疲れちゃうの。
これについて、僕は「そういう性質」と理解している。
気が利くし、優しいし、感受性が豊かなんだよ。
せっかくめっちゃいい人たちなのに、まぁ大変だよなー程度の浅い感想しか持たずにいた。
最近、コレってばつまりこういうことなんじゃね?と、より深いところまで思い至ったので、書いてみる。
気が利く人
日常生活で、人に感謝する場面がある。
他の誰かの行動に「そうそう、そういうことなんだよぉ〜!!!」と思うことがある。
レストランで、スプーンを取りに行こうとしたら、スタッフさんが先回りして持ってきてくれた。
ありがたい。
診療中、新しい検査のオーダーの入れ方が分からずオロオロしていたら、スタッフさんが教えてくれた。
非常にありがたい。
どちらも、直接的な依頼はしていない。
- 「スプーンを忘れたので持ってきてください」
- 「オーダーの方法を教えてください」
僕は言っていない。
様子を見て、気を利かせてくれたのだ。
気が利く人っている。
彼ら彼女らがHSPなのかは不明だ。
でも、明らかに気が利く。
めちゃめちゃ気が利く。
気の利き度って、かなりの個人差があるように思う。
同じものを見て、気づく人と気づかない人がいる。
世の中には2種類の人間がいる。
彼ら彼女らは「気づく人」で。
僕は「気づかない人」だ。
「気づく人」の世界
でね。
「気づく人」が「気づいたこと」に「僕が気づく」割合は、おそらくほんの一部だ。
僕の気づかない「気づき」が、きっと、めっちゃあると思うのだ。
何言ってんの?
伝わりますか?
多分。
今回はたまたま、気遣いに気づいたけど。
世の中には、僕が気づかない気遣いもめっちゃたくさんあるのだろうと思う。
気づく人、気を遣える人って、きっとすごくたくさんの思いやりある行動をしていて。
きっと、そのうちの何割かは誰にも気づかれない。
人知れずひっそりと優しさを発揮している。
また、気遣った結果、あえて行動に移さなかったこともあるだろう。
気づいたけれど、そのときは忙しかったりで、スルーするしかないこともあるだろう。
そんなたくさんの「気づき」や「気遣い」の中で、僕みたいな鈍い人間がキャッチするのは、おそらくほんの一部だろうと思った。
ごくごく一部、上澄みだけ。
ってことはですよ。
「気づく人」って、はちゃめちゃにたくさんの「気づき」に囲まれているのではないかと。
職場に、気の利くスタッフがいる。
その人と一緒だと、仕事がとてもスムーズだ。
でも実は彼ら、気づきすぎてめっちゃ疲れているのかもしれない。
8時間の勤務で、僕には例えば3回の「気づき」があり、3回とも行動できたとする。
誰かの役に立ったり、優しくできたり。
打率10割で、なんか今日はいいことしたなぁ! なんて気分になる。
同じ8時間で、「気づく人」は1000の気づきがあり、うち20回行動したとする。
打率2パーセント。
全然ダメだった……とヘコんでいるかもしれない。
僕は、そもそも気付いていないのだ。
気付いていないことに、気付いていない。
気付いていないことって、意識できない。
それゆえの。
純粋に「役に立った回数」で比較すると、
- 僕:3回
- その人:20回
圧倒的な差だ。
なのに、僕はいい気分になり、その人は落ち込んでいる。
僕は、とても低いステージにいるのかもしれない。
役に立てなかったことに気づいていない。
気づかないゆえに、気づいたほんの数回を過大評価する。
「気づく人」は気づいてしまうがゆえに、スルーする回数がどうしたって増える。
彼らも僕も、同様に、腕は2本だ。
- アレもできなかった、コレもできなかった。
- あの人困ってた。
- やってあげればよかった。
気づいたからこそ自分を責める。
対して僕は、気づかないので、自分を責める余地すらない。
HSCは、よく気付く。
良くも悪くも、気付いてしまう。
見えてしまう。
それゆえにスルーする場面が増え、把握している中での打率が下がる。
気付くゆえ、見えるがゆえに落ち込む。
不登校になりやすい理由
HSC。
ひといちばい敏感な子。
日々の学校生活で、めっっっっっちゃ「気づいてる」んじゃないだろうか。
- あそこに困っている人がいる。
- 先生は今これを求めている。
- 先にこっちをやらないとあとでこうなったら困る……。
1分1秒、たくさんのボールを投げられまくっている。
でも、人間の能力で打ち返せる球はほんの一部だ。
僕は、1日に2、3度来る(気づく)「ここぞ」という球を、満を持して打ち返す。
それだけで、いい気分になる。
HSCは、見えている球の数が違う。
圧倒的に違う。
打ち返せず、落ち込む。
HSCは、常にボールひゅんひゅん
なのかもしれない。
見えてはいるけど打ち返せない。
気づいても、スルーせざるを得ない。
HSCはよく見える。
でも、他の人には見えていない。
なので、人にやってもらうより、自分でやっちゃう方が早かったりする。
なのでなんでも引き受け、荷重負荷になりやすい。
あぁ、こっちのボールに合わせている間に、あっちにもボールが……。
そんな感じなのかもしれない。
そりゃ疲れちゃうよなぁと。
HSCは、理想が高い。
自らハードルを高く設定し、疲弊していく。
そしてとにかく不安が強い。
少しでも可能性があれば潰そうとする。
正直、ちょっとメンドクサイ……。
でもさ。
メンドクサイ性質なんだけども。
本人もそうしたくてやってるわけじゃなくて。
HSCは、常にボールひゅんひゅん
なのかもしれない。
見えちゃうんだもん!
ボールが飛んでるの、ホラそこにもココにも!!!
気づくボールの数がえげつないのかなぁと。
じゃあどうするかって……
そういう性質だもんで、じゃあある程度スルーするしか仕方ないんだけどさー。
見えている以上、人間、そのままスルーするのって難しくて。
どうしても逃した球が目に入り、打率の低さを自覚してしまう。
いっそ見えなければ余裕でいられるんだけど。
HSCがよく言われる言葉だ。
気にしなくていいでしょ?
アナタには関係ないでしょう?
そうなんだけどさー。
難しいのかもなぁと思った。
ボールひゅんひゅんに囲まれ、あちこちに目と気を配りながら生きているのかもなぁと。
そりゃ、疲れちゃうよなぁ。
僕ら「そうじゃない側」からすると、非常にありがたい性質なんだけどね。
助かるし、仕事は回るし、空気良くなるし。
いやホント、いつもありがとうございます!


