不登校について、いろいろな意見がある。
分かり合えない人もいる。
ま、無視しましょ。
コメントをいただいた。↓
そんなことないと分かっていても、不登校の大半は保護者のせいってパワーワードにだいぶ打ちのめされてたので、早く気づけてよかったって言葉が染みます。
今、滋賀県のある市長さんのフリースクールに対する発言がニュースになっていますが、そもそも不登校者の中でフリースクール利用者の%少ないし、考えられる原因を改善したとして、税金投入したとして、そんな雪崩式に増えるんかい?とも個人的に思いながら。
不登校は親の責任発言に、やはりまだそういう考え方の人もいるんだ…と気落ちしました。
(市長)「大半の善良な市民は、本当に嫌がる子どもを無理して学校という枠組みの中に押し込んででも、学校教育に基づく、義務教育を受けさそうとしているんです。」
→ごめんなさい、私はすでに善良な市民でないようです。違う市に住んでるので許してください。(市長)「無理して無理して学校に行っている子に対してですね、『じゃあフリースクールがあるならそっちの方に僕も行きたい』という雪崩現象が起こるんじゃないか。」
→みんながフリースクールにうつりたくなるような今の学校教育が問題だと思いますが、
みんなが行きたくなるならそっちが本物なのかもしれませんよ。市長はどうやらペリーのようですね(笑)
世間ではいまだに親が甘い、過干渉、本人が怠けてる、文科省がフリースクールを認めるから悪い、といった意見が主流のように感じます。本人の特性は常にお留守になっています。
気になりますか?
まぁ、気になりますよね。
そりゃそーか。
ま、アレだね。
そだね。
無視しよーぜ。
サクッとね。
今回、ソレについて書いたわけじゃなかったんだけどさ。
ソレについてのコメントをたくさんいただいたから。
やっぱり気になるんだろーなぁと。
こういう発言って、想像以上にエグるんだと思った。
まぁそーですよね。
キますよね。
でもね。
無視でいいと思います。
直接言われたわけじゃないし。
この件に関しては、ニュースかなんかで見ただけでしょ?
じゃあ、遠い国の出来事です。
アメリカの出来事。
そう思っておくのはどうでしょう。
「世間」とか「世論」とか、実態があるんだかないんだか。
そんなものと戦わなくて良いと思います。
それはアメリカの話で。
それより、目の前の実在のその子、その『玉』を観察する方が、ずっと良い。
ペリーよな。
外(アメリカ)から迫ってくる、ペリー。
「開国してくださいよぉ!」
責められている気になる。
でも、無視でいいです。
直接言われたわけじゃないんで。
「ふーん」と鼻くそほじっていれば、ペリーがアメリカで騒いでいるだけ。
気にしちゃうと、浦賀まで来る。
海岸で、大砲打ってくるからさ。
わざわざ入港させなくていいと思います。
不登校には、いろいろな意見がある。
考え方がある。
どれが正解とか間違いとかはない。
その上で。
この手の考え方って、
昭和に戻ろう
ってことだ。
まんま、昭和の構図。
選択肢がないから、不登校を選択し得ない。
ないものは選べない
ってヤツ。
僕、最近、昭和の学校について教わったんだよね。
だからちょっと詳しいんだけど。(えっへん)
コレ、無理じゃん?
昭和の構図に戻すことは、もう、現実的に不可能だと思うのだ。
もう知っちゃったから。
不登校という選択肢がある。
学校が全てではない。
みんな、知ってしまった。
僕はそう思うけどね。
時代背景も違うし。
でも、昭和の学校を正解モデルと考える人も一定数存在する。
それが絶対的な解と考える人。
考えてみたら、そりゃいるよね。
いるわ、そんなもん。
当たり前の話で。
今回それが目に入っちゃったわけだ。
うん。
無視でいんじゃね?
そういう人、いるよねー。
いるいるー。
そんなことより、「ひき肉です!」って流行りに乗って使いたいんだけど使い所がよくわからないよねー。
それでいいと思います。
幸い、学校教育の親玉である文部科学省は、これまでの方針を変えていない。
多様な学びを保証しましょうという考え。
じゃ、いーじゃん。
直接の上司がいいって言ってるんだからさー。
アメリカの意見は無視で。
この件以外でも、分かり合えない意見に遭遇することは、きっとある。
正解はないからね。
僕の意見だって、断固反対! って人は絶対にいるし。
みんなが納得する答えなど存在しない。
だから「ちょ、待っ」って意見に遭遇することは、あると思う。
合わないと思ったら無視でよい。
現実的に不可能と思われるものは特に。
みんな言うんだよ。
思うことを好き勝手。
言うのは無料だし。
でも、言ったその人が責任とってくれるわけじゃないからさ。
時に、浦賀まで攻め込まれることもある。
直接、面と向かって何か言われること。
「開国してくださいよぉ!」
でも、できる限り無視で。
国に帰っていただいてですね。
選択の責任を取るのは、第一に子ども本人。
第二に親御さんだ。
責任を取る人が、意見の取捨選択をするべきだ。
責任のない人の意見は、不採用で良いと思う。
ウチの子のこと、何も知らないくせにバーカバーカ。
それでいいと思う。
ひき肉です!!!
(使い方、これで合ってます?)
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以前から拝読していたのですが、先月から中2長女がタイムリー?に不登校になり、改めて身に染みる記事を書かれる…と思って拝読しております。
玉を見る、アメリカの話は無視、非常に心強いです。「直接の上司も多様な学びを認めてる」、これまた心強いです。
そのうえでなのですが…多様な学びは認められているかもしれませんが、結局のところ、現行の制度で行われる受験に参加できなかったら、社会で1人で暮らしていける収入が得られる仕事につくことって、難しいですよね…。
教育虐待という言葉もありますし、尻を叩かれ続けてどこかの段階で壊れる人が少なからずいることは知っていますし、だからこそ、不登校になった我が子には、学歴より日々楽しく生きる力が枯渇しないように過ごしてほしいと思っています。
けれど、気力があったところで、結局就ける仕事が一人で税金、年金、家賃、衣服代、スマホ代金など賄えない職にしかつけなかったら、結局どうなるんだろう、と心配が尽きません。
ものすごい天才とか、ある分野で才能があるとかいう子ならまだしも、ごく平凡な能力の子が社会で生きていくためには、結局時代に合わなくなってきているとしても現行の学校に行き、受験制度にのっからなくてはならないのではないでしょうか。
親が子どもを死ぬまで養えるぐらいお金があればいいんですが…。小・中学生の不登校は予後がいい、というP先生のブログからも励まされていますが、学校はよくてもその後はどうなるんだろう、リカバリーするにも普通に学校に行っているこの何倍も労力がかかるのではないかと思うと、苦しくなります。
よろしければ、学びの多様性→社会でどうなるか、の具体例やお考えをうかがえるとありがたいです。
藁にも縋る気持ちで、思わず初めてコメントしてしまいました。どうぞよろしくお願いいたします。
私もそう思います。将来YouTuberになればいいとか、今は学歴が全ての社会ではないことは理解していますが、結局現存の受験システムからこぼれ落ちたら将来福祉の力をかりないと生活できないと思うのです。
コロナ不登校についてのP先生の考察のお題だったのに…コメントで失礼しましたm(_ _;)m
ですね…
批判&抗議受けても余裕のペリィ、
「言論の自由で問題発言もしていないので、発言の撤回はしない」
そんな昭和ゴリゴリの団塊付近のおっちゃんに!
『元不登校の親としても、不愉快極まれり!!』と吠えるより
『何言うてくれるねん!ウギャー(●`ε´●)💢』と吠えるより
うちの子のこと、何も知らないくせにバーカバーカ!! 後ろ足で砂蹴って。
我が家は
P先生おっしゃるよう、無視一択がハッピーかも♪ヽ(・ˇ∀ˇ・ゞ)
思春期真っ只中の息子達に
『ひき肉です!』言ったら、
一人はガン無視、一人は『うん』と言いました。使い方、よくわかりませんね。