ブログ

変えられるものと変えられないもの

最近、よく考える。

 

これって変えられるのか。

それとも変えられないのか。

 

変えられないもの

生まれ持ったものって、変えられないじゃん?

例えば、僕は結構な天パで。

髪質vaundyなんだけど、これは変えられない。

 

縮毛矯正をかけても、新しく伸びてくる髪はvaundyで。

坂田銀時が「俺が天パじゃなかったら、きっと人生変わってた」的なことを言っていたけれど。

それな! ってなった。

 

銀ちゃんは、きっとモテモテで人生イージーモードだったって。

マジそれな。

 

 

患者さんでも、生まれ持った容姿や身体特性で悩む人がいる。

もっと背を伸ばしたいとか、一重がなんだとか鼻筋がどうだとかさ。

「はぁ、自分ブスすぎてつらい」とか。

僕から見ると、年齢相応にかわいらしいんだけど、本人はガチで悩んでいたりする。

 

でも、これって変えられないじゃん?

将来的には整形とかあるけど、現段階ですぐに変えるのは難しい。

この悩みは「変えられないもの」だなと思う。

 

マイナスをゼロに

心理や性格的な特性にも、変えられないものがある。

 

親御さんの相談で、「お子さんの不得手な部分を平均まで押し上げたい」というものは多い。

 

母
忘れ物を減らしてほしい。

 

母
宿題はやってほしい。

 

母
最低限の読み書きはできてほしい。

 

母
ケンカしないでほしい。

 

母
テストはせめて平均点を。

 

母
普通に進学してほしい。

 

……とまあ、無限に出てくるわけですが。

 

どれもこれも、「マイナス部分を、プラスじゃなくていいからせめてゼロに」というものだ。

特別秀でていなくてもいいけど、せめて普通にできてほしいと。

 

 

この気持ちは非常にわかるのだが、僕は思う。

 

それって、変えられる?

 

その子はなぜ、宿題をせず、忘れ物にも無頓着なのか。

多分、困らないからだ。

先が見通せないし、叱られても気にならないから。

 

じゃあ、困るまで自発的にやるのは無理だろう。

つまり、「変えられない」。

 

この辺り、ADHD特性が関与していそうだ。

特性は「ある」。

じゃあ、行動を変えるのは今じゃないと思う。

 

そう、「今は」変えられない。

だけど年齢が進み先が見通せるようになれば、主体的に困るようになれば、変えられるときが来る。(実際ADHDの不注意や衝動性は大人になると軽快します。)

変えるのは、その時でよくない?

 

 

勉強ができないのはなぜか。

知的障害やLD (限局性学習症)が関与しているなら、「変えられない」可能性が高い。

 

学校や進路に興味を持たないのはなぜか。

ASD特性が強ければ、本人には「変えられない」ので大人がレールを敷く必要があるかもしれない。

 

 

マイナスをゼロにしたい。

非常にわかる。

 

でも、それって変えられる?

変えられない?

 

遺伝子は変えられない

この視点で見ると、変えられないことって死ぬほどあるなと気づく。

そして不得手なことって大抵変えられないのだ。

残念なことに。

 

例えばADHDタイプの子は、確かにその気になればものすごい集中力を発揮する。

勉強だってよくできるし、将来的には出世もしやすい。

でも、火がつくまでが難しい。

ここまで含めてADHD特性なわけだ。

 

「この子、やればできるハズなんだけどねー」って子。

今は「やる気」が欠如しているわけだ。

やらなければできないわけで、つまり「できない」という評価になる。

 

「やる気」は、変えられるのか変えられないのか。

本人がその気になるまで待つしかないのか、お尻を叩けばいけそうなのか。

この辺、生まれ持った性格や性質に左右されるだろう。

 

 

このように、困った点をさかのぼると、最終的には『生まれつき』に行き着くことが多い。

めっちゃ多い。

めっちゃホリデー。

ウキウキな夏希望。

 

で、変えられないことはどうしようもないなと。

 

 

ADHDもASDも、生まれつきだ。

能力のデコボコも。

不登校だって、生まれつき学校が合わない人だった。

 

生まれつきの性質は、変えられない。

どんなに頑張ったところで、見合った成果は得られない。

 

 

僕なんてさ、できることよりできないことの方がずっとずっと多くてさー。

大人になると見えてくる。

自分はスーパーマンじゃない。

出木杉くんにはなれないし、格闘家にもお笑い芸人にも芸術家にも松浦亜弥にもなれない。

ノリノリで恋できない。

不可能だらけだ。

 

残念ながら、人間、不可能なことの方が多くて。

「変えられない」「持っていない」が山のようにある。

まず、ここを認めたい。

 

変えられないから

できねーんですよ。

それ、できねーです。

いくら悩んでももがいても無理で。

 

こう書くと、救いがなさそうに見えるじゃん?

絶望的じゃん?

 

でもね。

これが実は希望で。

 

変えられないことを認めると、「じゃあどうしようか」の視点が持てる。

 

 

僕はサラサラストレートにはなれないから、じゃあどうしようか。

一重だから、じゃあどうしようか。

ADHD特性があるから、じゃあどうしようか。

 

「自分は持っていない」って認めるの、難しいけどさ。

ダメな部分をを認めるって、ハードル高いけど。

 

 

そりゃ僕だって直毛に生まれたかったし、モテモテになりたかったさ。

ズバッとサマータイムで、ノリノリで恋したかったけども。

 

それを悩んでも、僕は直毛にならないし。

悩みすぎてハゲるだけだ。

 

そうじゃなくて、天パで、どうするかだ。

天パのまま、どう生きるか。

 

配られたカードで勝負するっきゃないのさ

スヌーピー

 

結局、これしかないのだ。

 

変えられるものは変えたらいい。

環境とか、考え方とかね。

 

でも、変えられないものはどうあがいても無理で。

持って生まれた特性はなくならない。

 

どのカードを持ち、どれは持っていないのか。

ないものはそもそも選択肢から外した方が、作戦を練りやすい。

だって、ないんだよ。

考えるだけ無駄だ。

 

 

自分を知るって、可能性を切り捨てることだと思う。

この一見ネガティブな作業が、実は非常にポジティブだったりする。

これはできない、あれもできない、じゃあどうしようって考えるから。

 

闇があるから、光がある。

影の大きさに比例して、光が浮き上がる。

 

発達に特性のある人、デコボコの人は、これがやりやすいように思う。

影が大きい分、消去法で光がよく見える。

得意なことなんて別にないんですけど。 発達外来の初診で必ず聞く質問がある。 『好きなこと、得意なことはなんですか?』 勉強ができる? 足が...

 

「手持ちのカードが少ない」って、選べる作戦が少ないってことだ。

戦略が立てやすい。

そこに特化し、研磨すればよいのだ。

すると案外、抱き合わせ商法で苦手なことも克服できちゃってたりする。

持って生まれたデコボコは、こう考えると意外と強みかもしれないよ?

 

 

一般的には、

子どもの可能性は無限大だし、希望を持って邁進しよう!

的な考え方が主流だと思うけど。

 

僕は逆で。

 

可能性をガンガン切り捨てて行こうぜ!

↑コッチを推したい。

 

積極的に、どんどん絶望していこう。

その先に光があるから。

 

 

配られたカードで勝負するっきゃないのさ

スヌーピー

 

 

配られた手札を見て、なんだよこのクソカード! と思うけどさ。

実際僕は思ったし(僕は親カード、環境カード失敗)(あ、容姿カードもだ)(ないものばかり)、なかなか認めずに時間を浪費したけど。

 

ないものはないんだ。

一般的な手札を揃えるんじゃなく、クソカードで出せる手を考えるんだ。

 

僕らに変えられるのは、ここだと思う。

発想の転換、戦略的な生き方、得意分野で省エネに、おいしいとこどり。

ここは、僕らに変えられるものだと思う。

確かに変えられないものはあるけれど、変えられるものも絶対にある。

POSTED COMMENT

  1. 杉母 より:

    先生が教えてくれたスヌーピーのお言葉、私も大好きになりました。悩みそうになると必ず思い出します。良いカードが少なそうな息子ですが、その少ないカードの親カードは最強であるように心掛けようと思ってます。そして、そんな息子は絶対に幸せ者だと思っています。

    いつもありがとうございます。

  2. ふわり より:

    P先生こんにちは。

    変えられないものは誰にでもありますね。
    自分にとってマイナスな面でも、他人から見るとプラスに見えることも沢山あると思います。逆もしかり。

    もし自分がこんな人生だったら…
    そんなことを考えてみたことはあったのですが、人生を振り返ってみるとどんな時も自分らしい選択の連続だったと思います。
    ちょっとした選択の中にも人それぞれ、その人らしさが出ています。その人だからその人生を生きている。

    自分がもし生まれつき寝たきりだったら、親は学校へ行くことを望むのか…就職することを望むのか…きっと生きていてくれればそれでいいと思うのではないか。
    子供が生まれてきた瞬間に健康であることを祈っていたように…
    なぜ育つにつれ望むことが増えてくるのでしょう。
    子供に申し訳ない気持ちになります。

    それぞれが、今の自分に出来ることをやることしかないように思います。
    子供には子供の人生がある。
    その選択を親が奪ってしまわないように、それだけ気をつけて親は自分に出来ることをする。
    未来は考えない。
    だって未来は誰にもわからないから。

  3. しゃんしゃん より:

    息子はたぶんADHD傾向があるかと思いますが、
    親は高卒でもなんでもかまわないのに、一流大学でなければ行きたくないと多浪しています。勉強が向いていないと思いますが、本人は認めません。できないことを受け入れて、みんなと同じじゃなくても楽しく生きてほしいです。
    「普通」にこだわっているのは、親ではなく本人です。

  4. 雨のち晴れ より:

    いつも先生のブログを楽しみにしています。

    子供は上の息子が小学6年生で不登校2年3ヶ月、
    下の娘が小学4年生で不登校1年3ヶ月になりました。

    上の子はとても元気になってきました。
    たまに子供をつついて失敗していますが
    先生のブログに何度も助けられながら
    私自身の心が整ってきました。

    可能性をガンガン切り捨てていこうぜ

    素敵な言葉ですね。
    本当に息子は消去法で道が見えてきているように思います。

    元気になって学校復帰を目指していましたが
    しんどくなった。
    また引きこもってエネルギーをためて元気になった。
    学校に行かなくても生きていけそうだ、、
    最近はそう思えたようで
    いつ行くかはわからないけど

    個別対応のプログラミング教室、
    オンラインのフリースクール、
    などを考えているようです。

    なんとなく生きてきた自分からしたら
    この年で自分を知っているって強いな
    と思いました。

    行動に移すまでま時間がかかると思いますが
    焦らずゆっくりいけたらいいな、と思っています。

    いつもありがとうございます。

  5. 雨のち晴れ より:

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です