心理学

認知のゆがみ

今まであえて書かなかったけど、めっちゃ大事な視点。

認知のゆがみ

これについて書いてみようと思う。

 

認知のゆがみ

不登校でも発達障害でも反抗挑戦性障害でも、なんでもいいんだけどさ。

あ、急に出てきた反抗挑戦性障害。

反抗挑戦性障害(ODD):

親や教師など目上の人に対して拒絶的・反抗的な態度をとり、口論をしかけるなどの挑戦的な行動を起こしてしまう疾患。

怒りっぽい、挑発的、しつこい。

 

やたら反抗的な子ね。

二次障害でよく見るやつ。

 

このような、「表面的な困る行動」の裏には、認知のゆがみがあることが多い。

多いってゆーか、大体ある。

 

  • なんでそんなふうに考えるん?
  • そこそんなにこだわるのに、コッチはお留守か!
  • あの出来事を、そんな風に受け取っちゃったかー。
  • 思い違いに辻褄を合わせるために、ありもしない物語を作り上げちゃってる……。

 

話を聞いていくと、上記のような「認知のゆがみ」が大抵横たわっている。

客観的に聞くと何かヘンなんだけど、本人はこれが真実だと信じて疑わない。

 

言うなれば、困りごとの大元。

源流。

生みの親。

 

そんな横綱的な存在が、「認知のゆがみ」だ。

 

 

どこがゆがんでるか、どのようにゆがんでるかは人によって。

具体的には、こんな感じらしい。↓(画像お借りしました)

へー。

色々あるなぁ。

 

 

ゆがみが大きい方が困りやすいのは、想像に難くない。

人間なんて誰でも多少はゆがんでいて。

中でもゆがみが大きい人が、生きづらい人、困りやすい人だ。

 

1階と2階

困りごとの支援をするとき、この「認知のゆがみ」と向き合う必要が出てくる。

 

と、いうのもですね。

困りごとやトラブルって、2階なんですよ。

 

まず、1階部分に認知のゆがみがあって。

その上に、2階部分として実際の困りごとが現れる。

 

物事がヘンになるのには必ず理由があると、僕は思っていて。

世界に数多ある奇祭たち。

これにも、こうなった歴史的経緯があるハズなのだ。

知らんけど。

 

 

同様に、その子の「ヘン」な行動には必ず理由があって。

それが

認知のゆがみ

だ。

 

 

不登校は、その子の特性によるものと何度も書いている。

学校が合わない子だったわけだけども。

 

合わない理由は、例えば

  • 環境に敏感すぎる
  • 完璧主義(完璧じゃないと学校に行けない)
  • 他責思考(全部アイツが悪い!)や自責思考(全部自分が悪い……)
  • 興味のかたより
  • 拡大解釈(一人嫌な人がいる→みんな嫌な人だ)
  • 勝手な先読みや決めつけ(〇〇になると決まっている)

みたいな、そう、「認知のゆがみ」だ。

 

客観的に、フラットに見ると、「まぁ、そこはそんなに……」という部分を、その子はものすごーーーーーく大きく捉えてしまう。

このゆがみから不登校に至る。

 

 

発達障害も、特性による認知のゆがみから困りごとが出てくるし。

友達関係のトラブルだって、「そこ⁉︎」ってとこにやたらこだわって起こる。

怒ればケンカになるし、傷付けばメソメソする。

出発点は認知のゆがみだ。

 

 

メンタル系の困りごとは、その99%が認知のゆがみから出発する。(僕調べ)

「認知のゆがみ」が1階、その上に建立された「困りごと」が2階だ。

 

小児科医P的解釈

今までこの「認知のゆがみ」にはあえて言及してこなかったわけだけども。

理由があってさー。

 

でも、実はこれまでも同様の話は何度もしており。

それが、コレ。↓

そう、おなじみ『玉』です。

個性的な玉からは、個性的な矢印が出力されるって話。

 

『玉』が、つまり認知。

『矢印』が、行動ね。

個性的な玉だと認知がゆがみ、困った行動につながる。

 

 

外部刺激が、『玉』を通すことによって、ゆがんで出力される。

レンズによる光の屈折のように、プリズムによる色調の変化のように、まっすぐ進んできた光(客観的な状況)が進路や色を変える。

なんなら光の性質まで変える。

これが、『玉』であり、「認知のゆがみ」だ。

 

『玉』をよく見てって、何度も書いている。

つまり、認知のゆがみに注目してってことだ。

 

そして、ゆがんだ世界が、この子の真実である。

ビックリしちゃうけど、にわかには理解し難かったりするけれど、そうなのよ。

ゆがんだ世界が、その子にとっての真実なのだ。

 

『玉』と「認知のゆがみ」

結局同じことなのになんでこんな表現をするかって。

 

だってさ、「認知のゆがみ」って表現、なんかイヤじゃん?

ネガティブなニュアンスが強いじゃん?

なんか悪者感ある。

 

認知がゆがんでるのが悪いんだ!

矯正すべき!

 

ってなりそうでさー。

 

 

僕的には、悪いのは

認知のゆがみ

じゃなくて、

困った(社会にそぐわない)行動

なんですよ。

 

特性が悪いんじゃなくて、社会に適合しない言動が問題なのね。

何度も書いているけど、特性にいいも悪いもないからね。

 

つまり、悪いのは

じゃなくて

矢印

ってことですね。

 

『玉』それ自体にいいも悪いもない。

みんな違ってみんないいんですよ。

ここは金子みすゞ的な世界。

 

問題は、矢印がどう出るかだと思っていて。

環境や社会に合うか合わないかが問題。

 

 

だから『玉』を変えずに『矢印』を変えようって表現してる。

もしくは『窓』を閉めるか。

いずれにしても、『玉』を変えようとしないのが鉄則。

 

この方が、「認知のゆがみを是正しましょう!」って表現するより受け入れやすい気がして。

認知のゆがみを矯正するんじゃなくて。

どう歪んでいるか観察し、社会に適合したアウトプットに変換しようってことね。

このイメージが、『玉』と『矢印』の方が入りやすい気がするんだよなー。

 

要観察

だから敢えてあんまり使ってこなかった表現だけど、つまりは「認知のゆがみ」だ。

同じこと。

 

困った行動があるなら、おそらく認知は歪んでいるのだ。

出発点はココ。

 

だからこそ、問題行動(2階部分)だけにフォーカスしても、うまくいかなくて。

ベースにある認知のゆがみ(1階部分)を観察する必要がある。

 

認知のゆがみ、つまり『玉』を、よく観察してください。

 

結局ココだ。

POSTED COMMENT

  1. ふう より:

    p先生、いつもありがとうございます。

    認知のゆがみ10パターン、
    次女(中2、中1秋から不登校、凸凹あり)もあるけど
    自分(母)も5つくらい当てはまります。
    項目によっては結構強めな気も…
    変わっている玉を持っていた私は、生き抜くために、居場所を得るために頑張って「いい子」を演じるのが当たり前だったし、みんなそうやって生きていると思っていた…
    と次女を通じて気付かされています。

    これって、次女が身体を張って
    「お母さん、もっと気楽にやっていいんじゃない?
    そんなに頑張らないでよ」って伝えているのかもしれませんね。
    50年以上これが当たり前としてきた自分の玉を見直すのも難しいけど、ちょっと俯瞰できるといいのかな。

    あと…先生もおっしゃっていたように「認知のゆがみ」って表現、私もいやです。
    「認知のクセ」でもいいのかな。
    多数派とは違ったり極端だったりするけれど、良い悪いって価値判断されたくないなって思います。

  2. T より:

    奇祭、、おもしろすぎる(笑)

    なるほど~!
    玉の話は、認知のゆがみの話だったのですね。
    玉は変えずに、とか、ゆがみって言い方が嫌だとか、P医師やさしい~。涙
    アウトプット、出力を変える、言動行動を調整していく。
    わかりやすいです。
    あろがとうございます!

  3. しろ より:

    少し前に“そういえば最近奇祭出ないな”と思っていたら、久しぶりに!(笑)
    うちの息子も、認知のゆがみはけっこうな物だと思います。
    親としては、このゆがみのまま大人になったら…と思うと、今のうちに正さねば!と心配になっていました。
    まあトラブルが起きている最中は、いくら言っても本人の耳に入らないので、正せないんですけどね。
    最近は、タイミングをずらしたり、伝え方を変えてみたり、スルーしたり…。
    特に思うのは、学校の友達がサラッと指摘してくれるのがとてもありがたい。
    トラブルが落ち着いたあとに、笑い話にしながら『でもさっきのはちょっとやりすぎっしょー』みたい感じで。
    その言葉を受け止められるようになったのは、本人の成長もあると思いますが。
    親からの言葉より友達の言葉のほうが、説得力は数倍ですからね。
    少しずつ少しずつ、自分の認知と周りの認知の違いに気づいてくれたらなーと思っています。

  4. シェル より:

    「認知のゆがみって、表現、なんかいやじゃん?」という一文を読んで、思わず「それな!」と叫んでしまいました。いかにも正さなくてはいけない感が強い。
    娘の不登校により、なぜあれほど「学校は行くもの」「教師は教育のプロなのでいつも正しい」と思っていたのか等、自分の中にも多くのゆがみがあることに気がつきました。

    余談ですが、高速道路のサービスエリアが道路公団が管轄していた時は、同質、同価格の
    サービスを提供することを重視し、「どこでもおなじような味のラーメンやうどん」と評されていたそうです。民営化され、質の向上や地域性を取り入れたSAにうまれかわり、中にはかつての経由地ではなく目的地になるような人気のSAもできたそうですが、これ義務教育にもあてはまらないかな?と感じました。IT化がすすんだ今、「日本の高い基礎学力(読み書き計算)」ってどのくらい価値があるのかな?むしろ学校がもっと多様化(立ち歩きOK、とことん研究できる等)して、選択性を取り入れるのはどう?など…(民営化しろ、という話ではないです。)

    長くなりましたが、認知のゆがみは大人側にもあるのでは、多様な玉を「それもありだよー」と受け入れてくれる環境と選択肢がもっと当たり前になればよいなあと夢想してしまいます。

  5. 匿名 より:

    いつもありがとうございます!
    かなり凸凹した息子を育てています。
    そして、自分自身も、結構ズレてる自覚があります。。
    でも、性格に難があるためか、『多数派だからって絶対正しいみたいに、そちらの常識を押し付けてこないで欲しい( *`ω´) そっちが少数派だった可能性だってあるんだから。ベロベロべー!』と、いつも思っていました。が、先にコメントされた方の中には、自分がずれてるから、周りに合わせないと、と辛い思いをされている方もいらっしゃる、、ちょっと反省しました。
    あ、一応、前面に出しても誰も得をしないので、普段は心に秘めています♡

  6. より:

    不登校になった子供の「玉」を観察中です。
    が!
    全く見えてきません…。
    修行が足りない母です…泣
    まだまだ時間かかりそうです…泣

    ブログいつもありがとうございます。
    参考にさせていただいています。

  7. より:

    今回の記事を読み始めて、思い浮かんだのが実父実母でした。
    特に実母が結構な玉を持っていたと推測。

    私はひとりっ子ということもあり二人のやりとり、二人とのやり取りを全身で受け止めていたと思います。
    (←結婚して親元を離れて心がとても楽になりましたから)
    私は自分のことを「思っていることがうまく伝えられない。伝えるのが下手だ」と思っています。
    他にも以前はそうでもなかった認知のゆがみを沢山自覚しています。
    それは経験が積み重なって私の玉がそう(削られて)なってしまったのか、元々そういう玉なのか正直なところわからなくなってきました。

    先生の今までのブログからは玉は持って生まれたもの、だと思います。
    でも、変わることや変えることはできますかね?
    矢印を表に出すときに方向を変えるとか?

    私がこのまま歪んだまま接していると、幼いときの自分のように子どもたちを苦しめてしまうのではと不安になってきました。
    ←これが既に認知のゆがみですが。汗

    話は変わりますが、小学6年で身体性不安障害と診断されその後起立調節性障害のような自律神経失調症のような中3の息子が第一志望の高校に合格しました!
    単位制通信制も提案しましたが、全日制でみんなと活動したい思いが強くて勉強も頑張りご縁をいただきました。
    完璧主義なので「オッケーなんちゃあなる!大丈夫!」と休むときは休ませつつ(きっと許容欠席日数との闘い)、
    いざというときは骨を拾う覚悟で(学校に近いけどいざというときのため安い物件を買いました)、
    それでも彼の冒険を全力で応援したいなと思います。

    こういう子って一発逆転ホームランを狙いがちですが、
    希望の環境が程よいいいストレスになっていい方向に進む場合もあるので(先生の過去ブログより)、
    どんと見守っていきたいと思います。

    最後まで読んでくださりありがとうございました!

  8. より:

    わーい、奇祭だー、久しぶりだーヾ(o´∀`o)ノ
    認知のゆがみ、そんな風に考えた事なかったですがなるほど確かに『ゆがみ』てネガティブなニュアンスありますね。整えないと、みたいな。
    認知のゆがみについての本を買って読んで、こんな荷物持ってたらしんどいよなー、持ちたかったら持ってていいけど捨てた方が楽だわなーと、自分も色々持ってたのに気付きました。
    名前に負けず『自分てこゆとこあるよねー』と理解する助けになるといいですよね(っ´ω`c)

  9. かなびっつ より:

    発達障害当事者です。

    P先生は小児科の先生ですが、もう大人な私は自分で自分のケアとかサポートをしなくてはならないので、P先生のお話を参考に…
    自分が親で、自分が発達障害当事者の子として、いつも参考にさせて頂いてます。

    サポート側も、サポートされる側も自分でやる感じです。

    サポート材料とか、取り組んでみる方法は、多いと混乱もしますが、合うものを自分に見つけていくだけなので、参考にさせて頂いてます!
    自分への接し方をP先生の『親がこうしてみる』を親を自分が自分に…と置き換えてやってみたりしてます( ̄∀ ̄)

    そして、認知の歪みのテーマについて、いつも悲しみを覚えていたので、今回のブログに救われました。
    ありがとうございます。   

    認知の歪み。多数と違う。多数が普通。少数が間違い。

    認知の歪みって、人と違う捉え方をする方が悪いと言われがちなので、そうなんだけどそうじゃないと言ってもらえた事がとても心に響きましたし、自分を責める材料が減りました。

    私が思った事、感じた事は、認知の歪みで間違いなんだから、と正される日々。
    まわりも良かれと思って言ってくれてる事も感じるので、申し訳ない気持ちや自分や自分の感覚を否定しなければならない気持ちが入り混じってました。

    長くなってしまいすみません。

    ただたんに『ありがとうございます!』を伝えたかっただけなのですが、長くなってしまいました。

    いつも自分の事を否定的に捉えてしまう事や否定的に言われる事が多いので、このように否定ではなく前進的な意見を持つ人間が世界にいると思えるだけで、私はまたこの世界で自分と言う人間として生きていこうと思えるのです。

    社会には合わないかもしれない、でもそれを少しでも分かってくれる分かろうとしてくれる人がいると言う事が、社会は悪ではないと思わせてくれるんです。

    ネットがあって本当に良かったと思います。

    もう本当に、いつもありがとうございますー!

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