診療をしていると、子どもに対し
そこさー、もうちょっとなんとか、考え方を変えてくれなきゃしょーがないんじゃない?
ってことがある。
頭固いのよ。
子どもだもんで。
頭の固い子
例えば不登校。
怖いのは分かるんだけど、とりあえず別室登校してみたら?
チャレンジしないことには調整もできないじゃん。
例えばHSC。
あれもこれも気になるのは分かるけど、全員にいい顔するのはムリじゃね?
分かってくれる友達が数人いれば、それで十分でしょ。
例えば起立性調節障害。
やっぱり午前中は体調悪いよ。
でも、症状がゼロにならなくても、午後から学校に行くでもよくね?
なーんてことが、診察室では日常茶飯事。
周りにできる最大限のフォローはした。
現在進行形でしている。
学校も配慮してくれるし、薬も飲んだし、親だって骨を拾う覚悟だ。
あとはもう、やってみるしかなくね?
失敗したらまた一緒に考えよーぜ。
とは言うものの、本人は一向に動かない。
支援者(特に親御さん)は、ほとほと困ってしまう。
そりゃ人生に絶対なんてないよ。
失敗するかもしれないさ。
でも、成功するかもじゃん。
とりあえずやってみたら、得るものがあるかもじゃん。
ってゆーか、ここでじっとしてても何も変わんないよ!
いい加減、よくね?
ここまでお膳立てしたんだから、ちょっとくらい折れても良くない?
ここで周りが焦って無理に押して、案の定返り討ちにあったり。
いやー。
お疲れ様です。
子どもって、頭固いっすよね。
融通の効かない子
子どもの頭は柔らかいなんて聞くけどさー。
僕、そんなことないと思っていて。
子ども、頭固いっす。
基本固い。
極端だし。
一度思うと曲げられない。
子どもだもんで。
経験が圧倒的に少ないのだ。
「まぁ大丈夫でしょ」という、経験からの推測ができない。
「最悪こんなもんっしょ」「なんとかなるでしょ」という見通しが持ちづらい。
不安が強い子は特に、頭が固い。
既知の範囲、安全な範囲内で動こうとする。
安全地帯。
そこを出れば、今以上、それ以上愛されるのに。
あの消えそうに燃えそうなワインレッドの心を持つあなたの願いが叶うのに。
見ている方がやきもき。
やってみればいいのに、もうっ。
非常によくある。
子どもだもんで、しょうがない。
人生経験が少なく、先が見通せない。
子どもだもんで。
子どもは動かない
本人が納得するまで待つしかないケースがある。
安全地帯(今以上それ以上)でまずやってみて、この範囲内では打開できないと本人が納得するまで。
うまくいく可能性は十分あると思うけどなー。(チラチラッ)
と、選択肢を与えつつ。
本人が納得して選ぶのを待つしかない時がある。
もしくは、不本意ながら押すしかない場面もある。
本人がテコでも動かないなら、心を鬼にして背中を押すべきときもある。
我が子が不安で不安で抵抗しまくる様子は、見ていて辛いけど。
ライオンは、我が子を千尋の谷に突き落とすという。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、人間万事塞翁が馬だ。
……ノリで書いてみたけど、言葉の意味はよくわからない。
いずれにしても、大人の思うようには子どもは動かないってこと。
頭固いのだ。
子どもだもんで。
羹に懲りて膾を吹く。
……意味はわからない。
大人になり待ち
子どもって、大人が思うよりずっと頭の固い生き物だ。
年齢が若ければ若いほど微調整は効きづらい。
実際、やってみたらそうでもなかったりするんだけど。
案ずるより産むが易しっていうし。
でも、なかなかやろうと思わない。
思えない。
1回失敗したら、もうダメ。
次も失敗するに決まってる。
こう信じて疑わない。
もう、経験するしかない。
えいやっとやってみて、失敗したり成功したりを繰り返し、折り合いをつけるしかないのだけども。
大人になるって、経験を積むこと。
経験値が上がると、文字通りレベルアップだ。
選択肢が増え、よくも悪くもグレーの許容ができるようになる。
経験しない子って、経験値が上がらない。
だから支援が難しい。
子どもは純粋だ。
よくも悪くも。
悪い面が出ると、純粋すぎて融通が効かないってことになる。
見ててやきもきするけど。
子どもが安全地帯(今以上それ以上)から出たときは、その勇気を讃えたい。
冒険して安全地帯(今以上……ってもういいか)(家や家族のことね)に戻ってきたら、勇者凱旋だ。
盛大に讃え、すかさず骨拾い。
ここでエネルギーを溜めて、勇者はまた新たな冒険へ旅立つのだ。
この繰り返しで、人は大人になる。
この繰り返しを積んでいない子どもは、つまりコドモなのだ。
経験不足で頭固いのよ。
子どもだもんで。
大人になるまで、時間が必要なことがある。
大人はじっと我慢だなーと、診察室で見ていて思う。
いずれは、窮すれば通ず。
……案の定、意味はわからない。
『フハハハハ、好きなだけ休むがよい!自分のタイミングで動きたくなるまで安心して休めるくらい我を信頼して安心しておるのだな、愛い奴め、良かろう!しかし、我はフォローは出来ても結局そなたの人生のケツを拭くのはお主じゃ!その事をゆめゆめ忘れぬようにな』と、悪魔的に見守ってます(▼∀▼)
もぅずっとふざけてたら、娘のhsc的観察眼のお陰か伝染していって、娘も色々ゆるっゆるになってきました。笑
横で「かーちゃん、つえーやつとててけーてーんだ!」とかふざけてる親いたら、真面目に悩んだりするのアホくさくなりますよね…人生楽しんだ方が良き(っ´ω`c)
何も経験しなくても、歳を取っていけば、その融通の効かなさは和らいでいくのでしょうか。1年間完全不登校の子供(小3)は家では元気、でも外に出ると不安がいっぱい。新たな冒険に出ることをあきらめたら、次にあるはずだった冒険の機会自体を失ってしまって、歳を取っても変わらないのではないかと骨拾いババアは不安になります…
今日のブログ、不登校娘のことを解説してもらっているようで、爆笑して爆笑して泣きました。
分かっちゃいるけれど、親は待つのに疲れてしまう。私自身も親経験少ないし(まして不登校の親なんて)見通し立たなくて、不安に苛まれてしまいます。
P先生のブログにいつも救われています。
先生いつもありがとうございますm(_ _)m
ワインレッド😆
やるだけやってみて、ダメならまた考えよう
そう思えたら、本人も親も気が楽なのに、ですよね。
人生いくらでもやりなおせるのに。
じれったい
べいべー べいべー べいべー
P先生初めまして。数週間かけて全記事読ませていただいたのですが、「こ、これは何度も読み返したいからホーム画面に貼ろう!」とやってたらスマホ中青いP印になりました。沢山の気づきをありがとうございます(P先生フォルダ作りました)。
HSCで起立性調節障害と不登校(現在別室登校)の長女小6、同じくHSC発達凸凹ぎみの次女小4、どちらも完璧主義で頭カッチカチです。自分の言動が周囲にどう見えるかや、他人の気持ちや状況を推察しまくり、こうに違いない→だからこうするべき!!で疲れ果てたりへこんだり。
でも、人生経験がないから不安で仕方がない、そうですよね。
最近、長女が卒業前に調子を崩し、不登校に戻りぎみなのですが、生きていくんだーそれでいいんだーと田園を歌いながら(歌ってはいない)ただただ話を聞くに徹しています。
考えすぎて頭ガチガチなので、寝る前に頭マッサージなどしてやりつつ、本人の歩みを見守っていきたいです。
小言がでそうになったらP先生語録を3回唱える!
でがんばります。
ちょうどこの状態の中2男子、頭ガッチガチです。
本人曰く「自分のことで他の人が困るのを見たくない(負担をかけさせたくない)」という理由で、復学できません。
母「勉強の遅れでわからないところは先生に聞けばいい」
子「先生の時間を自分が奪うことになって、先生が困るから嫌だ」
母「先生は困らないよ、それが仕事だから」
子「困らないってなんで言い切れるの?先生に直接「先生困りませんでしたか?」なんて聞けないだろ!」
ああ言えばこう言う、頑固です。
他人の心の中という、いくら考えてもどうしようもないことを心配します。
トライ&エラーを恐れます。
我が子はこういう思考の癖を持っています、と、親が先生に根回しするにも限界があるし、年齢的にも自分でなんとか自分と折り合いをつけてほしいところ。
母は「プルシアンブルーの肖像」が好きです。中二病全開で聴いていました。