この話の続き。
発達障害だから、「絶対に出来ない」ってわけじゃない。
むしろなんとかなることも多い。
だから、診断の心理的ハードルは下げていい。
発達障害の診断を受けたからって、「何も出来ない人」の印籠ってわけじゃないからね。
周囲の人も、別の人種を見るような目で見ないでほしいし。
当事者も、「だからダメ」ってわけじゃないと理解してほしい。
全員「特性アリ」
極端な言い方だけど、発達障害特性って、みんなにあると僕は思っている。
薄いか濃いかの違いで。
ほぼ全ての人が、なんらかの特性を持っているのだろう。
多かれ少なかれ、みんな「なんかある」。
どこで線を引くかなんだよね。
「ついうっかり」がよくある程度なのか、逸脱してるのか。
「こだわり」が、理解できる範囲か、極端か。
こんな曖昧な線を引いているだけなんだ。
だから、「発達障害」か、「グレー」か、「定型発達」かに、さほど大きな差はないと僕は考える。
極端な表現になるけど、みんな「なんかある」。
その「なんか」でどのくらい困るか、どのくらいめんどいかってだけで。
そう考えるから、僕は診断に重きは置いていない。
診断がつくかつかないかで、その後の道が大きく変わることはないと思っている。
※小児は特に、診断の有無で公的な支援があまり変わらなかったりする。地域にもよるけど、僕の住む自治体ではあんまりメリットがないのよ。大人だと、診断とか手帳がないと使えない制度もあるみたいだけど。
結局、自分を知ることだ。
自分にはどんな特性があり、どんな場面で困るのか。
じゃあ、戦う(注意する)か逃げる(引き受けない、人に委託する)か。
これを自覚すること。
結局ココだと思うのね。
発達障害の人は、そりゃめんどいだろう。
トラブルが起こりやすいし、困りやすい。
でも、大きなメリットがあったりする。
自覚しやすいのだ。
わかりやすく、同じ失敗を繰り返す人。
つまり、診断がつきやすい人。
この人は、自分の特性を理解しやすい。
典型的な発達障害なら、本で調べたり、病院や支援機関で相談すれば、比較的容易に情報が得られる。
自分がどんな特性を持っているか知れば、対策が立てられる。
これは大きなメリットだ。
一方、微妙に特性を持っている人。
微妙に困るけど、そこまで大きなトラブルにはならない。
なのに「なんかうまくいかない感じ」を抱えている。
この人は、診断がつきづらい。
本人の性格とか努力不足とかのせいにされがちだし、本人もそう思いがち。
案外、こっちの方が生きづらかったりする。
グレーの人とか、「診断レベルじゃないんだけどちょっとね」というくらいの人。
分かりづらいのよね。
自己理解が難しい。
発達障害じゃないんだけど、生きづらい。
結構ね、やりづらいと思うのよ。
中途半端な人
実際、こんな人は多い。
むしろこんな人こそ多い。
典型的な発達障害ってわけじゃないけど、そこそこの特性を持っている人。
めっちゃ多い。
実際僕の外来には、こんな人はかなり多いのだ。
しかも、こんな人ってそもそも病院に繋がりづらいだろうから(周囲はそこまで大きく困るわけじゃないから)、受診していない「そこそこの人」はものすごーーーーーく多いと思われる。
ってゆーか、「そこそこの特性」レベルなら人類ほぼ全員持っているんじゃないかと。
僕ら医者の視点だと、
特性のせいでめっちゃ困ります!
と訴えられたら発達障害の診断をするし、
別に困りません。
と言われれば診断には至らない。
発達障害って、「社会的に困るもの」をそう呼んでいるので。
明らかに! 誰が見ても! 周囲も、そして本人も! 困っちゃうなら、それは発達障害だろう。
でも、そこまででもない中途半端な人ってめっちゃいて。
発達障害じゃなければ、じゃあシロ? 全く何もないってこと? と問われれば、答えはノーだ。
みんな「なんかある」。
ここを知ることがとても大事だと、僕は思うの。
その人の持っているデコボコを。
平均からちょっと外れる、いびつな部分を。
理解するために診断があった方が便利なら、つければいいし。
逆に分かりづらくなるなら(典型的な症状じゃない場合、結構な高頻度で診断によるデメリットが出てくる)、つけない方がいい。
多分、大多数が「診断のつかない人」だ。
診断はつかないけど、ちょっとはみ出す人。
ココをちゃんと見てあげると、すごくやりやすくなるだろうなーと思う。
目先のトラブルを消すことじゃなくて。
根本的な原因、つまりその人の持つ『玉』を知ること。
僕ら医療が提案できるのって、ここなんだと思う。
この子はこんな特性を持ち、だからこんなふうに困るんじゃない?
って。
まとめ
発達障害の人は「クロ」(何もできない人)じゃないし。
発達障害じゃない人は「シロ」(なんでもできる人)じゃない。
みんなグレーで、その濃さを知ることが大事。
結局、ココだと思うんだよ。
その子は、どんな『玉』を持ってますか?
[…] 『小児科医Pの発達外来診察室』https://hattatsu-kids.com/?p=4401 […]
………じゃあ、戦う(注意する)か逃げる(引き受けない、人に委託する)か……..
大人の逃げるって、かなりの部分が、引き受けない、人に委託する、ですよね。
相手がそれなりに気持ちよく納得してくれれば、とりあえずは大きな問題にならない。お子さんがそれをいつかはできる様になるために、まずは、お子さんが話したい話をよく聞いてあげてほしい、子供のコミュニケーションスキルを上げるためにもと、よそ様の事ですけど、思います。
周りの人達に異質と見なされる可能性が高いなら、なおさらコミュニケーションスキルは、いずれ必要でしょう。
日本の学校教育は一般的にインプットはたくさんしてくれるけど、覚えた言葉や考え方を自分で使えるようになるのには、やっぱり、気兼ねなく誰かに喋る経験の積み重ねが必要です。今は大変でも、そのうちお子さんが自分で考えて自分でしゃべって、自分自身の環境を調整する様になってくるはず。それがいつになるかはわかりませんが(周りの大人が最終的にフォローできるうちは焦らなくていい、焦ると逆効果だとも思います)。
散らかし続ける子、切り替えのできない子に対して、今日これから先にしなければならない事を考えながら、にこやかに話を聞くことが、どれだけ気が急く事かはわかるし、お子さんも、不機嫌な親御さんに話したくはないですよね。ご飯の支度で目と手は離せないけど、ちゃんと聞いてるからね、と強調しながら聞くか、お子さんがある程度小さかったら、とりあえず家事の休憩タイムにして、一緒に寝転がって休憩しながら話を聞いてもいいと思います。私も昔、話を聞いてくれながら寝てしまった母に、そのままくっついていた記憶があります(お子さんによっては、そのまま昼寝しちゃって夜中に目がランランになるかもしれません)。忙しくても手を止めて目を見ながら、なんて理想を重要視しすぎると、ちょっとしか話聞けないし。
いずれ、物おじせずにお互いに楽しく話し合える友達に出会えたら、もう、こちらがこまるほど親に話しかけてくることは、ありません。