学校の先生が分かってくれない、理解がないというのはよく聞く話で。
最初に断っておくと、僕は先生に対してネガティブな立場ではない。
むしろポジティブ。
むしろ好き。
すごくよく考え、手を尽くしてくれる先生をたくさん見ている。
僕なんかには考えつかないことをやってくれたり。
プロフェッショナルとして尊敬している。
その前提で聞いて欲しいんだけど。
「先生がわかってくれない」、その理由。
あくまで僕が思う、単なる分析と考察です。
学校が好き
大前提として、学校の先生は学校が好きだ。
多分、きっと、好きだと思う。
だってそうでしょ?
学校を卒業して、さらに学校に勤めている人だもの。
学校が好き、学校というシステムに肯定的な人が大半だろう。
学校の制度内、学校という枠内で、子どもたちを教え導きたい。
そう思ったから教師という職業を選んだものと予想する。
僕は(自称)医者なんだけど。
ってことは西洋医学に興味があり、好きなわけだ。
医者は西洋医学で患者さんを治したい人たちであり。
医者にイタコの話をしても、あまり理解は得られなさそうだ。(イタコはインチキって話ではない)(イタコの効果はすごいのかもしれないけど、正直よく分からんし興味ないってこと)
看護師さんは、看護が好きで興味がある人が多いだろうし。
パイロットは、飛行機が好きで興味あるだろう。
ユーチューバーはYouTubeが好きで、その可能性を信じているだろうし。
僕が居酒屋でバイトしていたのは、居酒屋が好きだったから。
おしゃれカフェでバイトしてる人は、カフェが好きで興味があるのだろうし。
ドライバーは運転が、カメラマンは写真が、それぞれ好きなのだろう。
集英社の人は、きっとジャンプが好きだ。
赤城乳業の社員はガリガリ君が好き。
好きであって欲しいと思う。
だから、その職業を選んだのであって。
同様に、先生はきっと学校が好きだ。
「学校が大嫌いだから、改革するためにあえて教師になった!」
みたいな人もいるとは思うが、少数派だろう。
基本的に先生は、学校が好きで、肯定派と思われる。
「とにかく学校に来て」
ってことは、だ。
先生側は、どうしてもスタートが「学校=善」になる。
学校は良いところであり、来た方がいい。
そう信じている先生が多いだろう。
先生以外の職業の人と比較し、先生たちは強くそう思っているものと予想する。
だからどうしても「とにかく学校に来て」になりがち。
学校はいいところだし、来てくれたら良さが分かる、むしろ来てくれないことには何も始まらない、と。
そして、学校に来たら、システムに則って勉強や活動をしよう、となる。
その先に得られるものがあると信じている。
だから、これまでにない配慮や全然違ったやり方には及び腰。
システムから逸脱するのは気が引ける。
※みんながみんなそうじゃないです。そういうふうになりがちってだけ。
僕らから見ると、
「今は学校に行くより大事なことがあるでしょ」
ってときも、学校側は
「とにかく学校に来て」
となる場面がある。
僕は、学校がそこまで好きなわけじゃない。(嫌いじゃないけどすごく好きなわけでもない)
そもそもの学校に対するスタンスの違いだと思う。
ここで意見が食い違う。
親御さんが「学校大好き!」ってわけじゃない場合。
やっぱり食い違いが出てくる。
お子さんが学校に「合わない」タイプのとき、親御さんも学校を否定的に捉えることが増える。
先生は「学校のシステムに乗ること」をゴールに据えていて、でも親御さんはそうじゃない場合。
「学校は分かってくれない!」になりがち。
もちろん、広い視野で、様々な価値観を受け入れてくれる先生もいる。
「学校=善」と強く信じて、信念を曲げない先生もいる。
いろんな先生がいるし、なにが正解・不正解ってわけでもない。
(柔軟性のある先生はうまくいくこともあれば、押しが弱くてうまくいかないこともあるだろうし)
(熱血の先生は、ぶつかった時にはトラブルになるが、そうじゃなければリーダーシップのある良い先生かもしれない)
いろんな人がいて、いろんな先生がいるよねって話。
それでいいし、それが普通。
ただ前提として、学校の先生は学校が好きなことが多いよねってだけ。
学校が合わない子でも、学校に所属しなくちゃいけない。
でも学校って、「学校に好意的な人たち」が運営している。
ここに軋轢が生じやすいんだと思う。
繰り返しになるが、僕は学校のシステムには賛成だし、先生には良い印象を持っている。
現行のシステムで「合う」子が大半なわけだし。
何かのシステムを作る上で、制度の狭間とか、割りを食う人は必ず出てくる。
学校が「合わない」子が出てきちゃうのは、必然だし、仕方ない。
仕方ないから諦めろってことじゃなくて、構造上そうなるよねって話ね。
単なる仕組みの話。
この問題をどうするかは別の話だし、言及しないけど。
だから、言うなればアウェーなわけ。
学校が合わない子たちが、「合わない」と主張するのって、基本的にアウェー。
学校は、学校の好きな人たちで運営されているから。
「合わない」人は、学校をネガティブに捉えやすいのは分かる。
でも、学校好き派の総本山で異を唱えても、なかなか通用しない。
阪神の本拠地で「巨人頑張れ!」って言うみたいな。
たけのこ派の会合できのこの山を出すとか。
ティファ派にエアリスの良さを説くとかさ。
少数意見って、大事だけど、通りづらいから。
まとめ
先生は、学校が好き。(なことが多い)
先生と意見が合わないとき、この前提を思い出していただけると良いのかなと思う。
そもそもの出発点が違うので、生徒や親御さんに寄り添えない場面も出てくるだろう。
じゃあどうやって解決すればいいのかは分からないけど、そもそもの価値観が違っているのだ。
分かり合えないこともあるよなーと。
そして、どちらが正解というわけでもないと、僕は思う。
あと、僕はバリバリのユフィ派です。
P先生いつもありがとうございます。
我が家的にタイムリーな内容でびっくりしました。
「学校の先生は、自分自身が幸せな小学生時代や中学生時代を過ごしたため社会に出ずに学校に戻りたいと願っていて教員になって戻ってくる「学校回帰願望」があるケースが多く、学校という閉じられた世界を好むゆえ社会的に成熟していない」という分析記事を読んだことがあります。
不登校に理解のあった担任の先生が休まれた後、代わった先生は理解がなく「学校には絶対に行きたくない」という小4の我が子の意思は全く尊重されず。やんわりとではありましたが、不登校は親子とも努力を怠っているような言い方をされました。
市の不登校児向け機関は無料ですが、週一しか開設されていないため頼りになりません。
子ども自身が嫌な記憶が強く残っており、学校は見るのも嫌だと強い拒否反応を示すので、校舎はおろか敷地内に入れません。
少し前から本人の希望で、現在の担任から「たいした学習もせず、意味がない」と言われたフリースクールに通い、そこで何人も友だちが出来て楽しそうなので、親としては安心しています。
現在の担任教師は、言葉の通じない方だと思って適当に受け流しています。
先生による個人差はありますが、公立小学校は基本的にあてにならないものだと割り切りました。
いつも先生のブログを楽しみにしています。
私の子供も不登校です。
前年度の担任の先生は
どうして学校休みたいのかな?
先生は学校休みたかった理由は
ゲームでレベルをあげたいと思っていたよ!
と元気に子供に話していました。
明るく元気な先生なので
学校に行き辛いとか学校がしんどい、
とか無縁の先生でした。
こりゃ先生には分からんだろうな、
と思ったのでうまく距離をとって過ごしました。
なるますねー。
私母親も学校嫌いというか疲れる場所って
イメージで苦手で息子の一人は。完全に集団や嫌い苦手で、保育園も半日小学校もいかないまま中学生になりいかないままです。
小学校の先生には困った子みたいな。
感じで言われてより私も先生嫌いってなってしまいました。
下の子は。同じ学校に入れたくなくなって違う学校に入れたら。行けて私も気楽です。
遠い分通学は大変ですが。
学校に行かないから。引きこもりも困るし、
なにから行ける場所と思っても、
義務教育中は学校にいくのが一番て市役所にも言われて。
きっと在宅でいいみたいな感じで、なってます。
義務教育が、反対にくるしい。
なるほどなぁ、、、
納得です。先生、いつもありがとうございます。
ASD+ADHD+LDの長男が(現在中1)小学4年のとき、荒れに荒れまくっていました。学校には遅刻したり、たまに休んだりしてました。一時的に主人と折り合いが悪くなり、学校にも家にも居場所がない…と本人が感じていたときに、当時の担任の先生が、「○○くんにとって、安心できる居場所が早く見つかるといいな。それは学校じゃなくてもいいんやで。」と言って下さいました。当時もおもったことですが、今振り返ってみても、本当に長男のことを考えてくれてたんだな、って有り難かったです。
若い女性の先生でしたが、私にとって、辛い時期を一緒に乗り越えた戦友のような気持ちでいる先生です。
我が家は夫婦で学校の教員です。
私は学校は好きではありません。だからかな、これまで学校の感覚に凄く違和感ありながら仕事してました。
年明けから
末っ子が学校にいかない選択をして、これから一年後の中学卒業後の進路も決め、改めてスタートをしました。
我が家の場合は、これまで同職としての対応を見た時にまぁないなぁと感じることが度々ありました。
そして上二人の兄弟からの、何のかわりばえもない、指導で、できないなら生徒を怒るこの指導でいいんだという関わりに、その都度話すことをしてきましたが、これ以上は無理と末っ子が教員と学校に三くだり半を突きつけました。
子どもが元気なのが一番です。
ここからは、どんな風に進むことが子どもにとってのベストになるのか、私自身も沢山の情報を得ながら、あくまでも子どもの人生の相談役としていろんな景色をみたいと考えられる今になりました。
先生のブログはこれからも、バイブルです。
本当に阪神の中で巨人を応援してとお願いしてる感じです。
疲れ果て離れることにしました。
先生、まさに私のモヤモヤの胸の内をテーマにしてくださって、ありがとうございます。
私は学校側の要求の半分は頑張ってます。例えば、プリントを少しはする、週一は先生と会う、です。その努力は認めてくださり、嫌われずにすんでます。
完全アウェーでも、礼儀を忘れないこと大事だな、と。
敵のナイスプレーには拍手です!
卒業式がオフサイドってわけですね!
なるほど〜
こんばんは。
私自身が学校が大好きな子供でした。中学校の勉強も部活も行事も給食も大好きで卒業するのが悲しかったくらい。
だから、娘が学校に行けなくなった時に『行けば楽しいことがわかるはずなのに』『楽しい学校に行けなくてとても可愛そう』って思ってしまいました。
だから、娘が学校に来れるようにと頑張ってくださる先生に感謝しかありませんでした。(無理強いする先生でもなかったので)
今は、娘は私とは違うんだとわかって学校には無理して行かなくても良いと思えるようになりました。
娘の学校の先生方は、やはり学校大好きなのは伝わってきますが、行けない子に対しても理解があるようで助かっています。
学校で不登校生の支援をしている者です。
本当にその通りで、教員に不登校生の気持ちや状態を話しても、全く通じません。あくまでも学校1番…
数年やってきましたが、私がこの状況に疲労してしまい、この3月で学校を辞めることにしました。教員は、もっと異業種の方と交流し、広い価値観に触れた方がいいのでは?と日々感じています。
今、支援している不登校の生徒には申し訳ない気持ちでいっぱいですが、学校では不登校支援はできないとつくづく思いました。
学校に来てくれれば補習ができる‥とか言われても、行けなくなってしまったことを理解してもらえない。学校はあくまでも登校している生徒にはきちんと向き合うけど、全く行けない子供には対策はないことを知りました‥
分かり合えない先生と話し合うのも、お互い疲れた1年でしたね‥
あー、学校の先生と対峙した時に、
特別 濃い話題でなくても いくつか意見を交わした後、
なぜかお互い“キョトン” となって妙な間が生まれるの、
根底の原因はこの、学校というものに対する意識の違いのせいもあったのかもしれません。
噛み合わんなーって時は、
我が家が学校をどんなものと位置付けてるか、
早い段階で示してから 話を進めると
効率がよさそうですね。
確かに、来てくれれば対応する、って言われました。
そこがまず大きなハードルなのに。
それじゃ行けないです、って答えたら、あーっ、てそれだけ。
うちの子の学校の先生は学校に来る子の専門家なんだろうけど、来れない子についてはノウハウ持ってないみたいでした。
確かに…出発点となる思いが全然違うなら、理解しづらいのかも。学校が合わない場合は、特に「合わない」ということ自体が分かってもらえない。