発達障害

「診断されるのが怖いです」

受診される親御さんから、たびたびこんな話を聞く。

 

母
数年前から発達について指摘がありましたが、発達障害と診断されるのが怖くて受診を避けていました。

今回意を決して病院に来たんですが、でもやっぱり怖くて……。

 

わかる。

診断ってなんか怖いよね。

 

診断が怖い

この感情、よくわかる。

発達障害と診断されると、その瞬間からこの子が「発達障害の子」になってしまう気がして。

言い方が悪いけど、ありていに言えば今この瞬間から「普通じゃない子」「障害児」になっちゃうような。

 

父親や親族から受診を止められているケースでも、この理由をよく聞く。

「わざわざ子どもを障害児にしたいのか! うちの子は普通だ!」って。

 

 

診断されることで、この子がこの子じゃなくなっちゃう。

フツーに幸せに育っていくハズのこの子の未来が、診断によって閉ざされてしまう。

そんな風に感じる。

 

わかる。

 

変わるのは「周囲」

僕は発達障害を診断する立場だ。

親御さんの立場から上記のように感じる気持ちはわかるけど、僕の立場からは全然違って感じる。

 

その子は変わらない。

 

そう、発達障害の診断を受けても、その子は変わらないのだ。

 

診断を受ける前からその子だし、受けた後もその子だ。

変わらない。

診断があろうとなかろうと、その子はその子である。

これは厳然たる事実だ。

 

変わらないのよ。

赤ちゃんから今日まで連続しているその子。

長所も、魅力も、存在価値も変わらない。

変わるはずがない。

 

 

じゃあ何が変わるのかというと、周りの接し方が変わる。

 

変わるのは「周囲」

 

「この子はこういう特性を持った子だと理解した」

 

「やる気がないんじゃなくてホントに苦手なんだな」

 

「この子にあった方法を考えよう」

 

診断があると、接し方が変わる。

変わるのは「周囲」だ。

その子じゃない。

 

診断されるのが大人だったら、自分の特性を理解して行動を変えるかもしれない。

でも子どもには難しい。

 

まず最初に変わるのは、周りだ。

周囲の接し方が変わるから、その後子どもの行動が変わる。

この順番。

 

僕の立場からみると、これは本当にそう。

マジでそうなので、信じてほしい。

 

診断するメリット

診断が出たからって、その子が変わるわけじゃない。

ましてや今までのこの子が消えて無くなるなんてことは、絶対にない。

この子はこの子だ。

 

ADHDの診断があろうがなかろうが、チョロミーはチョロミーだ。

ドタバタで元気なチョロミー。

そのままのチョロミーであり、変わらない。

 

ASDの診断が出たって、ガラピコはガラピコ。

ちょっとズレた、でも素直なかわいいロボット。

変わらない。

 

診断が怖い気持ちはヒジョーにわかるが、その子は変わらない。

安心してください。

変わりませんよ。

 

 

じゃあ、診断を受けるかどうか、どうやって判断するか。

ここまでの説明でご理解いただけると思うが、「周囲の接し方」がポイントだと僕は思っている。

 

診断があった方がその子の特性が理解され、より合った対応をしてもらえるなら、診断した方がよい。

その方がおトクだから。

 

でも診断によってレッテルが貼られ、本来できることのチャンスを失うとしたら、診断はしない方がよい。

デメリットが大きい。

 

シンプルですね。

 

診断するかどうか考える際、まずは周囲の人を考えてよいと思う。

先生に分かってもらうためでも良いし、親御さんが子どもの特性をより理解するためでもよい。

友達に「そういう子」と分かってもらうためでももちろんいいし。

まず周囲、でいいと思う。

 

 

もちろん将来的には本人も自分の特性を理解して欲しいんだけど。

まずは周囲だ。

 

周囲の接し方が変わると、本人も自分の特性に気付きやすい。

副次的な効果を狙う程度で、まずは良いと思う。

大人になった頃にいい感じに自己理解していれば、それがゴールだ。

 

だって、子どもだもん。

自己理解って難しいよ。

 

定形発達の人だって、自分をある程度ちゃんと理解するのはいい年齢になってからでしょ?

大人でも自分をよく分かってない人、たくさんいるじゃん。

子どもに「自己理解して行動を最適化しろ」は、酷だと思うんよ。

 

まずは周囲の接し方を変えるための診断で、僕はいいと思う。

 

まとめ

診断が怖い気持ちはわかる。

非常によくわかる。

 

今までのこの子が消えて、新しい「障害児」に変わっちゃうような。

しかも、お先真っ暗なような。

そんな気がしちゃうのはよくわかる。

 

でも、そんなことないから!!!

 

その子は変わらない。

変わるのは「周囲」。

 

その上で、診断を受けるメリットとデメリットを天秤にかけていただければと思う。

POSTED COMMENT

  1. 学校虎馬 より:

    発達障害って言葉はとても便利な言葉だと思います。当事者が欲しい援助を得られれば、の話ですが。
    逆に管理する側が「この子は発達障害だから」という使い方をしてしまうと、管理側に問題があった場合にそれが無いものになってしまう。
    学校は少しでも外れてしまった子にすかさず検査受診を勧めていましたが、正直保身の為なんじゃない?なんて勘繰ってしまいます。
    診断されたら保険、ローンも入れません。ちゃんとした支援がされるかもギャンブルです。学校に合わせるためだけにそのデメリットを受け入れるかを考えると、不登校でもいいんじゃないかと思います。

  2. とくめい より:

    診断されるのが怖い、わかります。
    うちは上が高機能ASD、下の子もそうなのでしょうが、診断がついてるのは上の子だけです。
    上の子は勉強や集団活動には問題がないのですが、診断がついてると入学前に学校に言ってしまったばかりに、診断ついてるなら支援級へ行けと言われたり、普通の一年生の子ならやるような言動もやり玉に上げられたりと、レッテル貼りの方が多くすごくもやもやしています。その上、普通級なので配慮は一切しないと言われてます。 
    蓋を開ければうちの子はまじめに授業を受けて、もっと目につく子は沢山いる状態。。

    下の子の入学が控えてますが、言わずに入学します。発達障害の〇〇くん、と頭につけられた対応はもうたくさんです。

  3. もこ より:

    理想は周囲が良い方にかわる ですが、実際は逆にレッテルを貼られることが多く感じます。特に田舎。特に自閉傾向のある子。
    ADHDや学習障害のある子は理解してもらえるけどASDの子はやっぱりと思われてさらに溝ができるのを何度も経験してきました。
    集団生活で浮いてしまって診察、結果ASDがわかる、別のところに追いやられる。
    周りはその子にあった場所というけど、こどもにとっては友達からはなれて一人にさせられたと疎外感と劣等感。
    ASDの子はいつもしょうがない(だってコミュニケーション取れないから)としか思われないのかなと悲しくなります。
    かと言って、伝えないとやっぱり浮いてしまう我が子。
    伝えて、それでもそこにいていいよと言ってくれる場所が欲しいなと思うのは贅沢なのかなと悩みます。(愚痴です)

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