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「お疲れ様です。」

ブログを書いていると、どうしても結論が「お疲れ様です」になるときがある。

 

 

僕のスタンスとして、可能な限り対応策を提示するようにしているのだが。

  • こうしたらうまく行くんじゃない?
  • こう考えるといいかも。
  • こんなやり方もあるよ。

とかとか。

 

でも、どうしても「お疲れ様です」としか言いようがないことがある。

ありがたいことに「Pは一応の対応策を示す人」と認識していただいているのか、「お疲れ様です」で締めると突っ込みをいただく。

まぁ妥当。

お疲れ様てwww

 

 

でさ。

これを機に考えてみたんだけど、やっぱここに行き着いちゃう時があるのよ。

「お疲れ様です」って。

 

「お疲れ様」以外に言いようがないとき

考えたんだけどさ。

「お疲れ様」としか言えない場面ってどんな時かって、自分以外のことなのね。

 

わかりやすいところでは、学校や社会の仕組み。

規則とかシステムとか、あとは世間の目とかも。

これって自分ごとじゃないというか、自分では変えられないじゃん?

 

  • このシステムは、この子の持つ特性にはマッチしない。
  • そんなつもりじゃないのに誤解され叱責される。
  • 規律がこの子にとっては無意味どころか悪影響。

 

不満はわかるけど変えられないじゃん?

いや、多大な時間と労力をかければ変えられるんだろうけどさ。

ダルいじゃん?

頑張って変えたとしても、その頃には年齢が進み当事者じゃなくなってるかもだし。

 

 

もちろん後進のためにシステムを変える姿勢は素晴らしいんだけどね。

そうしないと社会は変わらないし。

そういう人が社会を動かしていくわけで。

 

でも、あいにく僕はそういうタイプじゃなくて。

社会を変える気はない。

 

 

じゃあさ。

変えられないとしたら、合わない環境は

  • たたかう
  • にげる

の二択なわけよ。

環境になんとか適応するか、環境から脱出するか、どっちか。

 

なんだけど、そううまくは行かないケースって当たり前だけどあって。

キングボンビーから逃げる代わりにミニボンビーは引き受けざるを得ないとか、あるじゃん?

通信制高校に入ったら、思いの外レポートが多いとか。

担任の先生は好きだけど、体育の専科の先生だけはどーしても好きになれないとかさ。

 

逃げきれないけれど、適応もしきれない。

それでも「トータルで考えると学校に行くことのメリットが大きい場合」って、全然あるじゃん。

 

 

全てを最適化することはできない。

システムや制度上、どーしても甘んじて受け入れる必要が出てくる場面がある。

 

ね。

 

もう、「お疲れ様です」でしょ。

 

 

解決策は特に思いつかない。

何も提示できない。

でも、しんどい気持ちは分かる。

 

そんなときの「お疲れ様」。

缶コーヒーの1本でも差し入れたい。

 

自分以外を変えることはとても難しい

あと変えられないといえば、自分以外の人のこと。

 

代表的なのは子ども。

「かんしゃくが困る」とか「不注意がひどい」とかの特性含む。

周囲にわからんちんの大人(先生、家族、親戚とか)がいる場合は、その人も。

 

もちろん、可能な限り回避することを推奨する。

わからんちんの担任ではなく管理職に話をつけるとか。

イヤミな親戚や友達など、全力で回避するべきだし。

子どもの特性も、環境調整でどうにかなる部分は大きい。

 

でも、向き合わざるを得ないこともある。

付き合わざるを得ない人っている。

どーしても回避できない特性もある。

答えられない質問って、こんなの。外来では、基本的に患者さんの「困りごと」を聞いている。 医学的な観点から、トラブルの理由を推測し、対処法を...

 

そんなときの「お疲れ様」だ。

自分以外の人は、コントロールできない。

コントロールできないけど、疲れる。

じゃあ「お疲れ様」だ。

 

プレミアムモルツ飲みますか?

 

対処できることとできないことを分ける

これは僕は大事なスキルだと思ってるんだけど。

 

対処可能な案件と、不可能な案件は区別した方が良い。

 

お疲れ様案件って、もうどうしようもないわけ。

そりゃ回避する術もあるのかもしれないけど、あえて選択しない(もしくは選択できない)って場面がある。

その時降りかかる火の粉は、かぶるしかない。

 

ボンビラス星を回避したのだ。

ミニボンビーに毎ターン持っていかれるおこづかいには目をつぶろうぜってこと。

考えても仕方ないし、取り返せないしね。

もう、「お疲れ様」だ。

それよりぶっとびカードの効果的な使い方を考えようぜってことだ。

 

 

お疲れ様案件。

「これ考えてもどうしようもないよなー」って、ちゃんと区切る。

ちゃんと明確にして、ちゃんと受け入れられるとよい。

 

仕方ないことはもう、「お疲れ様!」だ。

  1. 仕方ない
  2. でもつらい

の2点を認識し、ちゃんと受け入れる。

 

そう、やっぱりつらいのだ。

受け入れるけど、でもつらいよね。

 

愚痴を言うのも良い。

ただ結局解決しないのだから、相手に負担をかけないよう引き際は注意したい。

 

 

これは持論だが、不安や心配事は、

  • 解決可能

or

  • 解決不可能

に分けるクセをつけると良いように思う。

 

解決不可能なものは、「あはは自分(親or子ども)辛いなーお疲れ!」と、線を引く。

で、解決可能なものについて考える時間に充てるのが、建設的であり、かつ精神安定にも良いように思う。

 

無理なものは「お疲れっ!」だ。

これができると、悩みや心配事がだいぶ減り、前向きな思考がしやすいと思うがどうだろうか。

 

 

ってことでみなさん。

 

「お疲れ様です。」

 

ハーゲンダッツ食べますか?

POSTED COMMENT

  1. かめはる より:

    今回の話、納得しきりです。
    長男小ニ(長期休み2年目)次男年中(今月で幼稚園中退!)2人とも家にいます!エンドレス夏休み。
    2人ともそれぞれ興味ある事はほっといても学んでるけど、日本の義務教育とは相容れないようです。集団指導も。

    「大人になってからそんなんでどうするんだ!どうやって社会で生きていくんだ!」って声もきこえるけど、今8歳と5歳で社会に出るわけじゃない。まだ時間はある。子供達を追い込んでも得策じゃない。
    2人の特性は受精時に決まっていたし、日本の社会は中々変わらないし、周りも中々変わらない。

    子供達と長丁場で伴走する覚悟で私のメンタルと体を1番に、逃げたり流したりで。

    ハーゲン食べます!
    でも食べすぎ飲み過ぎで私の害さない程度に。
    血糖値が心配なので。
    でも今日は今夜はおでんにビールかな。

    • らんらん より:

      兄弟の年齢が我が子と全く同じでわかりみ深い!!!下の子は退園される事を決めたのですね。うちも上の影響でたまにしか行けてないですが、宙ぶらりんで辛いです。

      コロナの影響なのか、時代の流れなのか、最近この年代(1、2年生)での不登校児を持つ親御さんの声をよくネット上で見かけます。

      そしてP先生の「お疲れ様」はほんとそれに尽きる。。。
      前に進ませるにも休ませるにも親のHPは削られるの必至!!社会のシステム変えるなんて途方もない労力だし。
      合う居場所探しすらしんどすぎ!
      めんどくさい、しんどい、とか言ってちゃ何も変わりません、と言う正論も辛い時もあります!

      がんばりたくないけど何かしらトライ&エラーで頑張るしか方法なくって。。

      労われるだけで救われる時もあります。

      あ、P先生、缶コーヒーよりスタバのキャラメルマキアートでお願いいたします笑

  2. しろ より:

    はーい!
    ハーゲンダッツいただきまーす!(笑)
    息子と向き合ってきた12年を振り返ると、ひたすら折り合いをつける12年だったなーと感じます。
    学校との折り合い、環境との折り合い、自分との折り合い、息子との折り合い、ダンナ、ペリー、ドクター、などなどなど…。
    向き合うところは向き合い、スルーしたり保留にしたり、思いきって丸投げしたり(笑)。
    『にげる』のスキル、大事ですよね。
    でも今は少し息子が落ち着いているのでそんなことも考えられますが、他害が出ているときはそんな余裕なかったです。
    ここから先もまだまだいろんな案件が山積みになりそうですが、『あ、これお疲れ様案件だわ』とかブツブツ言いながら、整理整頓していきたいと思います。
    先生、『お疲れ様です。』で締めるときがあっても全然いいですよー(笑)

  3. 匿名希望 より:

     私は、P先生の「お疲れ様です」、
    好きですよ。

     辛いことから完全に逃げて目先の楽しいことだけを考えている人、他人を責めるだけの人、やれば簡単にできることがあるのにやらない人にはかけられない言葉だと思います。
    
     どうしようもない事だとわかりながら、それでもきちんと対峙している、状況を観察しながら、自分なりに今を乗り切るための解決法を探して考えて真剣にもがいて生きている他人に対する賛辞とねぎらい、だと思っています。

     そしてP先生の「お疲れ様」が自分に響くのは、P先生が私たち全員の顔も名前も知らないから。P先生にとっては全員が等距離で、だからこそ、みんなに等しく向けられた言葉だと感じられるのだ、と思ってます。
     個々のアドバイスは、当てはまるお子さんも当てはまらないお子さんもいらっしゃると思うけれど、この「お疲れ様です」は、みんなが受けとっていい言葉ですよね。

     

  4. 四つ葉 より:

     自分以外の人を変える事はむずかしい。。なるほど。本当ですね。
    学校の先生も1人の人間。私の理想は私の理想なんですね。

    小さい頃から、周りの人との会話が
    うまくいかなくて。いじめられる事はないけど、小さな会話や表情やしぐさが
    とても気になり、私って何か変なの?
    普通の会話じゃない?何が??
    ずーっとその繰り返しです。
    友達がいません。

    子供いますが、
    色々な事も皆んなと同じ、それ以上に
    出来る子達だけど
    語彙力?コミニュケーション力?
    人気者のお友達と、少し違う感じがします。だけど、とても優しくって
    人が大好き。だけど、親友までのお友達の付き合いがないみたいです。
    気持ちを伝えるのが苦手。

    社会の中で気持ち良く生きて行くのに
    言葉が1番大切ですか?
    こだわりすぎ?

    子供達がいるのに、
    外にでてコミニュケーションとるのが怖くなって、面倒で、仲間に入れなくて
    母親なのに、ひきこもりです。

    子供達にもこんな思いはさせたくない。

    どうしたらいいでしょうか?

    施設などで会話のトレーニングとか
    あるんでしょうか?
    どうしたら、ワイワイ楽しく
    おしゃべりできるのでしょうか?
    逃げてばかりで、、
    おしゃべりワイワイが楽しいの。
    知ってるから。

    先生。
    どうしたらいいんでしょうか?

  5. t.k. より:

    高2ASDの娘の通っている高校は5大悪(飲酒、喫煙、万引き、不法薬物、不純異性行為)は退学です。校則で染髪、ピアス禁止、スカートの丈なども決まっています。常識的だと思います。
    しかし、最近ピアスの穴を開けることにハマってしまい、生徒指導を受けました。案の定荒れて、やっと普通に登校し始めたその日に別件で指導が入り、もう学校は行かないと言っています。
    周りの生徒たちの手前、指導しないわけにはいかないとの先生の言い分はごもっともですが、親としては見て見ぬ振りをしてもらえないかなどと気を揉んでいます。
    学校に頼み込むのと、思い切って通信制に転校するのとどちらが良いのでしょうか。
    ASDは申告してありますが、理解を得るのはなかなか難しいです。
    いつもあと少しのところがすんなり行かず、本当に疲れます…

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