心理学

今まで出来ていたことが出来なくなった

「今まで出来ていたのに、出来なくなってしまった。」

という相談を受けることがある。

 

  • 一人で学校に行っていたのに、親と一緒じゃないとムリになった。
  • 身の回りのことは自分で出来ていたのに、最近はぐちゃぐちゃ。
  • 物怖じせず発言していたのに、引っ込み思案になった。

 

なんで出来なくなっちゃったの?

3歩進んで2歩下がるっていうし、こんなもん?

出来ないものは出来ない、で対応すればいい?

 

小児の発達

僕は小児科医なんだけど。(余談だけど、児童精神科医と思われることが結構ある。) (小児科医だよ。) (こんなにハッキリ『小児科医P』と名乗っているよ!)

 

小児科の世界では、出来ていたはずのことが出来なくなったら、非常事態だ。

何か由々しきことが起きているんじゃないかと、原因究明に躍起になるのが普通。

それまでできていたのに寝返りしなくなったとか、首がすわらなくなったとかね。

 

『退行』という。

 

 

基本的に、子どもは成長する。

新生児が乳児になって、幼児になる。

幼児が乳児に戻ることはないわけだ。

 

カエルがおたまじゃくしに戻ることはない。

ライチュウがピカチュウに戻ることもない。(戻るの? 知らんけど。)

賢者は遊び人には戻さない。(戻す人いる?)

 

 

その原則に則ると、上記の例は奇妙に感じる。

一人で外出できていたのに、親と一緒じゃないとダメになっちゃった。

学校にも行けないし、電車も乗れない。

なんならコンビニも厳しい。

 

幼児に戻っちゃった?

 

僕は違うと思っていて。

子どもは成長する。

この子も、退行はしていない。

 

つまり、一人で外出する『能力』はある。

出来るんよ。

能力的には出来る。

でも、気持ちがついていかなくなっちゃったのでしょうね。

 

具体的には、不安が大きくなっちゃった。

それまでは、自分と家族と仲良しの友達が世界の全てだった。

だからこの世は安心・安全な場所。

交通ルールとか電車の乗り方とかを幼少期にマスターし、何の危険もなく行動できていた。

 

それが、様子が変わって来た。

何かのトラブルがあったりなかったりで、世界が怖い場所になっちゃったわけ。

多分、「周囲の目」みたいなものが認識できるようになったんだろうね。

 

しかもこの「周囲の目」、悪意を持っていたりする。

自分を非難し、排除するような目。

コレに気づいちゃったんだと思う。

 

今までもその目は存在した。

でも、気づかなかった。

幼すぎて。

 

成長して気づいた。

だから一人では外出できなくなった。

 

 

赤ちゃんに戻ったわけじゃない。

表面的な世界の仕組みはちゃんと理解している。

加えて、グレーな世界も目に入るようになったわけですね。

 

だから、安全基地(親)と一緒にしか行動できなくなった。

ちなみに、母子分離不安は「安全基地(=母)を持ち歩こう!」という発想だと思うんだよ。

 

 

退行してない。

ちゃんと発達してる。

 

理由があります

一見『退行』したかのように見えるその行動。

きっと、理由があります。

 

一旦獲得した能力が失われるってことは、ほぼほぼなくて。

能力はあるけど使えない状況なのだと思う。

 

ホラ赤ちゃん返りって有名だけど、あれは本当に赤ちゃんに戻ったわけじゃないじゃん?

弟や妹が生まれて、

「僕/私を見て! 世話を焼いて!」

ってことだよね。

 

思春期の子が身辺自立できなくなったのは、幼児に戻ったからじゃない。

  • 悪ぶってるほうがカッコいい。
  • 今まで当たり前にやってきたルーチンに疑問を持った。
  • ある程度汚い部屋の方が落ち着くことに気づいた。
  • 親ムカつく。困らせてやろう。
  • 病気(うつ病とか)

とか、理由があるんだよきっと。

 

 

子どもは成長する。

それが子どもの素晴らしいところ。

常に状況が変わって対応が大変だけど、逆に言えば常に動いて同じところで膠着しない。

だから問題が起きても、先に進みやすいように思う。(対して例えば中年のひきこもりなんかは膠着しやすい)

 

 

しかも、成長ってことは前進だ。

望む・望まないに関わらず、子どもは前に進んでいく。

大人は後退するけど(体力落ちたり物忘れが増えたり頑固になったり判断力が鈍ったり)、子どもは前進するのだ。

 

だから、後退したように見えて、その子は多分前進している

 

その時に、なぜ退行したような行動をとったのか、よく観察してほしい。

きっとなにか理由がある。

見たまんま、幼児に対する対応をしちゃうと、逆鱗に触れることもありそうだ。

 

できないわけじゃない。

できるけど、できないんだ。

 

「そうせざるを得なくなった理由」に寄り添ってあげてほしいなと思う。

POSTED COMMENT

  1. 迷える母羊 より:

    発達障害発覚(発症?)後からかなりの事が出来なくなりました。

    登校班で毎日登校→五月雨遅刻
    自分で服の着替え→着替えさせて
    注意の聞き入れ→癇癪爆発
    自ら宿題→手伝うもすぐ放棄

    発達障害を発症と表現して良いのか分かりませんが、私の感覚では発症です。

    問題なく過ごした小4夏休みまでとそれ以降は別人のようになりました。

    仰る通り、本人がやる気になればどれも行うことが可能です。
    その気力がないのが日常です。
    自分に都合の良い時だけは別人のように機敏に動きます。

    寄り添うべきなのは頭では理解しています。
    でも毎日我儘にもみえる言動と対峙していると、こちらの寄り添いエネルギーはすぐに空になり、苛立ちエネルギーはすぐに満タンに。

    確実に医療業務をこなして頂ける病院へ3ヶ月に一度、医師にしか出来ない権限施行してもらう為に往復二時間ドライブします。

    小児を卒業したら、退行は自然の摂理だからと受け入れて楽になれるのかな?

    (愚痴です)

  2. 匿名希望 より:

     子供が他人の悪意や敵意につまずくってよくありますよね。そのためにも、普段から子供の話を聞いておくのは、やっぱり大事だと思います。いつもと様子が違うと気がつきやすい。問題が起きる前の様子がわからないと、今の状態と比較できなくて、原因がわからないですものね。話してくれたとしても親に見えているのはほんの一部、という認識は必要ですが、何もわからないよりずっといい。

     ちなみに、私の母は、勉強中の子供達の机を一つずつ回ってわからない所を教えてくれてましたが、子供に話したい事ができたら、勉強中でも一区切りはちゃんと聞いてくれました。学校の事や兄弟の事をよく話しましたね。私が勉強が嫌いでなかったのは、勉強中も、ちゃんと話を聞いてくれる楽しい時間があったから、と思ってます。

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