誤解を恐れずに言う。
IQが低いとか、認知の歪みとかがあると、トラブルって起きやすい。
IQが低いと
- みんなの「当たり前」についていけない
- 仕組みが理解できない
- ちょっと先の未来が想像できない
認知の歪みがあると
- 「当たり前」が当たり前じゃない
- なんでそう解釈したか周囲から理解されない
- 異端者として攻撃されやすい
そんな感じで、トラブルが起きやすいのは当然だと思う。
よく聞かれる。
対処法に腐心するところだ。
どう対応するか、一つひとつ、ケースバイケースで考えていくしかないと思うんだけど。
でもさ。
そんな細々した腐心なんて超越して、結局ココに集約されると思うんだ。
困ってる子と困ってない子
僕の外来には、本当にいろんな子が来る。
主訴も色々あるんだけど、「〇〇で困ってます」みたいなのが、まぁ普通。
病院を受診するってことは、困っている人が多いわけ。
それはそう。
なんだけど、一定の割合で「困ってない人」も来る。
そうなの?
そうなんですよ奥さん。
困ってないのに病院に来る。
なぜかというとですね。
「IQが低い」とか「発達障害がある」とか昔から分かっていて、一応病院とも繋がっておいてねーって人。
幼児期から上記が判明しており、今は困ってないけどフォローの目的というか。
今は問題ないけど、何かあったらすぐ動けるように、みたいな人。
だから僕の患者さんには、「困ってる人」もいれば、「困ってない人」もいるわけです。
で。
「困ってる人」と「困ってない人」。
何が違うと思いますか?
僕は最初、困っている人の方がより特性が強かったり、IQが低かったりするものと思っていた。
でも、そうでもなかった。
じゃあ、ギリギリchopが困っちゃうのかな? と想像した。
特性が強かったり明らかに発達が遅れている方が支援が受けやすいから、ギリギリの人が困りやすいのかな? と。
これも、そうでもなかった。
困っている人と困ってない人の違い。
圧倒的に 自己肯定感 だった。
※もちろん性格(生得的な不安の強さとか)もあると思うんだけど、自己肯定感の方が大きいと感じる。うまく説明できないんだけど。僕の体感では、自己肯定感の低い人が困りやすい人。
困ってない子
考えてみたら、認知って悪い方に歪むとは限らないわけで。
良い方に歪むことも大いにあり得るわけです。
できないけど別にいいでしょ。
進路とか進学とか考えたら、まぁ良くはないんだけど、この子は気にしていない。
ただこの子の場合、環境とか親御さんの考えとか諸々ひっくるめてそれで問題なさそうなケース。
なのでこのまま就職していただければ良いんだけど。
「勉強できないと将来不利」という世間的には不文律のような事柄が、この子は理解できていないわけだ。
「一般的には勉強ができないと不利なんだけど、自分の場合は特殊で、このままでも問題なさそう」と本質的な理解をしているわけじゃない。
ぶっちゃけこの子、全然わかってない。
でも、それで良い。
このケースの場合はそれでいいのだ。
良い方向に認知が歪んでるというか。
良い方向に理解力がないというか。
できるよ。
楽しいよ。
全然できてないのに、自信を持って「できる」と言えちゃう子。
こんな子も、自己肯定感が高そうだなーと感じることが多い。
そして実際、こういう子ってあまり困っていない。
他にも、
※実際はその限りじゃない。ASDで浮いちゃってる。
※実際は以下略
みたいなケースって、ちょこちょこある。
大抵自己肯定感の高そうな子だ。
そして大抵、困っていない。
認知の歪みのおかげで、困らずに済んでいるのだ。
一方同じくらいの特性の強さでも、
テスト失敗した、死にたい……。
的な子もいる。
実際は受験に関係ないテストなのに、理解できていない。
悪い方向に認知が歪んでいるわけだ。
自己肯定感の低そうな子に多い。
自己肯定感の違い
自己肯定感の高い子。
- 自分は大丈夫!
- みんなと同じ!
- ってか違っても別にいいし!
と思っている子は、良い方向に認知が歪むことが多い。
自己肯定感の低い子。
- 自分はダメだ。
- みんなと同じにしなくちゃ。
- でもできない自分は劣っている……。
的な子は、悪い方向に認知が歪みやすい。
認知の歪みって、悪い方向に作用するとは限らない。
良い方向に歪むことも全然あり得るわけで。
トラブルが起きたり困っちゃってるなら、その都度対応するしかない。
でも歪んだ認知の矯正って、非常に骨の折れる作業だ。
たいてい納得しない。
認知を変えられない。
そりゃそうだ。
大人でも、固く信じている価値観を変えるってとても難しい。
でもでも。
そもそも自己肯定感が高い子では、「良い方向に認知が歪む」ケースがある。
こんな子は、トラブルがトラブルとして露呈しないまま終わったりする。
そしたら悩む必要ナシ。
もう、圧倒的に自己肯定感。
どんな特性を持ったどんな子でも、自己肯定感が高ければ、その子のまま安心して生きていける可能性が高い。
必要なのはテクニックや難しい論理じゃなく(実際に困っちゃったらそこに頼るしかないんだけどさ)、自己肯定感なんだよなーと思う。
まとめ
認知の歪みを矯正するより、「世の中の正解」を教えるより、「普通」に近づける努力するより、圧倒的な威力を持つこと。
自己肯定感を高めることだと思う。
ってことで自己肯定感。
一に自己肯定感。
二に自己肯定感。
三時のおやつは文明堂。
よろしくお願いします。
私の母には、兄弟一人一人に何かあって喜んでくれるたびに、その後で続けて言ってくれる、かつて母が子供の事をすごいと思ったエピソードがありました。私のは、幼児期に、ある長めの童話を丸暗記して話した事。そのエピソードを、記憶力がいいとか言葉が得意とか読書好きとかの意味で、いろんな文脈で褒め言葉の代わりに使ってくれていました。大人になってからも幾度となく聞いたので、100回以上聞いたかしら。他の兄弟達にも、母がよく言ってくれる、幼い時のエピソードが一つずつありました。
私は外では引っ込み思案な子でしたが、母に兄弟同じ様に愛されていると感じた事や、かつてあった、自分が好きでやった事をいつまでも喜んでくれるという安心感は大きかったです(子供の性格によっては、クドイと思われるかも)。
私も自己肯定感、全体的にはすごく低いのですが、一部分だけでも高いのは、母の言葉がけのおかげかなと思っています。
自己肯定感が大切というのは自分や自分の周りの大人を見てもすごく分かります。認知がポジティブな方に行くタイプとネガティブに生きやすいタイプ、生まれ持った性格もあって、後者タイプの子供の自己肯定感を高めるのがなかなか難しいです。
先生のこれまでの記事を拝見して、とにかく家の中で安心して過ごせるように、家族仲良く過ごせるようにと心を配りながら、親の私があまりネガティブにならないようにしていますが、昨日、小三息子の担任との面談で、自分に自信がない、失敗を恐れる、クラスメートに溶け込めずポツンとしている(いじめられているわけではない)と言われて、また親の私が不安のループに入りかけています。
息子は、家の中では伸び伸びと楽しそうに過ごしています。上の子との仲もとても良いです。
学校では不安感が強くても、家が安心できる場であれば、大きくなるにつれて社会性も改善していくのでしょうか。。
こんにちは。
初めてコメント致します。
IQ云々より、自己肯定感が高い子に育って欲しいと願っているものです。周りがなんと言おうと、自分が幸せ、楽しいと思えれば良いのかなと。
未診断ですが、ASDの気質がある娘を育てております。現在3歳で4月から幼稚園に通い始めました。お友達に声を掛けることなく、急に輪に入ったり、何も言わず手を繋ごうとしたり、急にユーチューブの再現をしたりと、周りのお友達が困惑してしまう場面を作ってしまっているようです。私から見ると上手く集団に入れない娘を見ると胸が痛くなってしまうのですが、娘は嫌がらずに幼稚園へ行っています。これからも、いい意味で鈍感力を持っていて欲しいと思っています。
唐突で申し訳ありません。区内に住んでいるのですが、自己肯定感の投稿を拝見し、通院できるなら先生に診て頂きたく、どちらの病院に問い合わせれば宜しいでしょうか?
お忙しいところ申し訳ございませんが、ご返信頂けると幸いです。宜しくお願い致します。
何につけてと自己肯定感なんですね!
自己肯定感を数値化できるスカウターがあったらいいな~
問題が続くと私も暴走してしまうので、気をつけたいと思います。かなりきつく言わないと伝わらない気がするのは気のせいで、やはり淡々と簡潔に冷静に伝えるのが効果があるのでしょうか。
先生はじめまして。
うちは兄がASDっぽく(未診断)、私はHSPっぽいのかな?と感じていました。兄は社会にうまく馴染めなくても全く気にしない(学生時代ずっといじめられてきたのに喜んで同窓会にいきます)、私は他人からいくら評価してもらっても常に自分はダメだ、と感じていて同じ兄弟なのにどうしてこんな真逆なんだろうと思っていましたが先生の今回のお話で腑に落ちました。二人とも認知の歪みがあるのだと思います。そんな私の息子(幼稚園生)も私にそっくり。幼稚園では優等生タイプらしくお友達とも遊べるのにいつも不安そう。認知の歪みがあるタイプの自己肯定感をあげるのに苦慮しています。
先生のお話、とても分かりやすく皆に向けた話も自分の気持ちを分かって頂けるようでいつも心の支えになっています。これからも記事楽しみにしています。