たくさんのコメント、ありがとうございます。
すげー数。
サンプル数が多いと、見えてくるものがある。
実際に経験していなくとも、人からの話でなんとなく分かる。
数の暴力、大好きです。
昭和の学校
ハリセン!
ビンタ!
けつバット!
わー。
ホントにあるんだー。
漫画の世界の話じゃないんだー。
暴力とか尾崎とか、僕、誇張するつもりで書いたのに。
あながちそうでもないとか。
そろばんの上に正座、チョークが飛んでくる、三角定規で叩く、モップふりふり……。
すげーな。
よく考えつくもんだ。
学校の備品でできることの大喜利みたい。
不登校しなかった理由
不登校が少なかった理由について、もちろん多様な意見があった。
が、やっぱりコレが一番多かったかなーと思う。↓
つらつらと考えてみましたが、昭和の学校には不登校という概念は存在しなかったように思うんですよ。知らないものは選択出来なかったように思います。
タピオカミルクティーを知らなければ飲みたいと思わないのと一緒で。
私は学校行かないっていうことすら思いつかず、幸運にも辛いことも殆どなかったこともあり理由なく通っていました。
私は体罰やいじめにはあいませんでしたが、学校には行きたくなかったです。でも学校に行く以外の選択肢(概念)がなかったような気がします。
選択肢がなかったから、多少嫌だったけど、
理不尽とも思わなかった。
学校に行かないっていう選択肢が頭になかった。
概念がない。
選択肢がない。
ないものは選べない。
そういうことだ。
ヤンキーだって、何故か学校には毎日来てたし。
ちょ、ヤンキーwww
逆らえよ、ヤンキーなんだから。
素直に登校してたんや。
ヤンキーの矜持wwwww
だもんで、
元不登校の息子がタイムスリップして、昭和でやり直したらどうなってたやろう‥?
多分、行けない。
息子さんは、もう「不登校」という選択肢を知っているから。
そして、知識リセットでタイムスリップするとしたら、多分行ける。
「不登校」という選択肢を知らないから。
ってことなんだろうなぁー!
非常に納得。
社会背景
背景として、社会的な圧力も強かったようだ。
その当時は不登校 = 社会的な死
みたいな考えが蔓延していてで登校は強制でした。
昭和は平成と令和より、ペリーが強かったのかな…トイレも男女用しかなかったし…
↑この感じ、今はないよね?
少なくとも僕は感じない。
母が絶対に許さないとか、防災無線より早くウワサが広がるとか。
平成生まれの僕には分からねぇ感覚だ。(嘘です。盛った。ギリ昭和生まれです。)
あと、家にいてもつまんないってのもあるよね。
家にいてもつまらないというのもあると思います。
スマホもパソコンもゲームすらあまりなく、テレビも一家に一台。映画もレンタルビデオ屋にかりに行かなければ観られないし、家の中での娯楽が今と比べて圧倒的に少なかったです。
友達だって学校に行かなければ遊ぶこともできませんでしたが今はオンラインゲームでつながることができます。学校行かなくても楽しいことは昔よりもいっぱいあります。
今の子は家にいても孤独じゃない部分がある。情報が入る、しかも自分に都合のいい情報だけを入れられる。
公の場に行き場所がなくても、ネットの世界に居場所を作れる。
ネットの発達は、人を孤独にし、同時に人をつなげた。
あと思ったのが。
社会情勢も大きいよな。
経済成長とか、年功序列、終身雇用とか、そういうの。
男性は自動的に会社員、女性は自動的に専業主婦。
(ほぼ)あぶれない。
みんな就職(永久就職含む)でき、みんな右肩上がりだった時代だ。
それが「普通」。
圧倒的な「答え」が明示されていたわけで。
当時は、勉強が嫌いでもなんとかなる、っていう風潮が親にも子どもにも、もっとあったような気がします。とりあえず学校行っとけばなんとかなる、みたいな。
でも未来への希望には溢れていて、高校とか大学に行けばステキな未来が待っているとワクワクしていた記憶があります。
「学校行っときゃなんとかなる」
「未来への希望があった」これは、まさしく昭和後期はありました。
自分達の親が、高度成長期世代です。
真面目に働けば、終身雇用で年功序列、在籍年数に比例して役職や給料が上がっていた時代です。
そーなんだろうなぁー。
いいなー。
これが本当にいいのかよく分かんないけど、いいなー。
今、就職できねーもん。
給与上がんねーしさぁ。
物価高いし。
昔は、「真面目にコツコツ」やっときゃ、なんとかなった。
とりあえず耐えれば生きて行けたし、右肩上がりだった。
出口が見えるから、多少理不尽でも耐えられたってのはあるよなー。
今は、我慢したって報われるわけじゃないからさ。
じゃあ、我慢しないよなー。
メリットないもの。
そりゃ不登校になるわ。
でさ。
思ったんだけど、だからこそ理不尽が蔓延したのかなと。
出口が見えるから。
エサがチラついているから、子どもも我慢した。
そして、我慢するから、暴力がのさばったのだろうと。
典型的なモラハラ・パワハラの構図だ。
我慢すればいい
↓
我慢する
↓
暴力や暴言が蔓延する
↑こんな構図だったのかなぁ。
うまく乗っかれない子、はみ出す子は、昭和だって絶対にいたハズで。
そんなときにゲンコツ一発で片付くなら、大人はめっちゃ楽だもん。
今の子どもは我慢しても報われないんだから、我慢しねーわなぁ。
そのままハミ出すし、そしたら多様性を認めざるを得ない。
それじゃ、暴力やパワハラはダメ、絶対! よなー。
殴ったところで、さらにはみ出すだけだろうし。
ここまで考えると、もう元には戻れないのだろう。
昔のように、
- 選択肢をなくし、
- かつ子どもの将来を保証する
など、時代的に不可能だ。
明らかに不可逆。
もう、「不登校は今後も増える」ものとして、前へ進むしかないんだと思った。
こう考えると、現行の学校制度の限界なのだろう。
学校という『ハコ』を作り変える時期なのだろうと思う。
まぁ僕はその辺、具体的に行動を起こす気、一切ないけど。(笑)
勝手な考察を垂れ流すだけで、行動力は皆無。
誰かそのうちやるっしょ。(笑)
今だからこそのメリット
でさ。
昭和の時代と今の時代で、どっちがいいという話じゃないんだ。
どんなことにも、メリット・デメリットがあってですね。
昔に戻れない以上、今の良さをうまく活かし、戦略を練るのが賢い。
考えようによっては、今は恵まれている。
自己主張でき、自分で道を選べる時代だ。
『自由』よな。
自由って、ステキだ。
ボーっとしたり、落ちこぼれる自由は大事なのではと思います。
私はこのニュースを見た時、あー自分の意思を通せる子が増えたんだな、親御さんは大変だけど(子どもが普通に学校へ行っているのが楽だから)、行きたくないという気持ちを尊重できる時代になって良かったね、と思いました。
人が多様である以上、すべての人に適した教育などあるわけがなく、「今の学校教育に自分はどうも納得いかない!」と声を上げている人達が静岡県民くらいいる(ほんとは中部地方民くらいいるんじゃないかな)のだと思います。声をあげられない環境の方が異常だったのではないか、と。
自分で考え、主張できる時代。
選択肢のある時代。
自分で人生を切り開く時代だ。
オラ、ワクワクすっぞ!
自由には、責任が伴う。
自分で選んだ以上、その責任を取らないといけない。
それが、今の時代のしんどさだと思う。
不登校を選んだ。
それはいい。
じゃあ、どうする?
と。
↑ココよなー。
ココがしんどいよな。
昭和の時代は、自由がない分、責任もないから。
考えようによっては気楽だけど。
もう、昔には戻れないから。
もしかしたら、子どもの頃に自分に正直に不登校とかできてたら、大人になって逆に心の病とか罹りにくいかも!?って思いますがどうでしょうか?
なんか、我慢した分、のちのち爆発しそうな感じもします。
それねー。
あると思うんだよねー。
今の大人世代(僕含む)の生きづらさ。
選択肢がなかったことに起因してないかい? と。
自分で選んで、納得したわけじゃない。
「それしかなかった」だけで。
責任もないし、楽。
だけど、不平・不満は出るハズだ。
逆に、今爆発できた子どもたち。
将来強いだろうと。
はみ出す子は、今じゃなくても、いつかそのうちはみ出す。
今で本当によかったと思う。
子どものうちに爆発できた人は強い。
背負うものが少なく、社会とか常識とかにがんじがらめになる前に、自分と向き合えた人。
圧倒的に強いと思う。
今でよかった。
親のところにいる間、大人がフォローできる間で、本当によかった。
不登校になったってことは、その子の生まれ持った特性として
社会の流れにふんわり流されるタイプではない
ってことだ。
早めに分かってよかった。
自分と向き合い、自分を知り、人生を切り開いてほしい。
不登校を「選べた」子だ。
同様に、人生を選び取る力があると、僕は信じる。
なんの保証もない時代だ。
だからこそ、選べる手はたくさんある。
この時代に生きていくのだ。
『自由』で、『責任』のある時代だ。
今後も不登校は増える。
流れに乗れない子も増える。
後戻りはできない。
だからこその可能性があるように、僕には思えてならない。