コロナが流行し、不登校が激増した。
らしい。
コロナとメンタルの関係で、ネガティブな話を聞くことが多い。
人と過ごす時間が減ったとか、イレギュラーな生活に疲れたとか。
不登校が増えたとか不安が強くなっただとか。
「コロナとHSC」というタイトルで執筆依頼をいただいたこともある。
コロナがHSCに与える影響を書いて欲しいと。
これがね!
ウケるのが、小児科医P宛じゃなく、本名の方に依頼がきて。
単なる小児科医に。
うぉっ、なんでオレ? ってなった。
丁重に断ったけど。(断ったんかい!)(だって、メリットないもの)
でも、需要あるんだなーと。
誰でもいいから書いて欲しかったんだろうね。
それだけ、読みたい人がいるってことだ。
あの時は断ったけど、コロナが流行り出して、もうすぐ3年。
ある程度の印象が固まってきた。
本名で書く気はサラサラないけど、ネット上の架空の人物、小児科医Pとしてなら書いてみようと思った。
原稿料ください。
コロナは悪?
多くの方の印象では、コロナはメンタルの悪者でしょうか。
執筆依頼も、そんな文脈を期待されていたようだ。
でも、正直そうでもなくて。
むしろプラスに働くことも多かった印象。(だから断ったってのもある)
そう。
学校を休むことへのハードルが、めちゃくちゃ下がった。
不登校児は、半ば強迫的に「学校は行くべきもの」と思っている。
休んでいいやーと思えないから、不登校にまで追い詰められるわけで。
この前提を、コロナが崩した。
コロナで、休む大義名分ができる。
コロナだから、休まなきゃいけないからなー、しょーがないなーホントは行きたいんだけどぉ。
一回休んでみると、アレ、こんな選択肢もありじゃん? と。
「絶対行かなきゃ」の呪縛が外れ、視野が広がる。
すると、学校そのものに対するプレッシャーが軽くなる。
別に絶対的な存在でもなくね? と。
※ちなみにコロナで不登校が激増したのは、感染予防のための登校控え(不登校にカウントされるが、いわゆる「不登校」とは異なる)も大きいと思う。そして不登校が増えたとしても、それが絶対的に悪いかというと、そうでもないだろう。頑張りすぎの子に「休む」という選択意を与えたという捉え方もできる。ここで休まないと、あとでもっと大きな困難となった可能性は、十分にある。
半数ずつの登校なので、人数が少なく気楽だった。
イベントが中止でラッキー。
給食が個別で黙食なので、すごく食べやすい。
リモート授業、神。
ポジティブな話をたくさん聞いた。
もちろん、コロナのせいで登校のハードルがより上がったとか、友達が作れないとか、学校側の融通がきかず合理的配慮が望めないとかの、マイナスの意見も聞く。
去年はフルリモートだったのに、今年からフル出席だなんて。
体力ないし友達作ってないしイベントの経験もないし、もう最悪!
といった悲鳴に近い声も聞いた。
でも総合して考えると、ネガティブな意見ばかりではない。
むしろポジティブな声の方がちょびっと多いくらいかなーと、個人的には思っている。
環境より、自分
もちろん、コロナでいかんともしがたい状況に追い込まれた人もいる。
たくさんいる。
その大変さを否定するつもりはない。
コロナ、自分ではどうにもならないし。
大変ですよね。
そりゃ大変よ。
孤独を深めた人もいる。
休校で、気持ちが学校から離れた人もいる。
摂食障害が増えた実感もある。(←これはマジで増えた)
その上で、コロナは絶対的な悪ではないと、個人的には思っている。
コロナは、「環境」だ。
自分ではどうすることもできない。
なかなか調整できない、いわば「環境」。
で、「環境」に絶対的な善とか悪とかはないんだろうと思う。
合う人もいるし、合わない人もいる。
この点はラッキーで、この点はアンラッキーとか。
一つの環境がみんなに悪! みたいなことは、ないんだと思った。
環境を嘆くより、(嘆きたくなる状況や気持ちもよくわかります。その気持ちを否定はしない。めっちゃ大変ですよね。)
- なんで合わないのか
- じゃあ、どんな環境なら合うのか
を考える方が良い。
つまり、『玉』だ。
自分はどんな『玉』を持ち、環境にどう反応したのか。
コロナで環境が変わった。
この環境は良い? 悪い?
良いのはなぜ?
悪いのはなぜ?
つまり、あなたはどんな『玉』を持つの?
↑コッチの方が重要だと思った。
今の環境の良いところ、悪いところ
コロナなんて、一見、めっちゃ悪そうだ。
「コロナ」って響きだけでもう、なんか悪役感ある。
コロナビールの陽気なイメージは消え去った。好きだったのに!
不安を煽るし、未知だし、なによりイレギュラーだ。
不安の強い子にとって、イレギュラーは一番の敵。
なんだけど、悪いことばかりかというと、そうでもなかった。
環境が変わったら変わったなりに、悪いこともあるけど、いいこともあった。
これは、僕の中で発見だった。
コロナは大きな環境変化だけど。
もう少し小さい規模に落とし込んでもそうなんじゃないか。
例えば、進学や進級、クラス替え。
先生が変わったり。
悪い点も、良い点もあるんじゃない?
もっと小さく、席替えでも、班活動でも、苦手な単元でも良い。
「〇〇(環境、人、課題)が悪い、クソが」
って気持ちはわかるけどさ。
毒づくのは大いにやればいいと思うけど。(しんどいんだから、悪態つきまくるといいヨ!)(めっちゃ文句言うといいよー。)
同時に、視点ををちょっと切り替えて、『玉』を見る目も持つのはどうでしょうかという提案です。
なぜ合わないのか。
自分にはどんな特性があるのか。
じゃあ、どんな環境なら合いそうか。
今の環境は変えられなくても、経験は次に生きる。
次は、もう少し合う環境を選べる。
環境って、運の部分が大きい。
運任せになっちゃうのも、ある程度は仕方ないけど。
自分で選べる部分、切り開ける部分は、上手に戦ってほしい。
生きづらさを持つ人たち(僕含め)が、イレギュラーな環境にブチ込まれたのだ。
ギャーーーーー!!!
という気持ちは当然。
でも、それがひと段落したら、自分と向き合ってみるのはいかがでしょうか。
やる価値はあると思う。
僕のことで恐縮だが、このブログを始めた理由に、実はコロナが大きく関係していたりする。
環境が変わり、かつ僕には特性があるから、始めたのだ。
なんのこっちゃだけど。
まとめ
コロナ、そこまで悪くないヨ。
案外いい奴かもよ?
そして環境がどうであれ、せっかくだから『玉』を観察するのはどうでしょうか。
新たな発見があるかもしれません。