僕の人生終わった……。
子供が不登校になると「すべて終わった」みたいな感覚になる方は多いと思う。
親御さんも、不登校児自身も。
でも、それって本当?
冷静に分析してみると、不登校で失うものは『コレ』だけだと思う。
不登校=世界の終わり?
子供が不登校になる。
ショックでしょう。
天地がひっくり返るようなショックを受けると思う。
この子(自分)の人生が終わってしまう……と思う。
sekai no owariだ。
だからなんとか登校させようとハッパをかける。
引っ張ってでも学校に連れて行ったり。
青白い、ゾンビみたいな顔で登校したり。
学校では無理してDJ LOVEみたいな笑顔を貼り付けて過ごし(それは怖い)、家で大爆発したり。
本人も行かなきゃと思っているから、自分で自分にプレッシャーをかけ、「おなかが痛い」「頭が痛い」「足が痛い」「胸が痛い」「生理痛」とイタイイタイ病になっていく。
周囲からは「心が弱いから頭痛がするんだ!」とか無茶な精神論で責められ。
「自分は心が弱いんだ、そんな自分はダメだ」とか思えば思うほど学校で友達と対等にふるまう自信がなくなって。
「学校に行きたくない」が強化されるんだけど、でも認めちゃったら人生終わるし今度はお腹がイテテテ……。
書いてて自分で吐き気がするほど暗いスパイラルなんだけど、まぁこんな感じで問題の本質が見えなくなっていくわけです。
不登校で失うもの
そもそもに立ち返って。
ことの始めは、「不登校=人生終わる」なわけなんだけど。
そもそも、ここが間違ってる。
間違った前提で話を進めるから、その先も間違える。
上記の話、全部間違ってる。
終わりません。
これはもう、はっきりと。
sekai no owariじゃない。
sekai wa owaranai。
空は青く澄み渡り、海を目指して歩く。
不登校の予後とか学校以外の居場所とかその後の人生戦略とか不登校経験者の実体験とか、そんな話はネットに溢れていると思うので、僕からは趣向を変えてこの話を。
不登校で失うものって、じゃあ実際なんだろう?
考えた。
すげー考えた。
めっちゃ考えた。
で、この結論になった。
不登校で失うのは『機会』のみ
本来は学校でできたはずの経験の『機会』。
具体的には授業に出る機会、友達とやりとりする機会、イベントを経験する機会。
あくまで『機会』だ。
『経験』まで失うわけではない。
そしてもちろん、将来とか人間としての尊厳とか価値とか居場所とか(将来的に得られる)お金とか、そんなものは一切失わない。
『機会』だけ。
それだけ損失する。
失ったのは『機会』だけ。
じゃあ埋めるのもたやすい。
『経験』を失ったわけじゃない。
勉強は自分でやればいいし、友達も別の場所で作ればいい。
学校以外の場所で経験すればいいだけの話。
だから、悲観する必要は全然ない。
プラスアルファを失わないために
なんだけど。
不登校を悲観してしまった場合。
余分なものを失うことになってしまう。
子供の尊厳とか、自信、やる気、家での居場所。
何より、自己肯定感を失う。
これが大きい。
僕はダメな人間だ。
これがダメージ大。
無理な登校刺激を続けると家に居場所がなくなる。
学校にも居場所がないこの子は、世界のどこにも居場所がなくなってしまう。
sekai no owariだ。
そして、将来を失っていく。
そうなったら本当にsekai no owari。
これを全力で回避してほしい。
つまり、家を快適にしてください。
代わりに得たもの
失うものがあれば、得るものも必ずある。
それが世の中の仕組みってもんで。
不登校の子は『機会』を失った。
では何を得たか。
時間だ。
みんなが学校に行っている間、この子には自由な時間がある。
ここで『経験』を取り返すことができる。
勉強でもなんでも、やってみれば良い。
人生に与えられた時間は不登校児でも学校に行っている子でも同じだ。
有効活用するっきゃない。
親子喧嘩の挙句、自己肯定感が失墜して「自分はダメだ……」とかうじうじ悩んでいる時間がもったいない。
学校に行っていないのなら、その時間を使って人生をエンジョイすればいいだけの話。
不登校児には時間がある。
これは、考えようによっては非常にプラスとなる。
例えば、他の子が学校のカリキュラムやスケジュールに忙殺されている間、不登校児は自分とじっくり向き合うことができる。
「自分って何者だろう」という青臭い問いかけ。
思春期にみんなが通るであろうこの課題に、人より少し早く取り組むことができる。
「普通に」学校に行っている子は考える『機会』すら持たないであろうこの問いに、不登校児は思う存分向き合うことができる。
ここで考えた内容は、その後の人生の選択で必ず生きてくるはずだ。
また、学校の授業って進捗がゆっくりだ。
そう、授業って案外効率悪いんですよ。
みんなで一緒に授業するのと、一人で勉強するのでは、圧倒的に一人の方が早い。
みんなと同じ内容の勉強を短時間で済ませ、残った時間を娯楽に当てることを誰が責められよう。
人生の密度という観点で見れば非常に有利だ。
繰り返しになるが、学校に行っている子にも不登校児にも、与えられた時間は平等だ。
まとめ
不登校で失うのは『機会』
得るのは『時間』
せっかく得た時間を、人生に絶望して無為に過ごすってすごくすごくもったいないと思う。
大丈夫。
失ったのは『機会』だけ。
経験は取り返せるし、輝かしい将来も依然その手の中にある。
大丈夫。
自信を持って不登校してほしいと思う。
怖いものなんてない、僕らはもう一人じゃない。