こんなことを言っても仕方ないのは分かってる。
でも、もしこの子が定型発達だったら。
もしこの子が不登校じゃなかったら。
全然違う生活、そして全然違う人生になっていたんだろうなぁと考えてしまうーーーーー。
発達に特性があると、正直めんどい。
少数派って基本めんどい。
「普通」が「普通」じゃなくなる。
現実問題、社会に適応するためには多数派に合わせざるを得ない。
ひと工夫、ふた工夫することを余儀なくされる。
めんどい。
非常にめんどい。
大変やりにくい。
これについて、僕は「発達障害も個性だよ!」なんて言う気はない。
「不登校の経験には意味がある」とも。
個性な人もいるし、足かせでしかない人もいる。
経験や特性をどう解釈するか、どうマネジメントするかは、人それぞれで。
とてもセンシティブな問題だと思っている。
でも!
でもですよ。
その上で言わせてください。
デコボコだからこそのメリットもある!
↓ハイこの図ドーン!
自他境界の図です。
平均的な人は困りにくく、濃すぎる、または薄すぎる人は困りやすい。
一般に、極端な人は困りやすい。
上図は自他境界についてだけど、他の特性でも同じで、少数派は基本的に困りやすいのだ。
結局、自分の特性を把握して、鳥の目で全体像を俯瞰しましょうって話なんだけど。
でもさ。
上のリンクでもチラッと書いたけど、
平均的な自他境界なのにトラブルを起こす人っているよね。
平均的だからこそ、トラブルを起こすというか。
「自分は普通」が前提だもんだから、少数派の立場なんて無視して土足で入ってくる人。
いるじゃん?
普通ゆえに客観視できない。
あると思うんだよねー。
この仕事をしていて、思うんだ。
僕のところには、特性で困ってる人が来るわけだけどさ。
もちろん、超困ってる。
超大変だし、めんどくさいと思う。
でも、自分と向き合えるのは尊いとも思う。
この子、もし困らなかったら、自分の特性とか周囲との違いなんかについて、考えることはなかったかも。
深く考えず、フワーっと人生を終えたかもしれない。
困るから向き合うのだ。
自分と向き合うって、自分と同時に自分以外もよく見て、相対化するってことだ。
だからこそ見える世界がある。
世の中には、2種類の人間がいる。
世間の流れに抗わずにふんわりとその一生を終える人と、
納得できないとどうしても先に進めない人 だ。
困っちゃう人は後者。
今じゃなくても、いつか必ずぶち当たった人。
壁にぶち当たり、自分と向き合う。
向き合わざるを得ない。
この作業により、自分のウィークポイントが見えて、対策が立てられる。
同時に、自分の強み、本当に好きなもの、やりたいことなんかも見えてくると思うんだよねー。
患者さんは、今は大変。
そりゃ超絶大変でしょうよ。
でも、ここを乗り越えるとめっちゃ強いと思う。
自分を知ってるって、めちゃ強くない?
自分の得意不得意、やりたいこと、やりたくないことがわかる。
他人が自分をどう見て、何を期待されているかがわかる。
この視点の有無って、人生に超絶影響を与えると思わん?
学歴や容姿、親ガチャなんかが重要で、人生を左右するのはわかる。
でも、これらをも超越した、空前絶後の、超絶怒涛の、人生に影響を与える度だと思うんだ。
イエェェェェェェェェェェイ!!!! (サンシャイン池崎)
この、自己理解というか、相対化というか、鳥の目? 的なもの。
デコボコしている人の方が獲得しやすいと思うんだよねー。
困るから工夫する。
困るから向き合うのだ。
なんとなーく「普通」に乗れちゃう人は、深く考えない。
その必要がないから。
だもんで、上記、平均的なのにトラブルを起こす人。
平均的だからこそ、トラブルを起こす人。
そういうことなんだろうと思う。
↑コレね。
なんとなーく距離感が掴めちゃうもんだから、客観視する必要がない。
今まで、この距離感でうまくいってきた。
なぜなら、平均的だから。
みんな「そんなもん」だから。
でもさ。
人って誰でも多少は偏りがある。
平均的な人も、平均的に偏っている。
↑コレ大事。
この偏りに気づけないと思うんだよ。
この偏りが顕著になるのは、その人の「普通」が「普通」じゃなくなったとき。
ズレに気付けずトラブルを起こす。
例えば、時代が変わったとき。
昔はそうでも今はそうじゃねーし!
というズレに、この人たちは気づけない。
例えば、環境。
A地区ではそうだったかもしれないけどB地区では違うんじゃ!
が理解できない。
例えば、少数派と出くわしたとき。
「私の普通が相手の普通ではない」
と、想像できない。
「私は普通」を盾に、ズレた理論をゴリ押す。
そりゃ、トラブルにもなるわ。
これまではそれでよかったのかもだけど、今はそれじゃうまくいかない。
でもこの人は、物事を俯瞰した経験がないので、急には視点が変えられない。
そう、『経験』です。
この人たちは圧倒的に経験が足りない。
散々『経験』が大事って書いてきたけど、困らない人は経験を得づらいわけです。
※一応補足。平均的な人、定型発達の人でも、物事を客観視できる思慮深い人はいます。そりゃ当然。でも、平均的ゆえに客観視ができない人もいますって話ね。全か無か、二項対立の話ではない。
さらにさらに。
自己理解がないってことは、自分の好きなこと、嫌いなこともよくわからないってことだ。
平均的な人は、みんなと同じようなことをする。
みんなと同じことをして、みんなと同じように楽しい。
でもそれって本当に心から望んだこと?
普通こうだから、これが流行っているから乗っかってるだけ?
ある時、自分の人生これでいいのかと、なんとなーく不安になる。
その点、デコボコした人は強い。
自分のやりたいこと、やりたくないことに向き合わざるを得ないわけだ。
一度掴めば、それは一生のもの。
「絶対的に好きなもの」を自覚できる。
ふわっと楽しむことと、ガチで手を伸ばすもの。
エンジョイ度にはそりゃ差が出るだろう。
そして、偏っている人は「好きなもの」「得意なこと」が見けやすいように思う。
だって、消去法が強い。
無理なことは明らかに無理だ。
発達デコボコの人、そうでしょ?
じゃあ、残ったものは相対的に得意だ。
平均的な人は、なんでも平均的にできるゆえに、「コレ!」というものが見つかりづらい。
デコボコな人は、消去法で、無理なものは無理。
社会的にどちらが求められるかというと、難しいけれど。
でも、
では、インパクトがあるのは後者だ。
実際に社会で活躍しているデコボコの人も多いしねー。
発達のデコボコ。
超めんどくさい。
不登校。
マジめんどくさい。
でも、しかたがない。
これが持って生まれた『玉』だ。
じゃあ、どうやって生きていくか。
偏っているからこそ見える世界があるように思う。
普通じゃないからこそ、気付けることがあるように思う。
僕は、
不登校(発達障害)で良かったじゃん、意味があったんだよ
とは思わないけどさ。
配られたカードで勝負するっきゃないのさ
スヌーピー
↑これ、久しぶりに貼ったな。
僕すごく好きな言葉。
こういう人だからこそのやり方がある。
そして、こういう人だからこそ見える景色があると、思えてならない。
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めちゃくちゃ刺さりました‥
私はフワーッと適当に生きてきて、普通じゃない息子(小3)に遭遇して、普通をゴリ押ししてきたんだなと。
ASDの息子がなんでこんなに不器用なのか、切り替えが遅いのか、うまく立ち回れないのか‥。
子育ては自分育てと言いますが、これからもっと深く考えていこうと思います。
息子、低学年までは普通級で放課後は毎日友達と遊び、成績もまぁまぁな感じでした。
が、中学年になり、いじり?いじめっぽいからかい?に苦戦しています。上手く怒れないんですね。
いつかキレて、とんでもない反撃をしてしまうのではと心配しています。
彼がどんなカードを持っているのか、よく話を聞きたいです。
素晴らしい気づきをありがとうございました。
親の私自身が「普通」に学生生活を過ごしてきました
問題なく卒業し、大人になり、今に至るわけですが、特に思春期時代は実に平凡でした(反抗期もなかった)
まさにふんわり生きてきました
なので、不登校になった時その「普通」ができない息子のことを理解できませんでした
>自分と向き合えるのは尊い
私は30を超えてから明確に自分というものを考えました。遅かったなあ…
息子は全力で自己分析し、思春期の自分と格闘しているようです
ある意味、息子の方が「普通」なのでは?
平均的な自他境界なのにトラブルを起こす人っているよね
はい。夫がそうです。普通そうでしょ?が口癖です。
トラブルまでは起こさないけれど、正直言って不登校の息子よりめんどくさいです。
なんなら息子の方が精神的に大人だなって最近思います。
今日も読んでいてすごく励まされました!
「自分自身と向き合えるのって尊い」
そうですよね!!!
ほぼほぼ多数派に属せたり、工夫する必要があまりない人生だったら今より楽かもしれませんが、向き合わざるを得ないこの状況は辛いこともありますが、長い目で見たらプラスにできると思って息子と過ごしています☆
スヌーピーの「配られたカードで勝負するっきゃないのさ」
という言葉をP先生のブログで知ってから私も好きです。
なんだか定型発達児の育児は配られたカード以外に色んな分野のカードを満遍なく獲得していこう!みたいな歩ませ方をしている気がします。
将来の選択肢を増やすためにたくさんカードを持っていたほうが便利だよね、という育児や学習方針が多いのかなと感じています。(もちろん個人、各家庭差あり)
そりゃ持ってるカードが極端に少なければ苦労もするし工夫が必要になるので、カードなんてこんなんなんぼあってもいいですからね!!
とカードを増やすというのも一つの方法ですが、
今自分に在るのはどんなカードなのか、これをどう使うかということに向き合ったり、使ってみることを大事にしていきたいです😊
こういう気持ちを話す機会があったときに
「おかあさんが前向きなのは、辛すぎて一生懸命前向いている感じなのかな?」
と以前の療育の先生に言われたことがありました😱
なんだか無理矢理ポジティブになっている壊れかけの母親だと捉えられたようです。苦笑
心配してくれたのかもしれないですが、
"こんなの本心なわけがない"と受け取ったこの先生の考え方を垣間見てしまった気がして色々ショックでした😭
P先生いつもありがとうございます〜❗️
「私の普通が相手の普通ではない」
で、「あなたはそう思うのね」につながるのですね。
うーん、深い!
全ての対人関係に言える言葉ですね。
珠玉の言葉を紡ぐ人。
P先生が美輪明宏に思えてきました!
先生泣きそうです。
中3娘。6年間8割方引きこもった後、あーこの6年無駄だったなあ(ルネッサーンス)と言い、適応教室、睡眠外来(雑談と睡眠記録)、小学校の勉強やり直し…というか初めて取り組み中、通信制高校(自分のペースを重視しないとね)目指してます。カリスマタイプと思われ。
小6息子。6年間不安と共におうち生活してきたけど、少し前から学校に行ってみたいと動き出しました。小5の新入生(最初から学校に通えていないというパターンの人をあまり聞いたことなくて、、他にいらっしゃいますか…?(*゚∀゚*))。超スモールステップだけど、確実に進んでる。HSCタイプかな。
子供の性格を考えながら毎日を積み上げていって道が作られていくのを見守るので、前向きで、楽しいです。
また、私自身の親との関係性を見直すことにもなり、子供からはたくさんのことを教えてもらい感謝しきりです。これからどんな景色を見せてくれるのかなー
定型発達、不登校でなかったら、私は仕事仕事で子供と向き合わず、子供は勉強学歴優先で、子供が学校とか外で周りに迷惑かけちゃだめ!と思って甘えられなくて、完璧主義、1人で抱え込み、イライラいつもしている孤立している親になっていたと思ってます。
今はその真逆路線を走っております〜
下に追加です(長くてすみません)
不登校は必要な時間だったと思いますが
しんどかったり、苦しかったり、もどかしかったりももちろんいっぱいで…そこに寄り添って労ってくださるp先生のあたたかさと気配りに感謝です💕
p先生〜本当にありがとうございます。
「『自分は普通』が前提だもんだから、少数派の立場なんて無視して土足で入ってくる人」
そうそう!そうなのか!そういう事〜!とうなづきすぎてコメントが遅くなりました。(リクエストにこんなに早く応えていただけるとは!感激です)
中1の時の担任に「『私は普通』を盾に、ズレた理論をゴリ押しされ」て再登校にチャレンジする度に踏み倒された娘は、1年経ってこう言います。
「あの人(担任)は、自分が出来ることはみんなできると考えていることが1番問題だと思う。教材を作るような仕事はよくできるけど教師という職業を選んだことが間違いだったよ。教師は心を扱うじゃん」
「まあ、先生も自分の人生しか生きてないからしょうがないとは思うんだけどさ」
親としては教師ならば分からなくても想像しようとしてもらいたいなと思っていたけど、p先生の記事を読んだり娘の言葉を聞いて、それを求めるのはお互いしんどいからやめました💦
この先生は娘の辛さも分からないと同時に、娘の豊かさも分からないのだと思います。
そんな娘は空前絶後の、超絶怒涛の、人生に影響を与える自己理解の道を突き進んでおります。
昨秋にWISCを受けて、丁寧な説明を大学のカウンセリングルームの先生から直接して頂き、言語理解が飛び抜けている事、記憶も見渡す視覚的な力もあるけど頭の中で整理する力が他の部分と比較すると弱いから、臨機応変さは苦手な事を知りました。いっぱい言われると固まってしまう理由にも納得しました。
家で過ごす中で、自分はものづくりが好きと言い、他にもいろいろ好きなものがはっきりしてきました。
今は芸術系の大学のエッセイを読んでいます。
「臨機応変は苦手」「急に自分の意見を言えっていうのは苦手だけど、知識を得て考えるのは得意だから〜」と苦手を把握しながら自分の得意を活かそうとしています。
不登校…まだまだ途中だけど
娘と我が家にとっては必要な時間だったのだと思います。そして、きっとここで娘が得た自己理解と俯瞰の力は生涯の最強の武器であり、娘は最高で最強だと思います☺️
いつも思う。
これだけ発達の凸凹について認知されてきているのに、学校の先生が一番理解がない。
理解して接してくださる先生はほんとにわずか。
教育に携わる方はもっと先生のブログを読んで欲しい。
医者も専門と専門外があるように学校の先生もそうなのかもしれないけど、他のことでももう少し現代に合わせた教育を受けてきて欲しいと思うのはわたしだけなのだろうか。
自分を知ってるとめちゃ強い。
本当にそう思います。私ももっと早く自分を知りたかった。自分に合わない道ばかり選んで、自分何やってもダメな奴だと思ってました。だた環境が合わなかっただけだと、学校に行けなくなった娘が教えてくれました。
小3不登校、小4五月雨登校、小5はどうなるか。きっと自分が納得できる道を選んで進むことでしょう。親は選択肢を与えて信じて見守るぐらいしかできないですね。自分で納得できないと違和感感じまくりのストレスたまりまくりですから。
でも苦しみながら自分自身と向き合って、子供の頃に自分を知ることができた娘は、将来ちゃんと自分に合う居場所を見つけることができると信じています。
学校に行けてなくても私にはいいところがある!自信をもって言う娘が頼もしく誇らしいです。
それにしても少数派ってほんと、息苦しいですよね…。
もっと選択肢のある社会になって欲しいです。