僕たち医療者は、病院で待っている立場。
そこへ患者さんが来てくれて、初めて診療が成立する。
※訪問診療やオンライン診療もあるけど、ベースは対面の受診ですよね。
だもんで、病院に来ない人については正直わからない。
医者嫌いの高齢者で、
「俺ぁこの年になっても病気一つないぜ。
なんせ、50年以上医者にかかってないからな、ガッハッハ。」
なんて笑い話がある。
そりゃそうだ。
受診しないことには診察も検査もできないのだから、なんの診断もつくはずがない。
「診断がない」と「病気がない」は別物だったりするのだけれど。
だもんで、心の分野でも、「病院に来ない人」の状況についてはわかりようがない。
むしろ来てくれた人が、親御さんにモチベーションがあり、本人も(それなりに)同意し、めんどい予約と長い待ち時間を乗り越えた、選ばれし勇者とも言える。
こっちの方がバイアスがかかっている気さえしてくる。
モチベーションがなかったり、予約システムの壁を超えられなかった人については、正直「わからない」のだ。
聞かれることがよくある。
病院の予約の電話でも、このブログのコメントでも。
僕個人の意見ははっきりしていて。
来たくないなら来なくていいと思う。
多分、意味ないし。
本人に相談意欲がなければ、僕たちは、少なくとも僕は土足で踏み込むことはしない。
その人には相談する権利があるのと同時に、相談しない権利もあるわけで。
僕は、相談されたら答えるスタンス。
お呼びじゃないのにしゃしゃり出るのは、性に合わない。
残念だけど、僕のスタンスはそう。
「相談できる」「SOSが出せる」って、非常に大切な力だ。
相談意欲がなければ、僕は立場上介入できないし、個人の心情としても介入したくない。
その子の「相談しない権利」を尊重したい。
冷たい?
そう、僕は冷たいんだ。
自分でもかなりドライだと思う。
スーパードライだ。
アサヒ。
非常にビジネスライクなスタンスで診療している。
困っている人全員を救えるなんて、ハナから思っていないし。
一番支援が必要なのは、支援できない人。
↑これが真だと思っている。
※余談だけど、熱い気持ちをもって取り組んでいる支援者って、燃え尽き症候群になりやすかったりする。そんな人をたくさん見てきた。長く続けるには一歩引いたスタンスが重要だと思う。個人的な見解です。
でさ。
意欲のない人には介入できないし、する気もないんだけども。
なぜ来ないのか
↑個人的に、これには興味がある。
なんで来ないの?
なぜ相談したくないの?
そもそも困っていないのかもしれない。
解決したくないとか。
今のままでバランスが取れているのかも。
相談しても解決するわけがないと思っているのかもしれないし。
実際、その通りの可能性も高いわけで。
僕らにできることなんてたかが知れている。
もしくは、ただ「怖い」とかさ。
知らない人が怖い。
しかも、自分の内面をさらけ出すなんて。
今までどこかに相談して傷ついた経験があるのかもしれないし。
警戒しているのかも。
親が行けって言うんだから、病院もグルに違いない。
みんなして自分を責め立てる気だ。
そもそも、大人なんてみんな信用していない。
俺(私)の人生に口出すな、ほっといてくれ!
……とまぁ、色々考えられるわけですが。
「受診したくない理由」には、僕は興味があって。
そこからその子の本質、つまり『玉』が透けて見える気がする。
受診しない理由からその子の本質を考察するのは、僕的には興味のある作業だ。
同時に、親御さんの側は、なぜ子どもを受診させたいのか。
こっちにも興味がある。
子どもは、なぜ受診したくないのか。
親御さんは、なぜ受診させたいのか。
このあたりから親子の関係性が透けて見える気が、僕はしている。
どの程度コミュニケーションをとっているのか。
親子の力関係はどうか。
なんとなーく見える。気がする。
中でも話題になるのが、検査と診断だ。
親御さんは希望、でも子どもは拒否というケースは散見される。
これも、本人がイヤなら僕は踏み込まない。
本人が知りたくない情報を無理やり聞かせるって、なんか、僕、すごいイヤで。
知りたいと思ったときに知れば良い。
知りたいと思うまでの過程は、僕みたいなアカの他人ではなく、家族内で構築してほしいし。
過程は、家庭で。(誰がうまいこと言えと)
そう。
おわかりの通り、僕はかなりドライなのだ。
アサヒスーパードライ。
ドライにやっている。
藁にもすがる思いでブログを読んだりコメントを書いたりしている方。
本っっっっっ当に申し訳ないんだけど、僕じゃない方がいい。
直接顔を合わせ、相談できる人がいいです。
僕は個人的な興味関心を、匿名で書き散らかしているだけなので。
参考になる部分があれば勝手に持って行って、と。
初期からずっとこのスタンス。
申し訳ないけれど。
でね。
発達の検査をしてほしい親 VS したくない子ども
という構図はよく見かけて。
僕は全面的に子どもの味方。
「したくない」と主張できるだけの自我がある子なら、全力で尊重する。
その子の人生だ。
選択権は本人にある。
でも、なぜ検査したくないのかには大いに興味がある。
親御さんも、なぜ検査させたいのか、興味がある。
あ、口酸っぱく何度も書いているけれど、発達障害(ASDとADHD)を診断する検査なんて存在しないからね。
検査すれば診断がつくと思っている親御さん、とても多いのだけれど。
検査は補助。
診断は、あくまで症状。
どんな特性でどの程度困っているか、だからね。
※だからこそ、相談意欲がないと意味がない。「こんなことでこんなふうに困ってます」って喋ってくれないと、診断のしようもない。
ここでは、敢えて診断と検査をごっちゃにして話を進めるけど。
診断(検査)してほしい親 VS したくない子ども
↑この構図。
僕的には「しない」でファイナルアンサーではあるのだが、なぜしたい(したくない)のかは考える価値があると思う。
診断(検査)したい親御さんは、出た結果をどう使いますか?
個人的に、診断しっぱなしが一番タチが悪いと思っていて。
どんな結果なら、どうする?
そこを考えていただけると良い。
診断(検査)されたくないお子さんは、なぜそう思いますか?
診断されると人生終わる?
自分は普通?
特性から(今はまだ)目を背けていたいですか?
個人的には、特性は特性でさっさと把握した方が、生きやすいと考えている。
診断されても、あなたはあなた。
変わってしまうわけではない。
けどまぁ僕個人の考えを人様に押し付ける気はないので、いつ・どこに着地するか、その過程は家庭で。(気に入ってる)
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とても励まされています。
ありがとうございます。
面白いし、納得いくことが多いです。
精神科との付き合い方に疑問を持っています。
私もスーパードライ母と自負しております。
中学一年、不登校で精神的症状のあった娘。
すぐに心療内科を受診しました。
2年半くらいになります。
その間、月に一度5分ほどこちらの話をするだけなんですが、これって続けるべきでしょうか?
投薬はなく、精神的症状も2年ほどありません。
テストは受けて、だからって何もかわりません。
登校はしていませんが、進路は決めて他の目標ももち頑張っています。
このまま、月に一度5分間は必要なものか?
ずっと通院するのか?
心療内科、精神科との付き合い方、お別れの仕方など、ブログでお話しして頂きたいです。
あと、五分の診察でわかることやその意味もお聞きしたいです。
こちらに書くのは見当違いかもしれませんが…
ASDとADHDが併発している子供への対応など、アップしてもらえると嬉しいです。
本人の生きづらさや、子育ての難易度が上がる気がします。
人からとやかく言われたくないって言われました。
学校へ行けなくても、勉強ができなくても、友だちに会いたいけど会えなくても、いろいろなことが不安だし気になっても結局『今は』困ってない
検査が終わってからそう言い始めた娘。
先生が苦手なのもあるのかな。
進学に向けてが目的なので、本人にとって辛いのかな。
通院もこうなると微妙だなーと思っています。
先生目線での発信は確かに参考になります。
ただ、本人が困ってようと困ってなかろうと、何かしら問題があって、クラスで本人が快適に過ごせるようにするには、担任の先生もこみでこの子がどういったタイプなのかを共有するには、診断はいるかなーと考えています。これはあくまで、問題を前向きに取り組むためのひとつの手段かなと私は考えています。
もちろん、やりすぎはだめだと思います。
一番親が困るのは進学に関わるからじゃないかなと思いますよ。
これは、家庭でのどれだけ教育にお金を注ぎ込めるかの考え方にもつながるので、なかなか一筋縄ではないと思います。通信学校も高いんですもの。でも高校卒業認定は欲しい。これが本音じゃないかなって思います。
ケースバイケースだから、これが正しいっていうのは難しいと思います。
何もしないで後悔するよりは、結果だめでも行動して親が納得するっていうのも多いいんじゃないですかね。
今回も笑わせていただきました!
過程は家庭で。
子どもが不登校になって、迷いましたね、悩みましたね、受診。
病院探し、予約の壁、診断等々・・。
1つ1つ精査して、考察して、結局受診はせず、今は落ち着くとこに落ち着いた感じはあります。
いつもズバっと、おもしろく、書いてくださってありがとうございます。