「不登校ダメ、ゼッタイ」の理由。
たくさんのコメントありがとうごうざいます。
みなさんからの意見を拝読し、結局ここに行き着くのかなと思った。
『みんな同じだから』
今回の不登校絶対ダメという方の理由としては社会性が身につかず、社会に出られない、もしくは働いてからもまともに働けないからと言うことだと思いますが、そのような考えになるのは自分の経験した中からの事であり、それが全てではないにしても大体がその様になるだろうと考えるからではないかと思います。
p先生も書かれていたかと思いますが、不登校してたから適応できないままなのではなく、適応しにくい特性を持った人だから不登校になると言う発想が不登校絶対ダメ派の方にはないのかと思います
つまりはみんな周りにいる人は大体自分と同じ様だと思っているから自分のしてきたことから外れるのが許せないのではと思いました
このご意見とか、まさにそうで。
僕も何度も書いてきた。
そもそも「みんな同じような種を持ち、同じような花を咲かせるハズ」という理論。
みんな同等な能力を持っているはずで、だとしたら感じ方も同様で、我慢できないのは根性なしだから! ってやつ。
発達障害? 気合が足りん! って理論だ。
この理論に立てば、
という理屈が成り立つ。
だって、みんな同じなのだから。
みんな同じスペックなのに、みんなと同じことができない理由がない。
できるに決まっている! という理屈。
正直、そもそもここかー……という、ちょっとがっかりな気持ちもある。
それはないでしょ。
と僕は思う。
そして、それはないでしょって考えが市民権を得ていると思っていたのだ。
だからこそ「不登校はなぜダメなの?」って強く疑問に思ったわけで。
まぁ、僕の認知の歪みですわ。
僕の思う不登校はこう。
A集団は、学校が合う人たち。
B集団は、学校が合わない人たち。
もちろん実際にはこんなにハッキリクッキリ分けられず、環境によって入れ替わったりするんだけど、ここでは便宜上わかりやすさ優先で図示する。
多くの人はA集団に属し、学校が合うし、そこそこ楽しく通っている。
たまに「学校いやだな」と思うことはあるけど、まぁ納得して通えるレベル。(「みんな一つや二ついやなことくらいある!」はこのレベルだろう)
対して、B集団はそもそも学校が合わない。
理由はいろいろ。
知的な理由(高いことも低いこともある)だったり、発達障害特性とか、HSCとか、性格とか。
で、不登校はB集団から出る。
合わないから、不登校になった。
これが赤い人。
僕が何度も言っている、『合わない子』だから不登校になった、不登校は親のせいじゃない、っていうのがこの考えから。
つまり、不登校になった時点でその子はB集団である可能性が高い。
「そういう子」だった。
そもそも合わないんだから、なぜ合わないか、何がいやかを見定めることからしか出発しない。
というのが僕の考え。
ちなみに合わないのに学校に行っている黄色い人たちは、とてもよく頑張っていると思う。
褒めてあげてほしい。
次に、「みんな同じ理論」のモデルを示す。
そもそも全員A集団。
みんな同じ。
「学校やだなー」と思うことってあるよね、というのが黄色い人。
その中の一握り、甘えた人、気合の足りない人が、不登校になる。
「変身! とりゃ!」
黄色から赤になる。
で、そもそもこの赤い人もA集団の出身なわけだから、無理やり戻しましょうという理論。
戻せばまた普通のA集団の人になります、って理論。
つまり、不登校は親のせいってこと。
という解釈でOKでしょうか。
ただ、これはもう前提から全然違うと思う。
能力も感じ方も人それぞれだし、発達障害の存在は歴然たる事実だし、HSCも沢山いると思うし。
不登校は、「本人も行かなきゃいけないとは思っている、でも行けない」がデフォルトだ。
「行かないで済むの? ラッキー♪」って人はそもそも不登校にならない。(ASD特性のかなり強い人と知的にゆっくりな人を除く)
そもそも学校が合わない子だったから不登校になるんだと思う。
その特性っていつから?
受精したときから。
だからこそ、親のせいじゃないし、育て方は関係ないと何度も書いている。
上記でファイナルアンサーだと僕は思うんだけど、それを証明する術はない。
エビデンスもない。
所詮「ぼくのかんがえるさいきょうのふとうこうりろん」に過ぎない。
だから、「みんな同じ理論」が正しいと思うなら、やってみればいいと思う。
無理やりひっぱっていけばよい。
甘えた根性を叩き直して、学校に適応できるのか。
出来た場合はそのまま社会に適応できて、将来的にも幸せな人生を送れるのか。
そのまま安泰か。
学校に戻れなかった場合は人生終わるのか。
試してみればよいと思う。
でも。
でもね。
多分うまく行かない。
ブログを読んでいる方からのたくさんのご意見がある通り、それでうまくいく確率って高くない。
僕も臨床経験上、そう思う。
だからさ。
「不登校ダメ」の理屈として、「みんな同じ」を推すのは全然いいと思う。
まず、試してみたらいい。
仮説を立てて、作戦を練る。
やってみて、答え合わせを行う。
子供に『寄り添う』ってこういうことだと僕は思う。
失敗したとしても、必要な過程だ。
そして、うまくいかなかったとき。
前提が間違ってたんじゃない? って疑ってほしい。
「みんな同じ」じゃないかもしれない。
『普通の子』という前提が違っているかもしれないって考え方にシフトすることを、僕はおすすめしたい。
うちの子が普通じゃないって認めるのは勇気がいるけど、でも、そこからしか出発しないと僕は思うんだ。
同様に、不登校になった時点で『学校が合わない子』だと思って対応してみたけど、よくよく観察するとA集団のちょっとしたお休みだったってこともあるだろう。
その場合も柔軟に学校に戻してほしい。
(こっちのケースはあまり問題にならなそうだけど。)
とりあえず試してみて、うまくいけなければ「やっぱ最初の仮説が違った」って方向転換する柔軟さ、すごく大事だと思う。
さっさとコップを溢れさせてほしい。
今回意見を募ってみて、「ダメ、ゼッタイ!」を推す納得いく理屈は、ちょっと僕には分からなかった。(もちろん僕のブログの読者さんは不登校肯定派の方が多いと思うので、母集団が偏りまくっているのは承知) (あと『陰謀論』についてはあえてスルーさせてください笑)
やっぱり、ちゃんとした理屈はないのかもしれない。
もちろん僕の推す理屈にもちゃんとしたエビデンスはないんだけど、とりあえず「不登校はダメ!」とガチガチに決めてかかるのは勝率が低いと思った。
さっさとコップの水を溢れさせて、違う方法を試してみる柔軟さが大事なのかなーと。
「ダメ、ゼッタイ派」の理屈がないのであれば、僕(と文科省)の思う理屈、つまり不登校オッケーを、ちょっと強く推してみてもいいのかなーなんて思った。
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不登校がダメな理由は
学校に行かない!と言えるような意思の強い子が家に堂々と居続けられると親が参るからです。
小学校の欠席連絡は朝には通学班に欠席する旨を伝え、連絡帳を渡し、帰りには連絡帳を近所の子に届けてもらうシステムです。
毎朝通学班に連絡帳を渡すのも親にとってかなりのストレスですし、毎朝託される子供もとても迷惑していると思います。帰りには近所の子に連絡帳を届けて貰うのもかなり申し訳ないです。
欠席連絡を特別に電話でも許可して貰えたのですが、毎日の連絡もストレスです。
不登校を謳歌する子は家に居続けて、家のものを食べ尽くしブクブク太り続けます。
そして学校に行かないのに給食費は払い続けなければいけません。
学校に行かないのでドリル等一応買い与えます。
不登校がダメな理由は経済的な面と親が精神病にならないためではないでしょうか?
不登校の親は本当に辛いです。本人を快適にさせてあげて、親が精神病で苦しむのはいかがなものでしょうか。
自分が正しいと思う事は人にも勧めたいという心理なのかな〜だから、うまくいかない。
それは不登校に限ったことでもなく、何のことにしてもそんな気がする。
先日、旦那と息子の進路について話した時、旦那は自分が大学を出たから息子も行って欲しい、でもその息子自身を見たら大学に行くことを勧めた方が良いタイプではなく(そもそも勉強キライ)、社会に出て経験を積んだほうが良いタイプ(だと思う)。
先入観(社会の常識?いわゆる大多数の考え?)でもの事見ると、一番大事な目の前の事が見えなくなる。不登校も進路も、見るべきは社会の常識ではなく目の前の我が子。
自戒を込めてコメントさせていただきました。
ダメな理由を教えてシリーズ、とっても勉強になりました。ありがとうございます!
私が不登校がダメだとおもう理由。それは、いつまでもうちにいられると、私の御一人様時間がなくなるからです。
誰もいない家でコーヒー飲んでとっときのスイーツ食べる。誰にも木がねなく。その時間を奪う権利なんぞないのです。
リビングなんかにいられたら、掃除機も満足にかけられないし。給食費ももったいないからです。
ふざけてるみたいだけど、本当です。
不登校真っ只中の子がいます。
集団が合わないなら
本当不登校で良いと思うんだけど
シンドイのよね。
一緒にいる事がしんどい。
小1なんでね。
私の時間が取れないの
一緒に出歩いても
ちっとも楽しくない
そんなことしないでよ。
って事を急に始めるから
感覚の後退が起きてるんだと頭では分かっていても
自分の感覚の「正しい姿」を押し付けちゃうから辛いのよね。
近すぎる事が今は辛い
不登校で良いんだけど
何とかしたいって思っちゃう。
p先生のような理解ある先生のところに行きたい
うちの主治医は不登校ダメ絶対
義務だから
って言うのよね。
それも苦しい。
じゃあどうしろと!
と言えば
次に出てくる言葉は
投薬してその環境に慣れろだった。
薬ありきな考えが納得いかない
でも
ドクターショッピングが怖い
今堂々巡り中
ここで愚痴こぼしてごめんなさい
図すごく分かりやすいです!(靴下分布図も好きです)
不登校の娘や息子を連れて学校に顔を出すと、たまにしか現れないので、「どうして休んでるの?」とよく聞かれます。(有り難いことに意地悪で言われたことはなく、素朴な疑問や体調を心配してくれてる感じ。)
初めは「疲れちゃってね」とか「なんでだろうね、分かんないんだけどね」と答えていましたが、この前、その子達に「学校休みたくならないの?」と聞いたら「無いよー(^^)」と明るく答えてくれました。
無いの!?と心底びっくりしましたし、自分も休みたいから質問してきたのではないことに安心しました。
我が子は参加できないけど、普通に楽しく通える学校に在席できて幸せです。みんな無理して通ってないから不登校しててもズルイと言われず、現れるとレアキャラ扱いでみんな話しかけてくれます。
折角話しかてくれても、完全スルーな我が子たち。めげずに話しかけてくれるので時々返事が出来るようになりました。
そうやってお互いの生き方を否定しない子達が大きくなったら、きっと優しい世の中になるんだろうな。そうだったらいいな。と日々感じています。
先生のブログを読んで、親が子どものことも自分のことも(不登校してる子が自分のことも)責めなくなるとみんな生きやすくなりますね。私はおかげさまでとても生きやすくなりました。ありがとうございます。これからもブログ楽しみにしています!
この話題、ブレインストーミングのようで興味深かったです。
先生もお忙しいのにコメントしてくださって、自分がどうしてそう思うのか深く考える機会にもなりました。
考えてく中で、行動経済学の考え方を知る事ができました。
ざっくり言うと、人が意思決定し行動する時に、何が影響してどう考えるのかの研究です。
試しに本を買ってみたものの、まだアウトプットできるほど理解をしてないのですが、考え方のヒントを発見した気がしました。
人は得する事よりも1度手にしたものを失う事を嫌う生き物なんだそうです。
特に気になった単語はこれ。
→現状維持バイアス
現在の状態から変更する事を損失と考えること
→保有効果
既に保有しているものの価値を実際より高く見積もってしまうこと
行動経済学、既にご存知だったらすみません。
誰かの役にたつことがあるかもしれないので、書き込みます。
「医療現場の行動経済学」とかも面白そうなので、もし良かったら。
大阪大学の大竹教授と平井准教授の共著です。
暴論だけど、人は全然合理的に生きてなくて、本質的には同じ事が経済でも恋愛でも教育でも医療でも起こってそうだと思いました。
私には不登校がダメな理由を説明する事は出来ませんでしたが、今後に役立ちそうな考え方を知る事ができました。
そして考えてる最中、自分の人生を楽しむってこういう事かとか、SNSってこんな風に楽しんでいくのか、とか、色々楽しかったです。
こんな風に考える場を与えてくださって、どうもありがとうございました。