不登校ってさー。
なんか急になった!
ってイメージがあるように思うんだけど。
実際、「子どもの様子がおかしくなった」という訴えを聞く。
急にヘンになった。
不登校の子とそうじゃない子は、なんか、別の分類みたいな。
- あの子は不登校
- この子は特にそういうのはない
みたいな。
健康か病気か、的な。
そもそも括りが「別のなにか」というか。
うまくいえないけど。
そうじゃないと思うんだよねー。
その子はその子であって、その子のまま不登校になって。
あの子はあの子であって、なんか不登校にはならなくて。
イメージよりずっと、なんていうのかな、そう、「連続性」があるように思う。
不登校に至るまで
コメントをいただいた。
中学で不登校を経験し、今は元気に登校中の高校生息子がいます。
学校の仕組み自体への不適応、まさにそれが原因での不安から、不登校になったのだろうなぁと今ではわかります。登校刺激を諦めて、たっぷりおうち時間を過ごし。少しずつ自分ペースで登校しながら卒業を迎えました。黒歴史(本人いわく)から脱出し、心機一転なんてうまくいくのか?と思いましたが、こちらの心配をよそにみるみる元気になりました。特性や不登校に配慮した学校を選んだことで、不登校という少数派だった自分→みんな何かしら経験してる!となったことが、大きかったと思います。持って生まれた玉は変えられないけれど、本人の成長待ちみたいなところもあって、今はだいぶいろんな適応が出来るようになってきました。不登校は親子にとって通過点となりつつある今日この頃です。
中3息子は不登校歴4年ですが、それまでは元気で何でもそつなくこなし、友だちや勉強面でも問題ない子でした。でもそれは周りから見た彼であって、知らず知らずのうちに無理が積み重なっていたのかもしれません。コップが満タンに近づいていた時に、コロナ禍や、皆の前で恥をかくような出来事がたまたま重なり、動けなくなりました。
保育園時代を振り返ると、やはり今と気質は変わりませんね。得意な事以外はやりたくない(完璧主義?)、神経質、周りを観察しすぎるようなところがありました。
親として心配するのは、大人になって精神疾患を発症することです。そのために今できることは、学校に行かなくてもいいから、社会で生きていくために、どうやって自分の気持ちと折り合いをつけていくのかを少しずつ学んでもらうことかなと思っています。
持って生まれた「玉」の影響が一番大きい
本当にこれだと思います
きっかけは部活の顧問に叱責された事でしたが、それがあふれそうなコップに注がれた最後の一滴だったのかなと
玉と環境のマッチングがうまく行かなかったんだろうな中学時代に1年半の完全不登校でゆっくり休み、今は登校型通信制の高校1年生になり毎日登校しています
不登校は自分にとって必要だったと本人の口からポロっと出た言葉にものすごい成長を感じました
「持って生まれた「玉」の影響が一番大きい」
「不登校って、入学前にはその素地が出来ているんじゃないか。」
本当に…まさに…息子が不登校になったのは決して、思春期のアイデンティティの確立に失敗したのでもなく、ケガで同級生にいじられたことをいじめととらえたからでもなく、それによって人間不信に陥ったのでもなく
「そもそも保育園時代から周囲を気にしいの気質(HSC)だったのなら、遅かれ早かれぶち当たっていたのではないか」に至りました
そうだと思うんだよねー。
そもそも、素地があった。
いわゆる「不登校のきっかけ」は、最後の一滴で。
そもそも合わない素因があったと思うんだよ。
不登校になった瞬間に、「別の誰か」「別の何か」に変化したわけじゃない。
この子はずっとこの子で、連続している。
ずっと、大事な我が子。
世界でたった一人の子。
変わらない。
その子はその子として、生まれ持った特性がどう変化し、表出するか。
その子は、きっかけや環境があって、不登校に至った。
イーブイが、どの進化の石でどうなるか。
この子はたまたま雷の石でサンダース(不登校)になった。
でも、別の石で別の何かになったかもしれない。
また別のケースでは、進化せずにイーブイのままかも。
ただ、ベース(玉)はあくまでイーブイで。
ベースがピカチュウだったら、同じきっかけでライチュウになってた。
イーブイは、あくまでイーブイだ。
他の疾患と同じだよね。
ASDタイプの子は、生まれつきずっとASDタイプで。
きっかけや環境によって「困っちゃう」と、ASDと名前がついて。
環境や成長で別に困らなくなると、「よくデキる鈴木さん」なんて別の名前がつく。
でも、この「デキる鈴木さん」も、環境が変われば困ったさんになるかもしれない。
家では変なこだわりを発揮して、家族を困らせているかも。
ASDは、やっぱりASDで。
イーブイはやっぱりイーブイで。
コダックはどうしたってコダックだ。
変えられない「玉」だ。
変える必要もないし。
早くてよかった
でね。
ここからが本題。
不登校になってよかったじゃん!
って思うのさ。
いや、大変なのはわかる。
めっちゃ大変だよね。
綺麗事じゃない。
精神的にもそうだし、物理的にも面倒なことがたくさん出てくる。
手間も時間もエネルギーもかかる。
それは重々承知。
でもさ、見方によっては今でよかったじゃんって思うんだよ。
早くてよかったじゃん。
その子、イーブイじゃん?
どうしたってイーブイで。
今サンダースにならなかったら、あとでブースターになってたかも。
つまり、別の表現系で、別の困難として表面化していた可能性がある。
可能性がある、いや、可能性は結構高い。(もちろん困らずに終わる人もいるけど)
実際、発達特性を持つ人の精神疾患発症率は高い。
果たしてそうだろうか。
きっかけがなくスルーっといったら、大人になってもずっとイーブイで、つまりめちゃ弱だった可能性がある。
社会で通用せず、それはそれで問題になっていたかも。
※分かりやすくイーブイに例えているだけで、変わった「玉」の人が弱いとかダメだとかの話ではありません。「玉」に良いも悪いもない。社会に適応しづらいことの例えです。
よかったじゃん、早くて。
今気づけてよかったじゃん。
大人になると、パーソナリティ障害が増える。
子どものパーソナリティ障害って、あまりいない。
つまり、後天的な要素でパーソナリティが大きく変わるのだ。
つまりね。
子どもは分かりやすいんですよ。
発達障害の診断は、子どもの方が容易だ。
後天的な性格の影響を受けづらいから。
「玉」の観察も、子どもが容易。
後天的な要素を排除しやすいから。
その子が生まれ持った「玉」を観察しやすいのは、圧倒的に小児期で。
不登校に至ったってことは、きっとちょっと変わった「玉」の持ち主だった。
早く気づけてよかったじゃん!
子どものうちでよかった。
親の手元にいるうちで。
大人の話を素直に聞く年齢でよかった。
だって、絶対大変だぜ?
大人になって、変な自意識とか自己肯定感の低下とか、社会とか世間とか普通とか? もろもろ身につけたあとで、玉探しに出かけるの。
何その……虫探しみたいな……ポケモンゲットだぜ的なwww
早くてよかった。
「よくないよ!」って聞こえてきそうだけど。
そりゃ、大変だけど。
でも、もうなっちゃったんだから。
せっかく不登校になったんだから、小児期というゴールデンタイムによく「玉」を観察することだ。
レッツ玉探しwww
ポケモンゲットwwwww
君に決めた!!!!!
大人になって精神疾患とか社会不適応を発症するより、ずっと良いと思う。
今じゃなくても、きっとどこかでぶち当たったハズだぜ?
だってその子、イーブイなんだろ?
不登校の先へ
そして。
自分を知っている子は強い。
不登校から、自分の意思で立ち上がった子。
納得して歩き始めた子。
つまり、「成長」した子だな。
めちゃめちゃ強いと、僕は思う。
実際、不登校からの回復には本人の「成長」が必須だ。
むしろそれを待つ時間が、不登校支援の大部分かもしれない。
不登校支援って、
- 玉を観察しつつ、
- 成長を待つ。
の2点だろう。
まずは、枯渇したエネルギーを回復させてさ。
エネルギーが溜まったら、成長につながりそうなきっかけを与えたり、トライしたら骨を拾ったり。
大人にできるのってその程度だ。
不登校は、本人が乗り越える課題だ。
肩代わりできない。
いや、奪っちゃいけないんだと思う。
その子の人生だ。
でも。
大多数の選ぶ世間一般の流れから離れ、少数派の「不登校」を選択できた子だ。
さらにその先を切り開く力があると、僕は信じている。
不登校の、「さらにその先」。
どんな世界が広がっているんでしょうね。
ワン・ツー・スリーで飛び込め!
いつか描いた未来が僕のポケットにあるから。
中学3年生の娘がいます。
中2の秋から不登校→中3になり少し頑張って行ってましたが、また今行けなくなっています。
ネットや本で、どうすれば良いのか調べているところP先生のホームページに行き当たりました。
そしてコラムを拝読し、びっくり…。
『不登校になりやすい素地は幼少期すでにあった』
『持って生まれた玉の影響』
『良い悪いではない。そういう人。』
…そうなのですね。ものすごい納得です。
娘は中学に上がってから不登校になりましたが、やりにくさは今に始まったことではない。
ショックなことですが、心のどこかで、あぁやっぱりな…という思いがありました。
赤ちゃんの時はお昼寝ほとんどしない→抱っこしてないと火がついたように泣く、とか、幼少期から新しい環境に弱く、行き渋りはいつものこと。。他にも…一筋縄にはいかないことが多々ありました。
なんて、育てにくい子なの?といつも思ってしまいます。
あまり手間を増やしてほしくないと思ってしまうんですよね。
私もHSP気質があり、自分のことだけでもスムーズにはいかないことが多いもので…めんどくさいのが嫌で、結局、自分のことを心配してるのかもしれません┐(‘~`;)┌
P先生は、子供をポケモンに例えられて、発想がユニークで面白いですね。
私も子供が小さい時は、ベストウィッシュをよく見ていました。懐かしい。
余談ですが。
サトシって優しいなぁって思っていたのを思い出しました。
自分のポケモンが対戦に負けても、絶対に責めたり怒ったりしない…。むしろ、労って、優しい声かけをしてますよね。ブチ切れたりしないんだ…と思っていつも見ていました 笑。
そして今。
娘に、怒ってます。責めるように話したりします。
NGですね…。とほほ、と気付かされました。
ありがとうございます。
先生のコラム、これからも拝読させてください。
いつもありがとうございます。
不登校…小学校時代から我が家の2人にはずっとついて回るキーワードでした。
現在中1のADHD+LDの息子は小1から不登校、母子登校、給食から登校をしていました。途中、急に普通に登校したりしていた時期もありますが、基本的に早々に息子に学校システムは合わないとわかったのでよかったと思います。
普通に登校できてもそれが「不登校からの卒業」と思ったことはなくたまたまだと(笑)
小6はほとんど給食から登校の息子でしたが、まさかの中学は今のところ、楽しいらしく毎日朝から登校してます。
先生の悪口やら何でも話せる悪い仲間ができたようで(笑)
学習障害もあり、小学校も行かない日も多かったのでテストではリアルのび太な点数ですが…
「君のよさは学校のテストなんかじゃわからないんだよ!」と本人にも自分にも言い聞かせております。
ずっと本人に診断名を伝えてなかったのですが、私が発達障がいの本を読みまくっているので気づいたようで自分も読んで「オレ、これだ!」と言いました(笑)
だから「発達障がいは障がいじゃなくて個性!」これも息子にも自分にも言い聞かせております(笑)
いつもありがとうございます。
他の皆さんのコメントもとても参考になり、まるで親の会に出ているような場を設けてくださって本当に感謝です。
娘は週2登校から完全不登校になりましたが、本人が外には出たがっていたので、とにかく居場所を探しまくりました。いろいろ行ってみて、最終的に遠方のフリースクールに行ってみたら、そこには通えそうでした。
まだ低学年なのと、ホームスクーリングに向かないタイプ(他の人に教えてもらうのはいいけど家でお母さんと勉強は素直にできない、自宅でのタブレット学習も向いてなかった)なのと、外へ出たい好奇心や誰かと遊びたい気持ちが強いこと、ある程度大人が枠を用意した方が今の娘にはいいのかなと思いました。
月謝と交通費で、我が家にとっては食欲がなくなるような金額です(笑)。でも家族の総幸福量を考えると、今はとりあえず最善だと思っています。
他の居場所に行ってみて、どれだけ公立小学校が合わなかったんだ…と思いました。娘にとっては通えば通うほど削られてどんどん自己肯定感も下がる仕組みだったんだろうなと思います。
「じゃあどうするか」は、親が探して親子でトライして、不発だったらがっかりして(がっかりした顔は娘には見せられず)、見つけても何かしら負担はとても大きく、やっぱり消耗します。どうしようどうしようと奔走して、親も体調崩しました。
同じような人がこれからも出てくるだろうから、もっと選択肢が増えることを祈ります(うちの地域は適応指導教室は高学年から対象でした)。
今でよかった、早くてよかった、そうですよね。
自分は、勉強さえしとけばいいとしか考えずに過剰適応を続けて社会人になってから困った方なので、自分とはタイプは違うけど、娘には自身を理解するヒントを与えてあげたいなと、何とか伴走していきたいなと思います。
不登校2回目中3女子です。ASDと診断されたのが小2の夏、その直後お友達関係をきっかけに不登校、その子が転校して再登校。でも、日々の生活に疲れやすいため、週一で欠席。5年生で転校して、一年はハッピーに通いましたが、小6から五月雨。中学に入り年を追うごとに不登校になっていきました。今回は、周りの程度の低さにうんざりするというのが主な理由かと思います。最近は潔癖になりつつあり、不安が高まってるなぁと見ています。高校受験がなければゆっくり休ませてあげたいのですが、本人は受験する気満々。しかし、不安ではあるけど勉強にはあまり手がつかない様子。勉強も遅れていて、ついには成績不振で、周りがと言っていられません。理想が高く、今のままではその先が見えない感じです。力になりたいですが、自分のことは自分で決めてやりたいというので、見守るだけです。他人をかなり信用していないので通院もしたがらないし、相談もしない。イライラをぶつけられるのは私だけ。もどかしいです。
いつか、笑って話せる日が来るのでしょうか。
起立性調節障害になり、約3年の不登校期間を経て、この春、私立高校普通科に入学した男子の母です。
不登校時代は、先生のコメントに何度も何度も励まされ涙し、時には、先生の面白いコメントに笑いながら、先の見えない日々を過ごしていました。
先生のおっしゃる、
「家を快適に!」
を胸に、家族みんながゆるーく過ごしていたら、段々と息子も、元気になり、その時がやってきました!受験を意識して3年の夏から自ら動き出しました!通信制じゃなくて、普通科に行きたい、と塾に通いました。
今思うのは、
↑先生が言われた、
早くてよかった、
今でよかった、
不登校になって、よかった、、
私達のもとにいる時で、本当によかった、
と感じます。
一時は、親子で、どん底の真っ暗闇を歩いていました。でも、その時期を一緒に歩めたことは、本当によかった。。つらいことを乗り越えた子は、強いです。息子を見て、そう思います。
あらためて、
P先生には、感謝しかないです。
ありがとうございました!
これからも、たくさんの方を、明るい方へ導いてください。
コメント取り上げていただきありがとうございます!!
うちのイーブイは不登校に至るまでが本当に大変で、鬱になりかけ何度もベランダの手摺に手を掛け…取っ組み合いしながら思い止まらせる、というような地獄の日々でした😭
完璧主義で100-0思考が強く、なかなか自分を受け入れられなかった彼が、今では「まぁ、いっか!」で済ませられるように進化しました。そこに辿り着く過程が一筋縄ではいかずもどかしかったけれど、それが奪ってはいけない本人が乗り越える課題だったのですね。
今は毎日学校に通いつつアルバイトも始め。そこでいい経験が沢山できていて、ぐっと大人びてきました。まだまだ進化の途中、さらにその先を楽しみに。
今でよかった・・・・本当にそうかもしれません。
でもその「今」がつらいです。
とはいえ、コメント欄で拝見するお子さんたちの様子があまりにも我が子とそっくりで、生活環境下では「異端」なのにここでは「普通?」と誤解しそうになりました。
こういう環境下だったら不登校にならなかったのかしら・・・
小さな頃から、小児科の医師にも小学校の先生方にもマークされ続けてきた、誰が見ても変わった玉の持ち主の長男。
高校は不登校で中退、大学はコロナ禍で不登校になり留年‥
なんとか卒業まで漕ぎ着けたけど、「そんなにいい会社には就職出来ないと思うよ」と、悲観的な夫。
でも就職活動終わってみれば、第一志望の優良企業の開発課に見事採用されました。
今、一人暮らししながら、頑張っています。
夫も私も「人生につまずかずに、いい高校と大学を出ないといい会社に就職できない」という、古い価値観で凝り固まっていたけど、いつのまにか少しずつ、社会の価値観は変わっていたんです。
何度もつまずいて転んでは成長して立ち上がってきた人を、評価してくれる人がいる。
「今で良かったじゃん」って言葉、昔は素直な気持ちで受け取れなかったと思うけど、今ならわかります。
P先生の仰る通りでした。
何年か先を行く親御さんのコメントがすごく参考になります。前回と今回は自分にとって神回です‥。
P先生の「不登校になってよかったじゃん!」のところで泣きました。
中3息子、家にいながらも少しずつ成長しているんですよね。最近は「高校は通信制に行って、飲食店でバイトしたい。」と言うようになりました。自分の苦手なこと(人混みや公共交通機関など)を知り、出かける時はそれを避ける方法を自分で考えています。体調が悪ければ、嫌だけど病院に行った方が良いこともわかったようです。
他のお子さんが特に疑問を持たずにできることも、息子には納得感が必要で、生きづらいことも多いけれど、ちょっと変わった玉を持つ子にとっては、自分を知ることが本当に大切なんだなあと最近思います。
息子が赤ちゃんのころにタイムスリップできたら自分に教えてあげたい。「その子、なんか他の赤ちゃんと違って敏感だよね?個性的な玉があるから、ピリピリせず大らかに育てるんだよー」って。
『早く気づけてよかったじゃん!
自分を知っている子は強い。
不登校から、自分の意思で立ち上がった子。
納得して歩き始めた子。
つまり、「成長」した子だな。
めちゃめちゃ強いと、僕は思う。』
めっっっちゃ!励まされました(ToT)
不登校、大変でした。それはそれは。。
でも何とか通信制高校行って、1年目スクーリング皆勤し、2年目は大学進学目指すと言い入塾しました(必然のサポート校代と塾代(全日制通いの弟と合わせて、生活を脅かす金額(ToT)) 不登校って金かかりますな。で、特性の関係かニュース塾した途端、勉強やだとしません。愚痴すみません。。とにかく成長に感謝。。課題分離もしつつ、過去の先生の記事見て、これからもいろいろ試行錯誤していきます)
大人になって爆発していたら、もっともっと大変ですよね、ほんとに。
早く気づけてよかった、回り道のようで我が子にはベストな道を歩んでいるようにも思えます。気づかせていただき、ありがとうごさいました!
ニュース塾→入塾でした。失礼しました。
非認知能力についてどう思われますか?
我が家には不登校の中学生の娘がいます。
小さい頃は田舎の野原をかけめぐって好きなことをして遊んでいたので、その頃蓄積された非認知能力が、いつか娘の力にならないかと思っています。
非認知能力の過去記事がみあたらなかったので、先生の分析やご意見を聞いてみたいです。
非認知能力も結局は生まれつきのものでしょうか。
本当にそうです!早くわかってよかったです。わが子は高校に入ってからの事で、正直もう少し早く気づいてやれていたらなと思う事もありました。 そしてギリギリまで無理した我が子は今でも精神科での薬を処方して貰いながらの大学生活となってしまいましたが、本人もよく頑張りました。成長しました。あえて大学受験する事を選び、合格して学校に行っています。 発達障害がある事も本人はしっかり受け入れて頑張っています。
高校入ってすぐに不登校になった時は『なんで⁉』しかなかったけども、社会人になってからじゃなくて本当によかったと思ってます。子供のうちで本当によかったです。
そして、私自身も子供の不登校をしっかりと受け入れて対応できたなと思っています!そこ皆さま大事です。
先生、こちらのブログにもたくさん助けられました。ありがとうございます。感謝しかないですよ‼
本当にそうですね。
早く分かり良かった。
幼稚園時代から、行きしぶり、繊細さがあり、なんとなく学校に行けるのかな〜と思っていたら、やはり糸が切れたのでしょうね。
不登校になり、色々な出会いもあり、子供も「優しい人が多いんだね」と優しさに気づく事も出来ました。
親子にとっても、子育てや人生を振り返る、ある意味必要な時間だったのかもしれません。
生きてればなんとかなる精神で!
子供は、学校(自分で決めて登校する日を決めてる)にやりたい習い事にお友達と外遊びと毎日生き生きと楽しく過ごしてる様子です。
P先生をはじめ、皆さんのコメントも大変参考になっています!
そうです、そうです、今で良かったんだと心から思います。不登校中に娘は泣きわめき、リスカしたいのに勇気も出ずそんな自分に失望してまた泣きわめき、3ヶ月くらいたったら自分って何さ?自分って同級生と何が違う?何を持ってて何を持ってない?なんて考え出したみたいです。
できる事とできない事を選別して、何が好きで何が嫌い、得意か不得意か、細胞レベルで好きか嫌いかなど、深く深く自分自身を見つめてきました。まだまだ通信制高校に転学したばかりだし、たまにモヤモヤモードになると全部ママのせいだと八つ当たり。それでも八つ当たりの時間も減って
自分の機嫌の取り方も覚えてきたようです。もし、無理してふんわり流せるチームの中に入っていたら、きっと自分の感情や意思も分からなくなっちゃって社会に出てから絶対うまくいかなかったと思います。
不登校中に泣きながら自分が分からないっ毎日言ってた娘。そんな娘がどんな道を選ぶか楽しみでもあります。
(母の私は自分って何さ?をごまかしたせいでだいぶ苦労済み。)
P先生のブログを読むと毎回小さい時の自分を思い出してちょっぴり切なくなります。そんなお母さん達もたくさんいそうで
やっぱり基本は家を快適に!私が1番欲しかったものだなぁ
うちの場合も、玉のどうしたらいいのか対応できない部分をそのままにしたりしているうちにとうとうどうしようもなくなって不登校という形で表に出ました。突然ではありませんでしたね…
今は、通信制高校を経て大学生をやっているのですが、今が不登校の先を生きているとするならば、うちに限って言えばそれはキラキラしたものではなく、いつも試行錯誤、3歩進んで下がるのが2歩ならまだまし!という感じです。親の私もあ~不登校が終わった!これで世間でいう子育て卒業!という気持ちにも全然なれないです。
ただ、不登校の間、玉をガン見せざるを得ませんでした。そして、時間をかけて受け入れるしかないことを納得していきました。もちろん本人はこんな玉をもたせやがって!もう絶望しかないと長い間苦しみました。でも結局は少しずつその玉でも意外とやりたいことはできるんだと、気の持ちようではどうにもならないけど、工夫では何とかなることもあると経験して納得することによって、今では玉に当たりながらも、共存?しています。
不登校の先にキラキラは今のところないけれど、親の私にとっては、玉を理解できたのでそれに対応した生活や将来を送らせて、困ったときには支えていけばいいのだと、「自分のやるべきこととその範囲」がわかった気がします。この安心感?安定感?を得られたことが「よかったこと」だし、子どもも、ふわふわした感じから自分を正確に認知しているなんか地に足がついている感じ?がします。うまく言えないですが、よくわからない不安と戦う必要がなくなったことにほっとしています。
不登校って入口なのかな。今出口に来たのかもしれないけれど、この出口も何かの入口。ただ、不登校の入り口には看板やパンフレットや情報がいっぱいあるけれど、次の入り口はケースバイケースで自分だけの道が続いている。ここに誰かが置いて行ってくれた情報があることや道連れになってしばらく一緒に旅をしてくれる人がいるとありがたいなあって今は思っています。
ものすごい共感します。うちの息子も幼稚園時代から私はいつかどこかで不登校になるような気がしていました。
案の定小4から不登校になり、中学も不登校専門校に入れましたが結局行けませんでした。しかしその間に自分を本人自信が見つめて、やりたいことを見つけて、今通信制の高校生です。週一回ですがサポート校に行ってます。将来の夢もみつけそのための勉強を平行してやっています。あれほど嫌いだった勉強も今は「学べるって楽しい」と言っています。
かたや、我が家にはもう一人2次障害でうつ病となった主人がいます。こちらは本当に頑固でどう言っても人のアドバイスは聞かないし何をやっても無駄で認知の歪みを直すことができません。
これが大人と子供の違いだとつくづく感じています。
まさにうちの息子達もイーブイ‼︎弱々です。
フリースクールの子達とは話が合うけど。。。
現実、同じ学校のステージに戻れば、圧倒的に毎日学校に行けてる子が強い。そして、ただそれだけが正解の世界。
わざわざマウント取ってきたり。無視したり。攻撃仕掛けてくるし。
不登校になったらこちらがレベル上げればいいんですね。
地方が変われば今のままでも強くなってるし、ポケモンだってずっと同じ地方では戦わないし。。
なかなかそう思えず、辛く思う日もありますが、
大丈夫な気がしてきました。
ありがとうございます♪
突然に不登校になったのかと思ったけど、よくよく考えてみたら、そんな事なかった。
そういえば、だんだんと何考えてるかわからない子になってた。
だんだん理解しようとしない親になってた。
お家にこもって1年。
外に出れたり出れなかったりして1年。
新しい居場所を見つけて2年。
その後、大学生になりました。
自分のやりたい事をみつけて大学受験をし、今では一人暮らしもしています。
あの当時を思い出すと、今でもすぐ泣ける。
私、女優になれるくらい。
当時、P先生のサイトを見つけて、本当に救われました。
先生のおかげで、学校へ行く事を強制することなく、子は無事にすんなり不登校になれました。
その当時があったからこそ、今では、顔を見れば何を考えているのか的中できる親になりました。
私も、子の楽しんで学んでいる姿を見て、新しい挑戦をしたくなりました。
そして、始めてます!
P先生、ありがとうございました。
成長を待つ。
中学不登校からの
通信制高校に進学して2年生に進級するまではバイトしたりオンライン学習に励んだりしていましたが
あるきっかけで家から出なくなり1年がたとうとしています。
精神的な成長は家族以外の他人とのすり合わせが必須なのでは、と思うと若干の焦りを感じます。
家を快適に、いつも意識していますが本人ははたして快適なのだろうか。
人との関わりを持たなくとも成長することができているのだろうか。
不安と焦りは胸にしまって、いつか魔王を倒す旅に出かけることを信じています。
まさにそのとおりのうちの娘です!!!
最初は大変だったけど、早くてよかったー!
強烈な出来事がありコップが溢れましたが、今となってはそのタイミングに感謝です。小中と6.7年おうち暮らしのホームエドゥケーション、本当に楽しかったです(^^)今では自分のペースでJK満喫してます♡
もう完璧主義だった自分も知ってるし、苦手なこともわかってるし、それを受け入れてることって、最強だと思ってます。そしてまた悩んだら引きこもっていいし。きっとまた歩き出すと知ってるからー!
こだわりが強く「0か100か」思考でASD気質がありつつも学校のお勉強やスポーツは出来ていて優等生で通ってたけど、大人になってはじめて壁にぶち当たった人間が私です(笑)パニック障害で3年間社会に復帰できませんでした。
「なんでこんなことになったんだ」と混乱しましたが、よーくよーく自分を思い返してみると、できない自分が許せなくて小学生の頃からできるまで死ぬ思いでひたすら特訓したりしてました。←それができたのは仕事もなく家事もしなくて良くて暇な時間が沢山あったからでした。
今思えば過剰適応で、そうやって自分を追い込んだ後はよく燃え尽きた感じになっていて、しばらく人と口を聞けなかったりしてました、小学生のうちから。
就職して、完璧に仕事をこなしたくて&ブラックな職場だったのもあって毎日はやくて終電帰り、下手したら会社に泊まり込んで私生活を犠牲にしてやっていたら身体に限界がきてしまいました。
1人で家事もやらなくてはならないし、仕事で100を目指しても、そんなのなかなか難しいことなのに…どうしても「ほどほどで良い」と思えない思考の硬さがありました。
自分で世界が完結しがちなASDあるあるですが、私も例に漏れず「助けを求める」ということが全くできなかったです、、仕事量も明らかにおかしくても周りに頼れなかった。
(幼少期に療育を受けていたら真っ先に教えてもらえることなのに、私が子どもだった当時はそんな風潮もあまり無く、下手に勉強はできた分完全にスルーされていました。)
そりゃ、こんな生き方のまま過ごしていればいつかはダメになってたな…と納得してからは、自分の認知の歪みを自覚しながら生活をゆっくり立て直していけました。
(ASD気質があるな、と気づいたのもこの頃)
子どもの頃爆発してれば、もうちょっと自分が無理せず働ける仕事をさがせたかなぁ…と思います。でも、それを受け止めてくれる家庭環境じゃなかったので、それもまた難しかったかな。
自分の子ども(ASD診断済み)が昨年度不登校になり、徐々に復帰して今は週1日休むか程度で登校していますが、「不登校できる」というのも幸せなことなのかもなぁ…と(私も)苦しみながらも思いました。(受け止めてくれる家族がいるのは幸せなこと!受け止めた私えらい!)