発達障害の支援を考える時、
- できることは自分でやらせる。
- できないことは助ける。
が基本姿勢になると思う。
もちろん、これで問題ない。
だけど、これだけではうまくいかないケースって、実際には結構多い。
「できる」と「できない」の間
誰かが言ってた。
発達障害、「できる」か「できない」かの二択じゃない。
その間に、
「できるけど疲れる」
が存在する。
そうなのだ。
できるかできないかで言ったら、できる。
んだけど、めっっっっっちゃ疲れる。
こんな案件が、定型発達と比較し、かなりの高比率で存在する。
ADHD。
持ち物の管理、頑張ればできるんだけど、めっっっっっちゃ疲れる。
だから、やっても抜けたり、そもそもやる気になれなかったりする。
ASD。
コミニュケーション、頑張ればできるんだけど、めっっっっっちゃ疲れる。
だから、やっても力尽きたり、そもそも人付き合いを避けたりする。
こんな調子。
他のことについてもそう。
できるんだけど、スーパー疲れる。
この範囲が、定型発達と比較して鬼のように広いのだ。
そうなんだけどさー。
単純にそういうわけにもいかないのだ。
ここの認識が、発達障害児と支援者とで乖離しがち。
理解されにくいところだと思う。
やらせる? やらせない?
発達障害支援の難しさって、この点がかなりあるように思う。
合理的配慮っていうけどさ。
この、「できるけど疲れる」案件には、どう対応するのが合理的なのか。
やれば出来る。
んだけど、疲れる。
→だから、やらない
この思考になるのは、子どもだもの、十分に理解できる。
この子にやる気を出させるには、どうしたら良いだろう。
いや、お尻を叩いてやらせることが正解なのだろうか。
頑張り続け、力尽きる子がいる。
実際これは、不登校の原因の一つとなっているだろう。
表面化しづらく、目立たないけれど。
じゃあ、本人に任せる方がよいか。
そうすると多分、子どもだもの、「やらない」。
やらないことには経験値が上がらず、いつまでたっても「やらない」。
スキルが身につかないまま大人になって、その先どうなるだろう。
実際問題、発達障害者は生涯に渡り、このできるけど疲れると付き合っていくこととなる。
定型発達に合わせて設計された社会で生きていくのだ。
- 疲れるけど頑張るのか。
- それとも避けるのか。
直面する課題に、毎回判断を下していく。
今現在社会で頑張っている発達障害(グレー含む)。
この部分が生きづらさとなっていることだろう。
定型発達が当たり前にできることが、めっっっっっちゃ頑張って、やっとできる。
そりゃ疲れるって話で。
発達障害者って一般に疲れやすいんだけど、こういうことだ。
それでも大人になると、頑張りどころがわかってくる。
自分の特性が見えてくる。
頑張るところと手を抜くところ、経験からなんとなーくわかる。
だけど、子どもだもんで。
どこをどの程度頑張ると社会のニーズに応えられるのか、皆目見当がつかない。
前提として、「みんな同じ」ハズなのに。(特に学校ってそうでしょ?)
自分はなんか、めっちゃ疲れる上に、あまりうまくできない。
みんなと同じにできない。
「なんかうまくいかない感じ」を抱えやすい。
発達障害児って、そうじゃん?
- この子のお尻を叩くのか。
- 無理させない方がよいのか。
答えは出ない。
「無理ではない」がゆえに……
はっきり「できない」ならわかりやすい。
援助する一択だ。
でも、そうじゃない子。
頑張ればできる。
でも、めっっっっっちゃ疲れる。
こんな子には、どう支援するのが正解だろうか。
大人になってもそう。
はっきり「できない」なら、将来的にも援助が必要だ。
福祉に頼って生きていく。
でも、そうじゃない人。
頑張ればできる。
でも、めっっっっっちゃ疲れる。
こんな人は、なんとかかんとか一般社会で生きていくのが現実的なところで。
それって、どうなの?
大変じゃね?
実際大変だろう。
でも、それがその人なんで。
その人のまま生きていくしかないわけで。
そして実際、発達障害(グレー含む)当事者の大部分は、このタイプ。
明らかに「無理」って人は、実はあまり多くなくて。
頑張ればできる、でもめっっっっっちゃ疲れるって人が大半だ。
- 発達障害って、ガチでできない人だよ。お前のは甘えだよ。
- できるんだから、やれよ。発達障害を言い訳にするな。
言われがち。
でも実際は、こういうことなのだ。
発達障害って、発達の速度にデコボコがあるってこと。
すごく早く発達する分野もあれば、他の人より明らかに遅い分野もある。
だから『発達障害』って呼ぶんだけど。 ※今は神経発達症と呼びます。
つまり、遅くても、発達する。
がんばれば出来るようになる。
めっっっっっちゃ頑張れば、一応できる。
でも、スーパー疲れる。
そういうことだ。
正解はないが、道はある
正解はない。
正解なんて、人によって違うだろうし。
自分をよく知り、戦略的に取捨選択する以外にないのだろうけど。
非常に難しい問題だけどさ。
でも、今現在社会で活躍している発達障害(グレー含む)当事者はたくさんいるわけで。
彼らは、この「できるけど疲れる」にうまく対処している。
道はある。
「できる」か「できない」か、0か100かじゃなくて。
その間にある「できるけど疲れる」をうまく扱うのが、発達障害最大のサバイバル術のように思う。
不登校になって悩んでいた答えがここに。。
まだ10歳。
悩みが尽きない。。
でもでも生きていかなきゃいけないんですよね、稼がなきゃ生きていけない、、
じゃあ頑張るしかない、、
なんのために生きてるのかよくわからなくなってきました(_ _)
うちの中1の息子(ASD、HSP)がまさにそうです。
担任の先生は色々な経験をさせたいと思ってくれていて、本人も促されてやってみるけれど、帰宅後は疲労困憊。半日以上は寝ないと復活しません。
頑張った後は、数日学校を休みます。
先生は何でそんなに休むのだろうと思っているようです。疲れちゃうんですよーって伝え続けているのですがね。。
先生ありがとうございます✨
ずっとモヤモヤ考えていた事がおっ!これだよ、これ!と腑に落ちました。
できるけど疲れる…これ私の事やん。
そしてついでに私の子供らの事やん!って。
必死になって頑張ればできちゃうんです。
その後の疲労度は100パーセント超えちゃいますが。自分じゃなくていい事はやらない。
頼まれ事も5回のうち2回しか引き受けない。
趣味の邪魔にならないように仕事をする。
あたりをここんとこ意識してます…
子供達、小児科にお世話になる年齢ではないけど、先生のブログは年齢関係なく人間の軸を教えてくれます。毎日読み返して私のパズル、
子供のパズルのピースをはめてます!
この概念、すごく腑に落ちました。
その視点でみると、自分も含めて、
そういう人の割合ってすごく多い気がする。
「頑張れば、できるじゃん!はじめからちゃんとやれよ」って、社会のあちこちに蔓延してますよね。
でも、
「疲れるから、ま、いっか」って思える人と、
「いやいや、どんなに疲れても、自分はまだまだだ!」って歯を食いしばっちゃう人といて、
どっちが幸せなんだろうなー。
どっちが長生きできるのかなー。
これからの教育や、社会の仕組みで、
健康を損なうほど疲れなくても
生きていけるようになれば良いけれど。。。
いろいろ考えさせられますね。
いつもありがとうございます!!
私自身が、「できるけど疲れる」まさにそんな感じです。
スイッチオンにして頑張れば、むしろそれなりに評価してもらえるくらいにできますが、他のことができなくなるくらい疲れます。意識の上ではそんなつもりはないですが、ゼロか100か、みたいなところもあるのだと思います。それでも、力技でやり続けていましたが、特性強めの子の母となり、そのやり方も通用しなくなりました(時間が足りない・私ががんばってもどうにかなる問題じゃないことも多い)。そして、子供のことで悩んだり考えたりする中で、自分もかなり色々あるようだな、と分かってきました。
せっかくできるのだから、疲れないやり方を、子供も私も試行錯誤して見つけて&身につけていきたいと思います。
これからも楽しみにしています!
(先生の、「めっっっっっっちゃ疲れた時の回復法」知りたいです!!ゲーム、、でしょうか??)