相談を受けた。
早期教育で自信をつけさせるといいって聞いたのですが。
なるほど。
小学校入学時にすでに読み書きができる。
すると、
「あれ? 自分ってよくデキる?」
「勉強なんて簡単じゃん!」
と、自信を持って学校生活を開始する。
で、
その後の学習にも自信を持って取り組め、
勉強が楽しいと学校が楽しくなり、
結果、めっちゃいい!
と。
なるほどなるほど、理にかなっている。
……あれ?
でもその子、ひらがなに興味を持たないんでしょ?
どうやって教えるのん?
無理強いしたら発狂するでしょ?
定型発達の子と、発達デコボコの子
勉強に自信をつけさせる。
なんか自分ってデキるかも! という、『根拠のない自信』だ。
これが、学校生活全体に広がっていく。
この先も「自分はできるハズ」という自信を持って勉強なり活動なりに取り組める。
このやり方は、確かに効果的だろう。
なんだけど。
これって、人を選ぶよね。
このやり方が合う人もいれば、合わない人もいるよね。
定型発達の子は合いやすいだろう。
年中くらいでひらがなをマスターする子も多い。
入学時にはすでに読み書きができ、自信を持って1年生になれる。
でもさー。
発達デコボコ、興味もデコボコの子は、難しいと思うんだよねー。
そもそも文字に興味がないわけじゃん?
どうする?
無理やり教え込む?
怒鳴りつけて?
それで自信を持つなら、メリットの方が大きい。
でも、勉強自体が嫌いになってしまったら、デメリットの方が明らかに大きい。
勉強とは:
興味ないことを無理やり強要されること。
義務。
できないと叱られる。
とか学習しちゃったらさ。
入学前から、学校って地獄のような場所だ。
まだ入学すらしてないのにさー。
学校、だいぶマイナスイメージからのスタートだ。
果たして巻き返せるか⁉︎
万人に合うやり方なんてない。
メリットがあれば、デメリットも必ずある。
合う人もいれば、合わない人もいる。
考えてみれば当然だけどね。
ついつい忘れちゃうからさー。
発達デコボコは、いわゆる「普通のやり方」では合わないことが多い。
少数派には、少数派の戦い方ってもんがあってだね。
ベースは同じ?
例に出された子と、この子のベースは同じ?
同じやり方で、同じようにうまくいきそう?
同じものを見て、同じように考える?
常にこれを念頭に置く必要がある。
人間って、思うよりずっと多様だ。
自分以外の人は、想像以上に自分じゃない。
とんでもなく感覚の違いがあるのよ。
自分って、自分のことしか分からないからさ。
マジ思うもん。
他の人って、マジ他の人。(語彙よ)
だからこそ、問い続ける必要がある。
ベースは同じ?
- コツコツ学習の習慣をつけるとよい。
それで成功した人とその子、ベースは同じ?
- 何度も繰り返して定着させる。
それで成功した人とその子、ベースは同じ?
- ゲームやネットの時間を厳しく制限する。
それで成功した人とその子、ベースは同じ?
- 中学受験は、低学年から準備しないと間に合わない。
間に合わなかった人とその子、ベースは同じ?
- いとこのハナちゃんは、東大から総合商社に就職したんだって。
ハナちゃんとその子、ベースは同じ?
いつも思う。
比較していいの?
ホントに?
特に、「〇〇には□□すべき」みたいな形式のものとか。
「〇〇の原因は△△です」と断定するもの。
当てはめていいの?
ホントに?
分かりやすいんだよね。
シンプルで、理解しやすい。
それは分かる。
でも、世の中には100%のことなんてないし。
純粋な100%って、アキラ100%くらいだし。
世の中の多くは多因子に影響されて「そう」なっているのであって。
それって、多数派の話じゃない?
少数派のその子に、そのまま当てはめていい?
最近マジでよく思う。
ネットや口コミでは、分かりやすいシンプルな内容が飛び交ってるけどさ。
冒頭の「早期教育で自信をつけさせて」って話も、ネットから拾ったらしいけど。
イコール絶対的な正解ではない
です。
まとめ
ベースが違う!
違うんです。
そりゃもう、全然違う。
だから、そのまま当てはめちゃいけない。
その人にはその人に合った戦い方がある。
戦士に、メラゾーマ唱えさせちゃいけない。
魔法使いに、鉄の鎧を装備させちゃいけない。
ベースが違うと、戦い方も違う。
そういうことだ。
少数派は特に。
なんとなーく流されてなんとなーくうまくいくなら、その子は今きっと「そう」なっていない。
ほんとに子どもによって全然違いますよね。
息子はLDもあったので(当時は未診断でしたが)、席について鉛筆を持たせるのも一苦労でした。
その状態でせめて入学前に名前くらいは書けるように…とあれこれやりましたが、親子ともども苦行でしたね(汗)。
一方、現在年長の娘は、声かけしなくとも勝手にワークを出してきて、1人で取り組んでます(笑)。
同じしまじろうのワークなんですけどね。
兄弟でも同年代でも同じ性別でも…比べるもんじゃないですねー(^_^;)
子育てって既製品でなくオーダーメイドじゃないと難しいなと思っていたので先生の今日のお話が沁みました。私は子どもに合う方法を考えて上手くいったりいかなかったりに子育ての醍醐味を感じています(^^)
ベースが違う。
本当にそうですね。
上は定型ですが、何やっても人より出来ちゃうタイプだったので、下の子が若干発達障害ありなので違いが大き過ぎて、対応に本当に悩みました。
上の子は、ママは下の子に甘い、ずるい、と思ってたと思います。
ベースが同じだったら、子供側から見ても不公平なく育てられたかなと思います。
兄弟で違いが大きいと、難しいですね。
最近は上の子も大きくなり、ベースが違うから母の対応も違うことを少しは理解してくれたようです。
よくわかります。我が家の末っ子長男、年長ですが、ひらがな全く興味なしで、自分の名前すらわかりません。
自閉傾向があると、療育に通っています。
数は好きみたいで、一桁の足し算は自分からやっています。
上2人は年長でひらがなは読み書きできたので、少し焦る気持ちもありますが、彼が興味を持つように、しりとり絵本を読むなど、ひらがなというものに気がついてもらえるようにしています…。
ベースの違い…ほんとによくわかります。
彼のペースをサポートできるように、見守りつつ、背中を押したいです笑笑
当てはめる…ちょうどタイムリーな出来事がありましてコメントせずにいられませんでした。
うちの10歳長男(ASDとADHDの傾向あり)が昨日、宿泊学習から帰ってきたんです。行く前の準備は最終確認はしましたが、だいたい出来ていたんです!先生が前に仰言っていた、[50回言えば理解する]という話ではないですが、学校の準備もだいたいできるようになってきた今日この頃。
成長したんだな、楽しんで来て欲しいな、今日雨だけどキャンプファイヤーできたんだろうかと思いを募らせ、話を聞こうと帰宅しました。
すると、ウワーンと泣きながら自室へこもってしまいました。主人に話を聞くと、宿泊学習から帰ってYouTubeを爆音で見てるなか、下の子たちが話し掛けてきたのが気に入らないからと怒ったようです。挙げ句、自分は眠いからここで寝ると訳の分からない言い訳をし、最終的には自分の思いが通らず、癇癪起こしてしまったと。
宿泊学習はその文字通り、宿泊して学ぶというもので、生活スキルなど体験を通して学ぶものだと思うのですが。私も他の子と比べて自分を客観視できるチャンスかなと期待していたのですが、やはりベースが違うと、学ぶということには繋がらないのでしょうか。定型発達の子供たちは様々な経験を通して色々学ぶのでしょうが、発達障害傾向の子供たちにも同じように学びに繫がるものなのでしょうか。他人の気持ちのわかり方や、自分を客観視できるような学習はないのでしょうか。。。
(愚痴のようになりすみません)