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未来予想図

この話から。

 

専門家と意見が一致しないとき就学前相談の時期ですね。 こんな相談をされた。 あら、意見の不一致。 そう考える「理由」 ...

 

コメントをいただいた。(ありがとうございます)

 

専門家からみたら勝算は無いけど、言われてやった、だと納得しないでしょ?”
なのか(それならやはり、プロとして説明の上でとめて欲しい気持ちはあります)、
“勝算は低くみえるけど、でももしかしたら上手くいくかも。お勧めの方法の方がベターな選択だけど、絶対上手くいく、とまでの保証はないから、思うようにやってみたら”という感じなのか、、。
(多分、後者かと思いますが、合ってますか?)

 

このケース、はっきりと後者ですね。

お母さんは相当しっかり考えており、うまくいく(この子にとってプラスが大きい)可能性は全然あると考える。

 

学校の時間の大部分を占める授業中は、基本的に一人で座って黒板と教師を見るだけで友達の助けなんて関係ないんじゃないかとか、幼稚園からの友達も小学校入ったら新しい友達ができるんじゃないかとか、年度が変わって支援級に行く前に、わからない授業を聞き続けたりテストで点が取れなくて辛い思いを重ねるんじゃないかとは私も思います。…私が親なら通常級は希望しません。支援級のサポートは有意義なものだと思いますし。でも未来を断言する事は誰にもできないので、他人の決断にジャッジはできません。そのクラスに進むかの最終決定権は多分保護者にあるんですよね。お母さんの期待通りに伸びるかも知れないし、そもそもそのお子さんが、できなくてもその事に傷つくかどうかもわからない。

 

ですよね。

おっしゃる通りです。

 

そしてこの親御さん、この辺もしっかり把握していた。

長いから端折ったのよ。

僕が悪い。

わかりづらくしてすみませんでした。

 

  • 定型発達の子と一緒の作業だと、お友達が気にかけてくれ、本人の実力以上のものが出せる。
  • 似たタイプ(多分発達障害の子でしょう)だと、お互い無関心で一緒にやる相乗効果がない。

 

↑お母さんは、これまでの園での経験から、ここを強く気にしていた。

だからこそ、能力的にしんどいのは承知で、定型発達の子たちの中(つまり普通級)で勉強させたいという希望だ。

本人が傷つき自信をなくすかもしれない、親のエゴかもしれないと自問自答しながら、それでも両者を天秤にかけ普通級を希望された。

 

ね?

すごいお母さんでしょ?

 

じゃあ、その通りにやってみれば良いと、僕は思ったわけです。

 

勝算が「ない」?

でさ。

 

興味深いと思ったのが、

勝算がないなら止めて欲しい

という記述。

 

ほー。

そりゃそうだ。

勝算ないなら先に止めろよ、と。

 

そりゃそうなんだけど、僕にはなかった発想で。

 

 

勝算が「ない」って、どういうことだろう。

そんなの、どうやったら分かるのだろう。

少なくとも僕には、勝算が「ない」なんて判断できない。

 

「絶対にうまくいく方法」って、ないじゃん?

そんな魔法の方法は存在しない。

これは分かりやすいと思うんだけど。

同様に、「絶対にうまくいかない方法」も、ないんじゃないかと僕は思う。

 

身体の病気だってそうじゃん?

「コレで絶対治ります」って方法や薬がないのと同様、「コレでは絶対に悪化します」ってことも断言できない。

民間療法とか、全く新しい方法とかさ。

「絶対に効きません」とは言えない。

医学はサイエンスだけど、それでも『絶対』はないわけ。

 

心の分野だと、さらに曖昧だと思うんだよね。

「絶対ムリ!」なんて、僕には分からない。

 

うまくいくかもしれないじゃん?

 

無理目に見えても、その子の性格とか環境とかタイミングでさ。

ってゆーか実際にそんな例はゴマンとあるし。

 

 

未来予想なんてできない。

「それは絶対に無理だからやめるべきです!」なんて言えないのです。

ナ・オ・リ・マ・セ・ンのサインは出せない。

 

専門家が見ているもの

と、なると。

 

じゃあ専門家の意見なんて、意味ないじゃん?

あいつら、何を偉そうに?

 

それはですね。

前にも書いたけど、あの、「ひまわり」です。

そう、気象衛星の。

 

たくさんの子たちをみると、この流れからはこうなっていくことが多いよ。

 

↑コレを言ってるだけ。

 

第三者として「引き」で見て、大きな流れを予想してる。

人工衛星が宇宙から雲の流れを見ている様子に似てると、僕は思う。

専門家の意見って〇〇に似ている子供の発達に関して、僕みたいな医療の分野もそうだし、心理、教育、保育、療育など様々な分野の専門家がいる。 それぞれの専門家が、それ...

 

だもんで、外れることも結構ある。

「今までの統計的には雨っぽかったけどー、実際はめっちゃ晴れたテヘペロッ」

みたいなことはよくある。

 

それでも、予報者(専門家)にとっては、たくさんの事例(患者さん)を見ていると大まかには当たっているケースが多いわけ。

だから「あ”あ”あ”あ”あ”外してしまったあぁぁぁッ!」とはならない。

だいたい当たってるから、1例外しても、まぁそういうこともあるよなって。

 

 

でも、当事者(患者さん)は違う。

ここが「雨」か「晴れ」か。

つまり当たったか外れたか、しかない。

 

これが、ミクロの視点とマクロの視点の違いだ。

「手術は99%成功します」と言っても、目の前の患者さんにとっては「100%の成功」か「100%の失敗」のいずれかしか存在しないわけで。

「自分は例外の1%だったからしょーがない、まぁいっかー」とはならない。

これに似ている。

 

 

話を戻すと、専門家だからといって「これは絶対ムリなのでやめてください!」とはなかなか言えないってこと。

もちろん、この「雲の流れだと明日は雨の確率が高いですよ」という説明はする。

でも、「絶対雨でーす」と、遠足を楽しみにしている子のリュックサックを片付けたりはしない。

 

雨っぽいけど、もしかしたら晴れるかもね。

明日までリュックはこのままにしておこう。

でも、雨だったら通常授業になるから、ランドセルも準備しておこうね。

 

↑僕は、こんな感じ。

「まったく分からないからアドバイスをくれ」と言われたら自分の見解を言うけど、求められていないなら口は出さない。

(極力ね。客観的にあんまりアレなら言うけど、それでも最小限にしたい。)

 

僕は人様の人生に口を挟めるような人間じゃない。

当事者が、人生の舵取りをすればよい。

ってか、それが一番に決まってる!

 

実際、別の患者さんで、内心「無理めだなー」と思いながら抱えている人もいる。

親御さんの言う通りにしてもらってる。

本人そこそこ楽しそうにしているし、得るものもありそうだ。

いよいよ厳しくなってきたら助言しようと思いながら。

で、この親御さん、僕に話を聞いてもらいたいだけでアドバイスを求めているわけじゃないのよ。

 

 

僕はこんなスタンスでいる。

 

未来予想図が思った通りに叶えられることって、あんまり多くない。

「晴れたらいいね」。

その程度だ。

POSTED COMMENT

  1. 匿名 より:

    友達やクラスメイトによる効果はあるでしょう。
    手伝う事になった子にも学びはあるでしょう。

    だけど、手伝ってあげなきゃと責任感が強くて、自主的にやってる良い子だと思われ、実は無理して苦しんでしまう子を発生させる可能性があるのも事実。

    特に子どもは自主性からというより、先生や大人から言われて無理に合わせて(手伝って)しまう子がいるから。

    難しいことだと思いますよ。

  2. 匿名 より:

    !!
    松潤にファンレター書いたらお返事来たっ!
    よりも、ずっとうれしい(それ以前に松潤知らないのですが、、。え。。)P先生から、回答が!!!
    ありがとうございます。

    実は、質問コメントを書いた後、「あわせて読みたい」をあわせて読んだら、かなり納得した気でいたのですが、今回の記事で更に理解が深まりました。
    専門家に長期予報や週刊予報をしてもらいながら、今日傘を持ってくかは、自分で決めて過ごしていくのが良さそうですね。

    あとは、結局、上手くいけば何でも良いわけで、上手くいかなかった時により後悔するのはどちらか、ということかもしれないですね。と、思いました。

    最後に、、
    ドリカムは、その頃の曲がいちばん好きです。

    いつも楽しくためになる記事を、本当にありがとうございます!

  3. 匿名希望 より:

     P先生、コメント取り上げていただき、ありがとうございます。
     人生は宝くじの様な一回きりの選択で決まるものではないので、自分は今回こう考えるとはっきり説明できれば、どれでもいいんじゃないでしょうか。もし、親がどれだけ考えてもわからない、子供が何らかの形で幸せになる確らしさ(確率)が同じくらいの選択肢の選択を一回間違えたら、その先がずっと「ダメ」になる様な子だったとしたら、今回の選択が正しくても、その先の人生で「ダメ」にならないとは思いにくいので(親の恐れる事態を「ダメ」と表現してみました)。親が決められる事なんてほんのわずか。
     
     非共有関係(2021年11月15日のブログで表を出されていましたね)の最初、居場所をどこにするかは親がある程度選べても、どんな子達が一緒になるかは、運でしかない。
     よくも悪くも、する事したら後はなる様にしかならない、子供の人生は自分の人生ほど自分が決められる事は多くないのだから、と私は思います。

  4. ピンポン より:

    P先生、ブログを拝見しながら親としての考えの整理に役立てさせていただいています。
    ブログを読み始めた時は3歳児だったASDの我が子も来春には小学生。就学相談を受けて教育委員会から「支援学級が望ましい」通知を受け取った←今ココ、というところです。
    未来予想図、なんてタイムリーなテーマなんでしょう笑

    普通学級を選択されたお母さんのお話、選択に至るまでの経緯は文字で表すよりも長かったんじゃないだろうかと想像してしまいます。
    就学に向けてこれまでの子の様子を振り返りながら、今夏は学級選択でずっと気持ちが揺れていました。
    専門家に意見も求めましたし、ペリーにも戦車(Z)にもツキノワグマ(よもやの身内)にも遭遇しました。
    園生活でのお友達のチカラは絶大で、親が思った以上の成長を子は見せてくれました。
    普通学級に入ったらその点でメリットがありそう。
    でも、特性や困り感は現実としてあるし、成長とともにその内容も形を変えて出てきています。
    普通級ではそのことは大きなハンデになるのだろうな…。
    入学予定の小学校の普通級では、そこをフォローできる環境にないのは明らかなので、我が家は「特性と困り感に対応してもらいやすい」選択をすることにしました。

    未来を予想するのはほんとうは誰なんでしょうね。
    親が願う未来も大事だけど、子どもが自分の未来を描ける環境を用意するのもまた大切な選択だと信じています。

  5. リース より:

    中学受験して進んた進学校で、全く勉強せず、楽しみまくり、留年し下の学年とも楽しく過ごし、単位不足で退学になった息子がいます。その間、悩んで悩んで、どうしたら良いか分からず、このブログにたどり着いて、腹を括れ、課題と分離だ、ブレそうになった度、読み返していました。
    息子は、退学後一年であいつらより良い大学へ行くと言って勉強を始め、来月センター試験にエントリーできるまでになりました。
    結局、本人が決めないと進まないんだなと。思い知らされました。進むと本当に超特急でした。

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