以前チラッと書いた内容。
- 学校には行くべき。
- 世間は冷たく誰も助けてくれない。
- 排除されたら人生おしまいだ。
- 学校に行けないのは心が弱いからだ。
こんな「〜〜すべき」「〇〇が普通」という、凝り固まった、でも歪んだ認知が、人生において邪魔になるんじゃないかって話。
対人トラブルって、こういった思い込みが原因じゃね? って話。
”スキーマ”とは
上記は、この話で書いた。
この時はサラッと流したけど、いくつかご意見をいただいて。
「そこんとこ詳しく説明してよ。
空気読めよ!」
あ、需要ありますよねそうですよね。
僕は個人的にすごく大事だと思っており、実際自分でも気にかけている部分だ。
本当は専門的な話で僕は門外漢なんだけど、僕の分かる範囲で、僕の理解の中で説明する。
この概念、僕が言い出したことではない。
”スキーマ”と呼ばれる、心理学の用語だ。
スキーマ:
スキーマとは認知心理学において用いられる言葉で、人間の認知過程を説明する際に用いられる概念の1つです。
ある物事に関する知識について似たような例が集まってくると、それらに共通したものを抽出して一般的知識として捉えることが可能になります。
例えば、タイヤが4つ付いていて、人が出入りする扉があり、中にはハンドルや座席があり、一部ガラス張りで中が見える鉄の塊というと、多くの人は「自動車かな」ということが頭に浮かび、少なくとも電車や馬車とは違うものだろうということが分かると思います。
こうしたことを理解できるのは、車スキーマとでも呼ぶべき、車について一般化された知識を持っているからです。
(ネットから引用)
つまり……どういうことだってばよ?
経験から、
- 「これは」→「こうだ」
- 「こうしたら」→「こうなる」
みたいな感覚を、人は持っている。
スキーマと呼ぶらしい。
生きていく上で、スキーマがあるから物事が簡単に進む。
毎回1個1個確認していたら大変だ。
タイヤは4個あるけど、前に見た『車』は赤だった。
これは車体が青いから、『車』とは異なる乗り物か……?
とか毎回考え、その都度確認していたら、時間がかかってしゃーない。
タイヤが4個でハンドルとか窓とかある乗り物は車!
とざっくり認識しているから、ちょっとくらい形態や色が違っても「コレは車!」と認識できるわけだ。
でね。
このスキーマ、いろんなところで起きていて。
今回フォーカスするのが対人関係について。
- 「こんなことを言ったら」→「嫌がられる」
- 「こう振る舞うと」→「喜んでくれるはず」
- 「こんな場面では」→「こう振る舞う」
とか、そういった雛形を、ヒトは経験から形成していく。
そんな感じでしょ?
「初対面の人とは、とりあえずにこやかに天気の話とかしとこう」
「相手が怒ったらひたすら謝ろう」
「見た目がコワイ人には近づかない」
とか、みんなあるでしょ?
イチから考えて関係を構築するのは、非効率的だし、疲れちゃうし。
このスキーマ、よい方向に働くこともあれば、悪い方向に行くこともある。
悪く出ちゃったのが、冒頭で出した「こうあるべき」みたいな生きづらさにつながる思い込みだ。
説明難しいな。
詳しくは本に書いてあったので、興味のある人は読んでみて。
この辺だったと思う。↓
ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1 [ 伊藤 絵美 ] 価格:2,200円 |
つらいと言えない人がマインドフルネスとスキーマ療法をやってみた。 [ 伊藤 絵美 ] 価格:1,980円 |
具体的に、18種類のスキーマが挙げられていた。
- 人は必ず自分を見捨てる。
- 恐ろしい出来事(病気や災害など)が起こったら、ひとたまりもない。
- 自分は必ず失敗する。
- 人の役に立たなければならない。
- バカにされたらおしまいだ。
とか、そんな感じ。
どれを持つか、いくつ持つかは人による。
例えば僕は、
「自分はクズで欠陥があり、人より劣っている」
というスキーマがあった。(以前ね)(今はそうでもない)
だから劣っている部分を見せないように強く振る舞ったり、逆に「僕はダメなんです……」と弱者を演じたり。
人との競争(優劣をつける行為)も大っっっ嫌いだったし。
この考え、おかしいじゃん?
客観的に、「変な思い込み」よな。
でも昔の僕はこれを信じ込んでいた。
このために「変な言動」を繰り返していたわけだ。
周囲の人はさぞ迷惑だったろう。
こんな感じで、”スキーマ”が人生の足を引っ張ってるって話。
これを認識して、手放してく手法が、心理療法にある。
スキーマ療法とか、認知行動療法とか、マインドフルネスとか、そんなやつね。
詳しくは専門家に。
変なスキーマの成り立ち
こう書くと、スキーマって悪い物で、絶対悪のように聞こえるかもしれない。
でも、物事には必ず理由があって。
その人が変なスキーマを持ったのにもまた、理由がある。
つまり、スキーマがその人を守って来たってこと。
例えば僕の場合。
小児期に、何をしても褒められないどころか、けなされ、人格否定、もしくは無視ぶっちぎりの現実で、(クソ親だったのよ)
「自分はクズで欠陥があり、人より劣っている」
というスキーマを持つことによって整合性を取り、自分を守って来たのだ。
自分はダメだから、否定されても無視されても当たり前、おかしくない、と。
「僕は悪くないのになんで⁉︎」
と現実と向き合うのは、非常にツラい。
「自分はダメ」
という前提で生きることにより、理屈が通り、少しラクになるという寸法だ。(書いてて悲しくなってきた)(誰かなぐさめて!)
まぁそんな感じで、それぞれのスキーマにはそれぞれの成り立ちがある。
一概に悪いものではなく、そうやってその人を守ってきたのだけども。
でもまぁ、その後の人生では邪魔になっちゃうよねって話で。
変なスキーマを持たないために
ご理解いただけたと思うが、スキーマは人生経験の中で養われる。
変なスキーマは、変な経験から生まれる。
こんなもの、ないほうが絶対に生きやすいわけで。
だからこそ、「二次障害を起こさないで」と口を酸っぱくして言っている。
変なスキーマは、子どもの頃に植え付けられることが多い。
「こうするべき」
「こんなんじゃダメ」
「いつも叱られる」
「どうせうまくいかない」
「失敗したら終わり」
などといったスキーマを、持たせないようにしてほしい。
つまり、二次障害を防いでほしい。
発達障害?
別によい。
苦手なこと?
あっても全然よい。
それより、二次的に生成される変なスキーマを防ぐ方が、よっぽど重要だと僕は思う。
娘が不登校になったことで私が鬱になり、心療内科に通っています。スキーマやりました。8個もスキーマがあり、生きづらさを実感しています。娘の不登校は自分のせいだと自分を責め、何度も死んだ方が楽だな、、と考える生活を送っています。マインドフルネスを取り入れながら必死に生きていますが、こんなにスキーマを持っていたら娘も不登校になるなあと。なかなか前を向けず、それでもスキーマを減らしたいともがいています。
子育てや子供の不登校は母親の影響が大きいと思います。私は結婚しても、子供を授かってもいけない人間でした。こんな風に思うことがスキーマなのかな。
来世があれば、自己肯定感の高い人生を送ってみたいです。
事情は分かりかねますが、変なスキーマに理由があるように、毒(クソ)親にもそうなった理由はあるのだと思います。
(慰めてるつもり)
毒の言動を子にする事で親(自分)自身を守ってるんじゃないかなと思います。
(許される言動という事ではないけれど)
二次障害を起こさないで済むのなら、それに越したことはないのだろけど、二次障害がきっかけで発達障害に気づけた身としては、小学生のうちに二次障害が発症して良かったと思っています。
(それは過酷で壮絶な一年でしたが)
今このように振り返り落ち着いて居られるのは、多くの支えがあったからだと感謝しています。
(ありとあらゆる機関にお世話になりました。)
P先生、リクエストにお応えいただき、ありがとうございます。「空気読めよ」も、読者の皆さんを明るい気分にさせるための、P先生のお心遣いである事も読めてます。
紹介して頂いている本は、題名からすると、初めから子供のサポートのために一冊だけ買うなら最初の本で、まず体験談仕立てで知りたいなら2冊目の本かな、と感じました。こういう種類の本の並んでいる本屋の書棚は、私普段素通りしてますね。読んでみます。教えてくださってありがとうございます。
ちなみに、P先生が前に言及されていた
鴻上 尚史さんの
「空気 と 世間」(講談社現代新書)も読みました。色々面白かったです。
「お笑い番組が隆盛なのは「笑って嫌な事を忘れたい」という理由が一番でしょうが、同時に「他人と同じものを笑う事ができる」という「共同体の匂い」に惹かれているからだと思います。」
「バラバラだと思える私達が、実は同じ集団に属していて、同じ感覚を大切にしている、と感じるだけでも生きる勇気がわくのです。」
と書かれている所を読んで、私達がP先生のユーモアにホッとする理由も、これなんだろうなと思いました。いつもありがとうございます。
P先生、私の年末年始のモヤモヤを吹き飛ばす理論的な記事をありがとうございます!
年末年始に帰省した時に、義父母と蕎麦を食べに行ったんですよ。その時長男(小2)が箸で蕎麦が食べられなくて、店員さんにフォークを持ってきて貰ったんです。その時義父に「もうすぐ3年生なのにフォークで蕎麦を食べるなんて何事か!?箸の練習をさせてないのか!?」とちょっと苦言を言われてしまいまして…。私も長男もしょんぼりしてたんです。
やっぱり小学生がフォーク持ってきて貰うのはおかしいか…でも長男は蕎麦大好きだから苦手な箸でモタモタ食べるの嫌だったんだろうし…とかグルグル考えてたんですが、…まぁお互いのスキーマが噛み合わなかったという事で終わりにすればいいやと思いました!
長男は既に、僕はそもそも箸が苦手でお行儀が悪いタイプなんだ!とか言うし、私もまともな躾の出来ない駄目な母親だよなとマイナス思考に入っていましたが、今回の記事を読んで、小学生は箸を上手に使うべきっていうスキーマを見直せば、そこまで落ち込む事でもなく、いつか将来は箸の使い方やマナーを理解してもらいたいけど、今はご飯を美味しく食べるところでよしとして、長男に良くないスキーマを作らせないようにしたいと思いました。
先生、今回も納得のお話ありがとうございます。
私だけいつも先生にお世話になっているので、先生を慰めて差し上げたいのですがね。
アメブロのアイコン(メガネに白衣の可愛らしい殿方)に向かってヨシヨシしております。
今回はちょっと難しいお話でしたが、なんとなく理解できました。学校は、みんなが行くべきというスキーマは多くの国民が植え付けられているのですね。それはそうなんだろうけど、そうじゃない感覚があってもええやん?って捉えています。
二次障害を防ぐことが大切なのはよーくわかりましたが、もう二次障害になっちゃったので、また振り出しに戻って頑張ってます。
P先生は全然ダメじゃないです♪
ブログの中の先生しかわかりませんが、本当におもしろくて誰かの支えになるような文章が書けるというだけで、花丸だと思いまーす!
毎回とても参考になります。
ありがとうございます!!