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感想:特になし。 〜読書感想文が書けない〜

夏休みですねー。

夏休み中のストレスといったら、『宿題』か『家』と相場が決まっているので、受診した子たちに聞くんだけど。

 

「宿題どう? 終わりそう?」

 

結構みんなやってるのな。

感心する。

 

 

そんな中で。

 

女の子
女の子
ドリルは終わった。

あとは読書感想文と自由研究。

 

割とよく聞く進捗状況で。

 

わかるっ!

 

『自由』という不自由

漢字や計算は、なんとかできる。

苦手な子もいるけど、完全にお手上げって子は少ないようだ。

とっつきやすいんだと思う。

学校で習ったからやり方わかるし、答えも決まってるし。

 

これが、作文とか自由研究とか「自由にどうぞ」ってなると、途端にハードルが上がる。

 

女の子
女の子
何書けばいいかサッパリわかんない。

 

「あなたの思ったことを、自由に作文にすればいいんだよ」

 

自由って何?

一体どーゆうこと???

 

今までの人生、「正解」を求められることが多かった。

たいていの問題に答えがあったのに。

急に「自由」とか言われても。

 

「正解は特にないから、あなたの思ったように自由にネ」

 

それが一番困るんですけど!

枠を作ってくれよ。

「こんな感じが正解」ってお手本をおくれ。

 

自由』における『正解』とは、一体何だろう……?

 

哲学者の問いみたいになっちゃうわけです。

 

感想がない、あっても表現できない

外来で見ていて、この手の「正解のない質問」が苦手な子って結構いる。

 

「あなたはどう思った?」

「なぜそう行動したの?」

聞いても答えられない。

 

「AがBでCしてDになって、僕はEをFしたの!」

みたいに、マシンガンさながらめっちゃ喋ってくれる子もいる。

 

一方、何を聞いても

「…………ん?」

って子も。

 

僕が「AかBだとどっち?」と選択肢を提示して初めて

「…………Aかな」

と答える。

Yes /Noは答えられるけど(クローズド・クエスチョンといいます)、「なぜ?」「どのように?」みたいな自由記述型の質問には答えられない(オープン・クエスチョンといいます)。

 

 

これにはいろんな理由があって。

単純に、ただわからない子もいる。

自分の気持ちがわからない。

どう思った? って聞かれても、なんとも思わなかったっていう。

 

幼さゆえ、知的な遅れ、ASDで自分の気持ちがわからない、ADHDでその時の気持ちなど忘れた、そもそも考えたことがない……まぁ理由は色々。

とにかく、

感想:特になし。

なんだろうなという感じ。

 

 

また、感想はあるけどそれを言葉にできない子も。

言語表現力の弱い子、『正解』を答えようとするあまり喋れない子、自分に自信がなさすぎて口をつぐむ子。

こっちも色々。

 

この子たちも、

感想:言葉にできない。

になる。

ラーラーラー ララーラー ことばに できない

 

センス・才能

こういった、「感想がない」「あっても言葉にできない(小田和正)」って、その子の性格や個性によるところが大きいように思う。

だから、この子たちが悪いんじゃない。

ナチュラルに「ない」、もしくは「表現できない」のね。

 

この、口頭で聞いても感想が「ない」、もしくは「表現できない」子たち。

読書感想文、キツくね? と思うんだ。

 

感想?

ないんだよ。

 

「たのしいおはなしでした。」

 

以上だ。

それ以外、特にない。

 

 

ないものを、文字に起こして作文用紙を埋めるとか。

キツくね?

 

ないものを膨らますって、非常に難易度が高い。

1を10にするのは、割とできる。

でもゼロを1にするのはとても難しい。

 

真っ白な原稿用紙を前に、途方に暮れてしまう。

 

「たのしいおはなしでした。」

 

1行で書き終えてしまった。

一体どうしたら……。

 

 

自分の話で恐縮だが、僕は作文が「出来た」方だった。

読書感想文然り、体験学習の感想だとか、自作の物語やポエムだとか、そういった「作文」に分類される課題は得意だった。

構成する要素をポンポンと出し、頭の中で組み立て、さらに教師が喜びそうな感じに脚色し、文章にして吐き出す。

普段の読書量が多かったため(友達いないから)、文章テクニックも同世代の子より持っていたように思う。

純朴な、大人受けしそうな内容を、手垢のついたテクニックで小汚くまとめる。

「子どもの純粋な視点の作文」を、非常に不純な思惑で書いていたわけだ。

クソガキこの上ない。

 

でさ。

なんでこんな話をしたかというと、「コレ、みんなに出来ますか?」って考えるとまぁ無理よなって思ったからなのよ。

このクソみたいな力をどうやって培ったのか、自分でもナゾだ。

生まれつきでしょう、としか言いようがない。

 

「作文に困ってる小学生に教えてあげて」と言われても、キッパリ「無理です」だ。

説明しようがない。

小田和正(言葉にできない)。

 

 

反対に、苦手だったことも、もちろんある。

体育の授業で、僕はダンスがとにかくダメだった。

 

もう、どう動けばいいかサッパリわからない。

なぜみんながあんな動きをしているかわからない。

自分ではできたつもりの部分も、僕だけ不合格で居残り。

出来てないんだろうけど、なにが出来ていないかわからない。

わからないことがわからない。

とにかく才能ゼロ。

「ない」。

 

 

こういった運動神経とかファッションセンス、音楽の才能もそうだけど、ある人はあるし、ない人はない。

『センス』や『才能』といったものだろう。

生まれつき大部分が決まっている気がする。

 

できる人はできるし、できない人はできない。

そこに理由なんてない、というのが実感としてわかる。

 

作文も、同じカテゴリーだと僕は思う。

 

「たのしいおはなしでした。」

 

以上!

でしょうね。

 

得意と不得意

計算や漢字の課題は、出来あがったものをなぞる作業だ。

やり方や正解が決まっている。

誰でも同じ理解で、同じ結果が得られる。

 

でも、正解がない課題は難しい。

得意な人は得意だ。

でも、苦手な人は苦手。

 

「ない」ものは「ない」のだ。

そこに理由なんてない。

当然、努力ややる気の問題ではない。

僕だって、ダンス真面目に頑張ったんだもん。

でも出来ないんだもん。

「ない」んだもん。

 

 

読書感想文は、感想が「ない」。

自由研究は、研究したいことが「ない」。

 

ないものはない。

しょーがない。

 

 

この辺は、人間の個性だと思う。

好きな人は思い切りやればいい。

でも、そうじゃない人にはかなりキツイ。

 

それでいいと思う。

いろんな人がいて人間社会は成り立っている。

 

 

子どもなので、何が得意かなんてわからないから、とりあえずトライしてみるのは良いと思う。

でも、全員それなりに形にして提出! となると、かなりしんどいよなーと思う。

 

小学生のみなさん、お疲れ様です。

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