人の行動原理で最強なのは、「ラク」だと思っている。
人は「ラク」なほうに流される。
「ラク」なものを選ぶ。
何をするのも、しないのも、根底には「その方がラクだから」という気持ちが横たわっているものと、僕は思っている。
「ラク」の持つ魔力
僕が人一倍ものぐさなのかもしれないが、僕の行動原理の基本は「ラク」だ。
「ラクかどうか」で決めることが多い。
夕飯のメニューしかり、休日に取る行動しかり、今日洗濯をするか明日に回すかしかり。
一見めんどくさそうな行動にも、その背景には「ラク」が潜んでいることが非常に多い。
自宅で料理するのも、レストランまで行くのがめんどいとか、冷蔵庫のしなびた人参がそろそろ限界だが捨てる心のエネルギーがないとか。
めんどくさい訴えの多い患者さんへの対応も、その人の需要に合わせるのが結局一番「ラク」なので、可能な限りのことを行う。あとでクレーム付けられる方がめんどい。
超絶大変だった医学部受験だって、そこさえ乗り越えれば後の人生が「ラク」になるという打算が大いにあったわけで。
こと左様に、人生において「ラク」が判断基準になる場面は非常に多い。
不登校は「ラク」?
で、不登校児。
なぜ不登校になったって、学校がつらいから、「ラク」な方に逃げて不登校になったわけだ。
短期的に見たらそう。
とりあえず目の前の辛さから逃げたかった。
でも、中・長期的に見て不登校って「ラク」?
全然そんなことないと思う。
不登校がラクなわけない。
親にどやされ、世間の目を気にして、自分で自分を責めて。
このままだと自分の人生終わるんじゃ? と悩み。
絶対にラクじゃない。
フツーに登校してた方が絶対的にラク。
これはもう、絶対そう。
不登校を続ける理由
不登校って全然ラクじゃない。
じゃあなぜこの子は不登校を続けてるの?
変ことにはそれが変になった深〜い理由があると、僕は考える。
ホイ奇祭。↓
超絶大変な不登校をあえて続ける理由。
それはやっぱりその方がラクだからだと思う。
僕は、ラクには2種類あると思っている。
- 中長期的にラク
- 短期的にラク
この2つ。
不登校を続けている理由も上記2つに大別されると思う。
①中長期的にラク
外来では、3割くらいがこっちのタイプ。
ブログ読者さんでも散見される。
「いろいろ考えた結果、やっぱり学校は合わないので自宅で過ごすことに決めてます!」って人たち。
自宅以外にも、フリースクールとか適応指導教室とか通信制高校とかも含む。
選択的不登校というか。
積極的に、ポジティブに不登校してる人。
この子たちは、長期的な視点で考えた上で不登校を選択している。
学校は合わないから、無理に行ってもいいことないと結論している。
将来的にも、いわゆる普通のレールは外れ、自分で道を見つけます! という覚悟ができている。
自分で道を切り開く労力と、合わない学校に通い続ける労力。
天秤にかけて不登校を選択したのだ。
『学校に行かないほうがトータルラク』と結論付けた子たち。
この子たちは本当に素晴らしいと思う。
この年齢でそこまで考えられるって、とんでもなく賢い子だと思う。
もう、そのまま突き進んでいただいて何の心配もない。
輝く未来が待っているものと僕は確信している。
②短期的にラク
問題になってくるのはコッチ。
外来に駆け込んでくるのもコッチが多い。
今困ってネットで情報を漁っている親御さんも、お子さんの状態はきっとコッチだと思う。
とりあえず目の前の学校から逃げた。
でも、このままでは中長期的に大変になるのが目に見えてる(少なくとも親には)。
具体的には成績とか進学とか就職とか独立とかどうなる?
ヤベーよヤベーよ。
とりあえず「普通に」学校に行ってくれよ!
その方がラクだよ!(親も子も)
短期的な「ラク」と中長期的な「ラク」とが相反することはよくある。
今は逃げるほうがラク、でも長期的には逃げないほうがラク。
でも、無理なのである。
目の前のことでいっぱいいっぱいのときに、先のことなんて考えられない。
今日の食料が確保できてないのに、1年後のことなんて考えられないのである。
とりあえず今飢えて死ぬことがないと安心できて初めて、長期的な食料の保存を考えられるわけで。
短期的な「ラク」を手放すために
中長期的な「ラク」を追求したければ、相反する今の「ラク」を手放す必要がある。
日常生活でもそうでしょう?
何で食後すぐ皿を洗うんですか?
皿洗い、めんどくさいですよね。
でも使った皿をため込むと後でもっとめんどくさくなるって分かってるから、さっさと洗うんですよね。(ため込んだ皿の汚れの落ちなさ、腐敗臭、挙句虫……。)
今の「ラク」を手放して、明日の「ラク」を得る選択をしたわけだ。
同様に、不登校も中長期的な「ラク」を考えて、今の「ラク」を手放すほうが、トータル「ラク」。
ただ時間を浪費するより、先を見据えて動いておいたほうが後でラク。
総合的に明らかにラク。
それはもう絶対そうだから、放っておいても本人がそうする。
のだけど、そのためには条件がある。
そのために必要なこと。
家を快適にしてください。
これに尽きる。
今の「ラク」を手放すにはある程度のエネルギーが必要。
まず短期的な「ラク」を手放すというハードルを越えないことには、長期的なことなんて考えられない。
逆に言うと目の前のハードルさえ越えれば、あとは長期的な「ラク」に向かって本人が勝手に動いていく。
何かを効率化するには初期投資が必要。
不登校の場合、投資するのはお金じゃなくてエネルギーなわけだ。
目の前の「とにかく逃げたい」を乗り越えるエネルギー。
これを溜めるために、家を快適にして欲しい。
『暇』にしてほしい。
『暇』ってつまり、エネルギーが溜まった状態だ。
エネルギーさえ溜まれば、「よくよく考えたらここでウジウジしてても将来的に不利になるだけじゃん、めんどいじゃん」と考え、勝手に行動する。
※「行動」とは、復学に限らないのはいいですね? 自宅で好きなことを突き詰めることでも、習い事などで居場所を作ることでも、適応指導教室に通って出席日数を稼ぐことでも、なんでも良い。
※ちなみに知的にゆっくりな子は「今動いた方があとでラク」と思い至らないことがある。ASDの子は中長期的な視点があまりなかったりする。その場合は放っておいても全然動かない。この辺は以前書いた気がする。
まとめ
人は「ラク」には逆らえない。
と、僕は思う。
特にエネルギーの枯渇した不登校児が「ラク」に逆らった行動なんてできるわけがないのだ。
だから、無理やり復学させることに意味はないと僕は思う。
まず続かないし、続いたとしてもどこかでまた折れるリスクがあまりに高い。
人は「ラク」に逆らえない。
この習性をうまく利用して、上手に『寄り添って』あげてほしいなと思う。
安心できる安全で過ごせているから出てくる言葉として…
暇だ
楽しいことが何もない
つまらない
と、言い出した時の対応はどうすれば良いのでしょうか?共感して同意して…?本人が動くのを見守るのでしょうか?
ついつい暇なら学校(適応教室など、同年代と出会える場所)に行ってみたら?と話してしまいます…。
知的にゆっくりな子やASDの子の不登校の場合は、やはり復学は難しいのでしょうか?
息子はずっと登園、登校渋りがありました。
ある程度出来てしまう子だった為に、最近になり自閉傾向があると診断され、これから詳しく検査することになっています。現在小2です。
夏休み明けから学校に行けていません。
定形型の子は家が快適でパワーがたまれば動き出すとの事ですが‥発達に問題がある子の場合はどうしたらいいのでしょうか?