不登校

不登校は子供の権利、じゃあ『義務』は誰のもの?

不登校は子供の『権利』だと思う。

 

子供に学校に行く『義務』はなく、『権利』を持つ。

来たければいつでも来ていいよ、というのがすなわち義務教育だと思う。

義務教育だから学校に行かなきゃ! 不登校の子の親御さんと話すと、 「義務教育なんだから学校に行かなくちゃいけない」 とおっしゃることがある。 ...

 

で。

『権利』があれば、そこには必ず『義務』が発生する。

『自由』には『責任』が伴うのがこの世の法則だ。(ちなみに子供が学校に行く『権利』と呼応するのが、親が学校に行かせる『義務』と地方自治体が学校を作る『義務』だと思う)

子供が不登校の『権利』を行使したら、同時にその選択に責任を持つ『義務』が生じる。

 

これは、子供本人が負う。

 

レールを外れる選択をしたら、じゃあどうやって生きていくのか、自分で決定しなければならない。

この『義務』は、子供のものだ。

不登校は親のせいではない。

その子が学校に「合わなかった」のが原因だ。

子供の問題だ。
だから育て方と不登校は関係ないと何度言ったら 『不登校は育て方ではなく、持って生まれた性質です』 外来で、何度お伝えしてもデモデモダッテされるお母さんがいる。 ...

 

だから、『義務』を負うのも子供。

「合わないから行かない」という決定をしたなら、「じゃあ学校に行かずどう過ごし、どう生きるか」も決定しなければならない。

行かない決定をしたのは子供。

親御さんが行っちゃダメって言ったわけじゃないでしょう?

じゃあ、行かないでどうするかを決定するのも子供の責任であって然るべき。

 

 

と、思うんだけど。

この『義務』の部分を子供に委ねられない親御さんが多いのかなーと思った。

 

「不登校になったら将来が心配」ってつまり、「この子には将来を切り開く力がない」と思っています? 無意識にでも。

「心配」してるのは親だ。

子供本人が「将来が不安で不安で……」とパニックを起こしているわけではない。

そんなことより目の前の学校がしんどくて逃げ出したい気持ちが先だろう。

 

なのに親御さんが先回りして、「このままではお先真っ暗」と心配しているわけで。

つまり、親御さんの問題にすり替わっている。

 

子供に任せておけない! と思うので、導くのが親の『義務』と認識される。

転じて、「不登校は親の責任」となる。

 

責任の所在がすり替わる。

「親の責任」になるから、周囲の目が気になりペリーが出てくる。

 

 

なんだろう……。

ちょっと、お子さんに対しあまりに過小評価すぎやしません?

第三者である僕から見ると、そう思えるんだけど。

 

だってこの子は、「学校に行きたくない」と意思表示をした。

「学校はイヤだから行かない」と判断できた子なのだ。

じゃあ、その先どうするのかの責任も持てる。

自分で人生を切り開く力を持つ子だ。

選択する能力のない子は、不登校することなく『普通』に乗っかって流されるのが道理だと思うんだけど。

 

 

傍目には決定力のある、つい今しがた「不登校」を選択したこの子を、一番身近な親御さんが信頼できないのってナゼだろう。

 

めっちゃ考えた。

 

 

親御さんがご自身を信頼してないから、ですか?

 

子供の頃の自分にそんな能力はなかったって思ってます?

親に決定してもらってました?

自分は子供の頃、自分の人生を選択する能力がなかった。

だからそんな自分の子供であるこの子も同様、という理屈でしょうか。

 

 

うーん。

そうだとすると昔のあなた、過小評価されすぎじゃないでしょうか。

 

 

僕には導いてくれる親がいなかったので(虐待家庭育ち)、全部自分で決めざるを得なかった。

でも、だからこそ自分で人生を選択してきた自負がある。

 

子供の頃の自分なんてアホで愚かで意味不明でしょーもないことしかしなかったけど、でも子供なんてそんなもんだと思うし、しょーもないことの責任を自分で取るからこそ楽しかった。

自分の責任になるからこそ、そこまで愚かなこと(オレオレ詐欺とか)はしなかったし。

 

 

そんなしょーもない僕だからこそ、強く感じるのだ。

昔の親御さんを、ご自身が信頼してあげてほしい。

 

子供の頃の自分こと、ご自身でバカにしてません?

いくら子供でも、アホでも愚かでも、あなたの人生はあなたのものじゃないですか?

責任、取れますよね。

当時のあなたにはその力があったはず。

僕はそう信じてる。

 

 

あなたも昔の自分のこと、信じてあげてください。

「自分で決める」ってどれだけ難しくて大変で、どれだけ大切で、どれだけ幸せか。

僕もあなたも共通認識ですよね。

 

 

 

じゃあ。

今目の前にいるお子さんも同じ。

お子さんの人生はお子さんのものだ。

『責任』、取らせてあげてほしい。

失敗させてあげてほしい。

 

大丈夫、自分で立ち上がる。

あなたの子ですから。

 

 

「そうは言っても親と子は切り離せない。心配してしまう。」

 

切り離さなくていい。心配してもいい。

でも、『義務』は子供に負わせてあげてほしい。

子供の人生を、子供に返してほしい。

 

そこは親といえども別人格、不可侵の領域だと思う。

その様子を木の上に立って見守るのが親ってもんで。

 

 

親も子も、各々が自分の人生に『責任』を負っており、だからこそ『自由』だ。

そんながんじがらめの自由を謳歌することを、「自分の人生を生きる」って表現するのだ、と僕は思う。

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