親子関係

子供を受け入れられない理由って?

不登校でも発達障害でもHSCでも思春期でもなんでもいいんだけど、お子さんをそのまま受け入れてあげてくださいという話を再三している。

暴れ狂って校舎の窓ガラス壊しても、盗んだバイクで走り出してもどーでもよくて。

そんなことより親子の絆が大事と。

 

でも子供を受け入れるには、まず親御さんが受け入れられる必要があると、僕が学んだところ。

そうしないとやっぱり「外野の目」が気になってしまい、対応がブレてしまうと。

外野(ペリー)の支配から卒業できないんだって。(尾崎意識するのやめて)

 

 

 

で。

子供を受け入れるには、段階がある。

 

 

子供が急に尾崎になる。(尾崎になるの?)

窓ガラス壊したりバイク盗んだり、行儀よく真面目なんてできやしないとする。

 

すると親御さんはまず「うちの子に限ってそんなはずはない!」と拒絶。

それから「〇〇のせいだ!」「どうすればいいんだオロオロ」「人生終わった…」とかまぁ段階を踏んで、最終的に子供を受け入れるようになる。

 

 

それは知ってた。

進研ゼミでやった。

 

 

でも、本当に申し訳ないのだが、その逡巡って2週間くらいで終わると思っていた。

長くても2ヶ月くらいと思ってた。

受容のプロセス、正直ナメてましたすみません。

受け入れるにはかなりの時間がかかると、僕が理解したところだ。

 

 

なるほどなー。

だから外来でも、いい感じになっていたのに翌月の受診では「でも私(親)が悪いんですぅ」に逆戻りしているお母さんがいるのか。

時間がかかっているわけだな。

 

 

で。

それを理解したところでですよ。

 

そうは言っても、やっぱり腹を括っていただかないと先に進まないわけで。

外野の意見はバーカバーカで受け流せないと、子供の話を聞けないと思うわけです。

 

主役は子供。

親が「やっぱり不登校は甘えかも」とか思ってしまうと、どうしても子供に押し付けてしまう。

親がブレるといいことないと思うわけです。

 

 

で、ですよ。

外来患者さんでも、受け入れが早い人と遅い人がいるように見受けられる。

 

母
覚悟を決めて親が行動を変えたところ、子供の行動が変わりました!

 

と報告してくれる方。

 

母
そうは言っても外野に言われると気になってしまい、不安になってしまいます……

 

という方。

 

この差ってなんだろう。

かなりの個人差があるようだ。

 

 

尾崎対応(尾崎対応?)について、ゆっくりでいいとは言うものの、20年かかったら新生児も成人するわけで。

早いに越したことはないと思うのだ。(今悩んでいる人を責めていません。悩んでいるってつまり前を向こうとしているってことで、それだけで勇者です。さらに良くするにはどうしたらいいか、僕の個人的な興味です。)

 

 

例えば、お子さんが12歳で不登校になったとする。

親御さんの受け入れに5年かかったとしたら、17歳。

誰もいない海で二人の愛を確かめちゃう年齢だ。

15の夜も、16のイヨも超えちゃってる。

二人の愛って、もしかしてアレ、親子の愛のこと?

 

 

親御さんが受け入れてから、改心した親を子供が信頼するのにさらに10年かかったとする。

子供は人生経験が短く未熟なので、親の受け入れ期間の倍かかると仮定する。

そしたら、27歳じゃん。

27歳ってアナゴさんと同い年らしい。

管理職の風格、出ちゃってるじゃん。

アナゴさんが親子の絆に悩んでいるとは思えないのだ。

自己肯定感の低いアナゴさんとか、ちょっとイメージ湧かない。

 

 

なので。

悩むのはいい。

外野の声が気になる時期ってありますよね。

もちろんそれはわかる。

 

だけど、受容は早いに越したことはないと思う。

 

 

そこで。

なぜ受容できないのか、仮説を立ててみた。

僕は基本的に、変なこと(変と表現してすみません)には必ずそうなった理由があると考えている。

 

 

まず。

もし僕が「不登校なんて甘え」と言われたらと想定してみた。

頭髪の寂しい校長先生に、「キミが甘やかすからあの生徒はどんどん自堕落になる。登校するよう厳しく指導しなさい」とか言われたとする。

僕はどう思うか?

 

 

「なんなの? バカなの?」

 

 

頭の中でシミュレーションしたんだけど、まったく気にならないのだ。

 

 

「だからハゲるんだよバーカバーカ」

 

 

で終了。(もちろん心の中で!)

 

 

 

 

じゃあなぜ1ミリも気にならないのか、その理由について仮説を立ててみた。

  1. 僕は人生で一度も不登校が楽だと思ったことがないから
  2. 僕はその子を育ててないから

この2点が思い当たった。

じゃあこの2点と逆の理由で親御さんは受容しづらいのではないかと。

 

 

仮説① 不登校が楽だと思ったことがない

僕は小学生の時分から「不登校ってつらいんだろうな、知らんけど」と思ってきた。

モトキくんというクラスメートが不登校だったのだけど、彼は他の級友より辛い思いをしていると、当たり前に思っていた。

サボりとか甘えとかいう発想が全くなかったわけだ。

この前提だからこそ「不登校はズル」とか言われたとしても「なんなの? ハゲなの?」で一蹴できる。という仮説。

 

でも一般的には、不登校って「ゲーム三昧でズルい!」と思われているらしい。最近知った。

だとしたら、子供が不登校になる前は親御さんも「不登校なんてアリエナイ」と思っていた可能性がある。

自分が「ズル」と思っていたこと(後ろめたいこと)を他人から指摘されたら、そりゃ響いてしまうよなーという、仮説①。

 

 

仮説② その子を育ててないから

仮説②は、僕は他人だからこそ気にならないのかな、というもの。

僕は尾崎(尾崎?)を育てていない。

だから、彼がこうなった原因が僕にないことは明白だ。

 

でも親御さんは、尾崎(だから尾崎?)をここまで育てていらっしゃった。

尾崎が責められると、親御さんが責められるように感じるのかもしれない。

尾崎の問題行動はイコール親御さんの責任と感じるからこそ、外野の意見に振り回されてしまうのかも。という仮説②。

 

たしかに15の尾崎がバイクを盗んだら、親御さんの責任になるだろう。

そんな感じで、「不登校は甘え」とか言われると彼を育てた親御さんが否定されていると感じてしまうのでしょうか。

 

 

ということで、教えてほしいのです。

ありのままのお子さんを受け入れられない(なかった)親御さんにとって、

 

  1. もともと不登校はズルという価値観だった
  2. 自分(親)が責められていると感じる

のどっちが足を引っ張ってます(ました)?

考えてみてください。

 

 

↓今までにいただいたコメントのまとめは以下の記事です。

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