発達障害

ぼくのかんがえる「さいきょう」のはったつしょうがいりろん

結局この子には、発達障害があるのかないのか。

近年、発達障害児が増えているのかいないのか。

盛んに議論され、かつセンシティブなところだ。

 

答えなどない。

ないんだけど、「僕はこんなふうに考えてますよ」って話。

ちょっと長くなっちゃったので、興味のある方だけどうぞ。

 

発達障害とは?

最近の調査で、小学生の10.4%に発達障害の可能性があると聞いた。

ほえー。

10%、1割だ。

かなり高い。

 

発達障害って多いのだなぁ。

でも、なんで?

  • そしてウチの子は、
  • クラスで目立つあの子は、
  • 一見優等生だけど実は隠れてアンナコトをしているあの子は、
  • 目立たずコッソリ授業についていけていないあの子は、

実際発達障害なのか?

みなさん、気になるところだと思う。

 

 

これに明確な線引きがないのは、何度も説明した通り。

結局「困る」か「困らない」かの、割と主観だったりする。

【発達障害の診断】それは主観です。文部科学省が 通常学級の公立小中学校に通う生徒の8.8%に発達障害の可能性があり、 35人のクラスであれば約3人...

 

んだけど、こんな曖昧な説明では納得しないそこのアナタ。

もっと理論的に。

致命的に、運命的に、必然的に、僕を見ていてね最愛のファタール。

そう、理屈っぽいアナタへ。

僕はこんなふうに理解していますという話です。

 

標高と困り感の関係

前回、発達特性を山に例えた。

標高が高いほど困りやすい傾向がある。

ただ、高いイコール困るってわけじゃないし、「◯メートル以上が山です」という定義もない。

発達特性と山 〜特性は標高で考える〜 発達障害は、山に似ている という表現を、どこかで聞いた。 よい表現だと思った。 発達特性と標高...

 

ここから。

これをベースに、さらに突っ込んで考える。

 

何度も書いているが、発達障害の診断は明らかに困ることが要件となる。

昔から、そしてアッチでもコッチでも困っちゃうよねってのが診断基準。

どの特性で困るかで、診断名が決まる。

 

その人の標高(特性)を、最低0から最高100とする。

その困りやすさを図にしてみた。

発達障害にはASD、ADHD、LDの3種類があるが、ここではわかりやすく全部一緒くた、『標高』という一つの尺度で示す。

乱暴だけどネ。

 

はいドン。↓

丸が人です。

青丸が、その環境や状況において、特に困らない人。

赤丸が、(自分および他人が)困っている人を示す。

 

標高がゼロだと、どんな環境でもまず困らない。

うまく適応できる。

特性ゼロ、変わっているところの皆無な人。

ただ、実際にこんな人が存在するかは疑問だし、どこにも適応できるって逆に変な特性なんじゃないかと思うけど。

今はそれは置いておいて。

 

便宜上、

標高ゼロ

イコール

どんな場所でも困らない、絶対に診断されない人

とする。

 

同様に、

標高100

は、

どんな環境でもまず確実に困る人。

受診すればほぼほぼ診断される人だ。

 

その間の数字、標高1〜99は、時と場合により困ることも困らないこともある。

標高が高いほど、困りやすい。

 

あなた、およびお子さんの標高はどのくらいでしょうか。

僕は50〜60くらいか。

割と慎重に場所と立場を選んでいる。

 

ちなみに、こういう図の作成とか、僕は死ぬほど苦手だ。頭の中のイメージを、実際に手を動かして形にする。まじでダルい。同様の特性を持つ子も多いと思う。このクオリティーで作った僕を褒めてほしい。

でも、逆にコレが得意な人もいる。世の中やっぱり適材適所であり、自分の特性を知って「苦手は人に 押し付ける 依頼する」って超重要なライフハックだと思う。

 

標高の人口分布

で。

この図では、どの標高にも等しく10人が分布している。

わかりやすく模式的に書いた。

 

でも、実際はそうじゃない。

実際には、標準的な標高の人が多く、極端な人は少ない。

そう予想される。

 

0とか100とか、あまりいない。

だいたいみんな中途半端な高さ。

「標準」が多く、「極端」が少ない正規分布を描くと予想される。

これはオッケーですよね。

 

 

問題は、どの程度を「標準」とするかだ。

どの程度の標高の人が多いのだろうか。

ここは僕の主観で標高30とさせていただきたい。

 

平均値、50はない気がする。

平均的なヒトが、ある環境で合わない可能性。

3割くらいじゃね? という、僕の主観。

 

一般的なサラリーマン、3回転職すれば、一つくらい合わない会社がありそう。

そんな主観。

 

学生時代、①小学校、②中学校、③高校 のうち、1つくらいは合わない場所があったでしょ?

同性のグループ、3回に1回くらいは、「なんか違う」と思いながら合わせていたのでは。

なんらかのプロジェクトチーム、3回に1回はソリが合わないけど大人の対応でやり過ごしたのではないでしょうか。

 

そんなイメージで、

平均的なヒトは標高30

と決めた。

僕の主観です。

 

 

標高30を頂点に、人数が正規分布するとする。

30付近が最も多く、0や100はとても少ない。

うち、困らない人を青困る人を赤としたグラフが以下だ。

はいドン。↓

 

うん、こんな感じ。

うん、こんな感じ。

2回言った意図は察してほしい。

 

僕のイメージは、まさにこうだ。

横軸が標高、縦軸が人数ね。

 

冒頭で出た「発達障害の可能性がある人」、コレって上グラフの赤の人だと思う。

発達障害の可能性がある人って、コレつまり、「先生が困った子」だ。

これ、先生対象のアンケートからの数字だから。

先生からみて「困った子」が10%くらいだったって話ね。

※困る人=発達障害の可能性 って、乱暴だけど。ここではわかりやすくそう表現する。

 

特性があっても、人知れず困っている子はカウントされない。

挙がるのは、先生にキャッチされた子だけ。

だから上のグラフでの赤の面積は、先生のキャッチする人数より多くなるハズだ。

実際、赤の面積は10%より大きそうだ。

 

実社会でも、こんなもんなんじゃないかなー。

赤の部分は、「発達障害と診断される可能性がある子」だと思う。

そのうち、

現実問題困っちゃって

それを親御さんがキャッチして

病院に行って

診断を求め、かつそれを親御さん(および本人)が受け入れた子

が、正式な『発達障害の子』となる。

 

うん、これだ。

うん、これだ。

2回言った。言わなきゃいけない気がした。

 

「困っている子」の標高分布

そして、外来でよく聞かれる、

 

母
うちの子の特性の強さってどのくらい?

診断レベルですか?

 

の質問。

 

これも、

まぁ、特性はあるけど、すごく強いわけじゃないけど……

というケースが多い体感とも一致する。

 

グラフの通り、困っちゃう子(赤の子)って、標高30〜70くらいに、割と満遍なく分布する。

でしょ?

人口分布に対し、「困りごとのある子」は幅広い標高に分布している。

80以上はほぼ診断されるとして、〜70の子たち。

これが「まぁ特性はあるけどねー」って子。

「グレーゾーン」と呼ばれたりする。

※ちなみに、30程度の特性で相談に来る子も多い。時と場合によっては困っちゃうんだよね。診断はつかないけど、まあねーって子(そこだけ困るなら、発達障害よりも適応障害だと思うけど)。確かにやらかしたけど、子どもだもん、まぁそのくらい普通じゃね?って感じで。環境要因でトラブルを起こし、トラブルはその1つだけなんだけど、重く見た学校側が受診を勧めるとか。

 

僕はこんな理解をしている。

 

環境で大きく変わる

そして、面白いことに。

同じ標高で同じ環境でも、困り感は人による

のだ。

コレはマジそうで。

 

例えば、標高50のAくんとBくんの二人がいたとする。

二人の標高は50ぴったり。

まったく同じ。

でも、

ひよこ組では、Aくんは困って、Bくんは困らなかった。

あひる組では、Aくんは不適応から不登校に至り、Bくんは楽しく学校生活をエンジョイした。

そんなことが全然起こる。

 

余談だが、「楽しくエンジョイする」って、頭痛が痛いとか馬から落馬とか、毎日がエブリディとかと同類な気がする。

すごく余談だった。

 

同じ標高50でも、AくんとBくんは違う人だ。

異なる性格と特性を持ち、困る場面も、気にする箇所も違う。

同じ標高でも、クマに困る山と物流に困る山とがあるように。

 

Aくんは、陽キャグループでは浮き、陰キャグループで親友ができた。

Bくんは、まったくその逆だった。

そんなことが余裕で起こる。

 

 

だから言うのだ。

どの環境で生きるか

だと。

置かれた場所で咲かなくていい。

合う場所で咲け。

鉢ごと移動しろ!

 

 

そしてそして。

興味深いことに、

環境によって不適応を起こす人の割合が変わる

というのもまた事実で。

 

例えば標高50のAくんとBくん。

一般的な環境での不適応率は50%だ。

でも学級運営の上手な先生のクラスだと、不適応率が20%ほどに下がったりする。

武田鉄矢先生のクラスだと、なんと不適応率5%だ。

 

だから言うのだ。

どの環境で生きるか

だと。

鉢ごと移動しろ!

 

 

だもんで、この表は「なんの対策も工夫もされていない野晒しの環境での不適応率」だと考えていただきたい。

 

義務教育の小中学校が近いかな。

カリキュラムと規律がしっかり決まっており、人間関係も固定。

合わなくても他の選択肢がほぼない。

それだと、「合わない確率」はこのくらいのイメージ。

不登校が増えるのも、さもありなんと考えている。

 

これが高校以降、大学や、さらに社会人になると、不適応率はグッと下がる。

選択肢が増えるから。

合わなければ、環境を変えることが容易になる。

 

実際の職場や地域社会の活動なんかでも、ここまでの不適応率はないでしょ?

もっとみんな、馴染んでるよね?

もちろん本人の成長や工夫もあるだろうが、「環境を選べる」という要素は大きいように思う。

仕事でも、合わないスタッフ、ちょっと浮いた人って、結構辞めるじゃん?

で、別の職場へ。

それって別に、普通のことだ。

だから、中学生が一番大変だよなぁ、と僕は思っていて。

【不登校】中学生が一番大変まずコレを見てほしい。 不登校の人数。 中学生が一番多いのよね。 中学生って大変よね。 こんな子がい...

 

まとめ

 

特性は標高

 

所詮、標高だ。

困り感とはまた別の話。

 

もちろんこれは僕の考え方であって、異論は認める。

ただ、この解釈モデルは結構現実に近いんじゃないかなーと、自画自賛だが思っている。

 

発達特性は、標高で考える。

発達特性と山。

だいぞうじいさんとガン。

 

「発達特性と山」の語感から、強烈に「大造じいさんとガン」が連想されてしまうのは、僕の発達特性だろう。

脳内マジカルバナナ。

ADHD特性。

 

よみがえれハリヨ。

おじさんの傘。

スーホの白い馬。

 

こんな悪ふざけが通用するのは、この場所がそれを許す環境だからだ。

そんな環境を選び、僕はふざけている。

許される場所ってあるし、作れるのだ。

 

環境は作れる。

かわいいは作れる。

キャンメイクトーキョー。

 

あれ?

許されてる?

よね?

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