コロナをきっかけに、不登校が増えたらしい。
3年前、コロナウイルスが流行した。
学校では、コロナ休校があった。
そこで休み始めて、休校が開けても行けないまま。
もしくは一旦登校したものの、やはり不登校に逆戻り。
結構いるらしい。
実際、僕の外来でもそのようなエピソードはよく聞く。
統計上も、コロナ期にググッと不登校が増えたらしい。
コロナ「ごとき」で
コロナ契機の不登校。
非常に理解できる。
もちろん、一口に「コロナ契機」と言っても、実際のきっかけは多岐にわたるだろう。
ただ単に「休校」が理由とは限らない。
世の中の閉塞感とかバタバタとか。
マスクによるコミュニケーション困難とか。
なんともいえないイレギュラー感、世紀末感は、確かにあった。気がする。(僕だけ?)
あと、ベースの「不登校になる理由」もあったのだろうし。
溜まったものが、コロナが「最後の一滴」となって溢れたケースも多いだろう。
その上で、あえて言いたい。
コロナ「ごとき」で。
休校を契機に不登校になったのなら。
確かに、この子の物語において「コロナ休校」はハチャメチャに大きな出来事だ。
それはわかる。
でも、その上で言いたい。
コロナ「ごとき」で。
コロナのイレギュラー感は、確実に子どもたちにストレスを与えた。
むしろ、大人よりも子どもへの影響が大きかっただろうと思う。
十二分に不登校のきっかけとなり得る。
その上で。
コロナ「ごとき」で。
コロナがなくても
なぜ、こう言うのかって。
コロナはあくまできっかけだと思うから。
もともと合わない子が、コロナを「きっかけ」に合わなさが露呈した。
↑事実に近いのはこうだろう。
コロナ「ごとき」で不登校になったのなら、その子は、コロナがなくてもケアが必要な子だった。
もともと学校が合わない子だった。
ここじゃなくても、きっとどこかでつまずいた。
運良く(かは分からないけど)大きな出来事に出会さなければ、転ばない(不登校ほどの事態にはならない)まま人生を終えたかもしれない。
でも、その場合でもきっと違和感はついてまわる。
生きづらさは拭えない。
多分その子は、そのままスルッと流されるタイプじゃなかった。
なのに、自分の特性に気づかず、違和感を抱えたままその人生を終えること。
実際、そういう人ってたくさんいると思うんだけど。
果たしてこれを幸せと呼んでいいのだろうか。
結局どこかでつまずいた
きっと、あとで色々出てきた。
コロナ「ごとき」でつまづいたのなら。
コロナがなくても、きっと、どこか、別のシチュエーションで。
大人の引きこもりは、学校を卒業して社会に出た経験のある人が大多数だという。
小中学校から不登校でそのまま……というケースは少ないそうだ。
そして、小中学校の不登校経験者の予後はよい。
数年後には、8割が社会復帰しているのだそうだ。
結局、どこかでつまずいた人だ。
コロナがなくても、きっとどこかで。
早めにわかってよかったんじゃね? と思う。
大人になる前でよかったと思う。
もちろん、コロナから派生して運悪く深刻ないじめにあって不登校に至った、なんてケースは除外だ。
コロナ渦で本格的なうつ病を発症したとか、感染の後遺症で身体的に動けないようなケースも除外。
そうじゃないケースね。
- コロナ休校から、なんとなくズルズル。
- コロナ回避の名目で休めることが分かり、お休みが嵩んでそのままズルズル。
- 休校を経て、学校がなくても重大な不都合は起きないと分かり、行く意味を見失って。
- オンライン授業という選択肢を知ってしまい。
↑このようなケースを想定している。
実際、このようなケースが大半だろう。
こんなケースで思う。
コロナ「ごとき」で。
その子、コロナがなくてもきっとどこかでつまずいていたよ。
コロナは「きっかけ」のひとつ
不登校の「きっかけ」として、コロナがあった。
コロナ休校があった。
それは否定しない。
その子の物語の、重要なパーツだ。
でもきっと、コロナがなくても、その子には別のパーツがはまった。
別のきっかけで不登校(およびそれに類する困った状態)になっていたと予想される。
〇〇(この場合はコロナ)がなければうまく行ったのに。
果たしてそうだろうか。
その子は、〇〇がなくても結局どこかでつまずいたように思えてならない。
外的要因を排除することは大事だ。
でも、全部は無理じゃん?
コロナは消せないし、困った担任も、いじわるなクラスメートも、息苦しい社会も、気の重い受験もさ。
全部を最適化するなんて、不可能だ。
それより、その子の『玉』を見る方が建設的だと思う。
その子はどんな子で、どんな時にどう思い、つまずいたのか。
コロナのどんな環境変化で、どう感じて、学校に行けなくなったのか。
コロナを責めても意味ないからさ。
コッチを見極める方が、ずっとずっと建設的だと思う。