発達障害

読書感想文が書けない。イベントの感想が言えない。話の要約ができない。 〜ASDの視点〜

読書の秋ですね。

行楽の秋でもありますね。

 

読書感想文が書けない子がいる。

イベント等の感想を聞かれても、答えられない子がいる。

感想:特になし。 〜読書感想文が書けない〜夏休みですねー。 夏休み中のストレスといったら、『宿題』か『家』と相場が決まっているので、受診した子たちに聞くんだけど。 ...

 

この傾向は、ASD (自閉スペクトラム)タイプで特に顕著。

ADHDも書けないんだけどさ。

ADHDは、

(何を思ったのか)もう忘れた!

なのに対し、ASDは

特になし。以上。

な傾向がある。

 

そしたら、そりゃ、まぁ、書けないよね。

 

自他境界の薄いASD

この話を書いていて思ったんだけど。↓

ASDとHSCの違い 〜イルカサメ仮説とイーブイ仮説〜 vol.1ASD (自閉スペクトラム症)とHSC (繊細な子)の違い。 禁断のテーマに、また踏み込んでみようと思う。 https://...
ASDとHSCの違い 〜イルカサメ仮説とイーブイ仮説〜 vol.2前回の続き。 https://hattatsu-kids.com/?p=4891 HSCとASDって、今現れているコ...

 

ASDは、自他境界が弱い。

「自分」と「人」の線引きが弱い傾向にある。

だから人に興味ないし、ひいては自分にも興味がない。

 

でさ。

 

読書感想文って、こうじゃん?

 

 

本を→読んで→感想。

こういうことですよね。

 

なんだけど。

よく考えたら、これだけでは、読書感想文って成立しなくて。

 

「感想文」という体裁をとるためには、この構図が必要。↓

 

 

 

本を→読んで→感想を→先生に伝える。

 

ね。

「先生に何を伝えるか」

「先生はどんなことが知りたいか」

「先生はこの本を知らないかもしれないから、あらすじを説明する必要がある」

とか、そんなことを考えるじゃん?

じゃないと、「感想文」として成立しない。

 

 

でさ。

さらに言うと、こうだと思うのよ。↓

 

 

本を→読んで→感想を→先生に伝える→そんな自分を俯瞰して見る。

 

そんな自分を俯瞰して見る。

 

↑ココ、感想文のキモ。

この視点がないと、感想文って厳しいと思ったんだ。

 

 

「先生は、生徒の作文から内容の理解度や感じ方を知りたいのだろう。」

「じゃあ自分は、面白かったこのシーンを、実体験を交えて書こう。」

こんな視点。

 

「人に伝える自分」を、客観的に見る自分。

この、客観的に見ている自分が、感想文を書くわけだ。

 

書くのは、本を読んだ自分じゃない。

それでは、「感想文」の体をなさない。

 

「本を読んだ内容を先生に伝える自分を客観的に見ている自分」。

↑この人が書くのだ。

これ、すなわち感想文。

 

ここが難しいところですよね。

 

ASDの視点

ASDは、自分と他人の境界が弱い。

 

本を→読んで→内容を先生に伝える。

しかも、一連マルッと俯瞰的に見て伝える。

 

この視点移動には、自他境界がめっちゃ必要。

難しいと思うんだよね。

 

 

ASDの視点は、こうなりがち。↓

 

 

本を→読んだ。

以上!

 

だから、感想とかいわれても、特にない。

面白かったけど、どこがどんなふうにとか、説明できない。

自分の思いを人に伝えるスキルを持たない。

相手が何を知りたいか、どこをどう説明すればいいのか、さっぱりわかんない。

 

 

この能力って、学校で習う類のものではない。

後天的に学習する能力じゃないと思うんだよね。

生まれつきの、「そういうものだよね」って能力。

 

定型発達や、その他大部分の人は、当たり前に獲得していく能力。

そこに特別な訓練を要さない。

 

でもASDは、その特性ゆえに習得できない。

その感覚が「ない」のだ。

自他境界が薄いから。

※このへんを訓練するのがSST (ソーシャルスキルトレーニング)

 

 

このギャップが理解されづらい。

ASDタイプは世の中の少数派なので、

 

母
 感想「なし」ってどういうこと?

 

母
 「楽しかったです」って、もう少し何かないの?

 

と、なりがちなのだと思われる。

 

 

例えば、ここにこんな文章がある。

 

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

これを要約しろと言われたら、例えばこんな感じ。

 

要約:

春は明け方がキレイだよね⭐︎

 

これって、

文章→読んだ自分→古文はよくわからないけどザックリ内容を知りたい人→その人に伝える自分

を想定して初めて、この要約になる。

この視点で考えて、ようやくこの要約になる。

ようやくこの要約になる。(2回言った!)

 

 

これが、ASD視点だと、こうだ。

 

要約:

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 

だって、そう書いてあるもん。

 

文章→読んだ自分。

以上!

 

要約なんて、紫式部に聞かないとわかんないし。

書いてある情報は、すべて等しく重要に決まってるでしょ。

 

こんな感じ。

「要約して示す相手」とか、「自分と相手を俯瞰してみて」といった視点がないので、こうなる。

あ、紫式部じゃなくて清少納言だっけ?

マジ、春はあげぽよ。

 

 

そして、これは生まれ持った気質だ。

この人の努力不足とかそういった話ではない。

そして、当然だけど、この気質が悪いわけではない。

少数派だから誤解されやすい、トラブルになりやすいってだけ。

気質自体が『悪い』わけではないと僕は考える。

 

ちなみにHSCの視点

話のついでに、ASDと同様に自他境界が弱いHSCだとどうなるか。

きっとこうだろう。↓

 

 

本→読む自分→先生に伝える前に、他の子はどんなこと書くかな→目立たないように、無難に書きたい→こんなこと書いたらヘンかな→先生はどう受け取るかな→おかしな感想だと思われたらどうしよう!

 

こんな感じだろうと予想する。

本と自分と先生だけの関係ではなく、他の子や一般的な内容とか、どう評価されるかとか他児との関係性なんかの、余分な情報が流れ込んできちゃう。

「感想文とはこいうものだ」的な刷り込みとかさ。

 

もしくはこう。↓

 

本→読む自分→みんな大体こんな感想文を書くだろうな→先生はこんな内容を期待しているだろう→忖度して、こんな風に書けばウケが良いに違いない

 

前者は、考えすぎて筆が進まないパターン。

後者は、あることないことスラスラ書けるパターンだ。

 

いずれも、「本」「読んだ自分」「伝える先生」という境界が薄いから。

それ以外の外側の情報が流れ込み、ごっちゃになる。

書けなくなるか、大人ウケを狙って思ってもいないことを書くか、いずれも根っこは同じだ。

 

 

これと比較すると、「春はあけぼの→春はあけぼの」のASDの方が、純粋で良いような気もしてくる。

周囲が見えない分、その人独自の考えを、そのまま率直に書ける。

 

でも、賞を取るのは大人の意図を先回りして書くHSCタイプ。

 

どっちが良いでも悪いでもない。

もちろん、定型発達の捉え方が「良い」わけでもない。

 

まとめ

ASDは自他境界が薄い。

なので、感想を求められる場面とか、自分の考えを述べる場面とか、弱いよねって話。

 

感想を述べるって、

出来事→自分→伝える相手→それらを全部俯瞰して見る自分

が揃って初めて適切なアウトプットとなる。

 

難しいよね。

そりゃ、

「感想:特になし。」

「感想:楽しいお話でした。」

になるよねって話だ。

 

 

たかが読書感想文。

されど読書感想文。

ここまで視点を移動して、ようやく要約できるって話。

ようやく要約できるって話だ。(2回言った)

春はあげぽよ。

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